〈来栖の独白〉
現在私は朝日新聞ではなく中日新聞を購読しているが、20年ほども前、朝日新聞を購読していた頃、日曜の朝日歌壇で郷隼人という人の入選歌を興味深く読んだ記憶がある。
最近、中日新聞読書欄で郷氏の『LONESOME隼人 獄中からの手紙』が出版されていることを知り、読んだ。殺人の罪で、アメリカの刑務所に無期囚として収監されている。
一つ、特筆しておきたい。本書には、被害者に対する謝罪の類の文脈は見当たらない。この種の人の出版物に「謝罪」の類の言葉を期待する読者は少なくないのではと私は思うが、本書には見当たらない。
本書は、刑務所内での著者の日常が大半の紙幅を割いて述べられている。また、後半には著者の母を想う歌が多く載せられている。
日本に比べれば格段に自由が確保されていると見えるアメリカの刑務所であるが、行刑施設の正体である「人権無視」(p201〜)は、大きな手を広げて囚人を絡め取る。悔しさに耐え、それに従うことは、己が非(罪科)を深いところから認識させられることである。
親の死に目にも会えなかった(p220〜)愚かさは、そのまま己が手足縛られた罪人であると認めさせることであり、著者は深い悔悟の底で頭を垂れる。痛切極まりない嘆き。けっして生半可ではない。
〈来栖の独白〉追記
「ストリップ・サーチ」は勝田清孝もやらされたはずだが、彼は私に一度もそれについて触れなかった。余りの屈辱、惨めさに、口にすることが耐えられなかったのだろう。
『LONESOME隼人 獄中からの手紙』 郷隼人著 2014年2月20日第1刷発行 幻冬舎
<筆者プロフィール>
鹿児島県出身。若くして渡米。1985年、殺人及び殺人未遂の2件の罪で有罪の宣告を受け収監。以後、ライファー(LIFER 終身服役囚)として28年間、カリフォルニア州立刑務所で服役。現在ソルダッド・プリズンに在監中。96年に、「囚人のひとり飛び降り自殺せし夜に〈Free as a Bird〉ビートルズは唄う」が朝日歌壇初入選。2004年に1冊目の本、歌文集『LONESOME隼人』(幻冬舎)を上梓した。
p8〜
はじめに
僕はたくさんの時間を失ってしまった。
二度と取り戻せない貴重な歳月を失ってしまった。
日本を出てから39年、無期囚として収監されてから28年、ここソルダッドに来てから19年が過ぎた。
その間に父と母が亡くなった。
二人のことを想うと胸が張り裂ける。失った歳月の重さに崩れ落ちそうになる。
とうとう、生きている間に会うことは叶わなかった。
獄中から見える月は昔と少しも変わらないが、僕は歳をとり老いていく。
冷酷に時が過ぎていく監獄の中で、生まれ故郷の浜を目指す海亀のように、いつかは鹿児島へ戻る日だけを頼りに僕は歯を喰いしばって生き続けている。
罪を償い、生きて日本へ帰り、父と母の墓に手を合わせるために。
39年前、野心と夢に燃えてやって来たアメリカ。
p9〜
今頃は家族と語らいながら、ゆっくりと朝のコーヒーを飲んでいるはずだったのに、突然歯車が狂い、かけがえのない人生の大半を米国の獄に繋がれている。
365日英語でしゃべり、英語で考え、僕の中の日本はどんどん遠く小さくなっていく。
だから、僕は日本人であり続けるために短歌を作り、日本語で本を書き、I am Japanese! と叫び続ける。
監獄でも娑婆でも生き抜くことは絵空事ではない。僕をはじめ、誰もが毎日リアルな現実と向き合っている。
自分に負けず、一縷の可能性を信じて過ごさなければならない。
郷隼人の名前はソルダッドに置いて、いつの日にか、故郷の土を踏むその日まで。
p201〜
人間ひとり、どのような状況下に置かれても、自分は獣(アニマル)ではない。一人の人間であるという「人間の尊厳、人間としてのディグニティ」を主張することを忘れてはならない。次の一首はそのことを詠んだものです。
真夜(まよ)独り歌詠む時に人間としての尊厳(ディグニティ)戻る独房
この歌は、次のような経過で生まれた作品です。
所内の獄廊を歩いていた時、自分の半分くらいの年齢の新入り若造看守に「こら! 止まれ。どこへ行くんや? パスを持っとるか?」と、そのスパニッシュ系のガードに命令されました。
僕の態度がよほど気に喰わなかったのか、無線ラジオであと二人の看守を呼び、近くの棟の倉庫に連行され、ストリップ・サーチ(全裸身体検索)をやるので「服を全部脱げ! 靴下も全部だ」、と命令されました。ストリップ・サーチは過去に何百回もやらされてきたのだが、これだけは絶対に慣れることはない。
p202〜
ストリップ・サーチの手順(ルーテイーン)は以下の通り。?頭髪の中を両手で搔き回し、髪の中に何も隠し持っていないことを示す。?耳の内外、裏を検査させる。?口を開け、舌の上・下、下唇と下歯ぐきの間をひっくり返し検査官に見せる。上唇も同様に示す。?両腋の検査。?鼻の穴。?男根。?睾丸袋の裏表。?後ろを向いて両足の底を見せる。?背中。?最後のさいごが肛門の検査。前かがみになり、尻を看守の顔に突き出すポジションのまま、両手を両尻のチークに当て、ケツの穴を押し開く状態で、わざと咳を大声で「ゴホン、ゴホン、ゴホン」としなければならない。
これは米国刑務所に伝統的に受け継がれているルーティンの、代表的な〈肛門検査〉です。理由は、マリワナ、コカイン、ヘロイン、スピード(メタンフェタミン)などのドラッグを隠し持つ服役囚が後を絶たないからです。(略)
p203〜
話は元に戻りますが、短歌「真夜独り…」は、娑婆で自分はメキシコ人を使っていたのに、今日はそのメキシカンの生意気なルーキー刑務官、年の頃ほんの23〜4歳の若造に呼び止められて、ケツの穴まで検査された。でも、こうして真夜中に短歌を詠む時間には、何者も邪魔をすることができないのだ。
その情けなさ、無力感、怒り、を白紙に向かい吐露するというポエムは強力である。そんな若造の看守にいちいち腹を立てていても、何の未来もあるまい。自分には歌があるではないか! (略)
p220〜
獄に読む母の文こそ哀しけれ 父の介護に疲れ果てしと
節分の〈豆のお守り〉検閲を パスせず母へ返送されゆく
仮釈放を拒否されしとは老い母へ 手紙に書けずふた月経ちぬ
〈岸壁の母〉の如くに我が還り 待ちいる老母が瞼に浮かぶ
p221〜
母恋し離ればなれの30年 「おふくろさん」を心で唄いぬ
突き刺さる介護疲れの母の文 獄の己を憎悪するのみ
囚われて母の死に目に会えもせで 歌詠むなどと我(わ)は愚か者
十年の歳月を経て初めての 母の便りに胸がつまりぬ
「母さんへ」と最後の手紙読むこともなく 母は天国に召されてゆきぬ
母逝きぬ母を嘆かせ悲しませ 我は不幸の極みをなせり
p222〜
両親の死に目に会えぬ不幸者 不孝の限りの極悪息子我は
さみしきはもう書くことのできぬこと 母を偲びぬ獄窓の秋
航空便は我々母子に唯一の 絆であった生命線(ライフライン)
海隔て36年も会わぬ儘 母が突然消えてしまった
我を待ち84年の人生に 36年待ち逝きましぬ母
もう母は苦しむこともなかりけり あの世で父と夫婦喧嘩しているらむ
苦しかった父の介護と抗癌剤治療より 母はやっと解放されましし
母逝きぬ父を介護し十余年 父逝きやっと楽になったのに
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