〈来栖の独白 2014/01/05 Sun. 〉
公園の鈴懸の木の傍で、ほぼ毎日猫の鈴ちゃん、懸ちゃんに午後(夕方)餌をあげていた。いつも2匹は一緒。鈴ちゃんは白に薄い灰色の毛がまじっている。懸ちゃんは黒と茶と数種の色のミックス。懸ちゃんは遠出をしたりして留守の日がままあったが、鈴ちゃんは99%居た。
発端は、昨年春のこと。散歩の折、何度か、鈴懸の木の辺りで猫の姿を見かけたので、家から器を持っていき、餌を入れておいた。翌日見ると、餌がきれいになくなっている。「あの(姿を見かけた)猫ちゃんが食べたのだな」と思い、空っぽになった器(深皿)に餌を入れる。翌日、また空っぽになっているので、餌を入れる。
そういうことを繰り返すうち、ある日、猫が2匹、鈴懸の木の下で寛いでいるのを見かけた。餌を入れると、私が立ち去るのを見届けて、食べる。
そういう日がまた何日か続いた。そんなある日、私が鈴懸の木のほうへ歩いてゆくと、気付いた猫が2匹、私の方へ駈けてきた。「おばちゃ〜ん」という感じで、足元に寄ってくる。足に縺れて歩きにくい。「お迎えしてくれるの。ありがとうね」などと云いながら鈴懸の木の方、いつもの定位置へ行き、深皿に山盛り餌をあげる。「ふたり」は仲良しなので、大きな深皿に頭をくっつけるように突っ込んで旺盛な食欲に任せて食べる。この日から、「ふたり」の、私にとっては嬉しい「お迎え」が始まった。可愛い姿でふたりが駈けてくる。「早くご飯を頂戴」と云い、一方で、スキンシップもしてほしいと、身を寄せて甘える。
出会いから、こんな日々が半年以上続いた。
しかし、私はいつも「一期一会」と自分に言い聞かせていた。こんな申し分ない嬉しい日がいつまでも続きはしない、無常である、と。触れたり撫でたりも控え、「一期一会」と言い聞かせながら、しかし毎日が楽しく、所用で公園に行けない日は、大変つらかった。留守をする日は、鈴懸の木の下、こんもりした背の低い木の陰に隠れるように餌を数日分置くようにするのだが、心配であった。今月も9日から留守をするので、大きい2個の器に餌を入れておけばいいか、などと苦慮していた。
そんな昨日、行ってみるとふたりが出てこない。私が木の傍へしゃがみ、餌を器に入れていると、懸ちゃんが現れた。何か、虚ろな眼差し。相棒(鈴ちゃん)がいないので、力が半分、削がれているような。懸ちゃんは現れないこと(不在)はままあったが、鈴ちゃんの不在は数えるほどしかない。朝行った時にも正午ごろ行った時にも、いつだって鈴ちゃんは居た。それが、居ない。
私は暗くなるまで周辺をうろうろしてみたが、いない(周辺にいれば出てくるはずだ)。異変があった、と私は感じた。懸ちゃんも、力なくじっとしてロクに食べようともしない。私の方をじっと見ていたが、やがて歩いてどこかへ去っていった。
昨夜の私は元気が出ず、早くに床に就いた。すると夜半2時過ぎには目が覚めてしまった。鈴ちゃんは死んだのだろうかと思い、もしかして何か鋭利なものが足に刺さって動けなくなり、お腹を空かせて蹲っているのだろうか・・・など考え、朝になったら行ってみよう、餌を食べていてくれるといいが、などと案じた。
本日、悪い予想が当たる(餌が食べられておらず、そのまま残っている)のが怖くて、朝は行けなかった。午後、いつもの時間(15時半頃)に行った。ふたりは居らず、餌が器に半分(鈴ちゃんの分)残っていた。・・・・久しぶりに私は泣いた。
先月13日、実家へ行くため数日留守をするからふたりに会えない、餌をあげられない、と悲壮な気持ちで公園を歩いていたら前方に虹が見えたのだった。その虹を思い出していたこの日頃だった。何もない私は祈るしかない。「主よ、けがれない鈴ちゃんの霊魂に安息をお与え下さい」。可愛い鈴ちゃん。いつだったかは、お腹は空いているのに餌をあげても直ぐには食べようとせず、私が立ち去るのをじっと見て、私が離れてしまってから懸ちゃんと頭をくっつけて食べていた。私は振り返って、その小さな姿をじっと見た。
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◇ 鈴懸の径 2013-06-24 | 日録
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「主よ、けがれない鈴ちゃんの霊魂に安息をお与え下さい」 私は振り返って、その小さな姿をじっと見た。
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