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「秋葉原事件」加藤智大被告が「黒子のバスケ」脅迫事件に見解表明

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「秋葉原事件」加藤智大被告が「黒子のバスケ」脅迫事件に見解表明!
 篠田博之 | 月刊『創』編集長
  2014年8月14日 17時30分
 これまでマスコミの取材を拒否し、自著以外ではコメントを発してこなかった「秋葉原事件」加藤智大被告が、何と昨日、「黒子のバスケ」脅迫事件・渡邊博史被告の意見陳述についての見解を、弁護人を通じて送って来た。渡邊被告が最終意見陳述で秋葉原事件についてコメントした内容が「かなり正確に理解できている」「事件に至る体験を有している」と感じたためのようだ。渡邊被告は、秋葉原事件で加藤被告が多くの人を殺傷し、自分の犯罪で死傷者が出なかったのは「たまたまその瞬間に思いついたことが違っただけにすぎません」と述べ、事件の背景に共通のものがあると語っていたが、奇しくも加藤被告も渡邊被告の陳述に共感するものを感じたようだ。
 ここに今回、加藤被告が自ら「犯罪経験者にのみ理解可能な犯罪者心理のささやかな解説加藤被告の見解」と題した見解の全文を公開する。加藤被告は現在、最高裁に上告中で、今回の見解とともに近著『殺人予防』(批評社)を私のもとに送って来た。
 なおこの場を借りて書いておきたいが、前回7月18日の「黒子のバスケ」脅迫事件公判で渡邉被告が一部を読みあげた最終意見陳述だが、長大な全文を同日、このブログにアップした。その後、本人は再度細かい部分に手を入れ、裁判所に再提出した。細かい言葉の言い回しが変わっただけなので、ブログにアップしたものを逐一修正するのはやめて、最終的なものを新たに「完全版」と題して創出版のホームページにアップした(『創』9・10月号の香山リカ、斎藤環両精神科医の見解も付けた)。最終意見陳述については、精神科医や様々な専門家も関心を持っており、研究や引用などのために正確な記述を必要とする場合は、ぜひ「完全版」のほうをご覧いただきたい。
 では、以下、届いたばかりの加藤智大被告の見解を全文公開する。

【犯罪経験者にのみ理解可能な犯罪者心理のささやかな解説】加藤智大
 黒子のバスケ脅迫事件の渡邊博史被告人の意見陳述を読みました。まず驚いたのが、私の拙著『解』(批評社)への言及がなされている点です。そして、さらに驚くのは、精神科医の香山リカ氏をもってしても「身勝手で理解不能」とされる『解』の内容、渡邊氏はかなり正確に理解できていることです。今では、私としても『解』はかなりわかりにくいと思っており、コーヒー片手になんとなく目を通して理解できるものではないことはよくわかっていますが、そのような難解な文章をしっかりと読み説いてもらったことは、ありがたい話だと思っています。
 しかし、「しっかり読む」だけで本当に全てを理解できるのでしょうか。香山氏も、仮にも精神科医であるなら、対象に寄り添い、当事者から学ぶ謙虚な態度で『解』を読んだはずなのに、それでも理解不能だったのでした。一方で、理解できた渡邊氏が香山氏とどこが違うのかといえば、本人の能力の高さもあるのでしょうが、一番大きいのは,事件に至る体験を有していることだと思います。貧乏人の苦労は金持ちにはわからず、金持ちの苦労は貧乏人にはわかりません。体験したことがない事柄については、どんなに言葉で説明されてもなかなか理解できないものです。
 逆に、私も、おそらくは理解不能とされているであろう,渡邊氏の陳述の意味がわかってしまいました。誰かに依頼されたわけではありませんが、執筆意欲をかきたれられるものがありましたので、勝手に解釈を試みてみたいと思います。なお、私の見解が渡邊氏の考えと本当に一致しているかはわかりません。あくまでも私の意見です。
 前提として、まず、「AだがBすればCになる」という考え方を身につけましょう。現状はAだが行動Bを起こせばその結果Cになるということです。一般には人の行動は「AだからBする」という形で説明されますが、それは根本的に間違っているのであり、行動の本質は現状を何らかの結果へ変化させる手段なのだと理解して下さい。
 ただし、行動Bは現状Aを望ましい結果Cへと意図的に変化させることができる一方で、行動Bによって現状Aが望ましくない結果Cへと勝手に変化してしまうこともあります。わかりやすく書くなら、
1 AだがBすればCになる。だからBする。
2 AだがBすればCになる。だからBしない。
 という、ふたつの考え方のパターンがあるということです。これ以外にはありません。また、1が満たされるだけでは行動が実行されることはないという点に注意が必要です。行動は、1が成立かつ2が不成立という条件が揃ったときにはじめて実行されるのです。
 この考え方により、渡邊氏が説明に苦労している「浮遊霊」と「生霊」についても簡単に片付けられるでしょう。事件をやらかしてしまう「生霊」は事件を起こすという行動に関して1が成立かつ2が不成立という条件を満たした人であり、それに対して無害な「浮遊霊」は1も2も不成立である人です。社会とのつながりがないために事件を起こすことを思いとどまることができない「無敵の人」であっても、そもそも事件を起こすことを必要とする理由がないのであれば,事件を起こすことはあり得ません。
 その「浮遊霊」に関してですが、それは渡邊氏独自の言葉ではありますが、表現が独特であるだけで、その中身は人間の普遍的な心理です。私の言葉なら「社会との接点を失った孤立状態」ですが、それでもまだ通じないのかもしれません。世の中でよく使われる言葉だと「人とのつながり」「絆」「かけがいのないもの」「誰かの役に立てること」などを失うということになるでしょうか。それらを全て失うことがどれほどの精神的苦痛であるのかは、失った経験がある人にしかわかりません。渡邊氏もそうだったようですが、私も、孤立した際には自殺を考えました。「AだがBすればCになる」と考えましょう。孤立しているのが苦痛だが自殺すればもう苦しまずに済む、のであり、だから自殺を考えるのです。社会との接点を失って孤立状態になる「浮遊霊」化は、自殺という手段を用いてでも逃れたい極限の苦痛なのです。
 しかし、渡邊氏も私も、結局は自殺していません。どうしてでしょうか。ヘタレだから、などと言われそうですが、それはただの人格否定の中傷でしかありません。もっと真面目に考えて下さい。「AだがBすればCになる」のです。孤立が苦痛だがBすれば苦痛から解放されるのであり、苦痛から逃れられる手段になり得る行動Bは、自殺だけではありません。最も根本的な対応をするなら、孤立が苦痛でも、孤立を解消すれば苦痛から解放されます。
 では、孤立を解消するにはどうしたらいいのでしょうか。無理矢理に社会との接点を作ればいいのです。渡邊氏の言葉では「つながりの糸を仮設する」ということです。その接点(糸)については、私は「質より量」でした。「マンガ家を目指そうとして挫折した負け組」などといった設定で社会との接点を維持していた渡邊氏も、おそらくそうだと思います。余談ですが、逆に「量より質」でたった1本の「つながりの糸」に固執し、自分の全てをかけるのがストーカーというものです。
 渡邊氏の言う「マンガ家を目指して挫折した負け組」「同人誌の世界の片隅の1人」「新大久保の住人」という社会との接点を不審に思う人がいるかもしれません。というのも、私が事件直前まで社会の接点としていた「工場でのオタクキャラ」「掲示板の住人」「掲示板上での不細工・非モテ自虐キャラ」のうち特に掲示板関係が理解されていないからです。
 私の「キャラ」という説明より、渡邊氏の「設定」という説明のほうが世間一般には受け入れやすいかもしれません。つまりは、「そういうことにしておくと人とのつながりを持てる」ということです。渡邊氏や私の設定がナナメ上に大きくずれているために他人事のように思われるのでしょうけれど、「明るく元気に振る舞う」「酔ったふり」「ブリッ子」などといった設定で対人関係を獲得、維持、発展させているような例は世の中にあふれています。あるいは、芸人やアイドルの「設定」も同じことです。ファンを増やすのは、「つながり」を作ることだといえるでしょう。どんなにおかしな設定(キャラ)であってもそれは社会とのつながりを確保するためのものであり、誰でも当たり前にやっていることで、しかし重要であることを理解していただけたでしょうか。
 事件前の渡邊氏は、「たった1人のスーパーマンに全ての糸を切られ」たために孤立しました。事件前の私はなりすましらの破壊行為のために掲示板を去って孤立しました。それなら思考は自殺へ向かうのではないかと思われるかもしれません。確かに孤立と自殺とは接近したものです。しかし、実際には、渡邊氏も私も犯罪行為に突き進みました。矛盾はありません。社会との接点を「失う」のと「奪われる」のでは、その意味は全く変わります。失うのは自分が悪いのですから、誰の責任を問うこともできません。しかし、奪われる場合は、奪っていった相手がいます。たとえ誰かに全てを奪われたとしても、奪っていった相手とのつながりが残るのです。「奪われた」という不満や悲しみの形で。それが唯一の社会との接点となるために、孤立しないよう、そこにしがみつきます。だから、渡邊氏は奪っていった人である「たった1人のスーパーマン」こと黒子のバスケの作者の藤巻氏に、そして私は奪っていった人である成りすましらに、ストーカー的になりふり構わずに食らいついていたわけです。そこから振り落とされたら、社会的な死を迎えます。それがどれほどの精神的苦痛であるかは、トラウマ的に身にしみてわかっており、必死でした。渡邊氏も主張するように、嫉妬でもなければ怨恨でもありません。復讐でもやつ当たりでもなく、生きるためなのです。
 正当化しているわけではなく、また、正当化することもできません。ここまで書いてきたような心理を自覚できれば、「奪われた」のだとしてもなお、別のところに社会との接点を見つける(つながりの糸を仮設する)ことができたはずです。渡邊氏は物事への興味が薄いそうですが、それでも事件前に知っていたら事件は起こさなかったと言えるほど夢中になれるアイドルグループが存在するわけですから、他にも、知らないだけで知れば「仮設の糸」になり得るものはいくらでもあるはずです。私の場合も、事件前には多少の努力はしましたが、真剣に考えれば掲示板を捨てて事件を思いとどまれるものはいくつもありました。幼少期に受けた虐待によってハンデキャップを負っているにしても、知らないことがあるという事実に気付き、「知らないことを知る」ことで社会との接点を確保する努力をすべきだったと思います。
 なお、渡邊氏は「努力」に対して否定的ですので、言葉を変えましょう。努力とは、あらゆる可能性を試すことです。全ての選択肢が失敗に終わったなら、最後の手段として事件を起こしたとしても、許されるでしょう。しかし、より良い別の選択肢がまだ残っているのに安易に事件という手段に訴えるから責められるのです。渡邊氏も、藤巻氏に絡んでいくにしても、例えば、内容証明郵便で作品の批評を送りまくるとか、書店から第1巻だけを買い占めるとか、購入した全巻をシュレッダーにかける動画を公開するなどといった「脱法アタック」でも満足できたのではないでしょうか。
 誤解のないように補足しておきますが、親の虐待行為を問題視するのは、事件を親のせいにしたいからではありません。私はうつ病などというものは存在しないという立場ですので、「被虐うつ」も認めませんが、虐待を含む親の不適切な言動の悪影響が子供に残ってしまうのは事実であり、それを指摘しているだけです。
 例えば、世間一般には問題のないことなのに何をしてもいちいち親から小言を言われ、怒られ、叩かれ続ける環境に置かれた子供はどうなるでしょうか。「AだがBすればCになる」と考えましょう。今のところは無事だが何かをすれば怒られる、という状況です。「何か」をすれば怒られるのですから、「何か」をしなくなる,つまり何もしなくなるでしょう。何をすれば怒られるのかを学習して怒られないように対応するのは、誰にでもあることです。何をしても怒られるのなら、できるだけ何もしないようになるのは当然の流れでしょう。
 あるいは、渡邊氏は、心のセンサーがネガティブな方向にずれていたとしています。私としては、ずれていたのではなく、補正されたと考えるべきだと思います。なぜ補正されるのでしょうか。学習するからです。過去の経験から学習するから補正するのです。「地震がこようが津波をかぶろうが絶対に大丈夫。日本の技術は世界最高だから安心・安全!」だった原発への評価が「危険。不安。稼動するな!」というネガティブな方向に補正されたのは、フクシマで「学習」したからではないのですか? 同様に例えば、何をやっても怒られると学習した人は、何かを褒められたとしても馬鹿にされたとか皮肉られたとしか思えず、褒め言葉を褒め言葉として受け取ることができなくなってしまっているのです。渡邊氏が自虐的だったのはそのためでしょうし、事件後に得た情報で新たに学習したことで、今では心のセンサーはニュートラルに補正されたようです。
 それでも、渡邊氏は、出所後に自殺することを考えているようです。私としては、やや理解に苦しむところです。陳述の中で「今まで自分の感情を支配していた対人恐怖と対人社会恐怖が雲散霧消してしまいました」「渡邊博史として人生が再スタートしました」などとしていますから、何らかの事情で自殺を考えても、自殺したらもったいないと思えるような社会との接点が得られるのではないでしょうか。何より、黒子のバスケ脅迫事件の犯人という肩書きは、一生消えることのない「つながりの糸」です。これは皮肉でも何でもありません。渡邊氏自身が「自分は犯罪者ですが人を殺めていません」としている通り、まだ十分に残りの時間があるのですから、「経験者」として「何もわかっていない識者wwwwの頓痴気なコメント」の誤りを追究し,犯罪者心理の真実を世の中に伝えることには,事件の予防という意味において大きな意義があるはずです。

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 篠田博之
 月刊『創』編集長・篠田博之 1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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