【安倍首相会見(1)】国民の命を守る責任 「放置せよ」と憲法は言っていない
産経ニュース 2014.5.15 18:58
安倍晋三首相は15日夕、首相官邸で記者会見を開き、集団的自衛権行使など安全保障上の課題について「政府の基本的方向性」を表明、国民に理解を求めた。会見の詳報は以下の通り。
「本日、政府の有識者会議『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)』から報告書が提出されました。外交、安全保障、法律の専門家の皆さんが約2年半検討、議論を重ねてきた結果です。まず冒頭、柳井俊二座長、北岡伸一座長代理をはじめ委員の方々の高い見識とご意見に心から感謝お礼を申し上げたいと思います」
「本日は、この報告書を受けて今後どのように検討していくか、その基本的方向性について国民の皆様に私から直接ご説明をさせていただきたいと思います」
「この報告書を受けて考えるべきこと。それは私たちの命を守り、私たちの平和な暮らしを守るため、私たちは何をなすべきかということであります。具体的な例でご説明をしたいと思います」
「今や海外に住む日本人は150万人。さらに年間1800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます。そこから逃げようとする日本人を、同盟国である米国が救助で輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。このような場合でも、日本人自身が攻撃を受けていなければ日本人が乗っている米国の船を日本の自衛隊は守ることができない。これが憲法の現在の解釈です」
「昨年11月、カンボジアの平和のため活動中に命を落とした中田厚仁さん、そして高田晴行警視の慰霊碑に手を合わせました。あの悲しい出来事から20年あまりがたち、現在アジアでアフリカでたくさんの若者たちがボランティアなどの形で地域の平和や発展のために活動をしています」
「医療活動に従事をしている人たちもいますし、近くで協力してPKO活動をしている国連のPKO要員もいると思います。しかし彼らが突然武装集団に襲われたとしても、この地域やこの国において活動している日本の自衛隊は彼らを救うことができません。一緒に平和構築のために汗を流している、自衛隊とともに汗を流している他国の部隊から『救助してもらいたい』と連絡を受けても日本の自衛隊は彼らを見捨てるしかないんです。これが現実なんです」
「皆さんのお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない。その命を守るべき責任を負っている私や日本政府は本当に何もできないということでいいのでしょうか。内閣総理大臣である私はいかなる事態にあっても国民の命を守る責任があるはずです。そして、人々の幸せを願って作られた日本国憲法がこうした事態になって『国民の命を守る責任を放置せよ』と言っているとは私にはどうしても考えられません」
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【安倍首相会見(2)】「一国のみで平和守れない」が世界の共通認識
産経ニュース 2014.5.15 19:15
「こうした事態は机上の空論ではありません。連日、ニュースで報じられているように、南シナ海ではこの瞬間も、力を背景とした一方的な行為によって国家間の対立が続いています。これはひとごとではありません。東シナ海でも、日本の領海への侵入が相次ぎ、海上保安庁や自衛隊の諸君が高い緊張感を持って24時間体制で警備を続けています。北朝鮮のミサイルは、日本の大部分を射程に入れています。東京も大阪も、みなさんの町も例外ではありません。そして、核兵器の開発を続けています。さらには、サイバー攻撃など、脅威は瞬時に国境を越えてきます」
「これは、私たちに限ったことではありません。もはやどの国も一国のみで平和を守ることはできない。これは世界の共通認識であります。だからこそ私は、『積極的平和主義』の旗を掲げて、国際社会と協調しながら、世界の平和と安定、航空・航海の自由といった基本的価値を守るために、これまで以上に貢献するとの立場を明確にし、取り組んできました」
「積極的平和主義の考え方は、同盟国である米国はもちろん、先週まで訪問していた欧州各国からも、そしてASEANの国々をはじめとするアジアの友人たちからも高い支持をいただきました。世界が日本の役割に大きく期待をしています。いかなる事態においても、国民の命と暮らしは断固として守り抜く。本日の報告書では、そうした観点から提言が行われました」
「今後、政府・与党において具体的な事例に即してさらなる検討を深め、国民の命と暮らしを守るために、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備します。これまでの憲法解釈のもとでも可能な立法措置を検討します」
「例えば、武力攻撃に至らない侵害、漁民を装った武装集団がわが国の離島に上陸してくるかもしれない。こうしたいわゆる『グレーゾーン事態』への対処をいっそう強化します。さらに、PKOや後方支援など、国際社会の平和と安定に、いっそう貢献していきます」
「その上でなお、現実に起こり得る事態に対して万全の備えがなければなりません。国民の命と暮らしを守るための法整備が、これまでの憲法解釈のままで十分にできるのか、さらなる検討が必要です。こうした検討については、『日本が再び戦争をする国になる』といった誤解があります。しかし、そんなことは断じて有り得ない。日本国憲法が掲げる平和主義は、これからも守り抜いていきます。そのことは明確に申し上げておきたいと思います」
「むしろ、あらゆる事態に対処できるからこそ、そして対処できる法整備によってこそ、抑止力が高まり、紛争が回避され、わが国が戦争に巻き込まれることがなくなる、と考えます」
「今回の報告書では、2つの異なる考え方を示していただきました。1つは『個別的か集団的かを問わず自衛のための武力の行使は禁じられていない、また、国連の集団安全保障措置への参加といった国際法上、合法な活動には憲法上の制約はない』とするものです」
「しかし、これは、これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。私は、憲法がこうした活動の全てを許しているとは考えません。したがって、この考え方、いわゆる『芦田修正論』は、政府として採用できません」
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【安倍首相会見(3)】準備できしだい「必要な法案国会に諮る」
産経ニュース 2014.5.15 19:32
「自衛隊が、武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません。もうひとつの考え方は、わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される、との考え方です」
「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を、政府は最大限尊重しなければならない。憲法前文、そして憲法13条の趣旨をふまえれば、自国の平和と安全を維持し、その存立をまっとうするために、必要な自衛の措置をとることは禁じられていない。そのための必要最小限度の武力の行使は許容される。こうした従来の政府の基本的な立場を踏まえた考え方です」
「政府としてはこの考え方について、今後さらに研究を進めていきたいと思います。切れ目のない対応を可能とする国内法整備の作業を進めるにあたり、従来の憲法解釈のままで必要な立法が可能なのか。それとも、一部の立法にあたって憲法解釈を変更せざるをえないとすれば、いかなる憲法解釈が適切なのか。今後、内閣法制局の意見も踏まえつつ、政府としての検討を進めるとともに、与党協議に入りたいと思います」
「与党協議の結果に基づき、憲法解釈の変更が必要と判断されれば、その点を含めて、改正すべき法制の基本的方向を、国民の命と暮らしを守るため、閣議決定してまいります。今後、国会においても議論を進め、国民の皆様の理解を得る努力を継続していきます。十分な検討を行い、準備ができしだい、必要な法案を国会にお諮りしたいと思います」
「日本は戦後70年近く、一貫して平和国家としての道を歩んできました。これからも、この歩みが変わることはありません。しかし、『平和国家である』と口で唱えるだけで、私たちの平和な暮らしを守ることはできません。私たちの平和な暮らしも、突然の危機に直面するかもしれない。そんなことはないと、誰が言い切れるでしょうか。テロリストがひそむ世界の現状に目を向けたとき、そんな保障はどこにもありません」
「政府は、私たちは、この現実に真っ正面から向き合うべきだと私は考えます。私たちの命を守り、私たちの平和な暮らしを守る。そのためには、いかなる事態にも対応できるよう、常日頃から隙のない備えをするとともに、各国と協力を深めていかなければなりません」
「それによって、抑止力が高まり、わが国が戦争に巻き込まれることがなくなると考えます。さきほど申し上げたような事態においても、しっかりと日本人の命を守ることこそが、総理大臣である私の責任であると確信します。今後、検討を進めるにあたり、国民の皆様のご理解、心からお願いを申し上げる次第であります。私からも引き続き、あらゆる機会を通して丁寧に説明をしていきたいと思います」
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【安倍首相会見(4)】「安保改正でむしろ平和確固に」
産経ニュース 2014.5.15 20:44
「再度申し上げますが、まさに紛争国から逃れようとしている、お父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子供たちかもしれない、彼らが乗っている米国の船を今私たちは守ることができない。そして、世界の平和のためにまさに一生懸命汗を流している若い皆さん、日本人を、私たちは自衛隊という能力を持った諸君がいても守ることができない」
「そして一緒に汗を流している他国の部隊、もし逆であったら彼は救援に訪れる。しかし私はそれを断らなければならない。見捨てなければならない。おそらく世界は驚くことでしょう。こうした課題に、日本人の命に対して守らなければいけない責任を有する私は、総理大臣は、日本国政府は、検討していく責務があると私は考えます。私からは以上です」
−−憲法解釈の変更に言及した。歴代政権が踏襲してきた憲法解釈を一政権の判断で変更するとしたら、憲法が政府の政策を制限する立憲主義の否定ではないか。政権が自由に憲法解釈を変更しても問題ないとお考えか。総理は「日本が再び戦争する国になることは断じてない」とおっしゃった。集団的自衛権を認めれば将来的に自衛隊が他国の戦争に参加する可能性が否定できない。これが総理の掲げる積極的平和主義か
「今私が説明したように、この事態でも私たちはこの船に乗っている子供たちを、お母さんや多くの日本人を助けることができない、守ることもできない。その能力があるのに。それで本当にいいのか、ということを私は問うているわけであります。立憲主義に乗っ取って政治をやっていく、当然のことであります。その上において、私たち政治家はこうしたことができないという現状から目をそむけていてよいのかということを皆さんにも考えていただきたいと私は思います」
「人々の幸せを願う、まさに生存的権利があるわけです。そしてその権利を私たち政府は守っていく責任があるんです。その責任を放棄しろと、憲法が要請しているとは私には考えられません。会見をごらんになっている皆さんや皆さんのお子さんやお孫さんがこうした立場になるかもしれない。そのことを考えていただきたいと思います」
「この議論は国民の皆さま1人1人関わる現実的な問題であります。北朝鮮のミサイルは日本の大部分を射程に入れています。このような日本を取り巻く安全保障環境の大きな変化を踏まえて、7年掛かりでこの問題に臨んできました。いかなる事態にあっても国民の命と暮らしは守っていく責任が私たちにはあるのです。こうした観点から研究を進めていく」
「他方、私は日本国憲法が集団的自衛権を含め自衛のためのすべての活動を許している、とは考えていません。自衛隊が武力行使を目的として他国での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。それは今申し上げた通りであります。憲法が掲げる平和主義を守り抜いていきます」
「今回の検討によってですね、他国の戦争に巻き込まれるといった批判があります。こうした批判は1960年の安保改正の際に盛んにいわれました。この安保条約の改正によって、むしろ反対論の中心はそこにあったのです。この日米安保改正によって日本は戦争に巻き込まれる。さんざん主張されました。しかし、50年経ってどうだったでしょう。その改正によってむしろ日本の抑止力は高まり、アジア太平洋地域において米国のプレゼンスによって、今平和がより確固たるものになっているのは日本人の常識になっているではありませんか」
「まさに私たちが進めていこうとすることは、その抑止力を高めていく、そして日本人の命を守るためにやるべきことはやらなければならないという観点から検討していかなければならないということであります。『巻き込まれる』という受け身の発想ではなくて、国民の命を守るために何をなすべきかという能動的な発想を持つ責任があると私は思います。繰り返しになりますが、抑止力が高まることによって、より戦争に巻き込まれることはなくなる、このように考えます」
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【安倍首相会見(5)】解釈変更「ASEAN、欧州の支持得た」
産経ニュース 2014.5.15 21:20
−−総理は自らが設置した「安保法制懇」の報告書を受け、憲法解釈の変更が適切なのか与党に協議を要請しましたが、安保法制懇には「人選に偏りがあり、中立性を欠く」との指摘もあります。この点、どうお考えか。また公明党は集団的自衛権に関し、「連立政権合意に書いていないテーマ」とし、平成24年12月の衆院選、昨年7月の参院選でも大きな争点にはなっていない。安全保障政策の重大な変更を検討するにあたり、衆院を解散して国民の信を問う考えは
「安保法制懇については、こうした課題について、まさに正面からずーっと考えてきた皆さんにお集まりをいただきました。こうした問題に正面から取り組んでいただいた皆さん、どうすれば日本人の命を守ることができるかということを真面目に考えてきていただいた皆さんに集まっていただきました。報告書でも、安全保障環境の変化に留意をして、いかなる事態においても国民の命と暮らしを守るために何をなすべきか、まさに専門的かつ現実的なご議論をいただいたと思います」
「その中で私たちは報告書、ご議論いただいた報告書の全てを私たちは検討対象とはしないという判断を下したわけであります。選挙との関係におきましては、前回の衆院選、また参院選でも、私の街頭での演説を聴いていた方々はご承知のことだと思いますが、私は国民の生命、財産、領土、領海は断固として守り抜いていくと申し上げてきました。まさにいかなる事態にあっても、このような事態にあっても、私はその責任を果たしていかなければならないと考えていると申し上げてきたわけであります。この検討はそうした国民との約束を実行に移していくものであると私は確信しております」
−−集団的自衛権の憲法解釈の見直しに向けた取り組みは、既にアメリカからも支持を取り付けているが、総理は外遊の場などを通じてアジアや欧州各国の首脳から具体的にどのような感触を得られているか。併せて、見直しに当たっては、国民や公明党、自民党の理解が不可欠になるが、今後どのようなスケジュールで論議を深めていくお考えか
「昨年、私はASEAN10カ国を訪問いたしました、その際、その集団的自衛権の解釈変更等々につきましても、こうした実例を示しまして説明をいたしました。全ての国々から理解が得られたと思います。理解と支持を得られたと思います。そしてまた、今年、先般、欧州を訪れ、やはり詳細な説明をいたしました。ご支持をいただいたところで、各国から支持をいただきました」
「またNATO演説においては、その集団的自衛権の解釈変更を含めて、集団安全保障におけるわれわれの責任などについてもご説明をしましたが、各国から高い支持をいただいたと思います。ある国の代表の方は手をあげて憲法9条に言及されました。この憲法9条の解釈についても、日本の、日本人の命を守るために、あるいは地域と世界の平和を確固たるものにするために、その解釈の変更を検討しているということは素晴らしいと。日本が大きな変化を遂げたという支持をいただいたところであります。これからもこうした日本の安全保障政策についてはしっかりと諸外国を訪問しながら、なんと言っても国際協調が大切でありますから、これからも積極的に貢献をしていきたいと思います」
「また今後のスケジュールについてでありますが、期限ありきではありません。今後、内閣法制局の意見を踏まえつつ、政府としての検討を進めるとともに、与党協議に入りたいと考えています。与党協議の結果に基づきまして、憲法解釈の変更が必要と判断されれば、その点を含めて改正すべき法制の基本的方向を、国民の命と暮らしを守るため、閣議決定してまいります」
「今後、国会においても議論を進め、国民の皆さまの理解を得るための努力を継続していきます。十分な検討を行い、準備ができ次第、必要な法案を国会にお諮りしたいと思います。その際、抽象論や観念論ではなくて、個別具体的な事例に即して議論をし、国民の皆様の理解を得ていきたいと思います」
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【安倍首相会見(6)完】国民の命守る責任 「“想定外”許されない」
産経ニュース 2014.5.15 21:2
−−このところ南シナ海の方で中国とベトナムやフィリピンなどの対立が急激に緊迫化している。総理も先ほど人ごとではないとおっしゃった南シナ海の状況に、集団的自衛権容認によって、この地域での日本の役割や貢献がどう変化するとお考えか
「わが国の平和国家としての歩みは今後も変わることはありません。わが国は紛争の平和的解決を重視して参りました。法の支配、航海の自由、上空飛行の自由が尊重されなければなりません。力による現状変更は一切認めない。わたしたちが検討をするのはまさにこのような状況でありまして、このような状況が発生したとき、日本人の命に危険が迫っているのにも関わらず、何もできなくていいのかと、そういうことであります」
「また、こうした解釈、変更の検討によってですね、軍事費が増大するのではないか、軍備が拡大するのではないかという、そういう指摘もありますが、それは的外れであります。中規模で5年間の増額をすでに閣議決定をしておりました。これが変更されることはありません」
−−集団的自衛権の行使容認を含めた憲法解釈変更や、関連法整備に向け政府は詳細な事例集をまとめているが、それでも想定外のことが起きた場合の対応についてはどうお考えか
「安全保障を考える上においてですね、あらかじめ事態を、将来起こり得る事態をですね、想定することは容易ではないと思います。これまでですね、ともすれば想定したこと以外の事態はおこらないという議論が行われてきました。事実ですね、いま私があげた例、こうした例から、目を背けてずっと今日に至ったんです。つまりそんなことは起こらないということで目を背けてきたと言ってもいいと思います」
「内閣総理大臣である私は、いかなる事態であっても国民の命を守る責任があります。想定外は許されないわけであります。国民の命と暮らしを守るため、現実に起こりうるあらゆる事態に対して、安全の備えをなしていくことが大切だろうと思います」
−−安保法制懇の報告書にもいくつかの事例が入っているが、どれを検討対象としてどれをしないのか、その理由も合わせて教えていただきたい
「今回はですね、2つの異なる考え方を報告書に示していただきました。一つはですね、自衛のための武力の行使は禁じられていない、また国連の集団安全保障措置への参加といった、国際法上合法な活動には憲法上の制約はないという考え方であります。しかし、これはこれまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しないと考えます。私は政府が、憲法がこうした活動の全てを許しているとは考えません。従ってこの考え方、いわゆるですね、芦田修正論でありまして、われわれが自衛権を行使してと言うのは、芦田修正によるという考え方でありますから、その考え方は政府としては採用しないということであります」
「もう一つの考え方は、わが国の重大な、安全に重大を影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方でありました。政府としてはこの考え方について、今後さらに研究を進めていきたいと思います」(完)
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◇ 憲法改正で「日本」を取り戻せ 誤った歴史観を広めるメディア・教育界に風穴を 『Voice』4月号 2013-03-24 | 本/(演劇)
『Voice』4月号2013/3/9(毎月1回10日発行)
憲法改正で「強い日本」を取り戻せ いまこそ誤った歴史観を広めるメディア・教育界に風穴を開けるときだ
対談「渡部昇一(わたなべしょういち・上智大学名誉教授)×百田尚樹(ひゃくたなおき・作家)」
〈抜粋〉
p45〜
■サイレントマジョリティの声を聞けるか
百田 同じように、戦後長らく左翼的な勢力が跋扈しているのが、新聞やテレビなどメディアの世界、そして教育界です。(略)
まずメディアについていえば、第1次安倍内閣は『朝日新聞』をはじめとする新聞やテレビに過剰なまでにバッシングされ、短い期間で残した実績が国民に十分に伝わらないまま、退陣に追い込まれてしまいましたね。
渡部 ベストセラーになった『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎)で小川栄太郎さんが書いているのですが、昨年11月に亡くなった政治評論家の三宅久之さんは、かつて朝日新聞社の主筆だった若宮啓文氏に「どうして『朝日』はそこまで安倍さんを叩くんだ?」と尋ねたところ、「社是だからだ」といわれたそうです。
百田 ただ、いまでは「安倍たたき」をするか否か、メディアも少し慎重になっているようにもみえます。リベラルな論調を出すことで読者が減るのではないか、と懸念しているのでしょう。
渡部 1月にはアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙が安倍さんを「右翼の民族主義者だ」と強く批判しました。『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局は、朝日新聞社と同じビルにあります。これは邪推かもしれませんが、『朝日新聞』の記者が、自分たちの発言力が落ちていることに危機感を抱き、『ニューヨーク・タイムズ』の記者をけしかけて、社論を書かせたと解釈することもできます。
百田 ここ数年でインターネットが発達し、とくに若い世代を中心に「マスコミの情報が必ずしも正しいわけではない」という意識が芽生え始めたのも大きいですね。
p46〜
渡部 2012年から現在にかけては、脱原発運動の旗振り役になり、いかにも国民全体が「脱原発」の意見をもっているかのような記事を掲載した。しかし先の総選挙では、「日本未来の党」をはじめとする、脱原発政党は軒並み議席を減らしています。マスコミのいうことと、「サイレントマジョリティ」の意見は違うということが露呈しました。
百田 60年安保のときと状況はよく似ています。当時も日本全国が「安保反対」のような気運でしたが、自然成立とほぼ同時に岸内閣が倒れ、その数か月後に行われた総選挙で自民党が圧勝した。メディアの声はあくまでも「大きい声」にすぎず、それが大多数の声を代表しているとは限らないということです。
(略)
百田 岸信介はいみじくも、安保デモを前に「私には国民の声なき声が聞こえる」と発言しました。それは正しかったんです。いくら国会を群集が取り囲んでも、私の両親のような大多数の庶民は、そのような問題に何ら関わりはありませんから。サイレントマジョリティの声を聞くというのは、政治家の大きな資質の1つだと思います。 *強調(太字・着色)は来栖
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◇ 孫崎亨著 『アメリカに潰された政治家たち』 第1章 岸信介 / 第2章 田中角栄と小沢一郎 2012-10-28 | 本/(演劇)
●第1章 岸信介と安保闘争の真相
1.安保闘争神話の大ウソ
「岸信介=対米追随」の誤り
p21〜
しかし、これほどの反対運動にもかかわらず、5月20日未明に衆議員で強行採決された新安保条約案は、参議院の議決がないまま6月19日に自然成立し、批准を阻止することは出来ませんでした。
一方で、この混乱の責任を取って岸信介内閣は7月15日に総辞職します。この運動は、もともとは日米安保改正阻止から始まりました。しかし、運動が盛り上がっていく過程で徐々に、A級戦犯として訴追されながら政界へ復帰し、“昭和の妖怪”とまで呼ばれた岸信介の政権を打倒することへ目的が変質していきました。そのため、岸内閣の退陣により、ある種の達成感が生まれ、急速に運動は萎んでいくのです。
P22〜
「アメリカは自分の力を借りに来る」
ここでは、その暗闘を、岸信介を主人公としてストーリーを語ることで、明らかにしていこうと思います。
まず岸信介とはどんな人だったのでしょうか。
岸は東京帝国大学法学部を卒業後、1920年に農商務省に入り、1936年に満州国にわたり、国家運営の要職を歴任しました。1941年には東条英機内閣に商工大臣として入閣。日米開戦時の大臣であり、戦時中は物資動員の責任者も務めました。
そのため、岸は1945年9月11日にA級戦犯として逮捕され、巣鴨拘置所に拘置されます。戦犯として有罪判決を受けて処刑されるのを待つだけの身に置かれていたのです。
巣鴨に拘置されている間に、岸がとんでもない切れ者だったことを示すエピソードが残されています。
P23〜
岸が拘置所内で書いた『獄中日記』の1946年8月10日のページには、こう記されています(口語訳)。
「パリ講和会議におけるソ連外相モロトフと米国国務長官バーンズの対立は、冒頭の演説からたがいの悪口の言い合いとなった。ソ連の機関紙『プラウダ』は『バーンズの挑戦』という見出しをつけ、全ページを使ってその全訳を掲載し、国民の注意を呼び起こそうとした。(略)ソ連は平和会議をわざと長びかせ、そのあいだにバルカン半島や地中海方面に勢力を伸ばしてしまおうという計画を立てており、一日も早く平和的な国際関係を樹立しようと望む米国や英国とは完全な対立関係にある」
さらに、『岸信介証言録』には、巣鴨拘置所内に収監されていた当時の心境がこう述べられています。
「冷戦の推移は、巣鴨でのわれわれの唯一の頼みだった。これが悪くなってくれば、首を絞められずに(死刑にならずに)すむだろうと思った」
米ソの冷戦が深刻化すれば、自分の命は助かるだろうと予見しているのです。
p24〜
当時の日本は、終戦直後で経済も崩壊し、皆食べるのに精いっぱいの状態で、一般の日本人は海外の動静など知る由もありません。まして東西冷戦が始まりつつあることを知っていた人はほとんどいませんでした。
それにもかかわらず、岸は拘置所にいながら、「アメリカとソ連の対立が深まれば、アメリカは日本を利用するために、自分の力を刈りに来るだろう」と正確に予測し、そこに望みを託しているのです。“昭和の妖怪”とまで称される岸の凄味の片鱗が、ここに現れています。
現実は岸の読み通りに進みます。
p25〜
しかし、アメリカの戦略目的が冷戦の勃発によって「ソ連と対抗すること」に変化すると、アメリカは対日政策を180度転換し、「日本の経済力・工業力を有効利用する」という方針に変更しました。
p26〜
占領地で次々と共産政権を築くソ連への対抗は急を要する事態でした。そのため、戦時中の指導者を含む戦犯らが次々に釈放され、岸信介も1948年12月24日に釈放されます。サンフランシスコ講和条約の発効にともない、政治家や将校たち25万人以上の公職追放が解除され、岸も政治的権利を回復しました。
占領終結後の1952年10月に行われた最初の国会議員選挙では、衆議院の議席の42%を追放解除者が占めることになりました。
岸は1952年4月に「自主憲法制定」「自主軍備確立」「自主外交展開」を掲げて日本再建連盟を設立し、会長に就任します。その後、自由党に入党し、公認候補として衆議院議員に当選しました。しかし、対米追随路線を進む吉田茂首相と衝突し、自由党から除名され、1954年に鳩山一郎とともに日本民主党を結成し、幹事長に就任します。そして、同年12月、吉田茂の「バカヤロー」発言で内閣総辞職、鳩山一郎内閣が誕生し、翌年2月の総選挙で日本民主党が第一党となり、改めて岸が幹事長を務める鳩山一郎内閣が発足しました。
ここで注意していただきたいのは、岸はこの段階からすでに明確に「自主路線」を志向していることです。しかも、対米協調を基本とする吉田茂に反発して党を割っています。
p27〜
安保という不平等条約
新たに誕生した鳩山内閣は、ソ連との国交回復を政権の重要課題としながら、同時に日米間の重要課題として、「防衛分担金」の負担軽減を掲げます。
当時の日本の国家予算は1兆円ですが、そのなかから在日米軍維持費に毎年550億円も支払っていました。日本にとっては極めて重い負担だったのです。なぜこのようなことになったのかというと、鳩山一郎の前の吉田首相が、アメリカからの要求を無抵抗に受け入れていたからです。
鳩山内閣は防衛負担金削減を目標に掲げただけでなく、実際に行動しました。(略)
鳩山内閣の次の目標は、日本に駐留している米軍そのものの削減でした。しかし米軍の削減は分担金減額に比べればはるかに難題でした。
というのも、冷戦の深刻化によってますます日本に駐留する米軍の存在は重要になっていたからです。(p28〜)そもそもアメリカが日本を占領した目的は、「日本国内に自由に軍隊を置くこと」で、1951年に、吉田茂が密室で調印した「旧安保条約」第1条にはこうあります。
第1条「アメリカ合衆国の陸軍、空軍および海軍を日本国内およびその付近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する」
p30〜
岸信介CIA工作員説の真相
実はこの政界の動きには、アメリカの諜報機関CIAが密かに関与していました。
米国のジャーナリスト、ティム・ワイナーは、著書『CIA秘録』で、アメリカのダレス国務長官は自由民主党結党の3か月前に、岸信介・日本民主党幹事長に会い、「もし日本の保守政党が一致して共産主義者とのアメリカの戦いを助けるなら、(経済的)支援を期待してよい」と明言したと述べています。(略)
このことをもって、岸信介という人は長らく「CIAのエージェント(工作員)だ」「対米追従路線だ」と信じられてきました。
p31〜
首相就任2か月後の参議院内閣委員会で、岸は「日米安保条約、日米行政協定は全面的に改定すべき時代にきている」と宣言します。後で述べますが、ここで岸は旧安保条約だけでなく「日米行政協定」にも言及していることを覚えておいてください。
岸は安保改定の交渉を進めるため、まずマッカーサー駐日大使(マッカーサー元帥の甥)と会談し、次のような考えを述べます。
「駐留米軍の最大限の撤退、米軍による緊急使用のために用意されている施設付きの多くの米軍基地を、日本に返還することなども提案した。
さらに岸は10年後には沖縄・小笠原諸島における権利と権益を日本に譲渡するという遠大な提案を行った」(岸信介証言録)
p35〜
在日米軍の削減だけでなく、沖縄・小笠原諸島の返還にまで踏み込んでいるのです。
同年6月には訪米し、ダレス国務長官に次の点を主張します。
「抽象的には日米対等といいながら、現行の安保条約はいかにもアメリカ側に一方的に有利であって、まるでアメリカに占領されているような状態であった。これはやはり相互契約的なものじゃないではないか」(同前)
岸の強い態度に今度は逃げられないと思ったのでしょうか。ダレスは「旧安保条約を新しい観点から再検討すること」に合意します。
ここから岸がとった戦略は次のようになります。
先ほど、岸は旧安保条約だけでなく、「日米行政協定」にも触れていると述べました。行政協定というのは、条約に付随し、政府が立法機関である国会の承認を必要とせずに、外国と締結できる協定のことです。
旧安保条約は5条から成りますが、基本的には抽象的な理念が述べられているに過ぎません。一方の日米行政協定は29条から成り、在日米軍や分担金、裁判権などに関する具体的な取り決めはこちらに記されています。
日米行政協定にはこう書かれています。
p36〜
「日本国は合衆国に対し、安全保障条約第一条にかかげる目的の遂行に必要な施設および区域(=基地)の使用を許すことに同意する」
「日本国および合衆国は、(略)前記の施設および区域を日本国に返還すべきこと、または新たに施設および区域を提供することを合意することができる」
アメリカは日本国内に自由に基地を設置できるが、返還については「合意することができる」と言っているだけで、嫌なら合意しないだけの話です。
本丸は行政協定にあるのです。
岸は「二段階論」を考えていました。つまり、安保条約を改定して、その後、行政協定を改定する方針です。行政協定は国会の承認が不必要ですし、条項の多さを考えれば、この方針は理に適っています。安保条約を改定した後、米側と「在日米軍削減」について、じっくりと協議すればいいのです。
ところが、この方針に真っ向から反対したのが、池田勇人(国務省=副総理級)、河野一郎(総務会長)、三木武夫(経済企画庁長官)の3人で、全員が「同時大幅改定」を主張したのです。しかし、行政協定まで同時に大幅に改定することは、現実問題として実現不可能でした。
なぜこの3人は岸に無理難題をふっかけたのでしょうか。
p40〜
もう一つの謎は、財界のトップから資金が出ていることです。なぜ学生運動に財界が手を貸したのでしょうか。
実際に財界から資金提供を受けたと証言しているのが元全学連中央執行委員の篠原浩一郎で、『60年安保 6人の証言』でこう述べています。
「財界人は財界人で秘密グループを作っていまして、今里広記・日本精工会長さんたちが、とにかく岸さんではダメだということで岸を降ろすという勢いになっていたんですね。(略)」
財界は、学生たちの純粋な情熱を、“岸降ろし”に利用したということです。
p41〜
ここで私が注目するのは、中山素平と今里広記の2人です。彼らは経済同友会の創設当初からの中心メンバーですが、(略)
経済同友会といえば池田勇人の首相時代を支えた財界四天王のひとり、フジテレビ初代社長の水野成夫も経済同友会で幹事を担っていました。池田勇人は大蔵官僚出身で石橋政権時代から岸内閣でも大蔵相だったこともあり、財界とは密接な関係を築いていました。
国際政治という視点から見れば、CIAが他国の学生運動や人権団体、NGOなどに資金やノウハウを提供して、反米政権を転覆させるのはよくあることです。“工作”の基本と言ってもよく、大規模デモではまずCIAの関与を疑ってみる必要があります。
1979年のイラン革命、2000年ごろから旧共産圏で起きたカラー革命、アメリカから生まれたソーシャルメディアを利用したつい最近のアラブの春など、アメリカの関与を疑わざるを得ない例はいくらでもあります。
岸政権打倒のシナリオ
p42〜
確証がある訳ではありませんが、私が考えた1番ありうるシナリオは、次のものです。
1、岸首相の自主自立路線に気づき、危惧した米軍およびCIA関係者が、政界工作を行って岸政権を倒そうとした。
2、ところが、岸の党内基盤および官界の掌握力は強く、政権内部から切り崩すという通常の手段が通じなかった。
3、そこで経済同友会などから資金提供をして、独裁国に対してよくもちいられる反政府デモ後押しの手法を使った。
p43〜
4、ところが、6月15日のデモで女子東大生が死亡し、安保闘争が爆発的に盛り上がったため、岸首相の退陣の見通しも立ったこともあり、翌16日からはデモを抑え込む方向で動いた。
安保闘争がピークに達した6月17日に、一斉に「暴力を排し議会主義を守れ」と「7社共同宣言」を出した新聞7社も、当然のことながらアメリカの支配下にあったことは疑いようがありません。(略)
岸が軽く見ていた60年安保闘争は、外部からの資金供給によって予想以上の盛り上がりを見せ、岸はそれに足をすくわれることになりました。
岸の望んだ形ではなかったかもしれませんが、それでもこの時締結された新安保条約は、旧安保条約に比べて優れている点がいくつかあります。
p44〜
一方で、安保条約と同時に、日米行政協定は日米地位協定へと名称を変えて締結されましたが、「米軍が治外法権を持ち、日本国内で基地を自由使用する」という実態は、ほとんど変わっていません。岸が本当に手をつけたかった行政協定には、ほとんど切り込めず、しかもその後50年にわたって放置されてきたのです。
いわば60年安安保闘争は、岸ら自主路線の政治家が、吉田茂の流れを汲む対米追随路線の政治家とアメリカの反政府デモ拡大工作によって失脚させられ、占領時代と大差ない対米従属の体制がその後の日本の歴史にセットされた事件だったといえるのではないでしょうか。
しかし、岸は改定された安保条約に、将来の日本が自主自立を選べるような条項をしっかりと組み込んでいました。
p45〜
60年安保改定で、安保条約は10年を過ぎれば、1年間の事前通告で一方的に破棄できるようになったのです。自動継続を絶ち、一度破棄すれば、条約に付随する日米地位協定も破棄されることになります。おそらくここには自主路線の外務官僚も一枚かんでいたのでしょう。必要であれば、再交渉して新たな日米安保条約を締結し直せばいいわけです。(略)
岸はこう述べています。
「政治というのは、いかに動機がよくとも結果が悪ければダメだと思うんだ。場合によっては動機が悪くても結果がよければいいんだと思う。これが政治の本質じゃないかと思うんです」(『岸信介証言録』)
p46〜
2.岸信介とCIAの暗闘
CIAは岸を警戒していた
岸という人は、これまで世間ではまったく誤解されてきましたが、アメリカからの自立を真剣に考えた人でした。アメリカを信用させ、利用しながら、時期を見計らって反旗を翻し、自主自立を勝ち取るという戦略に挑みました。その意志に気づいたアメリカ側は、「岸降ろし」を画策し始めます。
では、日本が安保闘争で揺れていた時代、アメリカ側では何が起きていたのでしょうか。今日では、さまざまな資料から、当時のアメリカの様子が窺えるようになっています。
岸が第1に採った戦略は、アイゼンハワー大統領と直接的な関係を築くことでした。
p47〜
岸は1957年6月に訪米して、アイゼンハワー大統領を表敬訪問しています。ここでアイゼンハワーは岸をゴルフに誘います。ダレス国務長官はゴルフをやりません。このときの様子を岸はこう述べています。
「ワシントンのヴァ―ニングトリーという女人禁制のゴルフ場にいったのです。プレーのあと、ロッカーで着替えをすることになって、レディを入れないから、みな真っ裸だ。真っ裸になってふたりで差し向かいでシャワーを浴びながら、話をしたけれど、これぞ男のつきあいだよ」(『岸信介の回想』)
こういった裸のつきあいは外交上でも大きな意味をもちます。このゴルフ以降、岸は大統領との直接的なつながりをもち、非常に親密な関係を築くことに成功しました。
それまで、日米関係はダレス国務長官が牛耳っていましたが、岸がアイゼンハワーと数時間の間でもダレス抜きで直接言葉を交わし、個人的な関係でつながったので、それ以降、ダレスは岸にあまり強く切り込めなくなったのです。現実の外交の現場では、こうした人間的なファクターが影響することは、意外に多いものなのです。
しかし、いくら大統領の支持を得て、CIAから資金提供を受けていようとも、、徐々にアメリカ側は岸の真意に気づき始めます。期待を裏切って、対米自主路線を突き進む岸に対して、アメリカは慌てます。その様子が当時のさまざまな記録から見えてきます。
p51〜
「中国との関係改善」は虎の尾
しかし、なぜ岸はこれほどアメリカから警戒され、嫌われたのでしょうか。
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