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坂東三津五郎さんが舞台に戻ってきました 演目は「壽靭猿」

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三津五郎さん 「生きる場所は舞台」
 NHK NEWS WEB 4月18日 10時00分 WEB特集 野町記者
 坂東三津五郎さん(58)が再び、舞台に戻ってきました。
 去年7月、すい臓で腫瘍が見つかり、がんだったことが判明。
 おととし12月に中村勘三郎さんを、去年2月には市川團十郎さんを相次いで失った歌舞伎界に衝撃が走りました。
 しかし今月、三津五郎さんは病を経て以前にも増して深みのある芸を見せたのです。
 「私の生きる場所はここ(舞台)だと、やはり三津五郎の踊りがいちばんいいねと思っていただくことが本当の意味での復帰」と語るその表情からは、三津五郎さんがたどり着いた“新しい境地”を感じ取ることができました。
 ネット報道部の野町かずみ記者が報告します。

*7か月ぶりの舞台「集中していた」
 今月初めの歌舞伎座の舞台。
 チャリン、と音がして花道の揚幕(あげまく)が上がりました。
 大きな拍手とともに「大和屋!」(三津五郎さんの屋号)と声が掛かります。
 演目は「壽靭猿」(ことぶきうつぼざる)という40分の舞踊劇。
 三津五郎さんは、「内容の濃いものにしようと集中していた」と7か月ぶりの舞台を振り返りました。
*親友の死と三津五郎さんの決意
 平成25年4月、建て替えが終わり、新しい姿で開場した歌舞伎座。
 三津五郎さんは、親友と一緒に舞台に立つはずでした。
 十八代目中村勘三郎。
 歌舞伎の枠にとらわれず幅広い役柄に挑み続け、高い評価を受けていた勘三郎さんは、おととしの12月に亡くなりました。
 三津五郎さんは、弔辞で次のように述べました。
 「小さいころから仲よくしてもらいましたが、いつも君は僕の前を歩き、僕は遅れまいと必死に走り続けてきました。だから今の僕があるのは君のおかげで、心から感謝しています。僕がそっちに行ったら、また一緒に踊ってください。そのときのために稽古をしておきます。きょうまで本当にありがとう」。
 勘三郎さんから亡くなってから8か月、三津五郎さんは「棒しばり」という演目で新しい歌舞伎座の舞台に上がりました。
 27歳のときから勘三郎さんと共演し、長年、研さんを続けてきた演目です。
 今度は、勘三郎さんの長男の勘九郎さんが相手役をつとめました。
 「棒しばり」の初日の舞台を見た演劇評論家の渡辺保さんは、あるエピソードを明かしました。
 まさに踊りが始まろうとしたとき、三津五郎さんに対して、『中村屋ッ』(勘三郎さんの屋号)という声が掛かったというのです。
 通常、歌舞伎俳優に別の人の屋号で声を掛けることは、失礼に当たるとされています。
 しかし、渡辺さんは、この掛け声に感動し、自分のブログに次のように記しました。
 「三津五郎はどこかの談話で勘三郎死して私は二人分働かなければならないといっていた。今、彼は勘三郎の遺児勘九郎を太郎冠者にして、勘九郎の役を踊っている。ちなみに今日の初日、踊りのかかりで『中村屋ッ』と声がかかった。三津五郎が立っているのにである。大向うは間違ったのではない。われひとともにそこに勘三郎を見て三津五郎の心中を思うからである。今日三津五郎は二人分の重荷をもって歌舞伎座の大舞台を背負って立っていた。この踊りを見て、彼を思いこれを思うと胸が熱くなった」。
 そして、三津五郎さんの演技について、このように評価しました。
 「しかし今日の三津五郎の出来はそんな感傷からのものではない。踊りとして見れば、これを見ずして日本舞踊について語ることはだれにも出来ないだろうと思う出来である」と。
*すい臓がんと長期休養
 実は、三津五郎さんのすい臓に腫瘍が見つかったのは、この舞台の直前、7月の定期検診でのことでした。
 「棒しばり」を含めた8月の歌舞伎座の舞台はつとめ上げましたが、その後の公演はすべて降板。
 翌月に摘出手術を受けました。
 手術後の記者会見で三津五郎さんは次のように話しました。
 「50年間、休まず舞台をつとめてきましたので、しばらく休めという天の啓示があったものと思い、しばらくの間は何も考えず療養します。そして、必ず勇気をふるって病に打ち勝って、皆様に元気な舞台姿をお見せできるよう、努力します」。
*親友の死と、これからの歌舞伎を支えるという決意。
 そのやさきに判明したみずからの病気。
 このとき三津五郎さんは、どのような思いを抱いていたのでしょうか。
*復帰公演で見せた「透明感」のある演技
 がんは早期発見だったこともあって、三津五郎さんは順調に回復しました。
 用意されたのは、「新しい歌舞伎座、開場1周年」のタイミングでの復帰の舞台でした。
*演目は「壽靭猿」。
 代々受け継がれてきた「家の芸」とも言える舞踊劇です。
 弓矢を入れる道具「靭(うつぼ)」の皮にするための猿を探す女大名と、猿を差し出せと言われた三津五郎さん演じる猿曳(さるひき=猿回し)とのやり取りが描かれます。
 復帰を楽しみにしていた演劇評論家の渡辺保さんは、三津五郎さんの演技に深みが出たと評価しました。
 「歌舞伎では、自分の感情を表情には表さずに客に伝える『思い入れ』という芸があるんです。『壽靭猿』の見どころの1つは、猿曳の心情をどう表現するかです。女大名の強い要求に追い込まれた猿曳は、愛する猿が生まれ変わり、せめて今度は人間になってほしいと願います。ほかの場面もそうですが、三津五郎さんの『思い入れ』は以前よりずっと深くなっていました。おそらく、7か月に及ぶ闘病生活で人生観が大きく変わったのでしょう。うまく演じてやろうという欲がなくなって、一つもむだなことはしないし、軽く、ほどよいところでとどめていて感動させる。水底まで見えるほど透明度のある谷川のように、三津五郎さんの芸に透明感が増してきている。新しい芸の境地が生まれており、これからが楽しみだ」と話しました。
 猿曳の姿とけなげに芸を見せる猿の様子に女大名も胸を打たれ、猿は命を救われます。
 明るく、希望の持てる物語を演じきったあと、三津五郎さんは力強く語りました。
 「ありがたいことに皆さん待っていてくださって、私の生きる場所はここ(舞台)だと。やはり三津五郎の踊りがいちばんいいねと思っていただくことが本当の意味での復帰なので、きょうは、いい芝居、いい踊り、内容の濃いものにしようと集中して自分の出番を終えられました」。
*闘病生活を経て、三津五郎さんが立つことになった深く、新たな境地。
 長い歴史を積み重ねてきた歌舞伎という世界で、三津五郎さんの「一歩先への挑戦」は、これからも続いていきます。
 ◎上記事の著作権は[NHK NEWS WEB]に帰属します
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〈来栖の独白〉
 「靭猿(うつぼざる)」も「棒縛(ぼうしばり)」も、私の大好きな「狂言」。大和屋の舞踊劇、さぞ、すばらしかったことだろう。
 「桜ばな いのちいっぱいに咲くからに 生命(いのち)をかけてわが眺めたり」という岡本かのこの歌がある。大袈裟な言いようのようだが、私も能や狂言、歌舞伎を観るとき、その世界、演技、曲に引き込まれて「いのちをかけてわが眺めたり」といった気分になるときがある。この感慨が忘れられず、観劇に足を運ぶ。至福のひと時だ。
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