【宮家邦彦のWorld Watch】実態知らない人たちの形而上学的反対…不思議の国の集団的自衛権
産経ニュース 2014.4.24 17:15
今回の原稿は韓国のソウルで書いている。当地大手シンクタンク・アサン研究所の年次総会に招かれたからだ。昨年に引き続き2度目の参加だが、毎年ワシントンの「アジア村」住人を中心に各国の著名な東アジア専門家が百人ほど集まってくる。昨年は中国・韓国からの一部参加者が姑息(こそく)な反日プロパガンダをやっていたが、今年は一体どうなるだろうか。
一部例外を除けば、この種の会合での議論は地に足の着いた、冷静かつ現実的なものだ。中国・北朝鮮をいかに見るか、ウクライナ情勢が米国のアジア政策にいかなる影響を与えるか等々、興味は尽きない。しかし、今回ソウルで個人的に最も多く質問を受けたのは日本における集団的自衛権論議についてだった。既に日本では一部マスコミによる大々的キャンペーンも始まっており、韓国でも関心が高まっているようだ。
中国はもちろんだが、韓国でも日本の集団的自衛権行使に関する懸念は少なくない。ただし、それらの多くは単なる机上の空論である。現実問題として集団的自衛権行使により日本が韓国を攻撃するなどあり得ない。むしろ、実際の戦場ではあらゆる事態が起こり得るのであり、「韓国を防衛する米国」を防衛するための日本の集団的自衛権は現実問題としても韓国にとり決して不利にはならないだろう。
空論といえば、日本の専門家の中にも集団的自衛権行使の具体的事例を「机上の空論」と切り捨てる向きがある。対北朝鮮武器支援は陸路であり臨検は役立たないとか、米国に弾道ミサイルを撃つ際は日本有事となるから集団的自衛権は不要、といった議論だ。どれも「机上の空論」だというのだが、やはり日本は「不思議の国」である。彼らはどこまで実際の戦闘を知っているのだろうか。
筆者の場合、外務省入省後最初と最後の任地は戦争中のイラクだった。1982年には実際にイラン空軍機のバグダッド飛来と対空砲火を体験した。2004年には自動車爆弾やロケット弾による攻撃が日常茶飯事だった。いかに反対しても戦争は起きるときに起きてしまう。どんなに理不尽であっても戦闘では実際に人が死ぬのだ。されば戦争を終わらせるには皆が協力してできるだけ早く敵対者を制圧するしかない。集団的自衛権とはかかる人類の経験から考え出されたものだ。
米国が日本に望むのは前線で戦うことではなく、在日米軍基地の防衛だという声もある。だが、戦争とはそんなきれいなものではない。同盟国とは一緒に血を流す国であり、一緒に戦うからこそ同盟国を守るのだ。陸上自衛隊がサマワに派遣された際、筆者はバグダッドにいた。復興支援目的とはいえ、部隊現地到着後日本は名実ともに連合国の一員となり、米国から自衛隊の生死にも関わる機密情報入手が可能となった。これが戦時同盟関係の本質である。筆者には、自衛行動の実態を知らぬまま、集団的自衛権行使を形而上学的に疑問視する一部識者の議論こそ、観念論・技術論の域を出ない机上の空論にしか聞こえない。
このコラムが掲載される頃、米国のオバマ大統領が訪日しているはずだ。今回の国賓訪問により日米同盟関係が一層強化され、東アジアで「力による現状変更」をたくらむ動きがより効果的に抑止されることを望んでいる。
このソウルでの国際会議、毎年充実しつつあるように見える。韓国某財閥系企業がスポンサーのようだが、欧米からの招待用航空運賃だけでも半端な額ではないだろう。このようなイベントを東京で開けなくなって久しい。実に残念に思うのだが、こればかりは致し方ない。問題は経済力ではなく、開催意欲の有無だ。英語による情報発信をうんぬんする前に、まず日本は大規模国際会議の再開を検討すべきではないか。
【プロフィル】宮家邦彦 みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。第1次安倍内閣では、首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。
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イラク派遣 10年の真実
「クローズアップ現代」2014年4月16日(水)放送
煙に包まれる自衛隊の車両。
自衛隊がイラクで行った訓練を撮影した映像です。
自衛隊員
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」
イラク派遣から10年。
膨大な映像記録が初めて開示されました。発足以来、最も戦場に近い場所での活動となったイラク派遣。自衛隊は現地での任務を、1,000本にも及ぶテープに記録していました。
武装した群衆に囲まれる車両。宿営地への攻撃。そして、多国籍軍との活動。戦場に近い場所に派遣されることの現実が見えてきました。
自衛隊員
「前方、炎上中。」
隊員が死亡した場合の準備まで、極秘裏に進められていたことも分かってきました。
元統合幕僚長
「棺を準備して持ってって、そこはわからないように非常に気をつかいながら準備だけはしてた。」
自衛隊の任務の拡大に向け議論が進められている今、イラク派遣が残した教訓を未公開の資料から探ります。
“戦場に近かった” イラク派遣10年
今年(2014年)1月。イラク派遣10年を機に開かれた懇親会。現地に派遣された隊員たちが全国から集まりました。
元派遣隊員
「いつテロがある緊張の中で過ごしていましたので、精神的にきつかったのはある。」
元派遣隊員
「あそこは戦場に近かった所だったかな。」
イラク派遣10年 極秘映像は何を語る
この10年公開されることのなかった映像記録が、防衛省に保管されていました。半年に及ぶ交渉で初めて開示されました。自衛隊が撮影した、1,000本に及ぶイラク派遣の記録です。その内容の大半は医療支援や給水、道路の修復など、人道復興支援活動の様子でした。
しかし詳しく見ていくと、これまで明らかにされてこなかったイラク派遣の実態が、記録されていたことが分かりました。
派遣からおよそ1か月後。夜間の宿営地を映した映像です。
自衛隊員
「ただいまの時刻、イラク時間10時57分です。突然、鉄帽と防弾チョッキ着用が命令されました。」
自衛隊員
「戦闘服。」
自衛隊員
「A警備の要員はただちに指揮所に集合。」
宿営地にアナウンスされたA警備。
不測の事態に緊急で警戒に当たる態勢のことです。この夜、武装勢力が宿営地を攻撃するかもしれないという情報が、現地警察から寄せられていました。 自衛隊は、派遣された当初から武装勢力に狙われていたことが分かります。
そして、この1か月後。宿営地に向けて迫撃砲が撃ち込まれました。映像には、迫撃砲の着弾地点を探す隊員たちが映っていました。
自衛隊員
「ここです。」
自衛隊員
「間違いなく破裂してるね。」
着弾地点から数メートルにわたって、土地がえぐられていました。
自衛隊員
「おそらく82ミリ迫撃砲。」
迫撃砲は、各国の軍隊にも配備されている殺傷力の高い兵器です。
こうした迫撃砲やロケット弾による宿営地への攻撃は、13回に及びました。
イラク派遣10年 “非戦闘地域”の実相
自衛隊が派遣された非戦闘地域。こうした線引きをしたのは、憲法9条の下で海外での武力行使が禁止されているからです。そのために作られたイラク支援法。非戦闘地域への派遣であれば、他国の武力行使と一体化せず憲法に抵触しないとしたのです。
当時、陸上自衛隊のトップを務めていた先崎一さんです。
自衛隊の転機となった任務だったと振り返ります。
元統合幕僚長 先崎一さん
「政治的には非戦闘地域といわれていたが、対テロ戦が実際に行われている地域への派遣で、派遣部隊からみれば何が起こってもおかしくないと。
戦闘地域に臨むという気持ちを原点に置きながら、危機意識を共有して臨んだ。」
派遣から1年半後の訓練の映像です。
自衛隊員
「痛い! 痛い!」
自衛隊は路上に仕掛けられた爆弾で攻撃されたことを想定していました。
自衛隊員
「負傷者3名。 警戒処置等、取れない。」
イラクで、多国籍軍を狙ったテロが一向に収まらなかったからです。
自衛隊員
「搬送が終わった者については警戒に就け、警戒!」
人道復興支援の陰で、こうした訓練を繰り返さざるをえない状況が続いていました。訓練には、多国籍軍が参加していたことも分かりました。付近に展開する他国の軍隊と共に活動することが、日常化していたのです。
先崎さんは攻撃によって隊員が死亡した場合の対応まで、極秘に検討していたことを明かしました。
遺体をどのように運ぶのか、詳細に手順を検討。
国主催の葬儀も考えられていました。さらに宿営地に棺まで持ち込んでいたといいます。
元統合幕僚長 先崎一さん
「忘れもしないですね、先遣隊、業務支援隊が、約10個近く棺を準備して持っていって、クウェートとサマーワに置いて。隊員の目に触れないようにしておかないと、かえって逆効果にもなりますから、そこは分からないように、非常に気をつかいながら準備だけはしていた。自分が経験をした中では一番ハードルの高い、有事に近い体験をしたイラク派遣だったと思います。」
イラク派遣10年 極秘映像は語る
ゲスト宮下大輔記者(社会部)
●非戦闘地域への派遣 かなり際どい現場だった?
そうですね。
映像にもありました、多国籍軍との訓練の1か月ほど前には、実際に自衛隊の車両が市街地を移動中に、道路に仕掛けられた爆弾で攻撃を受けるという事態がありました。このときは、隊員にけがはありませんでしたが、車両に被害が出ました。もちろん宿営地の外での活動を控えれば、部隊の安全はより確保できたのかもしれませんが、外で復興支援活動をしなければ、逆に今度は住民の不満が爆発しかねないという状況にありました。
映像にありました訓練に参加していたのは、オーストラリア軍ですが、自衛隊が宿営地の外での活動を安全に行うためには、治安維持を任務とする多国籍軍と連携して対処する必要に迫られていたといえます。
イラク派遣10年 隊員たちの心にも…
イラクへ派遣された陸海空の自衛隊員は、5年間で延べ1万人。隊員の精神面にも大きな影響を与えていました。
NHKの調べで、このうち帰国後28人が、みずから命を絶っていたことが分かりました。
28人は、なぜ命を落としたのか。
イラク派遣から1か月後に自殺した20代の隊員の母親が、取材に応じました。
イラク派遣のときの土産と、迷彩服につけていた記章が飾られていました。
派遣中の任務は宿営地の警備でした。
「(息子が)『ジープの上で銃をかまえて、どこから何が飛んでくるかおっかなかった、恐かった、神経をつかった』って。夜は交代で警備をしていたようで、『交代しても寝れない状態だ』と言っていた。」
息子は帰国後自衛隊でカウンセリングを受けましたが、精神状態は安定しませんでした。
母親は、息子の言動の異変を心配していました。
20代の隊員を亡くした母
「(息子は)『おかしいんじゃ、カウンセリング』って。『命を大事にしろというよりも逆に聞こえる、自死しろ』と、『(自死)しろと言われているのと同じだ、そういう風に聞こえてきた』と言ってた。」
この数日後、息子は死を選びました。
自衛隊はイラク派遣の任務が隊員の精神面に与える影響を、当初から危惧していました。
これは現地に派遣された医師が、隊員の精神状態を分析した内部資料です。
宿営地にロケット弾が撃ち込まれた際の隊員の心境を、聞き取っていました。
20代 警備担当
“発射したと思われる場所はずいぶん近くに見えた。恐怖感を覚えた。”
30代 警備担当
“そこに誰かいるようだと言われ、緊張と恐怖が走った。”
中には、睡眠障害を訴える隊員もいました。
20代 警備担当
“比較的近い所に発射光が見えたので、敵がそばにいる気がして弾を込めようか悩んだ。今でもその光景が思い起こされて、寝つけない。”
この隊員は生死に関わる経験のあと精神が不安定になる、急性ストレス障害を発症していると診断されていました。
さらに内部資料には、派遣されたおよそ4,000人を対象に行った心理調査の記録もありました。
睡眠障害や不安など心の不調を訴えた隊員は、どの部隊も1割以上。
中には、3割を超える部隊もあったことが分かりました。
隊員の心に深刻な影響を与えたイラク派遣。
自衛隊に求められる役割が広がる中で、防衛省はさらなる対策を迫られています。
防衛省 メンタルヘルス企画官 藤井真さん
「これまでも任務がいろいろ拡大するにつれ、メンタルヘルスケアに力を入れてきたが、どうしても心の傷を受けるような活動もあるので、今後とも力をいれて対策を講じていきたい。」
イラク派遣後みずから命を絶った28人の隊員たち。
帰国後、精神の不調を訴え自殺した40代の隊員の妻が、取材に応じてくれました。夫を支えられなかったことを今も悔やんでいました。
40代の隊員を亡くした妻
「どうしたらいいかわからない。孤立した感じで、かなりつらかった。私は主人のことをサポートして、生きていてもらいたいと思って。」
妻は自衛隊の活動が広がろうとしている今、隊員が直面する現実をもっと知ってほしいと語っていました。
40代の隊員を亡くした妻
「(自殺した隊員は)1人、2人ではないです。亡くなった人数ではないですけど、亡くなった人数の何十倍の人が苦しんでいるわけで、マイナス面も含めて表に出していかないと、苦しいですね。」
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