中国人を狙え!日本版「医療ツーリズム」の光と影【1】自治体主導による医療ツーリズムの実証実験
PRESIDENT 2011年1月3日号 ジャーナリスト 岩瀬幸代、中村正人=文
尖閣諸島問題を受けた中国当局による訪日観光自粛措置で揺れていた10月9日、検診と観光を組み合わせた医療ツーリズムの第2弾となる中国客11名が、上海からチャーター便で徳島空港に到着。一行には徳島市内の川島病院で糖尿病や心臓の検査を受けた後、阿波踊り見物などを楽しむ2泊3日の予定が組まれていた。
実際に検診を受けたのは4名。このうち2名が高性能コンピュータ断層撮影装置(CT)を使った狭心症や心筋梗塞の検査を、残りの2名は内臓脂肪CT撮影や血管内皮機能測定などの糖尿病検診に臨んだ。専門の医療通訳が同行し、同日中に医師から検診結果が伝えられた。
「日本のドクターはとても親身で、対話力が高いとの評価を受けた」と徳島大学病院の森川富昭参与はいう。検査費用はツアー代とは別に約7万円。参加者には「中国と比べても高くない」と好評だった。
いま、さまざまな医療サービスを求めて海外に出かける医療ツーリズムが注目されている。国内景気の低迷を補うために東アジアの経済成長の取り込みが求められるなか、10年6月に政府が閣議決定した「新成長戦略」の国家戦略プロジェクトの一つに「国際医療交流」が位置づけられたことで、一気に関心が高まった。
それに先行する形で、長崎市、熊本県、岡山県、福島県など全国各地の自治体主導による医療ツーリズムの実証実験が相次いだ。そのなかでも際立っていたのが徳島県である。10年3月20日、上海市の現地旅行業者やメディア関係者ら27名を招いてモニターツアーを実施。自治体絡みとしていち早く一般向け検診ツアーを商品化し、5月下旬と今回10月の受け入れに結び付けているからだ。
徳島県が医療ツーリズムに積極的に取り組む理由について飯泉嘉門知事は「ピンチをチャンスに」という。徳島県は糖尿病による死亡率が14年間連続ワーストワン。その不名誉を雪そそごうと、徳島大学病院を中心に徳島県を世界レベルの糖尿病研究開発臨床拠点にしようと県を挙げて取り組み始めた。
そこに急速な経済発展で生活習慣が激変した中国で糖尿病患者が急増していることが伝えられ、潜在的ニーズを見出したのだ。徳島県医師会の川島周会長も「中国から検診を受けにくるようになれば、県民も検診に関心を持つようになり、地域医療やがん検診率向上につながる」と指摘する。
一方、民間企業の動きも急だ。その代表的な成功事例となっているのが日本旅行である。中国の北京優翔国際旅行社と提携して、2009年4月から中国人富裕層を対象としたPET(陽電子放射断層撮影装置)検診と観光を組み合わせたツアーの受け入れを開始。09年度の実績は約40名、10年度はこの10月までに約130名を受け入れた。
1泊2日の検診を含めて4〜5日間のスケジュールが組まれることが多く、一人当たりの平均費用は100万円。これまでの最高額は北海道の観光を組み合わせた200万円だ。ただし、「参加者は北京優翔国際旅行社への手数料や航空券代を別に払うので、総額では400万円弱になっているのでは」と同社海外営業部の青木志郎中国担当部長は話す。
日本旅行の成功の要因は2つある。健康意識の高い中国人富裕層の顧客を数多く持ち、スイスへのアンチエイジング旅行などの実績を挙げていた北京優翔国際旅行社と提携したこと。そして、検診の受け皿である大阪の聖授会OCAT予防医療センターが、中国人富裕層の高級志向にマッチした施設であったことだ。
宇宙空間をイメージした同センターのなかには、1脚40万円もするイタリア製のリクライニングチェアが置かれている。中国人の受診者に一番人気のある検診コースは30万9000円の「総合がん検診コース」。ちなみに日本人でも検診料は変わらない。山村晃之事務次長は「中国の方々は自分の健康は自分で守る意識が強く、そのことが検診ツアーの人気につながっているのでは」という。
近畿日本ツーリストも北京、上海など中国全土で10社の旅行会社と契約を結んで、中国人富裕層を集客する手はずを整え、10年7月から受け入れを開始。また、ジェイティービーも10年4月に子会社のなかに「ジャパンメディカル&ヘルスツーリズムセンター」を設置。日本国内での受診手続き、通訳や宿泊先の手配など総合的にサービスを提供する体制づくりを進めている。 ※すべて雑誌掲載当時
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中国人を狙え!日本版「医療ツーリズム」の光と影【2】国内経済の活性化につなげていく
PRESIDENT 2011年1月3日号 ジャーナリスト 岩瀬幸代、中村正人=文
1回で少し触れたが、医療ツーリズムとは医療サービスの受診や治療を行うために他国を訪れる旅行のこと。対象となるサービスは人間ドックのような「検診」や本格的な「治療」だけでなく、「美容・健康増進」も含まれる。04年時点で400億ドルであった医療ツーリズムの世界市場の規模は06年には600億ドルへ成長。それ以降も市場の裾野を広げており、12年には1000億ドル規模になるものと予測されている。
そうした医療ツーリズムの立ち上げで、国内経済の活性化につなげていくことの重要性を早い段階から指摘していたのが亀田総合病院の亀田隆明理事長だ。
千葉県鴨川市にある同病院は1980年代から在日米軍の患者の受け入れを行っていた関係でグアムやサイパンでも知名度が高まり、現地から一般の患者が訪れるようになった。また、09年9月には日本の病院として初めてアメリカの国際的医療評価機関であるJCIの認証を受けたことでも注目されている。
現在、太平洋を一望できる1泊5万2500円の特別室がある病棟「Kタワー」のワンフロアが空いており、亀田理事長は「そこを外国人患者専用のフロアにしたい。その準備として日本の看護師の資格を持つ中国人ナースを採用して教育している」と語る。JCIの取得も国際的なレベルでの医療の質を保証して、外国人患者を本格的に受け入れていくための布石なのだ。
そして、亀田理事長が声を大にして指摘する経済的波及効果の一つが雇用の拡大である。新日本製鉄君津製鉄所は京葉工業地帯を代表する事業所だが、そこで働く従業員は10年3月末で3416人。一方、亀田総合病院を含めた亀田メディカルセンターおよび関連施設の職員数は5231人と大きく上回る。患者一人に対して医師、看護師など複数のスタッフが必要になり、外国人患者が増えれば、それだけ地元での雇用増へ直結する。
また、外国人患者の受け入れによって症例が蓄積されていけば、先進医療の分野における診断機器や治療機器などの技術力も伸ばしていける。「日本は医療機器で5315億円の輸入超過(08年実績)に甘んじている。この数字をプラスに逆転するだけでも、1兆円以上の経済効果が出てくる」と亀田理事長は指摘する。
その一方で、「日本の経済は行き詰まっており、医療費はどんどん足りなくなっていくだろう。そうした厳しい現状を解決していくためには、知的財産でもある医療技術を海外に輸出していくことが大切だ」と語り、独自の戦略を打ち立てているのが福島県郡山市にある総合南東北病院の渡邉一夫総長である。
同病院は08年10月に国内の民間病院としてはじめて粒子加速装置のシンクロトロンを備えた「南東北がん陽子線治療センター」を開設。あらかじめPET/CTで測定しておいたがん組織に放射線の一種である陽子線を照射し、がん細胞のDNAを破壊する。肺がん、肝臓がん、食道がんなどに有効とされ、「手術をせず、仕事をしながらでも治療できる」と渡邉総長が胸を張る画期的な治療法なのだ。
現在、同病院ではタイの4つの医療機関と提携話を進めており、10年の夏、バンコクから1人目となる肝臓がんの患者が、陽子線治療を受けるために2ヵ月間滞在した。陽子線治療の医療費は、日本人でも保険適用外の自由診療扱いとなって約300万円かかる。これが外国人の場合になると、治療内容によって600万〜1000万円ほど請求されることになる。
陽子線の治療装置の減価償却費は1台当たり年間10億円。それだけに外国人患者の受け入れは、治療装置の維持を含めた病院経営の安定化につながる。確かに一見高額に思える治療費だが、米国で同様の陽子線治療を受けると2000万円前後かかり、国際的な“価格競争力”を十分に備えているといえそうだ。
そして、渡邉総長は陽子線治療を外国人患者受け入れの目的だけに使うのではなく、ハード・ソフトの両方を海外に輸出することを考えている。現在、日本の原子力発電の高い技術力が海外で注目されているが、放射線の一種である陽子線を医療分野で活用する技術も原発のオペレーションから生まれたもの。それゆえ「装置は世界ナンバーワンのうえ、これまで蓄積してきた治療ノウハウも他国をリードする」と渡邉総長は自負する。 ※すべて雑誌掲載当時
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中国人を狙え!日本版「医療ツーリズム」の光と影【3】治療を主体にしたものにしていく必要がある
PRESIDENT 2011年1月3日号 ジャーナリスト 岩瀬幸代、中村正人=文
霞が関で医療産業振興の観点から医療ツーリズムの基盤整備に積極的なのが経済産業省だ。6月の新成長戦略の閣議決定を受け、「8月から医療通訳の育成を含めた国際医療交流人材支援事業をスタートさせ、これから高度医療を行える病院のネットワークづくりなどに着手しているところ」(商務情報政策局サービス産業課)という。
しかし、その一方で厚生労働省は「国民の医療を阻害しない範囲ならば」(医政局)と一歩引いた構えを崩さない。また、訪日外国人を19年までに2500万人に増やす数値目標を掲げる国土交通省は、観光庁を通した海外へのプロモーションや観光ニーズに応えるツアーの多様化、高付加価値化を目指すが、医療は訪日客がもたらす経済波及効果の一つとしてオプション的な位置づけにとどまる。
このように関係省庁の動きをざっと見ただけでも、その足並みが揃っていないことは一目瞭然だ。それは、各省によって医療ツーリズムに対する認識や優先項目が違うから。同じようなことは自治体、医療機関、旅行会社でも起きている。そうした認識のズレを抱えたままの現在の医療ツーリズムに何か問題点はないのか。10年1月下旬、総勢9名のモニターツアーを各自治体に先行して実施した長崎市のケースから検証してみたい。
同市が招いたのは徳島県と同じ中国上海市から。受け入れ先は諫早市にある西諫早病院のPET/CT画像診断センターで、がん検診に雲仙や長崎観光を組み込んだ3泊4日のツアーが催行された。
今回のプロジェクトは長崎大学大学院医歯薬学総合研究科の小澤寛樹教授が社長を務める産学協同のベンチャー企業のアンド・メンタルが、長崎市や西諫早病院との連携で推進したもの。上海でメンタルヘルスの検診を行い、現地の医療関係者とのパイプを持つ小澤教授が「上海にもPET検診機器はあるが、飛行機で1時間の近さと日本の医療への信頼性の高さから需要はある」と、地方再生の目玉として活用することを提言したのである。
長崎市役所で窓口を務めた高比良実企画財政部企画理事はモニターツアーが成功したポイントとして「やる気のある地元医療関係者の存在」「集客の要となる中国側医療関係者とのパイプ」の2点を挙げる。つまり長崎の場合、前者は西諫早病院、後者は小澤教授のパイプであったわけだ。
ただし、実態は「観光ついでの検診」であり、「治療が主目的のツアーではない」というのが大半の関係者の見方である。医療ツーリズムではなくて“検診ツーリズム”にすぎなかったのだ。観光ついでの一度きりの検診で終わるようでは、高度医療の活用や、地元の雇用拡大などへの波及効果は期待薄となる。
西諫早病院の千葉憲哉院長も「今回は地元長崎の振興の一助になればとの思いで協力した。しかし、これから真の意味での医療ツーリズムを定着させるためには、治療を主体にしたものにしていく必要がある」という。そして、千葉院長は高度医療を主体にした医療目的の受け皿づくりを目指す地元の取り組みに期待を寄せる。先の徳島県においても、最終的に糖尿病の高度治療につなげていくことが関係者の間で期待されている。 ※すべて雑誌掲載当時
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中国人を狙え!日本版「医療ツーリズム」の光と影【4】効果的な集客とプロモーションのノウハウの欠如
PRESIDENT 2011年1月3日号 ジャーナリスト 岩瀬幸代、中村正人=文
医療ツーリズムには「医療」と「観光」という本来異なる領域を結びつけた目新しさがあり、各方面から強い関心と期待が集まっている。そして、徳島や長崎の関係者には問い合わせが殺到し、そのなかには地方の運送会社からの電話もあったという。もしかして、彼らの頭のなかには銀座の百貨店や秋葉原の家電量販店に群がる中国人観光客の“爆買い”シーンが思い浮かんでいたのかもしれない。
前出の亀田理事長は「本来、医療ツーリズムでそう利益が出るわけではない。むしろ医療サービスの裾野が広がることで得る効果に目を向けるべきだ」と苦言を呈する。観光と医療をごちゃまぜにしたまま急成長分野であるかのように煽り、医療ツーリズムという言葉を一人歩きさせているメディアの責任も大きい。
また、多くの関係者が医療ツーリズムのターゲットとして「中国富裕層」を安易に挙げていることも疑問である。
実は関係者の多くが認識している最大の課題が、どうやって中国で参加者を集めるのか。効果的な集客とプロモーションのノウハウの欠如――。これこそ、「中国富裕層」を対象にした医療ツーリズムの盲点だ。大手旅行会社と提携して医療ツーリズムに乗り出したある病院関係者は「期待したような集客ができずに落胆した」と失望の表情を隠さない。
中国では日本など大半の外資系旅行会社が中国人の海外旅行を直接集客することが認可されていない。それに医療行為を目的とした海外旅行、つまり医療ツーリズムを謳ったパンフレットなどでの一般募集もできない。ノウハウも実績もない現地旅行会社といくら提携し募集しても、集客は望めないのだ。期待が持てるとしたら、日本旅行や長崎市のような富裕層を会員組織に持つ現地の旅行会社や医療関係者との提携や協力によるものだ。
その日本旅行の提携先である北京優翔国際旅行社の周凱文総経理は「中国富裕層の集客は弊社の営業マンが個別に会員の自宅やオフィスを訪ねてツアー参加を呼びかける。彼らは価格でツアーを選ぶようなことはない。送客数を増やすより、ツアーの品質の保持が重要だ」と語る。別な現地の旅行関係者は、「尖閣諸島問題が深刻になった10月以降、日本への医療ツーリズムの予約が入らなくなった」と表情を曇らせる。政治的なリスクがつきまとうことも、常に念頭に置いておく必要がある。
また、医療ツーリズム先進国のタイの各病院の集客方法を見ると、日本の現状と比べて隔世の感がある。バンコク病院でマーケティングを担当する田中耕太郎マネジャーは、「私のような外国人のマーケティング担当者が20名ほどいて、中近東、アフリカなどの現地で患者のリクルート活動を行っている。医療博があれば、医師が赴いて診察を行い、その場で治療費の見積もりも提示する」という。
また、10年10月1日、北京郊外にある国際医療センター「燕達国際健康城」の110万平方メートルという巨大な建設予定地に建てられた一部の施設が開業した。数多くの外国人医師を擁し、手厚い介護が売りの高級養老院では日本人も含めた国内外の富裕層の集客を始めているという。集客を期待していた中国の病院に自国の患者を奪われてしまう。まさしくミイラ取りがミイラになるような事態が起きないとも限らないのだ。 ※すべて雑誌掲載当時
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中国人を狙え!日本版「医療ツーリズム」の光と影【5】医療ツーリズムを育て定着させていくためには
PRESIDENT 2011年1月3日号 ジャーナリスト 岩瀬幸代、中村正人=文
医療ツーリズムを育て定着させていくためには、いま一度、医療の国際化とは何か、現場の視点で捉え直すことが必要だろう。この点について癌研究会のインターナショナルセンターの金起鵬センター長は、「いまのような検診ツアーは持続可能なのかはなはだ疑問だ。われわれの課題は、患者から求められる高度医療をどこまで提供できるかにある。そのためには、国際化に向けた医療サービスの標準化が何よりも重要だ」と語る。
癌研究会の有明病院は、1908年に創設された財団法人癌研究会が運営するがん専門病院で、05年に現在の東京・臨海副都心に移転。外国人患者治療のパイオニアとして年間200人以上の外来や入院を受け入れている。そして、移転の年に掲げられた「がん医療において世界に誇れる病院になる」というビジョンの実現に向け、外国人患者受け入れ窓口として創設されたのが同センターだ。
もともと日本の医療現場は医師や看護師の教育も含め、外国人受け入れを想定していない。患者は国籍によって医療のバックグラウンドやコミュニケーションのスタイルが異なる。米国人患者は日本人なら我慢する少々の痛みでもすぐに訴えてくる。それで看護師が振り回されてしまうことも日常茶飯事だった。そこで、外国人患者の受け入れから送り出しまでの対応を標準化するべく、日々課題の洗い出しや改善を行っている。
いま、海外の医療機関や患者本人からメールで月平均10件ほどの問い合わせが入る。そこから実際の外国人患者の受け入れに当たっては、次のようなプロセスを経ていくことになる。
(1)患者情報を現地の医療機関から送ってもらい、医学的に受け入れ可能か判断。
(2)治療方針に沿って見積金額を提示。財政上のリスクを回避するため、全額前納。また日本語、英語以外は24時間体制の通訳を患者負担で用意してもらう。
(3)右記のことを含めすべてを患者が同意したうえで、治療スケジュールを調整。
とくに重要なのが経済的な担保。これがないと、途中で治療ストップという悲惨な事態をも招きかねない。また、患者本人の英会話のレベルもある程度の水準が求められる。現状ではスペイン語やロシア語、韓国語、中国語は対応できないため、医療通訳の用意が必要となる。
いま同センターでは、看護師をはじめ院内の医療スタッフ対象の英会話講座を開催している。その理由について金センター長は「注射をするとき、患者に『チクッとしますよ』と英語でさっといえるかどうかで、患者との信頼関係が構築できるかどうかが変わる。それができれば患者は安心して治療に専念し、医療スタッフも振り回されるようなことが少なくなる」という。 ※すべて雑誌掲載当時
◎上記事の著作権は[PRESIDENT]に帰属します
中国人を狙え!日本版「医療ツーリズム」の光と影【6】国境を越えて、求められる医療を提供する
PRESIDENT 2011年1月3日号 ジャーナリスト 岩瀬幸代、中村正人=文
また、北海道の地で試行錯誤しながら国際化を進めているのが函館新都市病院だ。04年にロシアとの貿易を専門に行っている商社・ピー・ジェイ・エルの山田紀子代表取締役からサハリン州の首都ユジノサハリンスクに住む患者を紹介されたことをきっかけに、ロシア人患者の治療を始めた。いまではサハリン州立病院、ユジノサハリンスク市立病院など極東ロシアにある5つの病院と提携している。
「当初はさまざまな問題が起きた。日本に来るビザを取得するための書類は全部こちらで作成し、現地に送って申請することにしている。しかし、郵便事情が悪く、途中で行方不明になってしまうことが何度もあった。そこで、ユジノサハリンスクにビジネスなどで渡航する人に託し、直接手渡してもらうようにするなどの工夫をしている」
こう語るのは事務次長として当初からロシア人患者の受け入れに立ち会い、06年に設けられた海外事業室の室長も務めている大堀秀実氏である。同室のスタッフは大堀室長を含め3名。そのうちの一人はサハリンで生まれ、現在は日本に帰化している韓国系の女性で、事務作業のかたわら通訳の仕事もこなす。
これまで130名強のロシア人患者が、脳神経内科や循環器内科などで治療を受けてきた。有明病院と同じように事前に医療費の見積もりを提示する。前納ではないが、これまで最後の支払いでトラブルになったことは一度もない。ロシア人患者の治療費は年間2000万〜3000万円前後。海外事業室のコストを考えても、収支は若干のプラスだそうだ。
そうしたなかで生まれた目に見える国際化の一つに、ロシア語で表記した「クリニカル・パス」がある。いつ、どのような検査を行い、いつ説明をしてから治療に入るかなどのスケジュールを一覧表にしたもので、「自分の治療がどう進んでいくのかが一目で理解でき、とても安心してもらえる」と大堀室長はいう。
そして、函館新都市病院と同じようにPJLからの紹介でロシア人患者を受け入れるようになったのが神奈川県にある横浜市東部病院だ。07年3月のオープン以来、約30名の患者がロシアから訪れている。「息を止めて」というロシア語をあらかじめ録音しておきエックス線撮影の際に使ったり、「痛い」「だいじょうぶ」など患者の状態を文字で確認するプレートを用意している。これらはすべて現場から出たアイデアである。
それにしても、医師や看護師の不足が指摘されている昨今、本来は猫の手も借りたいくらい忙しいはず。いろいろな工夫が行われているとはいえ、言葉一つのやりとりにしても日本人患者より何倍も手間のかかるロシア人患者の受け入れは、はたしてスムーズに進んできたのか。
函館新都市病院の青野允病院長は、「当初は全員が反対だった。しかし、受け入れてから半年後に『何か失ったものはあるか』と尋ねると、『何もありません。むしろロシア人患者から喜ばれることで得たもののほうが大きい』との答えが返ってきた。現場のモチベーションが上がった意味は大きい」という。
また、そもそもの受け入れの背景について横浜市東部病院の熊谷雅美副院長は、「極東ロシアは日本と比べて医療がとても遅れ、よりよい医療を求めている人が大勢いると聞き、受け入れを決めた。それと、自分たちの医療が世界で通用することがわかって自信がついた」と話す。
一部に、医療ツーリズムの受け入れで日本人患者の治療がないがしろにされ、地域医療の崩壊を招くのではないかと懸念する向きがある。しかし前出の亀田理事長は、「外国人患者を受け入れることで高度医療の体制を維持・発展させることができる。むしろ、そうした病院でなければ、若手の優秀な医師は集まらず、病院経営が立ちゆかなくなっていく」と反論する。
海外における邦人の医療支援サービスを行い、各地の医療事情にも詳しい日本エマージェンシーアシスタンスの吉田一正社長は「日本での治療を望む患者は多い」という。たとえば、米国人は胃がんの罹患率が低く、この分野での医療技術は日本のほうが高い。それで有明病院にはいまでも治療を望む米国人患者が訪れているのだ。
国境を越えて、求められる医療を提供するのが医療ツーリズム。その実現に向けた取り組みは緒についたばかり。目先の利益にとらわれることなく、国際的に認められる外国人患者の受け入れ態勢の整備を、官民挙げて地道に進めていくことが強く求められる。 ※すべて雑誌掲載当時
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◇ 生きた赤ちゃんを誤って焼き場へ、自ら開腹手術する貧しき患者…中国の信じ難き“医療の現場”一断面 2014-05-04 | 国際/中国/アジア
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