オウム・平田 信被告、16日に初公判 事件被害者の遺族に手紙
FNNニュース
17年にわたる逃亡生活、そして突然の出頭。オウム真理教元幹部・平田 信被告(48)の初公判が、16日に開かれる。
平田被告が裁判を前に、事件被害者の遺族に宛てて、4通の手紙を書いていた。
オウム真理教元幹部の平田 信被告が、自らしたためた4通の手紙は、目黒公証役場事務長だった仮谷清志さん(当時68)の遺族に送られたもの。
17年にわたる逃亡の末、2011年の大みそかに、「一区切りつけたい」と、警視庁に出頭した平田被告。
教団では、教祖の麻原彰晃こと松本 智津夫死刑囚の警護などを担当していた平田被告。
平田被告が関わったとされる事件の1つが、1995年2月、東京・品川区で起きた目黒公証役場の事務長・仮谷清志さん拉致事件。
当時、仮谷さんはオウム真理教を脱会しようとしていた妹を保護していたが、井上嘉浩死刑囚や中川智正死刑囚らに拉致され、その後、大量の麻酔を投与され、死亡した。
平田被告は当時、この事件を指揮した井上死刑囚の運転手役を務めていたとして、逮捕監禁などの罪に問われている。
16日の初公判で平田被告は、「事前に計画を知らされていなかった」と、起訴事実を一部否認するとみられている。
仮谷清志さんの長男・仮谷 実さん(53)は「父の事件の直後に生まれた三男が、もう18歳、高校3年生で進路が決まったと。そのことを振り返ると、この18年があっという間だったなというふうに感じられますね」と話した。2013年12月、亡き父親の墓参りに訪れた長男の実さん。
被害者参加制度により、法廷で平田被告に直接、質問する予定となっている。
仮谷 実さんは「父がどのように死んだのか、それについて、平田被告が知る限りの情報を話してほしいと思っています」と話した。
その仮谷さんのもとに、平田被告から4通の手紙が届いた。
平田被告は手紙に、「私を含めて、十数人で仮谷様を恐怖の中で殺したとのお考えに、私に反論はありません。犯人全員に極刑を望むお考えにも、同じく反論はありません。私は何をすれば、ご遺族様方の慰謝となりうるのだろうと考えましたが、この答えなき命題を考え続けるのが、私にとっての謝罪であり、反省であり、悔悟であるのかもしれません」とつづっている。
また、平田被告は手紙の中で、教祖の松本死刑囚を麻原と呼び捨てにしたうえで、事件の構図について、「この事件はご存じのとおり、教祖という狂者と、その狂者をあがめてしまった愚者どもとがマッチしてしまった、極めて理解し難い構図によって成り立っています。私が懸念しておりますのは、ご遺族様方の真実を知りたいという願いにかなうだけの、いまだ知られざる情報か何かを持っているかと聞かれれば、それは『否』としか言いようがないのです」とつづっている。
これらの手紙について、仮谷さんの長男・実さんは「『麻原』を呼び捨てにしているからといって、平田(被告)がオウムから離れているというふうには、わたしは理解していないです。真実を全て、速やかに語ってほしいと思っています」と話した。 (01/16 00:52)
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オウム・平田 信被告、16日に初公判 事件被害者の遺族に手紙
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