Listening:<記者の目>袴田事件・再審開始地裁決定=荒木涼子(静岡支局)
毎日新聞 2014年04月16日
*証拠全面開示、法整備を
1980年に死刑が確定した袴田巌(はかまだいわお)元被告(78)が48年ぶりに釈放された。66年に静岡市(旧静岡県清水市)で起きた強盗殺人事件の無罪を主張した第2次再審請求で、静岡地裁は再審開始を決定した。請求審で証拠開示が進む度、検察側の主張がほころぶのを私は何度も目の当たりにした。「証拠捏造(ねつぞう)の疑いがあり無罪の蓋然(がいぜん)性がある」と断じた地裁決定は率直だった。捜査側の恣意(しい)的な立証に歯止めをかけるため、再審請求での証拠の全面開示を法で規定すべきだと思う。
みそ製造会社の専務一家4人が殺害された「袴田事件」の証拠は、もともと脆弱(ぜいじゃく)だった。確定判決では自白調書45通のうち44通もが任意性がないとして不採用になった。最重要の物的証拠とされた「5点の衣類」について「元被告が犯行時着ていた」としたのも、衣類の血痕が袴田さんや被害者と同じ血液型だったことを主な理由としたにすぎない。直接証拠はほとんどなかったのである。
*新たな証拠から矛盾あぶり出す
今回の再審開始決定は、DNA型鑑定という最新の科学分析、つまり「ハイテク」が決め手になったと言われる。だが、再審へのハードル越えを支えたのは、新たに開示された証拠を精査して矛盾をあぶり出し、新事実を引き出した弁護団の「ローテク」だった。
その一つが、5点の衣類に含まれるズボンの胴回りサイズの新事実である。70年代にあった控訴審での着用実験で、袴田さんはズボンが細すぎてはけなかった。だが、検察側は「タグの『B』の文字は84センチの『B4』サイズの意」などと言い張り、確定判決でもその通り認定された。
しかし、これは捏造とも言える主張だった。「B」についてズボン製造業者が「色を示す」と説明した調書の存在が、今回の証拠開示で明らかになったのだ。業者は毎日新聞の取材にも「当時の捜査員に『色を意味する』と答えた」と証言した。当時の検察は「重要物証の根幹が揺らぐため、業者の調書は法廷に出さない」というゆがんだ立証方針だったとしか考えられない。その検察側も調書の開示で誤りを認めた。結局、地裁は「ズボンは元被告のウエストに合っていなかった可能性がある」と判断した。
光ったのは弁護団の証拠開示請求に応えた村山浩昭裁判長の訴訟指揮だ。「仮に確定審(68年に死刑を言い渡すまでの地裁審理)で公判前整理手続きが実施されたら、当然開示対象になっていた」。審理終盤にさしかかった昨年7月、検察側に証拠開示を迫った裁判長の言葉が象徴的だった。2005年に導入された公判前整理手続きは、近年の刑事裁判で証拠開示が進む要因となった。裁判員裁判では必ず実施される。村山裁判長が現状に沿った訴訟指揮に努めた結果、開示された証拠は600点にも上った。
*裁判長裁量頼み、制度不全を露呈
刑事訴訟法は戦後、新憲法の精神に基づき大幅に変更された。だが、司法制度の中で例外的な救済措置と位置付けられている再審については、条文内容はほとんど戦前のままだ。再審請求審における証拠開示についても規定がない。検察側は「プライバシー侵害になる」「争点に関連がない」などと、開示に消極的な傾向が強い。有利な証拠を引き出したい弁護側にとって、裁判長の裁量だけが唯一の頼りになっている。袴田さんが幸運だったのは、村山裁判長が検察側の言い分をうのみにせず証拠を吟味し直す姿勢だったことだ。
検察側の即時抗告で再審開始の結論は持ち越されたが、袴田さんは冤罪(えんざい)のまま半世紀近く拘束された疑いが強いと思う。自白偏重の当時の捜査や、検察の言い分を認め続けた裁判所の甘さなど問題は多岐にわたる。第1次請求で弁護団が今回とほぼ同様の主張をしながら、27年間の審理の末に棄却された事実を見れば、再審制度そのものが深刻なシステム不全であることが分かる。問題を解消するためには、まずは再審請求審での証拠の全面開示を法的に規定する刑訴法改正が必要だ。
龍谷大法科大学院の福島至教授(刑事法)は「米国の一部州や英国では公的機関等が再審請求者の証拠鑑定を支援している。財田川事件など死刑確定4事件が無罪になった80年代、日本政府は冤罪防止・救済制度を議論すべきだった。袴田事件を機に制度設計を考えるべきだ」と指摘する。
釈放された袴田さんは腰を丸め、足を引きずり気味に拘置所を出た。隔離された空間で死刑執行におびえ続けた痛々しさを感じずにはいられなかった。再審開始可否の判断が「裁判長の裁量任せ」「運任せ」でいいはずがない。
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