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オウム平田信被告 第4回公判 〈詳報〉 中川智正確定死刑囚の証人尋問  2014.1.21 Tue.

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【オウム法廷再び 中川死刑囚尋問(1)】「仮谷さん事件、誠に申し訳ありませんでした」「ちゃんと証言します」
 産経ニュース2014.1.21 12:15
 (9:57〜10:10)
 《平成7年の目黒公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=拉致事件など3事件に関わったとして逮捕監禁罪などに問われたオウム真理教元幹部、平田信被告(48)の裁判員裁判の第4回公判が21日、東京地裁(斉藤啓昭裁判長)で始まった。この日は、仮谷さんに麻酔薬を投与したとされる元幹部、中川智正死刑囚(51)の証人尋問が実施される。外部との接触が厳しく制限される確定死刑囚が法廷で証言するのは極めて異例だ。死刑囚の口から拉致事件や他の事件で新たな事実が明かされるのか注目される》
 《16日の初公判で、平田被告は拉致事件について、「(拉致の)認識の共有はなかった。見張り役はしたが、その後は知らない」と起訴内容を一部否認し、弁護側も「現場で無理やり連れて行くことを認識した」とし、逮捕監禁罪の幇助(ほうじょ)犯にとどまると主張した》
 《しかし、検察側は冒頭陳述で、平田被告が、別の信者らが仮谷さんを拉致する様子を見守り、無線機で「オッケー」と連絡したことや、元幹部の井上嘉浩死刑囚(44)に「案外簡単に拉致できた」と報告したことなどを指摘。「幇助犯ではなく、犯罪を実行した正犯に当たる」と主張した》
 《松本サリン事件などで無期懲役が確定した元幹部、中村昇受刑者(47)も、17日の第2回公判で証人として出廷し、「拉致という言葉は使っていないが、平田被告は拉致だと理解したと思う」と説明。「平田被告は非合法活動に従事したことがなかったので、できる限り分かりやすく話した」と証言し、検察側主張を補強した》
 《午前9時57分。東京地裁最大の104号法廷では、確定死刑囚の証人尋問とあって、襲撃など不測の事態に備え、傍聴席の前に防弾パネルが設置されている。さらに、死刑囚の心情に配慮し、傍聴席から姿が見えないよう証言台と傍聴席との間についたてが設置されている。刑務官も10人以上。法廷内は初公判のときより、物々しい雰囲気に包まれている》
 《斉藤裁判長に促され、向かって左手の扉から、平田被告が入ってきた。黒いスーツに、白いワイシャツ、青いネクタイ姿は初公判のときと同じだ。一礼した後、両脇を刑務官に挟まれ、左手のいすに座った。男性1人、女性5人の裁判員も入廷し、裁判官3人とともに一礼をした後、斉藤裁判長が声を上げた》
 裁判長「証人の入廷準備をお願いします」
 《係員らが左手の扉から白いアコーディオンカーテンを設置し、傍聴席から本日の証人である中川死刑囚が入廷する様子を見えなくした。このため、一時的に平田被告と弁護人たちも見えなくなった》
 《「こちらです」と係員の声が聞こえた。中川死刑囚が入ってきたようだ》
 裁判長「じゃあ、外してあげてください」
 《がちゃがちゃと拘束を解く音が静まり返った法廷内に響く》
 裁判長「(証言)台の正面に立ってもらえますか」
 《ここで、アコーディオンカーテンが外された》
 裁判長「中川さんですね」
 証人「はい」
 《中川死刑囚は、マイク越しに張りのある大きな声で答える》
 裁判長「はじめに嘘を言わないことを宣誓してもらいます。(宣誓書を)声に出して読んでください」
 証人「宣誓。良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。証人、中川智正」
 《中川死刑囚の左手に座る平田被告は、宣誓する中川死刑囚を表情を変えずに見つめている》
 裁判長「結構です。いすに座ってください。宣誓していただいたので、正直に述べるということでお願いしますね」
 証人「はい」
 《斉藤裁判長は向かって右手に陣取る検察官に対し、証人尋問を始めるよう指示した》
 《中川死刑囚は地下鉄、松本両サリン事件など計11事件で死刑が確定した。元教組の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=の側近として知られた。確定判決によると、中川死刑囚は医大在籍中に教団に関心を持つようになり、平成元年に出家。教団付属医院で働き、「法皇内庁」長官となった。中川死刑囚は仮谷さん拉致事件の実行役で、仮谷さんに麻酔薬を投与後、仮谷さんの容体を監視していたが、目を離した間に死亡したとされる。逮捕後に脱会し、自身の公判では麻原死刑囚を「狂っている人」と批判。「人間として失格だった」と反省を口にして「厳しい刑を頂くことで遺族や被害者におわびしたい」と謝罪していた》
 《女性検察官が立ち上がり、尋問を始めた》
 検察官「まず、証人は今回の証言のはじめにあたって、言いたいことがあるということでしたね」
 証人「はい」
 検察官「言ってください」
 証人「本日、証言させていただく仮谷清志さんの事件については…誠に申し訳ございませんでした。この場を借りておわびしたく思います。誠に申し訳ございませんでした」
 《謝罪した中川死刑囚。声が最後にくぐもったことから察すると頭を下げたようだ。さらに続ける》
 証人「時間もたっていますので、記憶が不鮮明になっているところもあるかと思いますが、それはその旨、申し上げますので、どうかお許しください。あと、私の関係者にかなり取材が入っていて、トラブルというわけではないですが、関係者に影響がありそうな話は、私もちょっと困るかと。その点、ご配慮願いたいと思います。以上です」
 証人「ちゃんと証言しますのでよろしくお願いします」
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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【オウム法廷再び 中川死刑囚尋問(2)】「仮谷さんは『助けて』と3回、『もう抵抗しない』と2回言った」
 産経ニュース2014.1.21 13:50
 (10:10〜11:00)
 検察官「それでは本題の方に入っていきたいと思います。証人は仮谷さん拉致事件や地下鉄サリン事件などで死刑判決を受け、確定していますね」
 証人「はい」
 検察官「証人は教団の元信者で、ホーリーネームはヴァジラ・ティッサでしたね」
 証人「はい」
 検察官「証人は昭和63年に入信し、平成元年に出家していますね」
 証人「はい」 
 検察官「被告と知り合ったきっかけは何ですか」
 証人「1988(昭和63)年2月に、私が教団に初めて電話したとき、対応してくれたのが被告でした」
 検察官「出家の後も付き合いはありましたか」
 証人「ほとんど接点はなくなりました。顔を合わせれば、話す程度の間柄です。ただ、仲が悪かったわけではないです」
 検察官「証人の主なワークは何でしたか」
 証人「主に医師としての仕事と、麻原氏の体調管理や身の回りの世話。事件があれば、そこに呼ばれていくことも多かったです」
 検察官「事件関係もワークの一つだったということですが、仮谷さん拉致事件にも関与しましたか」
 証人「はい」
 検察官「どういう形で関与しましたか」
 証人「仮谷さんを拉致した場面の(東京都)目黒区の路上で、仮谷さんが車に入った後に、麻酔薬を注射しました。その後、麻酔状態を継続させ、上九一色村に運んで、亡くなるまで立ち会いました。その後、仮谷さんの遺体を焼却し、遺灰を本栖湖に流しました」
 検察官「拉致事件の現場で関わった人は誰ですか」
 証人「井上(嘉浩死刑囚)君、中村(昇受刑者)君、高橋克也さん、C君(法廷では実名)、被告、E君(同)、G君(同)です」
 検察官「証人が仮谷さんの拉致事件に関与したきっかけは何ですか」
 証人「井上君から95(平成7)年の2月28日未明に声をかけられました」
 検察官「どのように声をかけられましたか」
 証人「お布施をしようとした妹を隠した兄貴がいる。連れてくるので麻酔薬を用意してほしいと」
 検察官「指示は井上さんからだと思いましたか」
 証人「いえ、麻原氏の指示だと思いました」
 《中川死刑囚は井上死刑囚から指示を受けた後、麻酔薬や救急蘇生(そせい)、点滴のための器具などを準備して井上死刑囚の住まいを兼ねていた東京の施設に向かったという》
 検察官「そこには誰がいましたか」
 証人「井上君、中村君、E君(法廷では実名)、C君(同)がいたかなと思います」
 《井上死刑囚からは拉致の役割や、自白剤を使って仮谷さんの妹の居場所を聞き出すこと、レーザーを使うことの説明があったという》
 検察官「自白剤を使って居場所を聞き出すとはどういうことですか」
 証人「これは麻酔薬のことです。麻酔薬で寝ぼけた状態にして話を聞くと精神の機能が衰えているので心にあることが出てくるというのがあります」
 《教団内では「ナルコ」と呼び、教団の戒律を守らなかった人などにこの方法をとっていた。その後、中川死刑囚らは施設を出発。平田被告は現場に着くころには合流していたという》
 検察官「レーザーを使う理由について聞いたことは」
 証人「麻原氏が『馬だ、馬だ、馬を使え』と言ったと聞きました」
 検察官「どういう意味なんですか」
 証人「この件より前に競馬の馬にレーザーを当てて大金を稼ごうという話があったのでそのことを指しているんだと思いました」
 検察官「証人の意見はどうでしたか」
 証人「とても使えないだろうと思いました。試し打ちをしたらどうかと提案しました」
 《試し打ちは平田被告がレーザー銃を右肩に担いで行ったが、効果がなく、仮谷さんを力ずくでワゴン車に押し込むという計画に変更された》
 検察官「役割分担をし直したのはどの場面ですか」
 証人「デリカ(ワゴン車)で井上君がしました。(レーザーの計画が)だめになった後です」
 検察官「デリカにいたメンバーは」
 《中川死刑囚は井上死刑囚や中村受刑者の名前を挙げたが、平田被告がいたかは分からないという》
 検察官「(仮谷さん)本人を拉致したのは何時ごろですか」
 証人「(午後)4時半ごろだと思います」
 検察官「拉致のために動き出したきっかけは」
 証人「『来た』という声がしました。E君が車を前に出し、角を曲がるようにして止めました」
 《中川死刑囚はワゴン車内で待機し、仮谷さんに麻酔薬を注射する役割だった》
 検察官「外はどんな様子でしたか」
 証人「中村君たち3人が歩き始めて、その前に小柄な年配の方がいました」
 検察官「それから」
 証人「3人が距離を詰めていきました。年配の方が気配に気づいて後ろを見られてデリカの方に走ってこられました。車を少し前に出してドアを開けました。3人が(仮谷さんを)追い詰めて抱えるようにして車に押し込めました」
 《仮谷さんは拉致の際に転倒し、一時ワゴン車と地面の間に足が挟まれたという》
 検察官「仮谷さんは抵抗されていましたか」
 証人「3人、主に中村君が抱えるようにしていたので物理的な抵抗はほとんどできなかった状況でした。ただ、『助けて』と3回声がしました」
 検察官「どんな声でしたか」
 証人「それなりに大きな声だったんですが…。なんと言ったらいいんでしょうか。状況を理解してらっしゃるような、周りの人に聞かせるような声でした」
 《仮谷さんを乗せ、ワゴン車は拉致現場を出発した》
 検察官「乗せた後の仮谷さんの様子はどうでした」
 証人「2回ほど『もう抵抗はしない』とおっしゃいました」
 検察官「証人はどうしたのですか」
 証人「ふくらはぎに麻酔薬を打ちました」
 検察官「暴れないと言っているのになぜ打たなければならなかったんですか」
 証人「その場で判断したというよりは既定の方針に従いました」
 《麻酔の投与後、仮谷さんは眠ったような状態になったという》
 検察官「亡くなられるまでに仮谷さんが意識を取り戻したことはありましたか」
 証人「通常の意識状態になられたことはないと断言できると思います。ナルコの時に半覚醒状態でしたが、たぶんオウムの施設にいると分かってらっしゃらなかったと思います」
 検察官「デリカで移動しているときの仮谷さんの状態に変化はありましたか」
 《中川死刑囚は大きなため息をついてから返答する》
 証人「呼吸されていて、息を吸ったまま止まってしまって、そのまま息が出なかったことがありました」
 《仮谷さんは舌根(ぜっこん)沈下という舌が気道をふさいでしまう状態になっていたという》
 検察官「証人はどうしましたか」
 証人「(仮谷さんの)体を横にしました」 
 検察官「それで回復するのですか」
 証人「この時はそれで回復したということです」
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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【オウム法廷再び 中川死刑囚尋問(3)】「村井さんは『塩化カリウムでも打つしかない』と」 仮谷さん殺害を指示
 産経ニュース2014.1.21 15:48
 (11:00〜12:09)
 検察官「証人は、いくつかのものを用意するように指示を出していますか」
 証人「ガムテープと毛布を調達するように言いました」
 検察官「それは何のためですか」
 証人「毛布は仮谷さんの保温用です。ガムテープや丈夫なクラフトテープは、(全身麻酔の)点滴を壁などに貼り付けることができるので便利なのです」
 検察官「そのとき被告が何をしていたかおぼえていますか」
 証人「わかりません」
 検察官「他の人は何をしていましたか」
 証人「(仮谷さんの拉致に使用した)車の片付けをしていました。血痕があったので、私の提案で、ホルマリンを使って消そうと試みました」
 検察官「上九一色村に着くまでの間、仮谷さんはどうしていましたか」
 証人「30分おきに麻酔薬を投与しました。第2サティアンに着いたのは午後10時ごろでした」
 《仮谷さんの妹、Aさん(法廷では実名)の居場所を聞き出したい中川死刑囚らは、意識喪失状態の仮谷さんを第2サティアン内に運び込む一方、「第6サティアン」にいた「治療省」大臣の林郁夫受刑者(66)に連絡し、(自白剤を使って話を聞き出す)「ナルコ」をやってほしいと依頼する》
 《傍聴席の前方両側にあるモニターには、第2サティアンの見取り図が示される。細かく区分けされた部屋や、広く空間をとった部屋があることがわかる。中川死刑囚は見取り図を指差しながら、位置関係などの説明を始めた》
 《かつて、元教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=やその家族が住居として使っていたという第2サティアンは、二重扉を設置したり、部屋と部屋を直接移動できないなど、厳重なつくりになっていたという。見取り図をよく見ようと、傍聴人らは首を伸ばしたり、身体を左右に動かしたりする》
 検察官「仮谷さんを屋内に運び入れた後はどうしたのですか」
 証人「布団を敷いて、点滴などの医療行為をしました」
 裁判官「ここで休憩を入れます。まず、証人から退廷準備をお願いします」
 《入廷時同様、係員らが白いアコーディオンカーテンを持ち出し広げる。中川死刑囚が退廷する様子は見えない。だが、万が一に備えて多くの刑務官らが傍聴席側にも立ち、法廷内は一気にものものしい雰囲気に包まれた》
 《約30分の休憩をはさみ、検察側による証人尋問は午前11時40分に再開した。意識喪失状態の仮谷さんに何が起きたのか。尋問は佳境を迎える》
 検察官「ナルコはすぐに始まりましたか」
 証人「いいえ。それまでに麻酔薬を多く投与しすぎていたため、林さんがブドウ糖を使うことを提案したのですが、学生のような初歩的なミスをしてしまい、半覚醒状態にしなければいけないのに、より麻酔が深くなってしまいました」
 検察官「その間に誰かに会いましたか」
 証人「(元幹部の)村井さん(村井秀夫、故人)が来て、『警察が動いている』といいました」
 《中川死刑囚の口からは、他の教団幹部らを示す、いわゆるホーリーネームが次々と語られる。複雑な名称や人間関係を説明しようとするたび、言いよどんだり、時系列を思い出そうとすると答えに間が空く》
 検察官「緊張されてますか」
 証人「はは、えっと…」
 《浅い呼吸を繰り返している音がマイクを通じて聞こえる。中川死刑囚の焦りが伝わってくる》
 検察官「ナルコが行われた時間をおぼえていますか」
 証人「3月1日の午前2時か3時ごろ、30分くらいかけて行いました。麻酔を投与しながら仮谷さんの肩をポンポンとたたいて、起き抜けの状態に質問をします。Aさんの居場所を聞きました」
 検察官「仮谷さんは何と答えましたか」
 証人「『知らない、わからない』と答えました。また、断片的な言葉ですが『オウムが』とも言っていました」
 検察官「その後、どうしましたか」
 証人「結果が出ず、どうしたものかと思いました。覚醒して暴れられたらよくないと思い、監禁状態を継続するため麻酔を打ち続けました。その後、村井さんが来て『ニューナルコをして帰せないか』といいました」
 検察官「ニューナルコとは何ですか」
 証人「麻酔を打ち、頭部に電気刺激を与えて記憶を消すものです。村井さんの『帰せないか』というのは、帰した場合どうなるかというものです。私は薬物反応が残ること、記憶が必ず消えるわけではないこと、電気刺激で額に焦げ目のようなものがつくことを説明しました」
 検察官「その後どうなりましたか」
 証人「村井さんは『帰すべきではない』と言いました。『やっぱり塩化カリウムでも打つしかないか』とも言いました」
 検察官「塩化カリウムを打つとどうなりますか」
 証人「ほぼ、すぐに心臓が止まります。このときは指示ではなく、村井さんも口走った程度だったのだと思います。私も殺すために拉致したわけではなく…」
 《間が空き、小さく「うーん」とうなる中川死刑囚》
 証人「なんと言いますか…うーん…とんでもないことになってしまったと思いました」
 検察官「その後はどうしたのですか」
 証人「私たちは判断を預けるしかありませんでした。林さんは私以上にショックを受けたような、愕然(がくぜん)とした様子でした。いきなりナルコを頼まれて協力したわけですから」
 《その後、中川死刑囚は仮谷さんの洋服を燃やすため、意識喪失状態の仮谷さんを置いたまま、午後6〜9時ごろまで第2サティアンを離れる。戻ってきたところに待っていたのは、村井元幹部からの仮谷さんを殺すようにとの指示だった》
 検察官「何という指示だったのですか」
 証人「『G君(法廷では実名)に仮谷さんの首を絞めさせろ。G君に徳を積ませろ』というものでした。一般的な教義といえるかどうか分かりませんが、麻原氏の指示に従うことで、高い世界に上昇させるという考え方がありました」
 《G君を呼び出す電話をかけるため、仮谷さんから再び離れた中川死刑囚。約15分ほどの間に、状況は大きく変わる》
 検察官「戻ってきて、まず何をしましたか」
 証人「仮谷さんの様子を見ると、呼吸が止まっていました。瞳孔も見ましたが開いていて、心拍も止まっていました。亡くなったと思いました。1995(平成7)年3月1日の午後11時ごろです。全身麻酔を多く打ちすぎたために、舌根沈下がおきて窒息死したのだと思いました」
 検察官「わざと殺したということはありませんか」
 証人「そのように思われることは仕方がないと思います。このような事件に関与したことをおわびします。ただ、故意に殺害したということはありません」
 《ここで午前中の審理が終了した》
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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【オウム法廷再び 中川死刑囚尋問(4)】「村井さんの指示だから」死亡後にも首絞める
 産経ニュース 2014.1.21 17:07
 (13:30〜14:15)
 《昼の休憩をはさんで審理が再開され、午前中に引き続き、検察側の尋問が始まった》
 裁判長「それでは午後の審理を始めます」
 《女性検察官が中川死刑囚に対して尋問を始めた》
 《仮谷さんは7年2月28日、中川死刑囚ら元信者たちに拉致され、山梨県旧上九一色村の第2サティアンに運ばれた。中川死刑囚に30分おきに麻酔薬を投与され、中川死刑囚が15分ほど離れて、戻った際には死亡していたとされる》
 検察官「仮谷さんが亡くなられたことを誰かに話しましたか」
 証人「C君(法廷では実名)、高橋克也さんにおそらく話したと思います」
 検察官「その後はどうしましたか」
 証人「(元最高幹部の)村井(秀夫)さん(故人)の指示があったので、G君(法廷では実名)に仮谷さんの首を絞めるよう言いました」
 検察官「Gさんは何時頃、第2サティアンに連れてこられましたか」
 証人「午後1時頃だったと思います」
 検察官「Gさんは誰に連れてこられましたか」
 証人「(元幹部の)井上(嘉浩死刑囚)君と中村(昇受刑者)君に連れてこられました」
 検察官「それからどうしましたか」
 証人「仮谷さんの首をひも状のもので絞めました」
 《仮谷さんは、すでに死亡していたが、村井元最高幹部から『首を絞めろ』と命じられていたため、首を絞めたのだという》
 《中川死刑囚の左手に座る平田被告は、目を伏せたまま検察官の質問に答える中川死刑囚の声を聞いている》
 検察官「仮谷さんの遺体はどうしましたか」
 証人「第2サティアンの地下にあったプラズマ焼却炉で燃やしました」
 《裁判員たちは中川死刑囚を見たり、メモをとったりしながら聞いている》
 検察官「遺体を焼く上で買いそろえたものはありますか」
 証人「服を買いました」
 検察官「何のためにですか」
 証人「すすだらけになるので」
 検察官「ほかに買ったものはありますか」
 証人「ゴーグルです」
 検察官「マスクは?」
 証人「マスクもです」
 《マイク越しの中川死刑囚の声は、遮蔽板を通してもはっきりと聞き取れる。張りのある大きな声だ。落ち着いた様子で検察官の質問に答えている》
 検察官「被告人から証人に対し、仮谷さんについて『あの人どうなったの』と聞いたところ、『もういません』というやりとりがありましたか」
 証人「あったと言われればあったかもしれませんが、覚えていません」
 検察官「仮谷さんの焼却に関わったのは誰ですか」
 証人「中村君、G君、高橋克也さんの3人が3交代で焼却炉を見ていました。私と井上君もいました」
 検察官「焼却した後、仮谷さんの遺体はどうしましたか」
 証人「酸で溶かして本栖湖の湖畔に流しました」
 《裁判員たちは淡々と話す中川死刑囚の方を見つめる》
 《検察官は、事件の話を終え、話題を変える》
 検察官「平田被告が平成23年の年末に出頭したことを知ってどう思いましたか」
 証人「突然のことだったので、びっくりしました」
 検察官「(証人の)死刑執行時期が頭をよぎったことはありませんか」
 証人「はい。死刑執行どころではないと思いました」
 《中川死刑囚に対する検察側の尋問が終わり、弁護側の尋問に移った》
 弁護人「オウム真理教への入信のきっかけは?」
 証人「ある日突然、体の中を光が駆け上って、この世のものとは思えない体験をしました。そのことを相談したことがきっかけです」
 弁護人「入信された頃のオウム真理教の雰囲気はどうでしたか」
 証人「入信した頃はヨガ教室の平和な雰囲気が残っていました。私が出家した後ぐらいから、選挙をやると言い始めて感じが変わりました」
 《中川死刑囚は地下鉄、松本両サリン事件など計11事件で死刑が確定。元教組の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=の側近として知られた。確定判決によると、中川死刑囚は医大在籍中に教団に関心を持つようになり、平成元年に出家。教団付属医院で働き、「法皇内庁」長官となった》
 《逮捕後、中川死刑囚は脱会し、自身の公判では麻原死刑囚を「狂っている人」と批判。「人間として失格だった」と反省を口にして「厳しい刑を頂くことで遺族や被害者におわびしたい」と謝罪していた》
 弁護人「教団での証人の立場について聞きます。麻原氏の主治医でしたか」
 証人「主治医と言っていいと思います」
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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【オウム法廷再び 中川死刑囚尋問(5)】平田被告の逃走「臆病だから」 通りがかりの暴走族に身を隠す
 産経ニュース 2014.1.21 17:50
 (14:15〜14:50)
 弁護人「仮谷さんの事件の後に起こったのはどの事件ですか」
 証人「地下鉄サリン事件です」
 弁護人「いくつかの事件の中で、教義を意識しながらやった事件はありますか」
 証人「教義というよりも私は指示があったからやりました」
 《オウム真理教の教義などについて弁護人が質問を続ける》
 弁護人「オウム真理教で使われる『ポア』はイコール殺人のことですか」
 証人「そうではない意味で使われることもあります。気持ちが上がったときや入信したときも使われることがありました」
 弁護人「オウム真理教の教義は0から生み出されたものだと思いますか。仏教などの影響を受けていると思いますか」
 証人「仏教の影響を受けたと思います」
 弁護人「あなたから見て平田信さんの性格は」
 証人「まじめというのが一つ。おとなしいのと臆病というのがあります」
 弁護人「臆病ということのエピソードはありますか」
 《中川死刑囚は山中で薬品を埋めているときに暴走族が通り、平田被告が素早く身を隠したという話を披露した》
 弁護人「臆病という印象を持っている平田さんが17年たって出頭してきたことをどう思いますか」
 証人「臆病だから出てこられなかったんじゃないかと思いますね。取り調べの時に警察庁長官狙撃事件に関係しているから出てこられないんじゃないかという人もいましたが、私はそうじゃなくて臆病だからと思いました」
 弁護人「仮谷さんの事件であなたはいつ逮捕されましたか」
 証人「平成7年の5月の17日か18日だと思います」
 弁護人「平成7年の6月ごろには取り調べを受けていましたね」
 証人「だいたいそのころだと思います」
 《弁護人は当時の調書やその後の裁判での中川死刑囚の受け答えが正確だったことを確認し、事実確認に移る》
 弁護人「当日は午前3時ごろ、井上(嘉浩死刑囚)さんから電話があったのではないですか」
 証人「それで正しいと思います」
 弁護人「東京の施設に行ったときは平田信さんはいなかったんですか」
 証人「そうだと思います」
 弁護人「この時点ではあまり明確な話が出ていなかったということでいいですか」
 証人「そうですが、今日出た話ぐらい(はあった)ということです」
 《中川死刑囚は午前中の検察側の質問に対して、東京の施設で拉致の役割などについて井上死刑囚から話があったと話している》
 弁護人「このとき、お兄さん(仮谷さん)と妹さんの関係はどう理解しましたか」
 証人「お布施をする妹を隠したのがお兄さんで、私の認識では妹さんは教団の味方で、少々手荒なことをしても家族間の問題なので、問題にならないと思ってしまいました」
 弁護人「その根拠はなんですか」
 証人「これまで同じようなことをして問題になっていなかったので」
 《そして弁護人は現場に着くまで実行に関わった全員がそろって話をする機会がなかったことなどを確認した》
 弁護人「(現場で)役割分担の話は1回しかなかったのではないですか」
 証人「覚えているのが1回で、もう1回あったかは分からないです」
 弁護人「平成7年8月の調書では役割分担に平田信さんの記述がありません。その上で、『普通乗用車は平田信さんが運転したと思います』としています」
 証人「そうですね」
 弁護人「名前が抜けているというのはその程度の印象だったということですか」
 証人「調書がそうなっているなら、そのときの印象はそうだったと思います」
 《弁護人は平田被告の担当だったレーザーについて質問する》
 弁護人「レーザー役の平田さんがいれば成功すると考えたことはありますか」
 証人「そもそもレーザーを使うということで難しいと思いました」
 弁護人「なぜですか」
 証人「それは(元幹部の)村井(秀夫、故人)さんの作ったもので、村井さんの作ったものはほとんど動かない。レーザーを見たときには事件に関わりたくないと、そういうものでした」
 《平田被告らは試し打ちをしてみたものの、予想通り失敗。苦笑いしながら戻ってきたという》
 弁護人「仮に(レーザーが)だめだった場合、中止にするのは麻原(彰晃死刑囚=本名・松本智津夫)の意思に反することですか」
 証人「たぶん反しないです。だからそこが事件の引き際だったと思います。あそこでやめておけばよかったと思います」
 《弁護人は平田被告の射撃の腕前を中川死刑囚が知っていたかや、平田被告がレーザーを過去に使ったことがあるか確認後、再び仮谷さんの事件に話を戻す》
 弁護人「(試し打ちが失敗して)計画の実行についてどう思いましたか」
 証人「やめた方がいいと思いました」
 弁護人「そう発言しなかったのですか」
 証人「C君(法廷では実名)には言いました。井上君に言えばよかったと思います」
 弁護人「役割はみんなで決めたのですか、それとも井上さんが割り振ったのですか」
 証人「一方的に井上君が割り振りました」
 《弁護人はさらに当時ワゴン車内で全員が話し合う機会があったかを確認するが、中川死刑囚の記憶ははっきりしなかった》
 弁護人「当時、中川さんの身長は?」
 証人「168(センチ)です」
 弁護人「体重は?」
 証人「今よりやせているけど、90キロぐらい。いや、85キロぐらいかもしれません」
 《弁護人は平田被告の役割について話を移し、ワゴン車の運転役だったE(法廷では実名)と比べるように質問する》
 弁護人「デリカ(ワゴン車)の運転手はEさん。彼は諜報省、CHSですね」
 証人「はい」
 弁護人「中川さんから見てこういうときに詳しく知らされるのは平田さんとEさんのどちらですか」
 証人「微妙です。E君は知らないままいろんな事件に関わっている。一方で被告は臨時雇いのような形で関わっている。どちらが知りうるというのは難しいと思います」
 弁護人「仮谷さんを連れ込んだ後にデリカで『オーケー』と誰かが言ったことはありますか」
 証人「それは皆言っています。少なくとも私とC君は言いました。ひょっとしたら中村(昇受刑者)君も言っているかもしれません」
 弁護人「仮谷さんを連れ込んでから背広の名前をごらんになりましたか」
 証人「はい」
 弁護人「仮谷さんの名前を知ったのはこのときですか」
 証人「読み方は分かりませんが、漢字は分かりました」
 《ここで公判は一旦休廷となった》
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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【オウム法廷再び 中川死刑囚尋問(6)】焦り?激怒する麻原死刑囚「お前たちで遺体焼却するしかない」
 産経ニュース2014.1.21 18:45
 (15:20〜16:00)
 《約30分の休憩をはさみ、弁護側の反対尋問が再開された》
 弁護人「結果として仮谷さんは亡くなったわけですが、亡くなることを予定していましたか」
 証人「予定というと、どういうことですか」
 弁護人「全身麻酔を打ち続けたらどうなるかということなどです」
 証人「(少し間を空けて)考えていませんでした。(元最高幹部の)村井(秀夫、故人)さんが(『塩化カリウムを打つ』『(元信者の)G君(法廷では実名)に徳を積ませろ』などと)言った後は考えましたが、麻酔で…というのは考えるべきだったのでしょうが、考えが及びませんでした」
 弁護人「証人は麻酔について勉強したことはありますか」
 証人「研修で3カ月ぐらい全身麻酔の勉強をしました。ただ、仮谷さん事件までも麻酔を使った事件がありましたが、主に林さん(同じく医師で、元幹部の林郁夫受刑者)や他の人がやっていました」
 弁護人「麻酔に被告が関わったことはありますか」
 証人「平田君は関わっていないと断言できます」
 《弁護人と証人とのやりとりからは、仮谷さんが亡くなったことに対し、元教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=が焦りを感じていた事実も浮かび上がる。全てを燃やし、骨の一片さえ残さない残忍さ。仮谷さんが亡くなった後、中川死刑囚らは証拠品の隠滅処理に奔走する》
 弁護人「遺体の焼却について、どういった指示がありましたか」
 証人「麻原氏が『事件に関わった者たちで片付けろ』と言ったかどうか記憶は定かでありませんが…ものすごく怒りながら『お前たちがやるしかないじゃないか』と、感情的になっていました」
 弁護人「焼却炉で服などを燃やすとき、被告やその他の手伝った人たちには『仮谷さんが亡くなったので仮谷さんの物を燃やす』と伝えましたか」
 証人「そういう言い方はしていません」
 弁護人「焼却炉に行くために車を止めた場所は、目立つ場所ですよね」
 証人「目立つかどうか、特に意識していなかったはずです。焼却炉に近い方が便利だとは考えたと思います」
 弁護人「燃やした物は何ですか。服や布団を燃やしませんでしたか」
 証人「布団は(平成7年3月)4日まで残っていなかったと思います。1日か2日の段階で燃やしたはずです。ですから、この日は自分たちの服や食べ終わった弁当がらなどを燃やしました。記憶に残っていない部分もありますが、4日の時点で仮谷さんのものは残っていませんでした。こそこそする必要はありませんでした。車を止めた場所についても、焼却炉の先には教団関係者用のガソリンスタンドがありましたから、スタンドを利用する人たちは皆、横を通っていきました」
 弁護人「誰か不審に思った人はいなかったのですか。当時、付き合っていた女性は何か知っていましたか」
 証人「彼女は、私が松本サリン事件に関与していたのを知っていたので、また何かやっている、程度には思っていたかもしれません。私は何かをするとき、原則として(理由などを)説明しませんでしたから、皆もそのつもりだったと思います」
 《仮谷さんの事件後、教団ではスパイチェックが行われたという。弁護人は、これまでの教団関係者の裁判や調書などで判明した、スパイチェック対象者の名前を読み上げていく》
 弁護人「名前に間違いはありませんか」
 証人「全ての記憶が残っているわけではないので…。調書に出ているということは、正しいと思います」
 弁護人「被告にスパイチェックはしなかったのですか」
 証人「平田君にはしませんでした」
 弁護人「仮谷さんを無理やり連れてきた上、亡くなった問題が起きた理由は何だと思いますか」
 証人「教団の入信やお布施、出家者を集めるため、強引に行われたり、麻酔薬の安易な使用があったと思います。ダントツは井上(嘉浩死刑囚)君だった。私の後に入信しましたが、7年間で500人くらい入信させたと思います。本人は1000人と言っていました。Hさん(法廷では実名)もずいぶん集めたはずです」
 弁護人「お布施の金額を聞いたことはありますか」
 証人「10億くらいありましたが、それは最低ラインです。数十億はあったはずです」
 《尋問は、教団の日々の活動についても及んだ。海外ツアーやキャンプなど、一見のどかにも思える名称が次々と弁護人から語られる》
 弁護人「中国ツアーというのを知っていますか。参加したことは?」
 証人「あります」
 弁護人「武装革命を狙い、そのための訓練が目的だったのではないですか」
 証人「わかりません。私が参加したときは妊娠中の女性信者が一緒だったので、途中から別行動でした。ただ、妊娠中の女性も参加できるようなツアーということです」
 弁護人「ロシアツアーの目的は軍事訓練ですか」
 証人「麻原氏はそのつもりだったでしょう。でも、ロシア側は射撃訓練のつもりだったと思います。射撃をしてみたい人が、米国や海外に行って体験するような。そもそも、(平成6年6月に)教団内で省庁制が発足する前から武装化はしていました」
 弁護人「キャンプでは何をするのですか」
 証人「クラブ活動のようなものです。武装化とは異なります。教団はすでに、ロシアのカラシニコフをまねて自動小銃を造るようになっていました。ボツリヌス菌もありました。仮谷さんの事件の後は、警察の捜査を恐れる雰囲気が出てきたと思います」
 弁護人「証人自身、逃げないと、という切迫感はありませんでしたか」
 証人「そういう気持ちも多少ありました」
 《当時、証人が後悔や懺悔(ざんげ)にとらわれることはあったのか。証言からはうかがい知れない》
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【オウム法廷再び 中川死刑囚尋問(7)完】裁判員も質問「平田被告は報われていない?」
 産経ニュース 2014.1.21 20:01
 (16:00〜16:52)
 《東京地裁(斉藤啓昭裁判長)の104号法廷では、中川智正死刑囚(51)に対する弁護側の証人尋問が続いている。仮谷さんを拉致した時の役割について、女性弁護人が早口で中川死刑囚に尋ねる》 
 弁護人「被告人の役目は運転手だけですか」
 《中川死刑囚は過去の記憶をたどろうとするが、思い出せない様子》
 証人「今の記憶にはもうないということです」
 《午後4時2分、裁判長が「裁判所からうかがう点があればうかがう」として休廷を告げる》
 《30分近い休憩を終え、裁判長が中川死刑囚の入廷を促す。平田被告が険しい表情のまま入廷し、裁判長に一礼して着席した》
  裁判長「裁判所から何点かうかがいます」
 《裁判員が背筋を伸ばし、中川死刑囚に質問する》
 裁判員「証人は(仮谷さんを拉致した)目黒通りの現場で路上駐車の取り締まりをしているパトカーのことは思い出せないが、路上駐車は危ないと思ったと表現されたが、これはどういう意味ですか」
 証人「端的に言えば、(パトカーが来たら)駐禁をとられると思ったからです」
 裁判員「どういうタイミングでそう思ったのですか」
 証人「タイミング自体は覚えていません」
 裁判員「他のメンバーと路上駐車が危ないと話したことはありますか」
 証人「ひょっとしたら他のメンバーと話しているかもしれません。パトカーがいたかどうかははっきりしません」
 《中川死刑囚は、マイク越しに張りのある大きな声で答えている》
 《続いて、別の裁判員が緊張した様子で質問する》
 裁判員「(被告が)昔から(教団に)いるのに報われていないというのは、どういう意味ですか」
 証人「ポーシャというホーリーネームをもらっていて報われていると思うかもしれませんが、麻原氏のそばにいることが恵まれているということでした。教団に50人ぐらいしかいない頃は(平田被告は)麻原氏に近かった。しかし、その後は麻原氏から離れていきました」
 《教団の組織運営において、特殊技術を持っている人は、元教祖の麻原彰晃死刑囚(58)=本名・松本智津夫=と近い存在になれたという。医師免許を持っている中川死刑囚もその一人だった》
 《裁判員からの質問が終わり、質問者が裁判官に移る。裁判官も仮谷さん拉致事件について中川死刑囚に尋ねる》
 裁判官「証人は、Cさん(法廷では実名)に対し『やめた方がいい』と言ったと証言しましたが、もし井上(嘉浩死刑囚)さんに『やめた方がいい』と言っていたら犯行は止まったと思いますか」
 証人「レーザーが使えないということで麻原氏は戻せたと思います。井上君が言わないかなと思いました」
 《教団関係者の確定判決などによると、平田被告は拉致の際に目くらましとして使う予定だったレーザー銃を通行人に試射したが、効果がないことが判明。犯行時は仮谷さんが乗せられたワゴン車とは別の乗用車を運転していたとされる》
 《裁判員は中川死刑囚を見つめながら、熱心にメモをとる》
 裁判官「仮谷さんを拉致することをやめたほうがいいと言った人は他にいますか」
 証人「亀戸に場所を変えようという話は出たと思います」
 《平田被告は険しい表情を崩さず、視線を落としている》
 《裁判官は、仮谷さん拉致事件について井上死刑囚の現場での役割を尋ねる》
 裁判官「(井上死刑囚は)現場の総指揮をしていたのですか」
 証人「中村(昇受刑者)君もそうです。ただ、井上君より落ちるから井上君がリーダーです」
 裁判官「証人は麻原死刑囚のことを『アサハラシ』と言うのはどういうつもりですか」
 証人「『氏』という意味です」
 裁判官「『師』とは違いますか」
 証人「違います」
 裁判長「本日の審理はこれで終わります」
 《4時52分、斉藤裁判長が閉廷を告げる》=完
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します 
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◇ オウム平田被告初公判 裁判員裁判 東京地裁(斉藤啓昭裁判長) 2014.1.16 Thu. 詳報 2014-01-17 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
オウム平田信被告 第2回公判 証人2名(元信者の女性/元幹部の中村昇受刑者) 2014.1.17 Fri. 2014-01-21 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
オウム平田信被告 第3回公判 中村昇受刑者 証言「殺人も必要な修行」「解脱早まる」 2014.1.20 Mon. 2014-01-21 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
オウム平田信被告 第4回公判 中川智正確定死刑囚の証人尋問  2014.1.21 Tue. 2014-01-21 | 死刑/重刑/生命犯 問題  
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