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「秋葉原通り魔事件」そして犯人(加藤智大被告)の弟は自殺した 『週刊現代』2014年4月26日号 齋藤剛記者

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 現代ビジネス 賢者の知恵 2014年04月24日(木) 週刊現代
独占スクープ!「秋葉原連続通り魔事件」そして犯人(加藤智大被告)の弟は自殺した 兄は人殺し、その家族として生きていくことは苦痛そのものだった……本誌記者 齋藤剛

 「兄が母のコピーなら、僕はコピー2号。でも、僕は兄と同じことはしない」—。弟は悲痛な叫びを残して、みずから死を選んだ。大事件のあと、加害者家族を待っていたのは、拷問に近い日々だった。
*生きる理由がない
 「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることをあきらめようと決めました。
 死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」
 そう語った青年は、その1週間後、みずから命を絶った。彼の名前は加藤優次(享年28・仮名)。日本の犯罪史上稀にみる惨劇となった、秋葉原連続通り魔事件の犯人・加藤智大(31歳)の実弟だった。
 彼の問いかけに対し、どう答えればよかったのか、いまでも答えは見つからない。彼を止められなかったことは悔いが残る。だが、どうやって止めればいいのか、その時は正直、わからなかった。
 '08年6月8日、日曜日。加藤智大は白昼の秋葉原の雑踏に2tトラックで突っ込み、さらにダガーナイフを使って、7名もの命を奪った。
 筆者は事件直後に優次に接触し、加藤が生まれ育った家庭の内実を明かしてもらった。それ以来、取材協力者と取材者の付き合いが始まり、その関係は6年近くに及んだ。
 その彼から突然、大きな段ボール箱が届いたのは、今年1月31日のことだった。開封すると、優次が事件について振り返った、A4判250枚にも及ぶ分厚い手記が入っていた。
 何百回も、ファイルをデリートしようとした。書くというより考えることが、嫌で嫌でしょうがない。
 こんな書き出しで始まる手記には、「加害者の家族として生きる」ことの厳しさと苦痛が、切実な言葉で綴られていた。
 優次は生前、「本を出版したい」と私に繰り返し言っていた。この手記を公開することは、優次の遺志にそむくものではないと私は考える。なぜなら彼はこうも記しているからだ。
 それでも、弟が書き下ろしたこの文章を読んで、それが有効活用されるのであればまったくの無駄でもないだろう、と思う。現在親である人、これから親になる人が、何かを考えるきっかけになれば、と。それは5年前からずっと言い続け、考え続けていたことだ。
 加害者の家族であるという事実が、優次の人生に与えた影響はどれほど大きかったのか。手記から引用していく。
 まず職を失った。事件当日、ほとんど着の身着のままでアパートを抜け出したときの緊張感、不安と高揚は、いまはもう忘れかけていますが、職場を失うのがつらかったことはハッキリと覚えています。あの会社は社会との唯一の接点でした。青森で腐っていた自分を生き返らせてくれた大事な場所でした。
 でも、やはり退職はどうしても避けられなかった。事件当日の深夜、退職届を書きました。僕がいなければ、(職場に)マスコミが来ても知らぬ存ぜぬを通せる。辞めたくはなかったけど、迷惑をかけずに済む方法がそれしかなかった。
 事件から3ヵ月。報道が落ち着くと、優次はアパートを引き払い、当時住んでいた東京を離れてアルバイトを始めた。再び社会との接点を持った彼を待っていたのは、身元・素性がバレないかという不安だった。
 この頃はまだ、自分の名前を検索すると、すぐヒットする状態にありました。弟は高校でイジメに遭っていた、と同級生という人物による書き込みもあった。事実ではないことも書かれていましたが、事実もありました。自分を知る人間が書き込んでいる。それは間違いないことでした。
 もとより人付き合いは苦手でしたが、人と接することがさらに難しくなった。
 「出身どこ」
 「兄弟いるの」
 何気ない会話が苦痛でした。積極的にコミュニケーションをとらない理由を説明もできず、「加藤は変わったヤツだ」と変な目で見られることになる。
 僕はいくつかの職場を渡り歩きましたが、常に浮いた存在にならざるをえなかったのが実状です。
 東京と埼玉を往復するかのように、優次は職と住居を転々とした。この時期、彼は私に、こう心情を明かしたことがある。
 「引っ越して、住民登録を済ませると、1ヵ月も経たないうちにマスコミの人が来るんです。インターフォンが鳴り、ドアが乱暴に叩かれる。なんでわかるんだろう、と恐怖を覚えるとともに、やっぱり逃げられないんだな、とあきらめのような感情が湧きました」
*幸せを求めちゃいけない
 時間が経つにつれて取材は減っていったが、事件があった6月が近づくと、またたくさんの記者がやってくる。
 あれからいくつもの職に就いたが、そのたびに考えたのが、
 「もしも俺が加藤の弟だと知ったら、この人たちはどうするんだろう」
 ということです。敵と味方と、二種類に分かれるのだろうか。味方が多くなりそうな職場もあったし、敵だらけになりそうなところもありました。
 仕事はクソ真面目にやったけど、評価はどうでもよかった。「加藤の弟」という称号を手に入れたいま、そこらに転がっている不名誉など、無意味に等しいと思っていました。簡単に住所がバレてしまうように、マスコミが知ろうと思えば勤め先も知られてしまう。そうなったらまた、辞めて引っ越すだけです。
 そんな暮らしの中にも、「希望」がなかったわけではない。事件から1年あまりが過ぎた頃だった。彼のアパートを訪ねようとしたときに、たまたま、女性と一緒に歩く姿を目撃したのだ。恋人だという。事件以来、優次が喜怒哀楽を見せることは、一切なかった。だが、「バレましたか」と言いながら女性に向ける表情は、若者らしい屈託のない笑顔だった。
 優次は彼女に、事件のことも話していた。
 正体を打ち明けるのは勇気のいる作業でしたが、普段飲まない酒の力を借りて、自分のあれこれを話して聞かせました。一度喋り出したら、あとは堰を切ったように言葉が流れ出ました。
 彼女の反応は「あなたはあなただから関係ない」というものでした。自分が受け入れられたことに、心底ほっとしました。自分が許されるということは、とても、とても嬉しかった。
 交際期間が1年を過ぎる頃、優次は彼女との結婚を望み、アルバイトから正社員になった。
 「齋藤さん、家庭を持つってどんな感じですか」
 と私に訊いてくることもあった。しかし結論から言うと、優次のこの「夢」はかなうことはなかった。事情を知りつつ交際には反対しなかった女性の親が、結婚と聞いた途端、猛反対をしたのだという。
 当時、落胆を隠さずにこう語った彼の淋しげな顔が忘れられない。
「彼女の親が最初に僕の素性を知った時、返ってきたのはいわゆる『模範解答』でした。兄は兄。弟は弟。家族はむしろ被害者—いま思えば、模範解答すぎますよね。交際自体、本音では反対だったのかもしれません。本当は加藤家の人間とは関わりたくなかったのかもしれない。
 加害者の家族は、日陰でひっそり暮らそうと思えば暮らせます。でも、人並みな幸せをつかむことはできない。それが僕の実感です。彼女を家から引っこ抜いてでも一緒になろうと思った時期もありましたが、冷静になれば、結婚なんて現実的ではなかった……。それを一瞬でも望んだ僕が間違っていたんです。子供がどんな思いをするのか。凶悪犯の家族という肩書はどうやっても消せないんです。それを考えれば、求めちゃいけない幸せでした」
 二人が同棲するアパートにも記者が訪れ、そのたびに彼女は動揺した。迫り来る取材、親の反対、将来への不安……それらは女性にとって大きなストレスとなり、やがて二人の関係にも綻びが生じる。
 「あなたが犯人の弟だから……」
 「禁句」とも言えるこの言葉が、彼女の口から出るようになった。優次は一切反論しなかったが、破局はもう時間の問題だった。
 一番こたえたのは「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」と宣告されたことです。これは正直、きつかった。彼女のおかげで、一瞬でも事件の辛さを忘れることができました。閉ざされた自分の未来が明るく照らされたように思えました。しかしそれは一瞬であり、自分の孤独、孤立感を薄めるには至らなかった。
 結果論ですが、いまとなっては逆効果でした。持ち上げられてから落とされた感じです。もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば無意識のうちに決意してしまったのです。
 この女性は優次にとって、最初で最後、唯一の恋人だった。その関係が破綻したとき、優次を激しい絶望が襲った。
 僕は、社会との接触も極力避ける方針を打ち立てました。これも、いま思えば間違いでした。僕はいつのまにか、兄と同じ道を辿り始めていたのです。
 優次は手記に、繰り返しこう書いている。
 兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる。兄がコピー1号なら、自分は2号だ。
 兄の犯罪を憎みつつ、自分の中にある「兄と同じ部分」に気づいた時、優次の中で何かが崩れた。
 「突きつめれば、人を殺すか自殺するか、どっちかしかないと思うことがある」
そんな言葉を私に漏らすようになった。なぜ、兄の犯罪を見てなお、そんなふうに考えてしまうのか。それを知るためには、優次が「原本」と呼ぶ、母親の特殊な教育を含めた家庭環境を知る必要がある。
*本当は両親を助けたかった
 事件直後、加藤は「両親は他人だ」などと供述。テレビでは母親の虐待に関する近隣住民の証言が取り上げられた。そして事件から1週間後、優次は本誌で告白をした。それは次のような内容だった。
 〈小学校時代から友人を家に呼ぶことは禁じられていた〉
 〈テレビで見られるのは『ドラえもん』と『まんが日本昔ばなし』だけ〉
 〈作文や読書感想文は母親が検閲して教師受けする内容を無理やり書かされた〉
 〈兄は廊下の新聞紙にばらまいた食事を食べさせられていた〉
 この告白は当時、大きな反響を呼んだ。母親からの影響を、加藤自身も著書『解』の中でこう分析している。
 〈(母親は)自分が絶対的に正しいと考えている人でした。母親の価値観が全ての基準です。その基準を外れると母親から怒られるわけですが、それに対して説明することは許されませんでした。(中略)
 私のやり方も同様です。誰かが私に対して、私の価値観で間違ったことをしてくると、私は怒りました〉
 その考え方が、「自分の(ネット上の)掲示板を荒らした人々に、間違っていることを認識させて痛みを与える」という、通り魔事件の動機につながったのだという。
 事件後、「犯罪者を育てた両親」として批判にさらされ続けた父と母が直面した現実は、ある意味、優次以上に厳しいものだった。
 地元の信用金庫の要職にあった父親は、事件から数ヵ月後に、退職を余儀なくされる。自宅には脅迫や嫌がらせの電話が相次ぎ、電話回線を解約した。記者の訪問も後を絶たず、マスコミの姿に怯えながら身を潜めて暮らした。
 一方、罪の意識にさいなまれた母親は、心のバランスを崩して精神科に入院。一時は誰も面会できないほどの状態だった。退院後は青森県内にある実家に身を寄せたが、孫の事件を知って体調を崩した自分の母が急死するという不幸にも見舞われた。
 優次は母親の極端な教育方針を告白した時、心中には両親に対する複雑な感情があったことを、手記で明かしている。
事件直後、虐待の証言が飛び交い、『親のせいでこうなった』という風潮が印象づけられました。でも、親のせいなら、僕も事件を起こすはず。だけど僕はそんなことはしない。たしかに両親への恨みや憎しみはありましたが、親のせいではないということを証明したかった。
 (週刊現代での告白は)反響はありました。だが、僕の思惑とはまったく違う方向へ事態は推移してしまいました。僕は両親を助けるどころか、逆に追い込んでしまったんです。
 優次の死と、彼の遺した手記を報じるにあたって、私は4月上旬、改めて青森を訪れた。加藤兄弟を育んだ町は、季節はずれの雪で冷え込み、人の往来も少なかった。かつて家族4人が暮らした実家もまた、静まり返り、人の気配はまったく感じられない。
 近隣住民が言う。
 「ご主人が一人でひっそり暮らしています。朝早くに出て夜遅くに帰ってくる毎日で、事件以来、カーテンはずっと閉め切られたままで、夜も電気が点くことはありません。
 ……そう、あれからずっと、加藤さんはロウソクの灯りで生活しているみたいなんです」
 信用金庫の職を失い、地域とも縁を切った父親は、信じがたいことに、暗闇にロウソクを灯してこの家で暮らしているという。
*「加害者の家族のくせに」
 一方で、母親はもう、ここにはいない。事件と前後して離婚した母は、家を出て青森市内の質素なアパートで暮らしている。そちらも訪ねたが、やはり昼夜問わずカーテンを閉め切り、真っ暗な部屋にひきこもる生活をしていた。
 夜10時。仕事から車で帰宅した父親に、訪問の趣旨を告げた。優次と取材を通して付き合ってきたこと、死の直前、優次に手記を託されたこと……。
 長い沈黙のあと、父親は静かにこう言った。
 「優次がみずから逝ったことは、どうにもできなかったことですから……。私が言えるのは、そっとしておいてほしい。それだけです。(週刊現代の取材に協力した)優次の思いはわかっています。ただ、私とは考え方が違います」
 優次は事件後、一度だけ実家に帰り、父親と短いながらも面会している。そして、本誌に掲載するために家の中の写真を撮った。その時のことを、優次は手記にこう書いている。
 親も、僕に何かを話せばそれが記事になることがわかっているから、とにかく言葉を濁すばかりでした。家の中でカメラのシャッターを押すたびに、心臓を抉られるような気持ちがしました。
 「あぁ……こんな写真が載っだらば、母さんはまんだ具合を悪ぐしてまうんだべな……」
 父親は誰ともなしに呟いていました。僕は返す言葉もありませんでした。
 また手記の後半で、優次はこうも書いている。
 僕は親を助けるどころか逆に追い込んだ。少なくとも結果的にはそうなった。母親も、長男だけでなく次男からも攻撃されていると思い込み、錯乱してぐちぐちと文句を言ったらしい。
 僕は、親「に」どう思われるか、なんてまったく考えていない。気にするのは親「が」どう思われるか、という点だけだ。両親を擁護するために、僕は取材に協力したつもりだった。
 一番記憶に残っているのが、あの(両親の)記者会見の直前にした父親との電話だ。
 「おまえはなんも心配しなくてもいいがら」
 と息子を落ち着かせようとする父に対し、僕は、
 「心配しないわけねーべや!」
 と叫んでわけもなく泣きわめいたのを覚えている。
 事件を起こした長男は、拘置所で死刑を望み、自分の犯罪を冷静に分析する著書を執筆する。一方、互いに思う気持ちがありながらも、すれ違い続けた次男は、兄より先にみずから命を絶った。私はこれ以上、父親から言葉を引き出そうとは思えなかった。
 「またマスコミが来てしまうのか……」
 父親は非難めいた口調ではなく、そう呟くと玄関の向こうの暗闇に消えた。この日もやはり、電気が灯ることはなかった。
 優次は、「加害者家族として生きること」について、こう書いている。
 被害者家族は言うまでもないが、加害者家族もまた苦しんでいます。でも、被害者家族の味わう苦しみに比べれば、加害者家族のそれは、遥かに軽く、取るに足りないものでしょう。
 「加害者の家族のくせに悲劇ぶるな」
 「加害者の家族には苦しむ資格すらない」
 これは一般市民の総意であり、僕も同意します。
 ただそのうえで、当事者として言っておきたいことが一つだけあります。
 そもそも、「苦しみ」とは比較できるものなのでしょうか。被害者家族と加害者家族の苦しさはまったく違う種類のものであり、どっちのほうが苦しい、と比べることはできないと、僕は思うのです。
 だからこそ、僕は発言します。加害者家族側の心情ももっと発信するべきだと思うからです。
 それによって攻撃されるのは覚悟の上です。犯罪者の家族でありながら、自分が攻撃される筋合いはない、というような考えは、絶対に間違っている。
 攻撃、結構なことじゃないか。どうやったって自分たちが良い方向にはもう修正されない。だから自分が悪評で埋め尽くされ、人間らしい扱いをされなくなっても、僕は構わない。
 こういう行動が、将来的に何か有意義な結果につながってくれたら、最低限、僕が生きている意味があったと思うことができる。
*兄に会いたかった
 優次は、自身を「犯罪者家族」にした兄に、会うことを望んだ。事件以来、拘置所に手紙を送り続け、その数は50通をゆうに超えた。だが一度として返事が来たことはなかった。
 兄に会うために拘置所を訪れる優次に、私は何度か付き添った。初めて出向いたときは、押し寄せる緊張で、彼は拘置所の前で嘔吐した。面会受付を済ませ、窓口で「加藤さん」と呼ばれると、面会が決まったわけでもないのに、身体の震えが止まらなくなった。
 「自分は兄とは違う。直接会って、それを確認したいんです」
 だが、優次は最後まで、兄に会えなかった。加藤は家族を拒否していた。面会どころか、差し入れすら拒否された。
 実は死の少し前にも、優次は拘置所を訪ねている。
 「今度こそ会えると思ったのに。一度でいいから会いたかった」
 優次が私にそう明かしたのは、死の1週間前、2月上旬に会った時だった。私に会う前にも、自殺を図って失敗したのだという。選んだ手段は餓死だった。
 「餓死って難しいですね。10日目に水を飲んでしまった。なぜ餓死か?いちばん苦しそうだから。やっぱり、加害者は苦しまなければいけない。楽に死んではいけないんです。
 唯一心配なのは、母親です。事件発生時の母は病的に取り乱していて、思い出すといまだにザワザワします。その母親が僕の死を知ったらどうなるのか……」
 こう言って力なく笑う優次の覚悟は、この時もう、完全に固まっていた。
 事件が少しずつ風化していく一方で、被害者家族だけではなく、加害者家族の苦しみも続く。加害者とともに罪を背負わなければという思いと、「こんなはずじゃなかった」という思い。
 その二つの狭間で揺れ続けた繊細な男は、苦悩の時間をみずから終わらせることを選んだ。目を背けてはならない、事件のもう一つの側面がここにある。
 「週刊現代」2014年4月26日号より

 ◎上記事の著作権は[現代ビジネス]に帰属します 
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