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87歳の母親殴り死亡させた疑い 介護疲れか/ 「こころのよくてころさぬにはあらず」

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87歳の母親殴り死亡させた疑い 介護疲れか
 NHK NEWS WEB 7月19日 14時10分
 東京・墨田区で87歳の母親の顔などを殴って死亡させたとして、60歳の女が傷害致死の疑いで逮捕されました。
 女は「母が寝たきりになってから暴力を振るうようになった」と供述しているということで、警視庁は介護疲れが犯行につながったとみて詳しいいきさつ調べています。
 逮捕されたのは東京・墨田区錦糸の無職、木村美代子容疑者(60)です。
警視庁の調べによりますと、木村容疑者は今月13日から15日までの間、自宅で同居していた母親の咲子さん(87)の顔や右肩などを殴って死亡させたとして傷害致死の疑いがもたれています。
 今月16日に木村容疑者が「母が熱中症で意識がない」と消防に通報し、かけつけた救急隊が咲子さんが亡くなっているのを確認しましたが、目の周りにあざがあるのに気づき警察に通報したということで、警視庁によりますと、咲子さんはろっ骨や腕の骨が折れていたということです。
 調べに対し木村容疑者は容疑を認め、「ことし5月ごろから母が寝たきりになり身の回りの世話をしていたが、いらいらすることが重なり、週に3、4回、暴力を振るうようになった」と供述しているということです。
 警視庁は介護疲れが犯行につながったとみて詳しいいきさつを調べています。
 ◎上記事の著作権は[NHK NEWS WEB]に帰属します 
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〈来栖の独白〉
 母子ともに、なんとも痛ましい。他人事ではない。
 親鸞は『歎異抄』のなかで次のように言う。
 「こころのよくてころさぬにはあらず」
 人の心が善いから殺さないのではない。それは「業縁」のなせるわざである、と。
 五木寛之氏は「人間というものが、状況と行動のはざまにおいて、常にぐらぐらと不安定な、おそるべき存在である」と言われる。換言するなら、人は状況次第でどのような悪行でも行える、と言われるのである。更に突き詰めて極論するなら、人間はすべて悪人である、悪を抱えている、そういう存在である、と。
 私が人を殺さなかったのも、心が善かったからではなく、たまたまそういう状況に立ち至らなかったからにすぎない。介護認定4の母を殺さないのも、母が然るべきホームで手厚い介護を受けており、私に何の苦労もないからに他ならない。
 ことほどさように、自らの力によってどうこうできることは、実は皆無である。そう思い至ったとき、歎異抄の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(悲苦の深いものから救われる)の弥陀の本願が無上に有難く感じられるのである。判断基準は、行いの「善」「悪」ではない。悲しみ・苦しみの深さである。悲苦に悩む人をこそ、弥陀は憐れんで救ってくださる・・・。
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「千人殺せば往生」 2010-06-30 | 仏教・・・/親鸞/五木寛之 
 親鸞「千人殺せば往生」 梅原 猛
 中日新聞夕刊 2010/6/28 Mon.
  鎌倉仏教の法華宗の宗祖日蓮、及び曹洞宗の宗祖道元が、仏教の第一の戒である不殺生戒を守ることについて必ずしも厳格でないことが分かった。それでは浄土真宗の宗祖親鸞はどうであろうか。
 私は70年前から『歎異抄』を何百回と読んできたが、そこでもっとも理解し難かったのは第一三条である。親鸞が唯円に「私の言うことを信じるか」と念を押したうえで「人を千人殺せば必ず往生することができる」と言うと、唯円は「私には一人でも殺す器量がありません」と答えた。すると親鸞は「人を百人、千人を殺すのも、また一人も殺さないのも前世の因縁によるものであり、その人の心がよいか悪いかではない」と言った。
 この第一三条の話は、「善人なをもて往生をとぎ、いはんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや」という第三条に通じる『悪人正機説』の話であろうが、それにしても、親鸞が「人を千人殺せば往生できる。おまえは千人殺せるか」と弟子の唯円に言ったと言うのはいささかならず異常なことのように思われる。
 清沢満之が『歎異抄』を再発見して以来、『歎異抄』は「悪人正機説」のバイブルとなった。そこで悪といわれるのは、師にまして『歎異抄』を広めることに貢献した満之の高弟、暁烏敏の考えるような、性欲を抑えられず次々と女色の罪を重ねる悪ではない。それは明らかに人殺しの悪なのである。
 この説は親鸞の主著『教行信証』でもはっきり語られている。「観無量寿経」は、わが子アジャセ王に幽閉されたイダイケ夫人の往生を説く教典であるが、『教行信証』は、父を殺し母を幽閉した極悪人というべきアジャセ王の往生を語る経典といってよい。
 私は、この親鸞の異常な思想が何に起因するのか、長い間分からなかった。浄土教研究家の吉良潤氏が綿密な文献考証によって、親鸞の母は源義朝の娘であるという説を出したが、この説に私は賛同する。親鸞の母方の祖父が源義朝であるとすれば、この異常な思想がよく理解されるのである。源義朝は保元の乱において敵となった父為義を殺したし、千人もの人を殺していることは間違いない。
 甚だしい自己省察の人である親鸞は自己の血の中にそのような悪人を感じ、そのような悪人も念仏を唱えれば往生できるという思想に魅せられ、僧としての出世の道を投げ捨てて師、慈円のもとを離れ、一介の聖にすぎない法然のもとに走り、浄土念仏の教えの熱烈な讃仰者になったのではないかと私は思う。親鸞ほど、救われた喜びを高らかに語った祖師はいない。また親鸞の念仏は、法然の念仏よりはるかに感謝の念仏という性格が強い。
 このように考えると、親鸞の「悪人正機説」は、心ならずも不殺生戒を犯さざるを得なかった人間を救う教えであったといえる。(哲学者)

◆ 五木寛之著『人間の運命』=人間すべて悪人という反ヒューマニズムの自覚 2009-11-12 | 仏教・・・/親鸞/五木寛之 
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上田哲・長門栄吉裁判長「アホ判決」(名地裁・高裁)91歳の認知症夫が電車にはねられ、85歳の妻に賠償命令 2014-05-28 | 死と隣合わせ/life/高齢者 
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