【安保法制懇報告書 全文】
「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 全文(1)
中日〈東京〉新聞 2014年5月16日
はじめに
2007年5月、安倍晋三内閣総理大臣は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置した。これまで、政府は、わが国は国際連合憲章第51条および日米安全保障条約に明確に規定されている集団的自衛権を権利として有しているにもかかわらず、行使することはできないなどとしてきた。安倍総理が当時の懇談会に対し提示した「四つの類型」は、特に憲法解釈上大きな制約が存在し、適切な対応ができなければ、わが国の安全の維持、日米同盟の信頼性、国際の平和と安定のためのわが国の積極的な貢献を阻害し得るようなものであり、わが国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえ、従来の政府の憲法解釈が引き続き適切か否かを検討し、わが国が行使できない集団的自衛権等によって対応すべき事態が生じた場合に、わが国として効果的に対応するために取るべき措置とは何かという問題意識を投げかけるものであった。これら「四つの類型」は、(1)公海における米艦の防護、(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、(3)国際的な平和活動における武器使用、(4)同じ国連平和維持活動(PKO)等に参加している他国の活動に対する後方支援についてであった。
これを受け、当時の懇談会では、わが国をめぐる安全保障環境の下において、このような事態に有効に対処するためにはわが国は何をなすべきか、これまでの政府の憲法解釈を含む法解釈でかかる政策が実行できるか否か、いかなる制約があるか、またその法的問題を解決してわが国の安全を確保するにはいかなる方策があり得るかなどについて真摯(しんし)に議論を行い、08年6月に報告書を提出した。報告書では、「四つの類型」に関する具体的な問題を取り上げ、これまでの政府の解釈をそのまま踏襲することでは、今日の安全保障環境の下で生起する重要な問題に適切に対処することは困難となってきており、自衛隊法等の現行法上認められている個別的自衛権や警察権の行使等では対処し得ない場合があり、集団的自衛権の行使および集団安全保障措置への参加を認めるよう、憲法解釈を変更すべきであるなどの結論に至った。具体的には、4類型の各問題について以下のように提言を行った。
(1)公海における米艦の防護については、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合これを防護し得るようにすることは、同盟国相互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。個別的自衛権および自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により反射的効果として米艦の防護が可能であるというこれまでの憲法解釈および現行法の規定では、自衛隊は極めて例外的な場合にしか米艦を防護できず、また、対艦ミサイル攻撃の現実にも対処することができない。よって、このような場合に備えて、集団的自衛権の行使を認めておく必要がある。
(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃についても、従来の自衛権概念や国内手続きを前提としていては十分に実効的な対応ができない。米国に向かう弾道ミサイルをわが国が撃ち落とす能力を有するにもかかわらず撃ち落とさないことは、わが国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺るがすことになるので、絶対に避けなければならない。この問題は、個別的自衛権や警察権によって対応するという従来の考え方では解決し得ない。よって、この場合も集団的自衛権の行使によらざるを得ない。
(3)PKO等の国際的な平和活動への参加は、憲法第9条で禁止されないと整理すべきであり、自己防護に加えて、同じ活動に参加している他国の部隊や要員への駆け付け警護および任務遂行のための武器使用を認めることとすべきである。
(4)同じPKO等に参加している他国の活動に対する後方支援については、これまでの「武力の行使との一体化論」をやめ、政策的妥当性の問題として検討すべきである。
以上の提言には、わが国による集団的自衛権の行使および国連の集団安全保障措置への参加を認めるよう、憲法解釈を変更することが含まれていたが、これらの解釈の変更は、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正を必要とするものではないとした。
わが国を取り巻く安全保障環境は、前回の報告書提出以降わずか数年の間に一層大きく変化した。北朝鮮におけるミサイルおよび核開発や拡散の動きは止まらず、さらに、特筆すべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、わが国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化してきていることである。このような中で、国際社会における平和の維持と構築におけるわが国の安全保障政策の在り方をますます真剣に考えなくてはならない状況となっている。また、アジア太平洋地域の安定と繁栄の要である日米同盟の責任も、さらに重みを増している。
このような情勢の変化を踏まえて、安倍総理は、13年2月、本懇談会を再開し、わが国の平和と安全を維持するために、日米安全保障体制の最も効果的な運用を含めて、わが国は何をなすべきか、過去4年半の変化を念頭に置き、また将来見通し得る安全保障環境の変化にも留意して、安全保障の法的基盤について再度検討するよう指示した。
その際、08年の報告書の4類型に限られることなく、上記以外の行為についても、新たな環境の下でわが国が対応する必要性が生じることを確認しつつ、わが国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために取るべき具体的行動、あるべき憲法解釈の背景となる考え方、あるべき憲法解釈の内容、国内法制の在り方についても検討を行うこととなった。
以上を踏まえ、本報告書においては、以下、1において、まず政府の憲法解釈の変遷を概観した後、憲法第9条の解釈に係る日本国憲法の根本原則は何であるかを明確にし、わが国を取り巻く安全保障環境にどのような変化があったのかを検討し、従来の憲法解釈や法制度では十分に対応することができないと考えられる具体的な事例を示す。その上で、2において、わが国の平和と安全を維持し地域および国際社会の平和と安定を実現していく上であるべき憲法解釈を提示する。さらに、3においてこれを踏まえた国内法の整備等を進めるに当たって考えるべき主な要素について提言することとする。
1、憲法解釈の現状と問題点
1、憲法解釈の変遷と根本原則
(1)憲法解釈の変遷
あるべき憲法解釈について論じる前に、まず、憲法第9条をめぐる憲法解釈は、国際情勢の変化の中で、戦後一貫していたわけではないということを見ていく必要がある。
1946年6月、当時の吉田茂内閣総理大臣は、新憲法を審議し制定した旧憲法下の帝国議会において、「自衛権ニ付テノ御尋ネデアリマス、戦争抛棄ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌガ、第九条第二項ニ於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ抛棄シタモノデアリマス」と述べた。(衆院本会議(46年6月26日))。また、同年吉田総理は、「國際聯合に日本が獨立國として加入致しました場合に於ては、一應此の憲章に依つて保護せられる」と述べており、このような帝国議会における議論を見れば、日本国憲法が制定された当時、少なくとも観念的にはわが国の安全を1年前の45年に成立したばかりの国連の集団安全保障体制に委ねることを想定していたと考えられる。
しかし、その後、このような考え方は大きく変化した。すなわち、冷戦の進行が始まり、国連は想定されたようには機能せず、50年6月には朝鮮戦争が勃発し、52年4月にわが国が主権を回復し、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧・日米安全保障条約)を締結し、54年7月に自衛隊が創設されたが、54年12月、大村清一防衛庁長官は、「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。(略)他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(略)自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」と答弁し、憲法解釈を大きく変えた(衆院予算委員会(54年12月22日))。
また、最高裁判所は、59年12月のいわゆる砂川事件大法廷判決において、「同条(引用注・憲法第9条)は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」という法律判断を示したことは特筆すべきである。この砂川事件大法廷判決は、憲法第9条によって自衛権は否定されておらず、わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは国家固有の権利の行使として当然であるとの判断を、司法府が初めて示したものとして大きな意義を持つものである。さらに、同判決が、わが国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意すべきである。
一方、集団的自衛権の議論が出始めたのは、60年の日米安全保障条約改定当時からである。当初は、同年3月の参院予算委員会で当時の岸信介内閣総理大臣が、「特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における私は集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない」、「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのであります。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えております」と答弁しているように、海外派兵の禁止という文脈で議論されていた。それがやがて集団的自衛権一般の禁止へと進んでいった。
政府は、憲法前文および同第13条の双方に言及しつつ、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を取ることができることを明らかにする一方、そのような措置は必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示すに至った。すなわち、72年10月に参院決算委員会に提出した資料において、「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」とした。続けて、同資料は、「しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」とし、さらに、「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」として、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示した。
同様に、政府は、81年5月、質問主意書に対する答弁書において、「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている」との見解を示した。加えて、同答弁書は、「集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない」とした。集団的自衛権の行使は憲法上一切許されないという政府の憲法解釈は、今日に至るまで変更されていない。
そもそも、いかなる組織も、その基本的な使命達成のために、自らのアイデンティティーを失うことのない範囲で、外界の変化に応じて自己変容を遂げていかなければならない。そうできない組織は、衰退せざるを得ないし、やがて滅亡に至るかもしれない。国家においても、それは同様である。国家の使命の最大のものは、国民の安全を守ることである。その目的のために、外界の変化に対応して、基本ルールの範囲の中で、自己変容を遂げなければならない。さらに言えば、ある時点の特定の状況の下で示された憲法論が固定化され、安全保障環境の大きな変化にかかわらず、その憲法論の下で安全保障政策が硬直化するようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない。それは主権者たる国民を守るために国民自身が憲法を制定するという立憲主義の根幹に対する背理である。
軍事技術が急速に進歩し、また、周辺に強大な軍事力が存在する中、わが国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増している中で、将来にわたる国際環境や軍事技術の変化を見通した上で、わが国が本当に必要最小限度の範囲として個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることができるのか、という点についての論証はなされてこなかった点に留意が必要である。また、個別的自衛権と集団的自衛権を明確に切り分け、個別的自衛権のみが憲法上許容されるという文理解釈上の根拠は何も示されていない。この点については、「2、あるべき憲法解釈」の章で再び取り上げる。
また、国連等が行う国際的な平和活動への参加については、60年代には、内閣法制局は、わが国が正規の国連軍に対して武力行使を含む部隊を提供することは憲法上問題ないと判断していたが、その後、たとえば稲葉誠一衆院議員提出質問主意書に対する答弁書(80年10月28日)において、「・・・いわゆる「国連軍」(引用注・国連がその「平和維持活動」として編成したいわゆる「国連軍」)は、個々の事例によりその目的・任務が異なるので、それへの参加の可否を一律に論ずることはできないが、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないと考えている」とされ、また、88年5月14日の衆院安全保障委員会において秋山收内閣法制局第一部長が「もとより集団的安全保障あるいはPKOにかかわりますいろいろな行動のうち、憲法第9条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当たる行為につきましては、わが国としてこれを行うことが許されない」と答弁しているとおり、政府は、武力の行使につながる可能性のある行為は憲法第9条違反であるとしてきた。一方で、いわゆる「正規の国連軍」参加の合憲性についてはこれを憲法第9条違反とは判断せず「研究中」(衆院予算委員会(90年10月19日)における工藤敦夫内閣法制局長官答弁)、「特別協定が決まらなければ、そのあたりの確定的な評価ができない」(衆院予算委員会(98年3月18日)における大森政輔内閣法制局長官答弁)としている。
(2)憲法第9条の解釈に係る憲法の根本原則
次に、上記(1)で述べたこれまでの憲法解釈の変遷の経緯を認識した上で、下記2で述べるわが国を取り巻く安全保障環境の変化を想起しつつ、憲法第9条の解釈を考えるに当たって、最も重要なよりどころとすべき憲法の根本原則を確認する。
(ア)基本的人権の根幹としての平和的生存権および生命・自由・幸福追求権
上述の72年の政府の見解にあるように、日本国憲法前文は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」として平和的生存権を確認し、また、同第13条は、「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」として国民の生命、自由および幸福追求の権利について定めている。これらは他の基本的人権の根幹と言うべき権利である。これらを守るためには、わが国が侵略されず独立を維持していることが前提条件であり、外からの攻撃や脅迫を排除する適切な自衛力の保持と行使が不可欠である。つまり、自衛力の保持と行使は、憲法に内在する論理の帰結でもある。
(イ)国民主権
また、日本国憲法前文は国民主権を「人類普遍の原理」とし「これに反する一切の憲法・・・を排除する」と規定している。「国民主権原理」は、「基本的人権」と同様、いかなる手段によっても否定できないいわば根本原則として理解されている。「国民主権原理」の実現には主権者たる国民の生存の確保が前提である。そのためには、わが国の平和と安全が維持されその存立が確保されていなければならない。平和は国民の希求するところである。同時に、主権者である国民の生存、国家の存立を危機に陥れることはそのような憲法上の観点からしてもあってはならない。国権の行使を行う政府の憲法解釈が国民と国家の安全を危機に陥れるようなことがあってはならない。
(ウ)国際協調主義
さらに、日本国憲法は、前文で「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」とうたい、国際協調主義を掲げている。なお、憲法第98条は「日本国が締結した条約および確立された国際法規は、これを誠実に遵守(じゅんしゅ)することを必要とする」と述べて国際法規の誠実な遵守を定めている。このような憲法の国際協調主義の精神から、国際的な活動への参加は、わが国が最も積極的に取り組むべき分野と言わねばならない。
(エ)平和主義
平和主義は日本国憲法の根本原則の一つであり、今後ともこれを堅持していかなければならない。後述するとおり、日本国憲法の平和主義は、沿革的に、侵略戦争を違法化した戦争放棄に関する条約(不戦条約)(28年)や国連憲章(45年)等、20世紀前半以降の国際法思潮と密接な関係がある。憲法前文の「日本国民は、(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」という文言に体現されているとおり、わが国自身の不戦の誓いを原点とする憲法の平和主義は、侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄することを定めた憲法第9条の規定によって具体化されている。他方、憲法前文が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めるとともに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と定め、国際協調主義をうたっていることからも、わが国の平和主義は、同じく日本国憲法の根本原則である国際協調主義を前提として解されるべきである。すなわち、日本国憲法の平和主義は、自国本位の立場ではなく、国際的次元に立って解釈すべきであり、それは、自ら平和を乱さないという消極的なものではなく、平和を実現するために積極的行動を取るべきことを要請しているものと言える。政府は、13年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」において、わが国が、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、わが国の安全およびアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定および繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していくことを掲げているが、日本国憲法の平和主義は、この「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の基礎にあるものであるといえる。
軍事力を用いた強制措置を伴う国連の集団安全保障措置に参加するに当たっては、事前または事後に国会の承認を得るものとすべきである。
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◇ 「安保法制懇」報告書 全文(1)
◇ 「安保法制懇」報告書 全文(2)
◇ 「安保法制懇」報告書 全文(3)
◇ 「安保法制懇」報告書 全文(4)
◇ 「安保法制懇」報告書 全文(5)
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◇ ≪権力「縛る」だけが憲法か≫ 「憲法は権力を縛るもの」は誤り 護憲派に都合のいいレトリック 2014-05-15 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
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