『知の武装 救国のインテリジェンス』手嶋龍一×佐藤優 新潮新書 2013年12月20日初版発行
(抜粋)
p14
第1章 アジア安保としてのオリンピック
東京支援に動いたロシア
p15〜
手嶋 それではインテリジェンスの視点から、今回の2020年東京オリンピックの決定劇を佐藤さんと読み解いてみたいと思います。
オリンピックは「スポーツの祭典」ということになっていますが、その時々の国際情勢を見事に映しだしてきました。ヒトラーがレニ・リーフェンシュタール『民族の祭典』として映像で記録させたベルリン・オリンピック(1936年)、パレスチナの過激派による史上最悪のテロに見舞われたミュンヘン・オリンピック(1972年)、ソ連のアフガニスタン侵攻によって西側諸国の多くがボイコットしたロサンゼルス・オリンピック(1984年)と、まさしく激動の現代史がそのまま刻まれています。
佐藤 1940年に開催されるはずだった幻の東京オリンピックも忘れるわけにはいきません。1937年から始めた日中戦争国際社会から非難が浴びせられ日本は開催を中止。代わりにヘルシンキで開催されることになったものの、1939年に第二次世界大戦が始まったことで、開催を断念しなければならなかった。オリンピックとは、国際政治そのものと言っていいんですよ。
p16〜
手嶋 今回の2020年東京オリンピックの開催地を決める最終局面では、プーチン大統領率いるロシアは、東京開催に好意的だったと言われます。その最大の理由は、安倍晋三総理が率いる日本が、アメリカと微妙に距離を置いていることを評価したからだと、オリンピックのオブザーバーは揃って指摘しています。
佐藤 東京、イスタンブール、マドリードが三つ巴で、最後の多数派工作を繰り広げていた2013年8月19日に、モスクワで行われた杉山晋輔外務審議官とロシアのモルグロフ外務次官による次官級協議から、重要な流れを読み取ることができます。この席で「9月5日を軸に日ロ首脳会談を行う」と決定したのですが、ロシア側はこれを日本側の極めて大胆な政治決断だと受け止めたんです。
その背景には、同年6月に起きた「スノーデン事件」があります。米ロ関係を冷やし、米中関係にも影響を与えたこの事件は、後に詳しく説明しますが、スノーデンCIA元職員の送還をめぐって、アメリカと亡命先のロシアとの関係がにわかに悪くなっていたのです。その後、アメリカのオバマ政権が米ロ首脳会談をキャンセルしたことを、プーチン政権は「難癖」だと受け止めた。そもそもアメリカのインテリジェンスがスノーデン捕択・拘束作戦に失敗したのがこのトラブルの原因なのに、その失敗のツケをロシアに回し、挙句の果てに早く送還しろと文句を言ってくる。これはどういうことだ、というわけです。
p17〜
手嶋 そんな状況下で、アメリカの緊密な同盟国である日本は日ロ首脳会談を決断してえらい、安倍総理の決断は勇気がある、とロシア側はこう受け止めたわけですね。実態はともかく、オリンピックの開催でロシア側は側の3票が何としても必要だった日本にとって、そう受け取ってもらえたことは、まことに幸いなことでしたね(笑)。安倍総理は運が強い。
佐藤 もう一つ、日本ではほとんど報道されなかったことですが、ロシア側で「同性愛宣伝禁止法」が議会で成立し、これが西側諸国からは大変な顰蹙を買っていました。このロシア批判の流れが収まっていない中で、安倍総理はプーチン大統領と会う決断をしたことも、好意的に受け止められた一因です。西側世界と価値観を共有している国家のリーダーである安倍総理が、大きな政治的リスクを取って決断してくれたと、ロシア側は高く評価したわけです。
p29〜
手嶋 東京オリンピックの開催は、たとえてみれば、尖閣諸島に国連の環境関連機関が設立されたようなものと言っていいでしょう。もし中国が本気で奪取しようと軍事攻勢でも仕掛けようなものなら、平和の祭典をぶち壊した張本人として国際社会の厳しい批判にさらされることは間違いありません。日本の実効支配は国際的に明らかですから、あまりに分が悪い。つまり、さしもの中国も、うかつに尖閣諸島に手を出せなくなったはずです。
尖閣問題はもちろん、シリア問題も竹島問題も、いわば「オリンピックの人質」に取られてしまったわけです。ただし、ロシアが北海道の北半分を奪取しようと試みているわけではないし、韓国も対馬を奪い取ろうとはしていない。ここが中国との違いです。その点でも、開催決定を機にロシアや韓国との関係改善に動き、中国を平和の祭典に引きずり込む戦略を推し進めるべきなのです。
歴史の中の東京オリンピック
手嶋 安倍総理は、日本の政治家には珍しく、スピーチ・ライターを抱えています。ジャーナリストから外務省の外務副報道官に政治任用され、その後、安倍官邸に内閣審議官として迎えられた谷口智彦氏です。
(p30〜)私が教授を務めている慶應義塾大学の大学院では、彼に国際政治・経済システム論を講じてもらっているのですが、その講義はじつに秀逸なんです。
彼の講義の1コマに、「戦後史の節目としての1964年東京オリンピック」というのがあります。開会式で最終ランナーを務めた坂井義則君が、原爆が落ちた昭和20年8月6日に広島で生まれたというエピソードを紹介しつつ、東京オリンピックとは、先の大戦で徹底的に打ちのめされた日本が、国際社会に雄々しく復権する舞台となったことを、様々な例証をあげて論じているのです。この青年によって聖火が灯され、その上空には航空自衛隊のブルーインパルスが姿を現し、見事な五色の大輪を天空に描く。それは完璧なほどのミリタリズムに彩られており、戦後のニッポンはあのとき初めて真の主権国家として蘇った---と朗々たる講義は続きます。安倍総理は思想信条とぴたりと重なるスピーチ・ライターを見つけたものですね。
ただ、谷口智彦氏は、あの日のニッポンがあれほどミリタリズムを前面に押し出すことができたのは、アメリカの庇護のもと、日米同盟にまるごと身を寄せていたからだと怜悧に分析しています。この人は保守派にして日米同盟論者なのです。(p31〜)来たるべき2020年の東京オリンピックは、敗戦国の復権の祭典でもなければ、土建国家の祭典でもない。光輝くような民主主義の理念を体現して、東アジアの平和を先導する祭典にしなければなりません。
超大国の終わりの始まり
p34〜
手嶋 そもそも安全保障分野の「抑止力」とは、その奥底に「力の行使」の覚悟を秘めていなければ効き目がありません。誤解のないように申し上げておきますが、アメリカにシリアで軍事力を行使しろと唆しているんじゃありません。当然ながら戦争などないほうがいいに決まっています。しかし、究極の場合に武力を行使するという可能性を残しておかなければ、安全保障そのものが機能しなくなります。そもそも、アメリカ大統領の座に座るような人物なら、こんなことは本能的に知っているはずなんです。いまのシリア情勢に真っ向から立ち向かうつもりなら、武力行使から目を逸らしてはいけない。超大国アメリカの歴史を振り返ってみると、ときには「力の行使」に踏み切ることには、リベラル派から保守派まで、知識人から草の根の人々まで、幅広いコンセンサスがありました。冷戦期も冷戦後も、抑止力として「力の行使」を最後のカードとしてその手に握りしめてきたのは、事実としてアメリカだけです。
p39〜
ソチ・オリンピックという人質
手嶋 アメリカのオバマ大統領は、国の内外の批判を向こうに回して、敢然と力の行使」に打って出る覚悟がない---。プーチン大統領はこう読んで、クセ球をワシントンに投げ込んだわけです。オバマ大統領はプーチン提案にやすやすとのり、「国際管理」という罠にかかってしまいました。
(p40〜)かくして、シリアのアサド政権は、化学兵器を国際管理に委ねるという計画を受け入れ、アメリカの軍事攻勢はひとまず回避された。まさしくプーチン大統領の思い描いた通りに事が進んだのです。
佐藤 私がモスクワから得た情報では、プーチン大統領は、今回の出来事を通じて、オバマ大統領を見下すようになったといいます。それに対して、安倍総理はなかなかにしたたかで、見どころのある保守政治家だと、その評価はうなぎ上りだそうです。
手嶋 東京オリンピックの招致で、ロシアのプーチン大統領の協力を取り付けた成果は認めますが、その反動が気がかりですね。
佐藤 私も今後の事態の推移を心配しているんですよ。たしかにロシア側からすると、オバマ大統領より安倍総理のほうがしっかりしているように見えるかもしれない。しかし、いつ日本外交の実態がバレてしまうか、わかりませんからね。
先ほども申し上げたように、2020年の東京オリンピックが、日本にとっての一種の制約要因になっている。同様に、プーチン大統領も、2014年のソチ・オリンピックという名の人質を取られているんです。ソチという場所は、チェチェン独立運動あるいはイスラム原理主義勢力のテロが起きる恐れがある場所だからです。
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WSJ Japan Real Time 2014年2月07日10:15 JST
世界の首脳、ソチ五輪対応でジレンマ―同性愛宣伝禁止法めぐり
【ソチ(ロシア)】ロシアの同性愛宣伝禁止法をめぐり、世界の多くの首脳がジレンマに陥っており、ソチ冬季五輪への対応で揺れている。開会式などに参加しないことで抗議の意思を表すよう求める国内からの圧力と、自国代表選手たちを応援したいという願いとの間で板挟みになっているためだ。
同性愛宣伝禁止法は、未成年者にいわゆる同性愛を宣伝することを禁じる法律で、同性愛者の権利を主張するイベントを実施したり、同性愛が異性愛と同等だと主張したりした場合、罰金ないし禁錮刑に処されることがある。昨年制定されて以来、海外からの批判が相次いでいる。
同禁止法制定は、五輪に出席したいが同法を認めない姿勢を示したいと考えている一部の世界指導者にとって、政治的な地雷と化した。
例えばイタリアのレッタ首相は今週、ソチ五輪の7日の開会式に出席すると述べたが、同国は「スポーツであれ何であれ、同性愛者を差別するいかなる規範ないし規則にも反対する」と強調することを忘れなかった。イタリアは2024年の夏季五輪開催地に立候補を予定しており、レッタ首相はイタリア五輪委員会と相談した結果ソチを訪問することにしたという。
それでも同首相は、イタリアの主要同性愛擁護団体であるArcigay(アルチゲイ)や、自身が属する民主党の一部議員からの批判を免れなかった。
同様の動きはオランダでも展開された。同国のルッテ首相はロシアの同性愛宣伝禁止法を公の場で批判したが、ウィレム・アレクサンダー国王、マキシマ王妃とともにソチ五輪に出席する計画だと述べた。
ルッテ首相は批判の声に対し、「われわれはロシアの人権状況に懸念を繰り返し表明してきたし、今後もそうするつもりだ」と述べた。その上で、ソチ五輪に行く最大の理由はオランダの代表選手たちを応援することだと強調。「ボイコットで得るものは何もなく、対話したほうがいいと考えている」と述べた。
一方、英国のキャメロン首相、カナダのハーパー首相、フランスのオランド大統領などはソチ五輪に出席しない。
オバマ米大統領も出席しない。米国はロシアへの当てつけとして、同性愛者であることを公然と認めている人物を五輪代表団に追加した。女子テニスの世界的プレーヤーだったビリー・ジーン・キング氏と男子フィギュアスケート選手として活躍したブライアン・ボイタノ氏だ。
しかし、ソチ五輪開会式の行われる7日夜、ロシアのプーチン大統領は、決して孤独だと感じないはずだ。
プーチン大統領との緊密な関係を求めてきた中国の習近平国家主席は開会式に出席する。新華社通信によれば、同主席はこれに先立ち6日にプーチン大統領と会談した。プーチン氏は08年の北京五輪の開会式に出席している。
日本の安倍晋三首相も開会式に出席した後、日露関係の重要性を強調するため、8日にプーチン大統領と会談する。東京は20年に夏季五輪を主催する。
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