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[ 内閣法制局 ] 官庁のなかの官庁 法は政権の意思を超える 小沢vs.法制局 湾岸戦争以来の確執

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 朝日新聞GLOBE February 21 , 2014
[Part1]官庁のなかの官庁 「法は政権の意思を超える」
 「法制局は官庁の官庁であって、その権限と法に忠実な番犬たること戦前戦後を問わず、いささかも変わったことはない。各省庁にとり大蔵省主計局と内閣法制局は最も手ごわい相手であり……」
 内閣法制局が創設100年を記念して発行した文集に、こんなOBの手記がある。
 内閣法制局の設立は1885(明治18)年。内閣制度の発足と同時で、明治憲法発布より4年早い。初代長官は長州出身で工部卿なども務めた山尾庸三、2代目は明治憲法や教育勅語の起案にあたった井上毅。戦前は勅令の審査・解釈も手がけ、他省庁とは別格の存在だった。
 米占領下でいったん解体されたが、サンフランシスコ条約で日本が主権を回復すると、吉田茂の意向ですぐに復活。主計局との「二局支配」と称される地位は保たれた。法の制定や解釈にあたり法制局は各省庁に高いハードルを課すが、いったん「お墨付き」を得れば、あとは安心できる。――こう打ち明ける官僚はいまも多い。
 パワーは官僚組織の外にも及ぶ。
 「どちらが上司か、分からなかった」
 こう回想するのは、橋本龍太郎の首相秘書官だった江田憲司だ。憲法解釈をめぐって首相に「総理、これは譲れません」「もう決まった話ですから」と言い放つ法制局長官の姿が記憶に残る。
 国会でも、法制局の法解釈が、与野党の議論の土台になってきた。最高裁判所の長官経験者すら、「法制局が厳密に合憲性のチェックをしているので違憲訴訟が少なかった」と、その「重み」を認める。
 内閣法制局の規定は、憲法にはない。法解釈を担う根拠は、内閣法制局設置法で「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること」を所管するとされる点に尽きる。
 それでもときに首相に対しても強い態度でのぞむ理由は何か。法制局関係者は「積み上げてきた法解釈の整合性を守らなければ、法秩序の安定が保てないからだ」という。元長官の阪田雅裕は「政治判断で行政府の法令解釈がころころ変わるようなことでは法治国家ではなくなる。政権の意思を超えて存在するのが法だ」と話す。それを担保するのが法制局というわけだ。
 2007年5月の衆院外務委員会。野党だった民主党の前原誠司は、「閣議決定は全会一致」との法制局解釈に、異論を唱えた。当時の法制局長官、宮崎礼壹は、解釈を説明した後、こう付け加えた。
 「このことは、古く昭和21年7月の制憲議会での担当大臣の答弁以来、歴代の総理、官房長官が一致して述べてきておられますし、またそのように運用されてきているところでございます」
 ただ、法律の解釈は、1+1=2のように答えが一つとは限らない。学界でもときに多数説と少数説が分かれる。最高裁でも少数意見が付されたり、後に解釈が変更されたりする。法制局の解釈も「決める時点」では、複数の選択肢から選んでいる面がある。
 しかし、自民党は「選択」の責任を負うのを避け、野党からの攻撃の「防波堤」として法制局の解釈を使ってきた。その「政治の怠慢」こそが法制局の存在感を高めた――江田はそう指摘している。(文中敬称略)
 ◎上記事の著作権は[朝日新聞 GLOBE]に帰属します 

 朝日新聞GLOBE February 21 , 2014
[Part2]小沢vs.法制局 湾岸戦争以来の確執
 「おまえは政治家だ。現状を変えることが、すべてに優先する。法制局が文句を言ってきたら、おれが全部抑えてやる」
 自民党の実力者だった小沢一郎から、こうハッパをかけられたのを、当時側近だった船田元は覚えている。1991年に自民党の「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」の事務局長に就いたときのことだ。会長は小沢だった。
 90年の湾岸戦争で、日本は130億ドルの財政支援をしたが、自衛隊を派遣しなかった。自民党幹事長だった小沢は「国家が行使する自衛権と国連の活動とは、まったく異質のもの。(自衛隊が参加する)国連の活動は、武力行使を含んでも憲法に抵触しない」というのが持論。小沢率いる党執行部は内閣に湾岸戦争への自衛隊派遣を迫ったが、首相の海部俊樹は態度を明らかにしない。当時の法制局長官、工藤敦夫は「国連の指揮下でも憲法の制約は及ぶ。正当防衛を除く武器使用はできない」と首を縦に振らなかった。
 当時の内閣官房副長官、石原信雄は「海部首相自身が、自衛隊派遣に積極的ではなかった」と振り返る。だが、批判の矛先は法制局長官に向かった。小沢調査会が92年にまとめた答申は、「これまでの政府解釈は、もはや妥当性を失っている」と結論づけた。
 その後小沢は自民党を離党。細川連立内閣などを経て、野党新進党の党首になる。97年10月の衆院予算委員会。小沢は首相の橋本龍太郎に海外での自衛隊活動についての憲法解釈を問いただした。橋本は、自分は他国の武力行使と一体化しない後方支援は可能だと考えていたと述べたうえで「だが、従来、政府は必ずしもそういう見解にならなかった」と発言。小沢は「憲法解釈を変えたのか」とたたみかけた。
 すると、橋本をさえぎるように当時の法制局長官・大森政輔が答弁に立ち、湾岸戦争時も一体化がなければ違憲ではないと説明していたとして、当時と「何ら見解に相違はない」と強調。橋本も「当時論議の足りなかった部分を今回補強した」と修正した。水を差された小沢は「お役所としては、ちょっと僭越(せんえつ)だ」と不快感をあらわにした。(インタビュー参照)
 小沢は自由党党首だった03年には「日本一新11基本法案」の一つとして「内閣法制局廃止法案」を議員立法で提出。08年には民主党代表として「内閣法制局はいらない。国会に法制局があればいい。なぜ行政府に法制局がなければいけないのか」と発言している。
 今年5月、民主党などの議員が「国会法改正案」を提出した。官僚でも例外的に国会答弁を認める「政府特別補佐人」から内閣法制局長官をはずす内容だ。その提出者名の筆頭も「小沢一郎」だった。
(文中敬称略)
 ◎上記事の著作権は[朝日新聞 GLOBE]に帰属します

 朝日新聞GLOBE February 21 , 2014
[Part3]ガラス細工の「戦力」解釈
 内閣法制局は、集団的自衛権の行使は違憲であるとの見解を維持し、国連指揮下での自衛隊海外派遣は合憲とする小沢らの憲法解釈にも一貫して否定的だ。こうした姿勢を見て、最近では「護憲」を掲げる政党が法制局を「憲法の守り手」として持ち上げることが多い。
 だが、法制局はかつて、ガラス細工のように無理な理屈を重ねる組織との批判も浴びてきた。憲法9条に則して「戦力」を持たないと言いながら、戦車や戦闘機、護衛艦を持てる。武装勢力の攻撃が頻発するイラクにも自衛隊を派遣できる――。それでも「憲法解釈は変わっていない」と主張してきたからだ。
 法制局は解釈の基準に「3原則」を掲げる。?法律の文言や趣旨に則し、?立法者の意図や背景となる社会的情勢を考慮し、?議論の積み重ねのあるものは全体の整合性に留意する。これにより、法律的に解釈は「論理的に確定すべきものである」という。
 1952年に復活した内閣法制局は、憲法9条は「自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止したものではない」とし、「戦力とは近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成をそなえるもの」と定義。54年に警察予備隊から改組された自衛隊は「戦力ではない」とした。
 自衛隊に米国から最新鋭兵器が次々と導入されると「戦力という言葉にはおのずから幅がある。国土保全を任務とし、必要な限度において持つ自衛力を禁止していることは当然考えられない」と解釈。これを受け、政府が最新鋭戦闘機の航続距離を伸ばす空中給油装置を外して批判をかわしたこともあった。
 イラクへの自衛隊派遣では「非戦闘地域」という概念を持ち込んだ。「現に戦闘が行われておらず、活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」地域への派遣ならば、国としての武力行使や、他国軍隊との武力行使の一体化も理屈上は起きない。万が一、そこで武器を使用するような事態が起きても、それは「自己保存のための自然権的な権利」であって、9条違反にはあたらないとした。ただし、当時の首相、小泉純一郎が「自衛隊の活動地域が非戦闘地域」と答弁。問題になった。
(文中敬称略)
 ◎上記事の著作権は[朝日新聞 GLOBE]に帰属します

 朝日新聞GLOBE February 21 , 2014
[Part4]「法制局長官の答弁禁止で、国会論議の粗悪化が進む」
大森政輔・元内閣法制局長官インタビュー
――小沢一郎氏が1997年の国会で当時の橋本首相に「憲法解釈の変更か」と迫った時、自ら手を挙げて答弁を補足し、後に「越権」との批判も浴びました。あの行動にためらいはなかったのですか。
 「総理が憲法上問題の残る答弁をしたら、補正する努力をするのは法制局長官の職責。そのために首相の後ろに座っていたのですから。あのまま黙っていて、『湾岸危機の時と防衛協力指針の検討の時で、憲法解釈は変わった』と認めたままになっていたら、それこそ大変だ。まったくためらいはなかったし、むしろ義務の履行のつもりで答弁に立った」
――その小沢氏が主導した今の法制局長官の国会答弁禁止をどう見ますか。
 「弊害ばかりで、いいところは一つもない。まず、法律解釈をめぐる国会論議が非常に低調になり、きめの粗い議論にとどまってしまう。国会中継を見る限り、非常にお粗末な場面を目にします。さらに、今まで国会論議などを通じて確立してきた見解が政治家の一存で変えられる可能性が生じる。現実には、社会的・政治的に大問題となるので簡単には実現しないでしょうが、『しようと思えばできる』すき間ができることは問題だ」
――鳩山内閣では枝野氏が、新内閣では仙谷氏が法令解釈を担当しています。
 「甚だ疑問だ。政治家自らが省庁間の(法律面の)意見調整に当たるのでは、適切な対応は期待できない。法曹資格を持った人であっても同様だ。法律問題の適切な処理には、個別の問題だけでなく、周辺問題、さらには法律問題全般を熟知していることが必要だ。自分の在任中にそのような事態になれば、辞任していたかもしれない。もっとも辞めただけでは事態の解決にはならないが……」
――法制局の役割をどう考えますか。
 「『創造と抑制』の二つの側面がある。内閣の直属の補佐機関として、法令案の審査を通じて、政府が展開しようとする施策のための法的枠組みを作るのは価値創造の作用。他方、政策の展開はすべて憲法の枠内で行わなければならず、抵触するおそれがある場合には、憎まれ役かもしれないが、内閣に対して躊躇(ちゅうちょ)なく意見を述べる職責があり、これは抑制的機能だ。その時々の社会情勢によっては抑制的な側面が目立つ時もある」
――最高裁判所に最終的な憲法解釈権があるなかで、法制局がなぜそこまで憲法判断にかかわる必要があるのですか。
 「(憲法裁判所ではない)司法機関が憲法判断をする現行憲法制度の限界として、最高裁は憲法判断に消極的だ。仮に、最高裁の事後審査により違憲判断が下された場合には、事柄によっては著しい混乱と損害を生じさせることになる。このような事態を避けるために、事前の検討機関としての内閣法制局の職責があるのでしょう」(文中敬称略)
*おおもり・まさすけ
 1937年生まれ。京都大法学部卒。大阪地裁判事、法務省民事局参事官などを経て、内閣法制局へ。96年から99年まで長官。現在は弁護士として活動。選択的夫婦別姓法案推進の運動にもかかわる。
 ◎上記事の著作権は[朝日新聞 GLOBE]に帰属します 

 朝日新聞GLOBE February 21 , 2014
[Part5]「間違った憲法解釈の是正はあり得る」
枝野幸男・前法令解釈担当相(現民主党幹事長)インタビュー
――内閣法制局のあり方を、これまでどう見てきましたか。
 「中学生のころ、新内閣の発足時の新聞の閣僚名簿に政治家の面々と並んで法制局長官の名前や略歴が載っているのを見て強い違和感を持った。なぜ内閣法制局だけが霞が関の中で別格なんだろうと。だから、法制局のトップには国務大臣が必要だというのは、僕の長年の持論です。支持者の集まりで『政権取ったら何大臣になりたいか?』と聞かれると、『法律改正して法制局長官やりたい』って言っていたくらいだ」
――国会でも、政治家たちが法制局を別格に扱ってきたのでは?
 「政治論としては、法制局側も政治家側も、お互いを都合良く利用してきたということでしょう。でも、憲法論的にいえば、憲法判断の最終決定権は司法にあるにしても、立法府は国権の最高機関で、立法という機能を通じて違憲審査している。行政府の憲法解釈に立法府が縛られるいわれは全くない。逆はあるかもしれないが。 それが、あべこべになってきたのは非常に不思議な話だ」
――大臣が法令解釈を担当すると、恣意(しい)的な変更の危険が生まれませんか。
 「それは勘違いでしょう。もともと内閣法制局は広い意味での意見具申機関だから、長官が何を言っても、首相や官房長官が『あれは参考意見です』と言えばおしまい。それは各省の事務次官が色々な意見を言っても最終的には大臣の判断で決まるのと同じことです。担当大臣がおかれても変わらない」
 ――2月に担当相になってから菅内閣発足で交代するまでの間に、法令解釈の運用を変えたところはありましたか。
 「具体的変化はない。法律案作成のプロセスで各省と内閣法制局との調整があり、必要があれば乗り出しますよと閣議で申し上げたが、そんなに頻繁にあったらおかしい」
――内閣法制局と小沢前幹事長が対立した憲法9条の解釈論への見解は。
 「コメントを控えたい。ただ、9条に限らず、行政における憲法の解釈は、恣意的に変わってはいけないが、間違った解釈を是正することはありうる。従来の内閣における憲法9条の解釈は、誤解されて受け止められている面が多々あると思っている」
 「それに、『集団的自衛権の行使に当たるので憲法を変えないとできない』と流布されてきた話の大部分は、従来の内閣の見解に基づいても集団的自衛権の行使に当たらないと思っている。この点では、私の考え方は法制局とも一致した」
――将来、法律的素養のない人が担当相になったときに問題は起きませんか。
 「そうした時の、バックアップこそが、法制局の役割だろう。けんかをする関係ではないし、非常に有能な法律家集団であることには違いない」
(文中敬称略)
*えだの・ゆきお
 1964年生まれ。東北大法学部卒業後、26歳で弁護士登録。29歳で日本新党から衆院選に初当選、新党さきがけを経て民主党に。鳩山内閣で行政刷新相、法令解釈担当相を兼務。菅内閣発足にともない民主党幹事長に。
 ◎上記事の著作権は[朝日新聞 GLOBE]に帰属します 
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官僚の助言なく政策を語れる政策人間小沢氏/菅政権:政治主導から官僚支配に戻る/「官僚答弁禁止」は断念 2010-10-26 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
 菅と官?未熟さ 官復権許す〜排除から共存へ
 (中日新聞 2010/10/15 Fri. )
 9月下旬頃から、最近はあまり見かけなかった光景に出くわす。議員会館に幹部官僚が日参し野党幹部の部屋を回っているのだ。ある官僚は法案の根回しをし、別の官僚は公明党議員に「補正予算案に公明党の主張を盛り込んだ。賛成してほしい」と頼んでいる。
 自民党政権の時は日常的に行われてきた官僚による野党議員への根回しだが、昨年、政治主導を標榜する民主党政権が誕生して封印された。それが菅政権が発足したころに復活した。
 その変化の中心に仙谷由人官房長官がいる。積極的に指示したわけではない。「禁を解いた」が正確だろう。
 昨年発足した鳩山政権は、徹底的に官僚を排除した結果、官僚のサボタージュを招き政策決定もうまくいかなかった。米軍普天間飛行場の移設問題などはその最たる例。その教訓から2年目を迎えた民主党政権は「排除」から「共存」にかじを切った。
 官僚組織のトップに立つ滝野欣弥官房副長官(事務担当)は民主党政権が誕生以来、このポストにいるが、鳩山政権では「隅っこに追いやられていた」(官邸スタッフ)。今は「官邸を切り盛りしている」(同)。
 ただ官との共存は、民主党が野党の時、痛烈に批判してきた自民党政権時代に回帰することを意味する。
 兆候は既に見え始めている。政治家だけの議論がめっきり減っているのだ。閣議・閣僚懇談会は1年前には1時間を超えることは当たり前で今年1月12日には2時間以上議論した。だが9月21日は12分で終わった。
 名古屋で開かれる生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に向け、政府は関係副大臣会議を何度も開いたが「出席者は、官僚が用意した紙を読むだけだった」(民主党の中堅議員)こともあった。
 官僚を容認する姿勢は、菅直人首相からも感じとれる。薬害エイズ問題での対応を持ち出すまでも無く菅氏は元来、官僚組織と戦う政治家だった。が、今は身内からも「財務省のいいなり」(政府関係者)と批判される。国会でも、眼鏡をかけて官僚作成の答弁を読むシーンが続く。
 もちろん菅政権が政治主導の看板を下ろしたわけではない。官僚を排除して重要課題を推進する“荒業”を使うこともある。
 今月上旬のアジア欧州会議(ASEM)首脳会議で菅首相が、温家宝中国首相と対話できたのは、官邸側が中国政府に直接働きかけた成果でもあった。
 管政権は、民間の有識者を集めた賢人会議の設置を検討。官邸機能強化のためのスタッフ強化も進めている。ただ、その程度の改革では政治主導が確立できないことを、この1年で学習した。
 「いまの民主党には十分な政権担当能力がないんだよなあ・・・」
 仙谷氏は政権運営に行き詰まると、こうつぶやく。そして足らない分を「官」の力で補おうとしている。現実主義者・仙谷氏らしい発想ではある。
 菅政権は2面性を持った政権だ。政治主導を強調しているのに、野党はもちろん党内からも官僚追従の批判を受ける。この政権は、現実路線による成熟した政治主導の道を歩んでいるのだろうか。それとも、かつての官僚支配に戻りつつあるのか。政と官の関係を検証する。
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菅と官?法改正遅れ“致命傷”〜政治主導の挫折
(中日新聞2010/10/16Sat.)
 民主党が2009年の衆院選に向けてつくったマニフェスト。「鳩山政権の政権構想」の冒頭には「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」とうたってある。民主党にとって「脱官僚」は1丁目1番地。昨年9月に鳩山政権が発足以来、政治主導に固執したのは当然のことだった。
 自民党政権時代の「政と官」の関係を振り返ってみる。国会で大臣は、大づかみな答弁をいくつかするだけで細部は局長に丸投げだった。予算編成作業では、財務省と各省庁が概算要求から大詰めの閣僚の復活折衝まで、綿密なシナリオを描いた。大臣や政務次官には地元選挙区に関係する予算を少し手厚くする気配りも見せた。
 もちろん少しずつ官僚支配は是正されてきたが、基本的な構図は不変だった。小泉政権ですら「官邸主導は2割程度。8割は通常の霞が関のルールで回していた」(高橋洋一喜悦大教授)という。
 鳩山政権は、この「8割」も一気に政治主導にしようとした。
 その象徴的存在となったのが厚生労働相になった長妻昭氏だ。省内の人事制度の評価基準を変えて人事権を行使。手際が悪い官僚には「これが民間だったらクビだ」と怒鳴ることもあった。
 だが、厚労官僚たちの抵抗は凄まじかった。ことし9月の段階では「長妻氏が留任したら省内でクーデターが起きる」とまで言われた。
 厚労省のような全面対決はまだいい。面従腹背で政治主導を骨抜きにしようとする官僚に民主党は手を焼いた。
 岡田克也氏は外相の時、あぜんとすることの連続だった。外国要人と会談する際、官僚は決まって資料を直前に持ってくるのだ。事前準備なく会談に臨ませることで、官僚シナリオに沿った発言をせざるを得ないようにする意図が見え見えだった。岡田氏は、2日前までに資料を出すよう指示し、前日に自分と官僚が議論して手直しすることにしたが、似たような官僚の「仕掛け」は各省で起きた。
 国民から高い支持を得た事業仕分けも例外ではない。昨年11月の第1回仕分けの対象となった事業のうち、民主党が独自に掘り出したのは全体の約3割。残りは財務省の提案だった。行政刷新会議の加藤秀樹事務局長は「官僚がつくったものを壊すにも官僚が役立つ」というが「官僚がシナリオを書く」という長年の構図から脱却しきれていないのも事実だ。
 政治主導を演出しようとするばかりに行きすぎた官僚排除に走り、その一方で、したたかな官僚の介入も受ける。民主党の政治主導は空回りを続けた。
 最大の原因は、法改正の遅れ。国の基本ビジョンを決める国家戦略局の設置などを盛り込んだ政治主導確立法案が未成立のままであることが“致命傷”となっている。政府関係者は「昨年の臨時国会で成立していれば・・・」と悔やむ。だが、先の通常国会で継続審議となった同法案は、今の臨時国会でも成立するメドはたっていない。
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菅と官?官僚 悩ます没交渉〜嫌われる小沢氏
(中日新聞2010/10/18Mon.)
 菅直人首相と小沢一郎元代表の一騎打ちとなった9月の民主党代表選で、面白い傾向がみられた。霞が関の官僚たちが、ほぼ例外なく「小沢首相だけは勘弁してほしい」と口をそろえたのだ。
 小沢氏は代表戦で敗れ首相にならなかった。だが今なお党内で影響力を持つ。彼と官の関係は、菅政権にも少なからぬ影響を及ぼすテーマだ。
 自民党で帝王学を学んだ小沢氏だが、自身が政府にいた期間は短い。政務次官を2度、閣僚は自治相を1度。あとは1987年、竹下内閣で官房副長官を務めているだけだ。
 建設政務次官だったころを知る同省OBは「『面倒くさいことは君がやれ』という感じ」と振り返る。自治省OBも、閣僚の時の小沢氏は「印象が薄い。途中から役所に来ない日もあった」。剛腕の片鱗はなく、官僚にとっては御し易い政治家像が浮かぶ。その小沢氏が官僚から嫌われるようになったのはなぜか。
 最大の理由は没交渉だろう。小沢氏は94年に下野して以来、大半の期間を野党で過ごした。権力に群がる官僚は小沢氏との接点が少なくなった。一方、小沢氏は自民党政権を攻撃する中で、自民党と一体だった霞が関批判を強めていった。
 現役世代の官僚で小沢氏と接点があるのは官房副長官の時、秘書官だった財務省の香川俊介官房長ぐらい。小沢氏を官僚が訪ねるのは皆無に近い。
 代表選の時、官僚との没交渉を示す出来事があった。小沢氏は「無利子国債」の発行を打ち出した。無利子国債は、一般的には利子がつかない代わりに相続税免除の特典を受ける国債を示す。これに野田佳彦財務相は素早く反応し「相続税が減り国の財政が悪化する」と批判した。もちろん財務官僚から事前説明を受けての発言だ。
 ところが小沢氏の言う無利子国債は「地方が利子を負担し、道路建設に充てる」という全く違うものだった。それが判明するまでに約1週間かかった。財務省は違う情報に基づいて理論武装し、それを受けて野田氏がコメントしていたことになる。
 「「政策転換」も官僚が小沢氏を敬遠する原因だ。小沢氏は93年「日本改造計画」を著した。そこには規制緩和の断行による「自立した日本」が描かれていた。だが、その後小泉政権が似た路線をとり、一定の評価を得た。差別化するためにも小沢氏は、小泉政権の時に生じた格差を批判し「国民の生活が第一。」を訴え始めた。財務省の視点でいえば「バラマキへの回帰」で、容認しがたい政策転換だ。
 「おれは政局人間と思われているけど、政策が大好きなんだ」
 小沢氏は代表選中、側近に対しこのせりふを何度も口にした。官僚や側近の助言なく政策を語ることができる自信を示したものだ。
 政策の具体的な妥当性は別にして、最近の小沢氏は「脱官僚」が徹底しているようにみえる。相対的に菅氏は「官僚寄り」に映る。
 だからこそ、批判的な勢力からも「小沢首相を見てみたかった思いもある」との声が漏れるのだ。
*〔菅と官〕??は略
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「官僚答弁禁止」は断念 政治主導法案修正 副大臣と政務次官増目指す
 政府・民主党は20日、内閣法制局長官をはじめとする官僚答弁の禁止を柱にした国会法改正案の成立を断念する方針を固めた。改正案に盛り込まれていた副大臣、政務官の増員の項目については、国家戦略室を局に格上げする政治主導確立法案に加え、修正した上で、今国会での成立を目指す。
 参院で野党が多数を占めている「ねじれ国会」下で、自民党などが官僚答弁禁止に反対していることを考慮した。菅直人首相は同日夜、記者団に「野党からもいろいろな意見を戴いている。合意できる形にして、成立させてほしい。全力を挙げる」と述べた。
 国会法改正案は、民主党の小沢一郎元代表が幹事長時代に主導し、議員立法で先の通常国会に提出。国会審議でも政治主導を実現するという触れ込みで、答弁が認められる「政府特別補佐人」から法制局長官を外し、副大臣2人と政務官10人を増やす内容だった。
 しかし、野党は、法律など専門的な知見を持つ官僚との質疑は不可欠で、政治家の答弁だけでは国会審議の充実は図れないと主張し、官僚答弁禁止に反発。関連する政治主導法案とともに継続審議になり、今国会でも審議入りのめどが立っていない。
 与党側は副大臣らの増員ならば、野党の賛同も得られる可能性があるとみて、政治主導法案に一本化することにした。国会法改正案は廃案になる見通し。
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官僚の国会答弁禁止--国会論戦を乗り切れるのか 2009-10-10 | 政治 

民主は官僚依存症?2010/07/28死刑執行 小沢氏と対立激化 検察が恐れる民主の4政策
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【憲法】 テロが「想定外」という欠陥/ ウソの文化=「議院内閣制」とは名ばかりで、実態は「官僚内閣制」 2012-09-07 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
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野田総理は「時間軸の違い」という技術論に矮小化したが、官僚統治こそが「決められない政治」の根本原因だ 2012-06-06 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 「永田町異聞」
 2012年05月31日(木) 官僚統治こそが決められない政治の根本原因だ 
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