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Channel: 午後のアダージォ
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芦原温泉 / 名古屋宝生会 定式能「須磨源氏」「棒縛り」「隅田川」

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〈来栖の独白 2014/3/17 Mon. 〉
 3月14日〜15日、芦原温泉。帰路、東尋坊と曹洞宗永平寺に立ち寄る。
 3月16日(日曜日)、名古屋能楽堂。13時から16時40分まで。名古屋宝生会定式能。番組は「須磨源氏」〈シテ、和久荘太郎。間、野村又三郎〉。「隅田川」〈シテ、衣斐正宜(いび まさよし)〉。棒縛りの井上松次郎(2世)さん、潤いのあるホントに良い声。
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 能「須磨源氏」http://www.tessen.org/dictionary/explain/sumagenji
 能「隅田川」http://www.the-noh.com/jp/plays/photostory/ps_012.html
 狂言「棒縛」http://www.kyogen.co.jp/outline/cat44/000396.html 
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能(宝生流)『隅田川』
 耳を澄ましていると揚幕(あげまく)の奥の鏡の間から、笛の音が聞こえ、小鼓・大鼓の音が聞こえてきます。これを「お調べ」と言います。「お調べ」が済むと、笛・小鼓・大鼓の囃子方(はやしかた)が揚幕から登場します。次に切戸口(きりどぐち)から地謡(じうたい)が8人登場します。その後、上部に柳の枝をつけた塚の作リ物[舞台装置]が後見によって運び出され、大鼓と小鼓の前に置かれます。中には子方が入っています。実は、この塚は下総の国[現在の千葉県北部周辺]にある設定です。しかし最初は武蔵の国[現在の埼玉県・東京都]側の岸辺での場面からはじまり、途中で舟の中での出来事へと移り、舟での移動を経て、塚がある下総の国側の岸辺へと到着します。終始出ている塚を不思議に感じるかもしれませんが、必要最小限の舞台装置しか用いない能の舞台では、演者の演技と観客の想像力とでさまざまな場所を描き出すことができます。
 最初にワキが登場します。隅田川の渡し守であることを名のり、客を待って舟を出そうと述べます。続いて、都で商売を済ませた旅の男[ワキツレ]が登場し、渡し守に舟に乗せてくれるよう頼むと、渡し守は快諾します。旅の男がやって来た方向が何やら騒がしいので、渡し守は不思議に思い理由を尋ねます。旅の男が後から女物狂(おんなものぐるい)[シテ]がやって来るからだと答えるので、渡し守はその女物狂を待って舟を出すことにするのでした。
 登場の囃子「一声(いっせい)」で、笠をかぶり、笹を手にした女物狂、梅若丸の母が登場します。子を思う親の心情を謡いながら橋掛リを進み、本舞台に入り「カケリ」という動きをします。「カケリ」は笛・小鼓・大鼓で演奏され、シテは舞台を小さく2周します。1周目はゆっくりとした動きですが、2周目にはテンポが速まります。急激にテンポが変化する動きと囃子は、梅若丸を思うあまりに乱れている母の心を表現しています。「カケリ」の後、いとしい我が子を人商人にさらわれて、心乱れながらもその行方を尋ねてさまよっている女であることを名乗り、隅田川にたどり着きます。女は渡し守に舟に乗せてくれるように頼みます。しかし渡し守は、面白く狂ってみせなければ舟に乗せないと条件を出すのでした。そこで女は、隅田川の渡し守ならば舟に乗れというはずなのにと『伊勢物語』の東下りの段をふまえて言い返します。さらに在原業平の和歌「名にしおはばいざ言問(ことと)はむみやこどり我が思ふ人はありやなしやと」を口ずさみ、隅田川に見える白い鳥の名前を問います。都鳥と答えてこそのところを、「沖の鴎(かもめ)」と答えてしまう渡し守の無風流さを嘆き、また都鳥に妻のことを問いかけた業平と、恋しい梅若丸の行方を問いたい思いでいる自分を重ねるのでした。渡し守は母の子を思う心と、風流さに感服し、舟に乗るように促します。
 一同が乗り込み渡し守が舟を進めると、対岸から念仏の声が聞こえてきました。旅の男に念仏のいわれを尋ねられ、渡し守は1年前の今日3月15日に起こった1人の少年にまつわる悲しい出来事を語りはじめます。その少年は、都から人商人に連れられて、慣れない旅の果てに病となり、この隅田川で命を落としたのでした。語り終える頃には対岸に着きました。渡し守は、都からの旅人もいるようなので、その少年の供養の大念仏に加わるように乗り合わせた人々を促します。人々が舟を降りる中、狂女は動けずにいます。そして、その出来事の年月、少年の名、父親の名、母親のことをもう一度確認するように、渡し守に問いかけます。なんとその狂女こそが、少年の母親だったのです。それを知った渡し守は母親に同情し、少年の墓(はか)である塚へと案内して、弔いをすすめるのでした。
 舟の中の場面ですが、舟を表す作リ物[舞台装置]は出さずに進行します。ワキが素襖(すおう)の右肩を脱ぎ、棹を持ちます。シテは舞台真中よりやや脇座[舞台向かって右側]へ出て座ります。ワキツレはシテのすこし後方左側へ座り、ワキは2人の後ろに立ちます。3人のバランスが美しく印象的な場面です。
 渡し守は棹を置き、悲しみにくれる梅若丸の母を立たせ、塚へと案内します。渡し守は弔いをすすめますが、母は梅若丸の墓を目の前にして、ただ泣き伏すばかりです。我が子に会えるかもしれないという一心で、はるばる旅を続けてきた母に待ち受けていた現実は、梅若丸の死という、あまりに辛く悲しいものでした。能では感情表現にも決まった「型」があり、泣くときは、片方の手の指をそろえて伸ばし、涙をおさえるようにして目のあたりにあてる「シオリ」という型で表現します。さらに号泣している様子を表すときは、両手で「シオリ」を行い、顔を覆うような所作となる「モロジオリ」という型をします。シテは「さりとては人々、この土を返していま一度、この世の姿を、母に見せさせ給へや。」の謡の後、崩れ落ちるように膝をつき座り込み、「モロジオリ」で悲しみを表現します。その後ゆっくりと両手をもとへ戻し、深い悲しみの中に引きずり込まれていくかのように、じっと動かずにいます。在りし日の梅若丸の面影が見え隠れする中、愛する我が子に先立たれ生き甲斐を無くした身の上や、目の当たりにした残酷な現実に対して渦巻く悲しみを、地謡が謡います。
 すでに月も出て、夜が更けました。人々が念仏を唱えて梅若丸を供養する中、梅若丸の母は深い悲しみに沈み、できることといえばただ泣き伏すことだけです。渡し守は、多くの人が念仏を唱えているけれども、母であるあなたが弔ってこそ梅若丸は喜ぶでしょうと励まし、鉦鼓(しょうご)と撞木(しゅもく)を手渡します。我が子のためと母は嘆きをこらえて立ち上り、鉦鼓をたたき念仏を唱えます。すると塚の中から「南無阿弥陀仏」と唱える梅若丸の声が聞こえてくるのでした。母はもう一声聞かせてほしいと、塚に向かって一心に念仏を唱えます。今度は声だけでなくさらに、塚の中から梅若丸の亡霊が姿を現しました。母が梅若丸を抱きしめようと手を差し伸べて近づくと、亡霊はその手をすり抜け、塚の中へと消えてしまいます。泣き悲しむ母の前に、梅若丸の亡霊はもう一度姿を見せますが、それも束の間のこと、ふたたび消えてしまうのです。母の目の前に残るのは、明けて行く空の下に見える草がぼうぼうと茂る塚だけなのでした。
 塚の作リ物の中から聞こえる子方の高い声は、重く心に響いてくるシテ・ワキ・地謡(じうたい)の念仏の低音域の声とは対照的に、鋭く心に突き刺さるように届きます。その後に、塚の中から現れるかわいらしい子方の姿は目に見える形で、もう1度悲劇を強調しています。
 ◎上記事の著作権は[文化デジタルライブラリー]に帰属します 
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棒 縛(ぼうしばり)
*あらすじ
 主人は自分の外出中、2人の家来が酒を盗み飲みできぬよう、一計を案じます。まず太郎冠者に棒術の型をさせ、両腕を広げたところを、次郎冠者に手伝わせて手と棒を縛り付け、続いて次郎冠者も後手に縛りあげます。主人の外出後、酒を飲みたくなった2人は酒蔵に行き、かろうじて動く手先で扉を開け中に入ります。匂いをかぐうち我慢しきれなくなった2人は、苦心の末、互いに酒を飲ませ合う方法を見つけます。酒盛りを始め、謡(うたい)と舞で盛り上がっているところへ主人が帰ってきますが、盃に映った主人の影を見た2人は、主人の執念に違いないと言う始末。やっと主人に気づいた次郎冠者は逃げ出し、残された太郎冠者は棒術で主人を脅かすものの、結局追い込まれます。大蔵流では棒に縛り付けられるシテは次郎冠者です。
*鑑賞のポイント
 手を縛られながらも、なんとかして酒を飲もうとする2人の姿が笑いを誘います。棒に縛られた太郎冠者が、勢い余って酒を顔に掛けてしまったり、大盃に顔を近付けようとしてつんのめったりする動作、手の使えない不自由な状態で舞を舞う場面が見どころです。普通の舞では、手にした扇を左右に差し出したりかざしたり、といった型がありますが、本曲の場合、手の自由がきかないので、顎を突き出したり、肩を上げ下げしたりして、その動きを表現しようとします。主人の帰宅時にうたわれる「月は一つ、影は二つ、満つ、満つ潮の」という謡は、能『松風』の謡をもじったもので、主人に縛り上げられても全く懲りない2人です。
*詞章
 [動画中の詞章/手を縛られたままの2人が酒を飲む工夫をする場面より]
次郎冠者「なんとする、なんとする、なんとするぞいやい」
太郎冠者「こりゃ飲まれぬ」
次郎冠者「なんじゃ飲まれぬ」
太郎冠者「なかなか」
次郎冠者「そうあらば、まずそれは身共(みども)に飲ます」
太郎冠者「そちには飲ましょうが、身共にはなにとして飲ます」
次郎冠者「それはそれがしが分別と(ふんべっと)した。まずそれは身共に飲ます」
太郎冠者「それならばこれへ寄って飲め」
次郎冠者「心得た」
太郎冠者「飲むか飲むか」
次郎冠者「飲むぞ飲むぞ」
太郎冠者「飲むか飲むか」
次郎冠者「飲むぞ飲むぞ・・・さてもさてもよい酒ぢゃ」
 ◎上記事の著作権は[文化デジタルライブラリー]に帰属します 
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