日本シリーズの前にクビにしてくれ「プロ野球戦力外通告」プロデューサーに聞く 1
アメーバニュース 2013年12月26日 11時00分 提供:エキサイトレビュー
年末の風物詩、「プロ野球戦力外通告〜クビを宣告された男達」が今年も12月30日(月)、全国TBS系でON AIRされる。野球人生のツーアウトに追い込まれた男たちによる、残酷だけれども真剣な最後の勝負を追いかけるドキュメンタリーは、2004年に特番化されてから、10回目の節目に当たるという。この番組で描きたいことは何か? そもそもどういう経緯で番組はスタートしたのか? そして今年の見どころは? 番組の立ち上げから携わってきたTBSの菊野浩樹チーフプロデューサーに、番組の歴史と取材秘話を聞きました。
*菊野浩樹(きくのひろき)/1968年5月14日生まれ、東京大学教育学部卒。TBSテレビ エキスパート職・プロデューサー。1992年、TBS入局。「アッコにおまかせ!」や「筋肉番付」、「ZONE」、「プロ野球戦力外通告〜クビを宣告された男達」、「ライバル伝説…光と影」など...
《プロ野球再編の年に特番化された「戦力外通告」》
─── 「プロ野球戦力外通告」を見ないと年を越せない! そんなプロ野球ファンは多いと思います。この番組が生まれたそもそもの経緯を教えてください。
菊野 まず、企画という意味では、99年に「バース・デイ」の前身番組である「ZONE」が始まり、その年の秋には早速、戦力外通告をテーマにした回を放送しているんです。
─── 「ZONE」の番組内企画だったんですね。
菊野 はい。ちょうどその頃、「ZONE」の構成作家から薦められて『強くて淋しい男たち』という本を読んでいたんです。『AV女優』などで有名なノンフィクション作家・永沢光雄さんの本で、その中で金村義明(元近鉄、中日、西武)と愛甲猛(元ロッテ、中日)のエピソードが描かれていました。
─── いまや球界ご意見番のような2人ですね。
菊野 彼らも球団を転々とし、最終的にチームをクビになった後にどういう状況だったのか、ということが書いてあるノンフィクションでした。その内容が凄く良くて、「これをテーマに番組をやってみよう」と、その年(99年)にクビになった選手を「ZONE」で追いかけたのがそもそもの企画の発端。以降毎年、戦力外を受けた人を追いかけるようになったんです。
─── キッカケは永沢光雄だったんですね。
菊野 その後、2004年の秋に「ZONE」が終わってしまったので、その人気企画を特番にしようと、2004年11月に『戦力外通告』の第1回が始まりました。この04年はまた、プロ野球にとって激動の年なんですよ。
─── 球界再編の年。
菊野 そう、近鉄が無くなってしまった! だからその激動の年の「総決算」の意味でも戦力外通告の特番をやろう! と。だから、1回目だけタイトルに『激動のプロ野球総決算』と付いているんです。その回の視聴率が好評だったので、そのまま毎年特番でやれるようになり、今年が10回目ということになりますね。
─── 「ZONE」時代から見ていましたが、特番になってから、より裾野が拡がったように感じます。
菊野 確かに、タイトルが広まったのは特番になってからかもしれない。実は最初は「クビを宣告された男達」というタイトルだったんです。今も正式な番組タイトルは「プロ野球戦力外通告〜クビを宣告された男達」で、副題として残ってます。でも、取材先で番組名をそのまま言うと、選手たちが「クビを宣告された?」でひっかかって、なかなか取材にOKが出ないこともありました。もうちょっとわかりやすい……たとえば「明日に向かって戦う男達」みたいな番組タイトルにしていれば、取材も受けやすかったのかなぁと(笑)。まあ、ここまで浸透しちゃうと、もう変えようがないんですけどね。
《日本一の2日後にクビになった男》
─── 過去9年間で、特に思い出深い選手は誰になりますか?
菊野 やっぱり僕は、宮地さん(宮地克彦、元西武ほか)ですね。2003年、「ZONE」の中で宮地さんと大越基(元福岡ダイエー)さんの2人を取り上げたんですが、この「戦力外通告」という番組を語る上で、非常に大きな選手だと思っています。どうしてこの2人を一緒に取り上げたかというと、彼らは高校時代、甲子園で投げ合っているんですよ。
─── 尽誠学園×仙台育英戦ですね。(※1989年夏の甲子園準決勝。延長10回に及ぶ投手戦として有名な一戦)
菊野 高校時代は大越投手が投げ勝ったんですが、その大越が2003年の秋にダイエーをクビになった。そこから僕らも動き始めたんです。だから、企画としては大越さんが先なんですね。なぜ彼を追いかけたかというと、2003年はダイエーが日本一になり、その2日後に大越さんはクビになったんです。
─── 非情ですね。
菊野 「おいおいおい、日本一の2日後にクビってかわいそうだろう」ということで追いかけ始めました。実際、本人は怒りまくってるんですよ。「なんで俺がクビにならなきゃならないんだ!」と。その思いの丈をテレビで語る、ということで本人からもOKをもらい、その時に「大越といえば甲子園での宮地との投げ合いだよなぁ。その宮地も今年クビになってるのかぁ」と宮地さんも追いかけることになるんです。宮地さんはその後、改めてテストを受けて福岡ダイエーに入団し、2005年シーズンにはオールスターにも選ばれるんですよ。
─── 「リストラの星」と言われました。
菊野 オールスターに選ばれた時、僕らスタッフも自分のことのように嬉しかった。それだけに、宮地さんが一番印象深いですね。宮地さんも感謝していただいたようで、「あの時、番組に出て良かった。テストに落ちる様子をテレビに撮られたけど、最終的にダイエーに受かって、福岡ドームに行ったら『宮地頑張れぇ〜』『リストラの星ぃ』『ZONE見たぞぉ〜』という声援がもの凄かった」とおっしゃっていたそうです。同時にこの宮地・大越の回というのは、「トライアウト」という制度について考える上でも、ものすごく重要な回なんです。
《「だったら日本シリーズの前にクビにしてくれよ。」》
菊野 「12球団合同トライアウト」は2001年に始まりました。でもあの当時、トライアウトの前後に各球団が個別にテストを行っていました。今年のトライアウト(1回目)には65人が参加しましたが、01年の第1回トライアウトはその半分の30人程度しか受けていないんです。なぜなら、その前に巨人をはじめ各球団のテストがあり、そこで受かったら合同トライアウトなんて受けませんよね。第1回のトライアウト、合格者が何人か知ってます?
─── すみません。わからないです。
菊野 たった一人なんですよ。そして2002年の第2回合同トライアウトは合格者がゼロなんです。「トライアウトって意味あるの?」というのが、当時のトライアウトに対する認識なんです。そこで2003年の宮地・大越の回の放送に話が戻るんですが、宮地さんは僕らが取材を始めた時には、既に横浜と近鉄のテストを受けて、どちらも落ちた後だったんです。さらに取材を始めてからも千葉ロッテのテストがあり、その後に合同トライアウトがあったんです。
─── つまり、宮地さんはトライアウトの前に3球団を受ける機会があったと。
菊野 かたや大越さんの場合は、日本シリーズの2日後にクビ。トライアウトは日本シリーズの直後に行われたので、大越さんにとっては当然、合同トライアウトがいきなりのテストになります。(※日本シリーズは10月27日に終了。トライアウトが11月5日)
─── それは、準備という意味でも不平等ですね。
菊野 かたや3つのテストを経てトライアウトに臨んだ宮地。かたや経験ゼロの大越。大越さんは我々の取材でも言うんですよ。「なんで? だったら日本シリーズの前にクビにしてくれよ。俺も宮地と同じように3つか4つ受けられたかもしれないのに」と。結果、大越さんは合同トライアウトでは声がかからず、その後、千葉ロッテのテストに呼ばれるんですが結局それも受からず、プロ野球の世界から出ることになる。番組でもその2人の対比は明確になりました。
─── 今では、高校野球の指導者としてセンバツにも出場を果たしましたが……色々思い出しました。
菊野 それが2003年。そうしたら、翌04年に球界再編が起き、その時に選手会と球団がいろんなことを話し合う中で、合同トライアウトの意味も議題として取り上げられたんです。そして、合同トライアウト以外では個別の球団テストは公には行わない、という申し合わせができるんです。
─── おぉ。
菊野 03年の宮地・大越のON AIRが多少は影響があったのかもしれません。選手会の人や事務局の方が、番組の影響が大きかったと仰っているのを人づてに聞いたことがあります。
《新しい人生が決まる場が、こんなに小さな室内練習場なの?》
─── 今でもトライアウトという制度には様々な課題が指摘されています。長年、トライアウトを追いかけてきたこの番組から見たトライアウトの課題や意義とは?
菊野 今年は、はじめて地方開催(12球団のフランチャイズ以外)を行った。それはすばらしいことだと思います。静岡県が誘致し、静岡市にある草薙球場で行われたんですけど、たくさんの来場者がつめかけました。
─── 今年は来場者が1万人、とニュースにもなりました。
菊野 でも、残念なことに草薙球場でのトライアウトでは途中で雨が降ってしまい、室内練習場に場所を移して以降のテストが行われた。でも、それってどうなの? と。だって、室内練習場ということは内野も外野もいないんですよ、ピッチャーが投げて、バッターが打つ。これしかできないんです。え? 新しい人生が決まる場が、こんなに小さな室内練習場なの? と。
─── 選手にとっては辛いですよね。
菊野 たとえばですけど、せめて予備日を作ってやるべきじゃないか、ということを感じた人も多いんじゃないでしょうか。打っても、ヒットかどうかもわからないんです。そして、守備で魅せたい人は何のアピールもできない。しかも、最初からではなく途中から雨が降ったので、グラウンドでプレーできた選手と、室内でのプレーになった選手とが存在することになった。グラウンドで行われていた時に、ホームラン性の打球をフェンス際で掴み取った、ものすごいファインプレーをした選手がいたんです。それもアピールのひとつだと思うんですけど、室内じゃできなくなる。だったらせめて土曜日開催にして、日曜を予備日に設定すべきじゃないの? と。
─── しかも、わざわざ静岡に誘致していますからね。お客さんのためにも。
菊野 だから、本当に公平な制度にして欲しいなと。彼らが人生をかけて、命をかけて臨んでいるトライアウトなんだから。それは、見た人が感じることによっても制度って変わると思うんです。2004年の時にもそうやって制度が変わったように。
─── そう考えると、番組の影響力は大きいですね。
菊野 99年に「戦力外通告」の企画が始まって、01年にトライアウトが始まった。トライアウトも試行錯誤を繰り返して今の形になってきたわけですけども、そもそもトライアウトができたキッカケも、たぶん99年と00年に「ZONE」でやった「戦力外通告」の影響も少しはあったのかもしれません。それはなぜかというと、00年の「ZONE」で、「この日は、ロッテと近鉄が同時にテストを行っている」というナレーションがあるんです。
─── つまり、どちらかしか受けられない、と。
菊野 当時はそうでした。でも、おそらく、同日に複数球団の入団テストが行われていたことは選手からも不満の声があがっていたと思うんですよ。そうした声を番組で取り上げることによって我々はその時々の課題を浮き彫りにして、結果的にトライアウトというものが、より公正なものになればいいなあと思いますね。
「プロ野球戦力外通告〜クビを宣告された男達」
12月30日(月)夜10時〜 全国TBS系でON AIR
<今回取り上げる主な選手>
辻内崇伸(25) 投手 大阪桐蔭高〜巨人(高校生ドラフト1位)
細山田武史(27) 捕手 鹿児島城西高〜早稲田大〜DeNA(ドラフト4位)
山室公志郎(26) 投手 桐光学園高〜青山学院大〜ロッテ(育成)
安斉雄虎(22) 投手 向上高〜横浜〜DeNA(ドラフト3位)
(オグマナオト)
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プロ野球の世界だけ甘いなんてことは当然ありません「プロ野球戦力外通告」プロデューサーに聞く 2
アメーバニュース 2013年12月27日 11時00分 提供:エキサイトレビュー
12月30日(月)に放送される年末特番「プロ野球戦力外通告〜クビを宣告された男達」。TBSの菊野浩樹チーフプロデューサーに聞く、番組の歴史と取材秘話、後編です。
《もし彼らがプロ野球の世界に戻れなかったとしても》
─── 今年の「プロ野球戦力外通告」、見どころはどこでしょうか?
菊野 毎年、戦力外通告を受けた人とその家族が、もう一度夢に向かって戦うという基本的なところは変わりません。ただ、野球界もますます厳しくなっている状況の中で、例年にも増してクビになった選手がもう一回プロ野球チームに入るというのは非常に厳しくなっている、というのは、取材をしていて感じることですね。その中で、今回は辻内崇伸(元巨人)、細山田武史(元DeNA)、山室公志郎(元ロッテ)、安斉雄虎(元DeNA)の4人を中心に構成する予定です。たとえばその中の山室さんは、トライアウト5日後に結婚することを決めていた。その状況からの彼の戦いを取材しています。
─── 実に、「戦力外通告」らしいドラマ性ですね。
菊野 一般社会がこれほど厳しい状況の中で、プロ野球の世界だけ甘いなんてことは当然ありません。でも、だからこそ彼らが苦闘しているところを、頑張っているところを見て、視聴者が少しでも勇気というか力が出るといいなぁと。毎回、考えることは同じなんですが。
─── 今回に限らず、特集する選手を選ぶポイントは?
菊野 「選ぶ」なんていうのは、もうおこがましいことで。
─── すみません。
菊野 特番になって10年、「ZONE」からさかのぼれば99年から継続していますので、15年近く続いてきたコンテンツです。そのため、球界の中でも番組の存在が認知される様になりました。それ故、プロ野球選手の方々にとって、この番組の取材を受けることが、ある種の「決断」になってきてしまっている。つまり、この番組の取材を受けてしまうと、自分が最終的にプロ野球の世界に戻れたか戻れないかも、番組の中で告知することになるんですね。
─── 苦労する姿を見せたくない、戦力外された自分をさらしたくない、という人もいますよね。
菊野 さらに、クビになった、という精神的にも厳しい状況の中で我々の取材カメラが引っ付くという、異なる状況のプレッシャーを彼らに与えることにもなります。そのような中で「選ぶ」なんておこがましいことではなく、「受けてくださった」方を取材させていただいている状況ですね。だからこそ、決断をして取材を受けてくださった方々には、テレビに出ることでちょっとでもプラスになればいいなぁと毎回思っているんです。
─── それは、具体的には?
菊野 取材を受けた人たちが後悔をしないような番組を作るということ。そして、もし彼らがプロ野球の世界に戻れなかったとしても、この番組に出たことで、野球以外の第二の人生を見つけやすくなる状況を目指す。今、心がけているのはその2つですね。実際、毎年番組が終わった後に、「もしプロ野球に戻らなかったらウチの会社で働いてくれないか?」という問い合わせが来るんです。僕らはそれを全て選手にフィードバックするようにしています。
─── たとえば條辺剛(元巨人)さんのうどん屋は、セカンドキャリアの典型として、この番組に出たからこそ認知されたことだと思います。
菊野 そうかもしれませんね。そしてもちろん、プロ野球に戻った人たちに関しては、色んな形で……たとえば「バース・デイ」という番組でその後を追いかけさせていただいて応援をする。変な話ですけど、「テレビに出演して苦闘する姿を画面に出す」。それって、視聴者にとってはその選手と感情を共有することになる。来年その選手がどこかのチームに行ったら「応援しよう!」となるじゃないですか。そんな風に番組も選手を応援したいし、この番組に出て良かったなと思えるような番組作りをとにかく今は心がけています。
《「パチンコ代がぁ」と泣き言を言うディレクターも…(笑)》
─── 毎年ひとりはトライアウトを合格する選手が出ています。番組としての引きの強さを感じるんですが。菊野 でも、ひとりも合格しなかった回が過去に一回ありました。その時はしんどかったですねぇ。でも、ドキュメンタリーで追いかけているので、合格するかどうかなんてもちろんわからないんですよ。その中で毎回、最低でも5人くらい、できれば10人位を追いかけて、放送する時に3人か4人をピックアップする。でもそれは、他の人をカットするということではなく、「バース・デイ」というレギュラー番組の中で取材した成果を出させていただいて、「戦力外通告」という特番の中では紹介するのは3人か4人に絞る。その中から、できれば一人くらい合格する方をお伝えしたいなぁというのは、僕らの希望でもあります。
─── 過去の放送で、苦労した点や取材をする上での難しさは?
菊野 選手のそばに、ずっとカメラが密着して取材をする点ですね。トライアウトを受ける前までは練習に取り組む様子だったり、トライアウト前日の家族との団欒だったりと、ポイントポイントで取材をすることができるんですが、問題はトライアウトを受けた後なんですね。トライアウト後は、合格の電話連絡がいつ来るのかがわからない。でも、僕らとしてはその「電話」を撮りたいんですよ。これがなかなか大変で……。
─── 去年の放送でも、松本幸大選手の電話に合格の連絡が来る様子が描かれていました。
菊野 一週間ずーっと電話が鳴らないことだってある。その間、ずっと撮ってなきゃいけないわけです。ちなみに、この番組以外でもいろんなスポーツ番組や他局でも似たような企画を見ることがあります。見ていて一番違うと思うのは、他の番組の場合、トライアウト当日と、合否判定の後にインタビューを撮りに行く、という形で番組を作っていることが多いかなという印象を受けます。
─── はい。
菊野 その場合、インタビューだけなら、合格の3日後ぐらいに「合格した今の心境は?」と、30分程カメラを回せばいいわけです。でも、僕らは合否の電話を待っている選手の姿を撮らせていただきたい。選手の方々とこうした取材状況を許してくださるまでの信頼関係を構築するのは大変ですし、実際の労力も大変ですよ。
─── 想像するだけで大変そうです。
菊野 選手たちも結果を待っている間、もちろん一日中練習をしているわけじゃないんですね。練習のあと何をしているかといえば、喫茶店で新聞読むことがあれば、選手によってはパチンコに行く場合もあるわけですよ。当然、取材ディレクターもパチンコに付いて行くわけですが、お店に怒られてしまうので、隣に座って一緒にパチンコを打つわけです。結果、1日に2万も3万も注ぎ込んでずっとパチンコやってる、みたいな状況になる場合もあります。「パチンコ代がぁ」と泣き言を言ってくるディレクターもいるんですが、「いや、それでもお前一緒にいろ!」と(笑)。そして、電話がかかってくるとお店の外に出てもらってカメラを回す。というようなことが実際にありました。
《時代によっても年齢によって感じるところは変わってくる》
─── 10年続いたこの番組で、変わらないのがナレーションの東山紀之さんです。東山さんとは普段、この番組に関してどんな話を?
菊野 東山さんは、「ZONE」時代からナレーションをお願いしているので、今年で13年のお付き合いになります。東山さんもその間に結婚され、お子さんを持ち、と環境が変わる中で、東山さん自身もものの感じ方が変わっていると思うんです。その時その時にいろんな選手が出演するので、シーンによってはVTRを見ながら声を詰まらせてちょっと止まったりだとか、VTRを見入ってしまって「あ、読むの忘れちゃった!」という時もあるんですね。でもそれは東山さんに限らず、時代によっても年齢によって感じるところは変わってくるじゃないですか。
─── 家族ができるとこういうシーンでグッとなっちゃうとか。
菊野 独身だと、選手個人が頑張っている姿やバットを振り続けているシーンにグッと来る。それはひょっとしたら、東山さんも同じ役者としてストイックに戦っている部分とシンクロするのかもしれません。今は東山さんが色んな感情を持ってこの番組のナレーションを読んでらっしゃるんじゃないかなぁと想像しています。
─── 特番である「戦力外通告」とともに、「バース・デイ」も10年近く続いているんですね。
菊野 そうですね。11月に放送400回を迎え、来年が10年目になります。今回「400回記念」として、番組ナレーションを務める東山紀之さんのたっての希望で、横綱・白鵬関との対談を行っています。1月4日(土)にその対談を放送しますので、そちらもぜひご覧いただきたいですね。それにしても、「バース・デイ」が400回も続くとは思わなかったですねぇ。「ZONE」が200回くらいだったですからねぇ。
─── もう既に「ZONE」の倍の歴史を持っているんですね。
菊野 「バース・デイ」はありがたいことに、長く続けたことで認知もいただいています。でも、「バース・デイ」って、もともと考えていたタイトルは「あしたのジョー」だったんですよ。曲もアニメのあの曲を使って、タイトルCGをちばてつや先生に描いてもらって。そして毎回、オープニングは「今週の『あしたのジョー』は?」で始まる……。でも、結局「あしたのジョー」というタイトルにはせず、代わりに“挑戦者たちの誕生日”ということで、今の「バース・デイ」というタイトルになったんです。「あしたのジョー」のままだったら、どうなってたんでしょうかね?
《僕は希望に満ちた番組だと思って作っています》
─── 最後になりますが、この番組で今後も訴えていきたいことは何でしょうか?
菊野 不況と言われ、若者に不安が満ちているなどといろいろ言われている時代ですが、何だかんだ言っても人間、前を向くしかないなぁと。もちろん悩むことも大事なんですが、まずは、動いてみるしかない! と。
─── やらなきゃ何も始まらない。
菊野 以前、なでしこジャパンの澤穂稀さんがこんなことを言っていました。「やるかやらないか悩むってことは、本当はやりたいけど自分の中にいろんな理由をつけて色々考えてしまっている。だから、やるしかないんだよ!」と。つまり、悩んでいるくらいなら行動しなさい、ということを言っているんです。同様に、「戦力外通告」で取り上げる選手たちもクビになってしまって、でも、悩みながらもとにかく先に進もうとしている。厳しい時代だからこそ、僕らが普段悩んでいる中で、ヒントというか勇気みたいなものを感じることができるんじゃないかなと思います。
─── 今回も期待しています。
菊野 今年は12月30日(月)の夜10時〜という、あまり遅すぎもせず、一番落ち着いて、1年を振り返りながら見られる時間だと思いますので、できれば家族で見て欲しいですね。タイトルからは希望がない番組のように思われるかもしれませんが、僕は希望に満ちた番組だと思って作っていますので。 (オグマナオト)
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クビを宣告された男達の人生。プロ野球の光と影『戦力外通告』
エキサイトレビュー 2013年1月10日 08時50分 (2013年1月13日 01時36分 更新) ライター情報:オグマナオト
『戦力外通告 第2の人生を生き抜く男たち』(遠藤宏一郎・TBSテレビ「バース・デイ」取材班 /朝日新聞出版)
10年の歴史を誇る同名番組から7人の選手をピックアップ。オリジナル取材を試みて新しい知られざるエピソードを引きだした1冊。
阿部、内海、長野、坂本、澤村……。
巨人軍グアム合同自主トレの模様が連日報道されている。昨年、日本一に輝いたGナイン。軒並み年俸も上がり、多くのメンバーがWBC代表候補にも選ばれ、年末年始の特番から続けてテレビで見ない日はない。
華々しいプロ野球の世界。でもそれは、ある一面でしかない。
プロ野球選手の平均選手寿命は約9年、平均引退年齢は約29歳。ほとんどの選手は毎年「クビ」を恐れながらプレーし、若くして挫折を味わい、実際100人を超える選手たちが毎年球界を去らなければならない現状がある。そんな光と影のコントラストこそ、プロ野球の醍醐味のひとつとも言える。
そんな「影」の象徴ともいうべきあの番組が、年の瀬も押し迫った12月26日、1年ぶりに放映された。
「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」。
タイトル通り、戦力外通告を受けた選手、そしてその家族の奮闘、新たな旅立ちへの道程を追いかけたドキュメンタリー。2004年以降、毎年TBS系列で放送され、もはや年末の風物詩ともいえる番組だ。
今回も、12球団105人の戦力外通告者の中から、元・千葉ロッテの松本幸大、元・楽天の中村真人、そして木下達夫(元・ヤクルト)、古木克明(元・横浜)、G.G.佐藤(元・埼玉西武)の5人について、選手本人と家族の葛藤が描かれていた。
そして今回、番組放映にあわせて4年ぶりの書籍版『戦力外通告 第2の人生を生き抜く男たち』も刊行された。
本書で取り上げられているのは濱中治(元・阪神/オリックス/東京ヤクルト)、平下晃司(元・近鉄/阪神/千葉ロッテ/オリックス)、古木克明(元・横浜/オリックス)、河野友軋(元・横浜)、黒田哲史(元・西武/読売)、福盛和男(元・横浜/大阪近鉄/東北楽天/テキサスレンジャーズ)、香川伸行(元・南海/ダイエー)の7人。
濱中以外はこれまで、年末特番「プロ野球戦力外通告」、スピンオフ番組「壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった」、さらにはその原型となる「バース・デイ」のいずれかで〈第2の人生の生き様〉を描かれてきた男たちだ。であるならば、番組を見たことがある人は物足りない? と言うとそんなことはない。選手個々が味わう辛苦・後悔が活字で並ぶことで、現実の厳しさをより痛感することができるのだ。
例えば、引退後、大阪・心斎橋で料理店「うかじ家 心斎橋店」のオーナーになった平下晃司は、現役時代の貯金をすべて注ぎ込み、退路を断って異業種の世界に飛び込んでいる。…
プロ入りの際、親戚一同を説得するために土下座までしてくれた兄ですら反対したという飲食店経営をいったいどうやって成功させたのか。
例えば、テキサス・レンジャーズで失意のメジャー体験をした福盛和男。帰国後、楽天で抑えとして復活を果たした後に引退した彼は、叔父の経営する会社で取締役を務め、野球とは関係のない生活を送る。そして、楽天復帰の際に詫びを入れて物議を醸した野村克也・元監督とは、その後個人的な付き合いを続けているという意外な事実。
もはや「TBS・年末の顔」ともいうべき古木克明(2009年「俺たちはプロ野球選手だった」、2010年「Dynamite!!」で格闘家デビュー、2011年・2012年「プロ野球戦力外通告」と、何らかの形で登場)は、格闘技というまわり道をしたからこそ燃え上がる野球への思いを語り、2011年に引き続き挑んだ2012年の合同トライアウトでも採用はなく、それでもなお野球選手への道を模索する。
……などなど、テレビ放映後の追加取材も交え、十人十色の人生模様が描かれている。野球はツーアウトから、とはよく聞く格言だが、人生もまた追い込まれてからが勝負だ、ということが切実と伝わってくるだろう。
中でも衝撃的なのは、本書のためのオリジナル取材で構成された濱中治の物語だ。
田淵以来の阪神・右の和製大砲と期待されながら、選手生活絶頂期に肩をケガしてしまい、さらには、骨を固定するために入れた金属のボルトが身体の中で砕け、再びの大ケガに出くわしてしまった濱中。なぜ、肩が弱かったのか……その原因が、父親が監督を務めていた少年野球チームで、小学生でありながら痛み止めの注射を打ってマウンドに上がっていた、という幼き日の記憶にまでさかのぼる。これこそが戦力外通告名物「家族との物語」であるわけだが、ここまで重い関係性もなかなかあるものではない。
「医者に、古傷が原因だと言われたのは、子どもの頃に親父が僕に無茶させたからや」
酒を酌み交わしながら懐かしく、笑いながら語る親子の姿に救われつつも、そこまでの苦労がなければプロ野球選手にはなれなかったのだ、というプロの厳しさも味わうことができるだろう。
《小学生になり野球を始めた少年たちは、より大きな舞台での活躍を夢見て、来る日も来る日も白球を追いかける。やがてそのうちの一握りの少年が、甲子園という憧れの舞台に上がることを許され、またそのもう一握りの少年が、プロ野球というゴールに到達できる》
本書の中に出てくる一説なのだが、本来、ほんの一握りの「選ばれた存在」であるプロ野球選手がさらにその中で厳しい生存競争を繰り広げるからこそ、そのプレーは見る者を釘付けにする。…
同時に、子どもの頃から野球しかしてこなかった「戦い破れた者たち」の第二の人生の難しさは推して知るべしだ。
それでも不器用に前を向いて進む彼らの姿には、人生の底を見たからこそ手に入れることができた強さと勇気が垣間見える。
新年、何か新たなことを始めたい。でも、一歩踏み出す勇気がない……そんな人にとって、ヒントとなる心構えが本書『戦力外通告 第2の人生を生き抜く男たち』で見つかるのではないだろうか。(オグマナオト)
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◇ 中日 落合GMがトライアウトでニヤリ「この宝の山・・・ここにいちゃいけないメンバーがいたな」 2013-11-10 | 野球・・・など
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