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「ヘリコプターで魚釣島上空まで 眼で直に感じることを大切にした有吉佐和子の信念」 富岡幸一郎

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高齢化に環境汚染、領土問題まで見抜いていた ヘリコプターで魚釣島上空まで 眼で直に感じることを大切にした有吉の信念
 (SAPIO 2014年9月号掲載) 2014年8月14日(木)配信 文=文芸評論家・富岡幸一郎 
 作家・有吉佐和子が53歳で急逝したのは、昭和59年8月30日のことだった。没後30年となる節目の今年、新装版や復刊が相次ぐが、時代小説にせよ、ルポにせよ、有吉が描いたテーマや言葉は、あたかも現代日本を予見していたかのようだ。社会と人間の本質を見つめ続けた有吉文学を、今こそ読み直したい。
 すぐれた小説家は、先見性すなわち時代の本質を見抜く力を持っている。没後三十年となる有吉佐和子は、その意味で今もっとも注目すべき作家である。
 二十代前半から歌舞伎や日本舞踊について書いていた有吉は、二十五歳のとき『地唄』という箏曲を演奏する父娘の葛藤を描いた作品で芥川賞候補となり、文壇に颯爽とデビューする。小説だけではなく劇作や演出もこなす多彩な才能で一躍スター作家となった。
 昭和三十年代の高度成長期の波に乗るかのように、テレビ出演などもふくめて仕事は多忙をきわめたが、それはたんに大衆的な人気作家の軌跡ではなく、小説という表現ジャンルを自在に拡げることで、複雑多様化した文明のなかに生きる人間を描いてみせる新たな文学的試みであった。
 野間宏などを代表とする戦後文学の純文学作家たちが、「全体小説」と称して社会や人間の在り様を難解に描こうとしたのにたいし、有吉佐和子は日本の伝統的な女流作家のたおやかな感性によって、時代の変化やそのすがたを鋭敏に映し出したのである。
*“恍惚”が問いかける人間の生
 昭和四十七年に発表した『恍惚の人』は、精神を病んだ老人をテーマにした小説で空前のベストセラーとなった。老人福祉政策に未だ人々の目が十分にいかずに、戦後の経済的繁栄に浮かれ(翌年にオイル・ショックがあり、街中のトイレットペーパーが買い占められるという珍事もあった)ていた日本人に、人が生き老いることの切実な現実を突きつけた。“恍惚”の八十四歳の老人の奇行、幻覚、徘徊の日々に翻弄される家族。一流商社に勤める夫と法律事務所でタイピストの仕事をする妻にとって、父親の突然の変貌はまさに青天の霹靂であった。妻の昭子は、夜中に突如起きあがっては、ひィひィひィと悲鳴をあげたり、一人で家を出て行き街道を猛スピードで歩き続けたりする舅の行動に、自らも神経を病み焦燥と苛立ちにかられるが、仕事を理由に自分の父親の現実から目をそらして逃げようとする夫を見て、最後まで「お爺ちゃん」の世話をしようと決意を固める。しかし、彼女は舅の徘徊がたんなるボケではなく「老人性の精神病」であることを専門医から知らされ、愕然とする。そうした老人を収容する施設は一般の精神病院しかないといわれたからである。
《……老人福祉指導主事は、すぐ来てくれたけれど何一つ希望的な、あるいは建設的な指示は与えてくれなかった。はっきり分かったのは、今の日本が老人福祉では非常に遅れていて、人口の老齢化に見合う対策は、まだ何もとられていないということだけだった》
 四十二年前のこの小説の衝撃は、特別養護老人ホームなどの福祉施設の増加はあっても、人口の高齢化がいっそう進む現在において、過去のものとなるばかりか、ますます切実な現実として響いてくる。またこの小説は経済成長のなかでわが国の社会と家族の在り方がおおきく変化し、とくに家庭における主婦が、いわゆる「家事」から「社会」参加へと移り変わっていく時期を反映していた。その意味で主人公は昭子であり、この作家がデビュー作以来のテーマとしてきた、艱難や差別を乗り越えて社会の地平に力強く立つ「女の生き方」が正面から描かれている。さらに、長い人生を営々と歩んできて、その果てに「醜い姿をさらしながら饐え腐っていくような」老いをむかえねばならないとすれば、「人は何のために生きるのか」という人生への普遍的な問いがある。それは「人間は誰のために生きるのか」という最も現実的な問いに重なる。昭子が自分の生活を犠牲にしてでも、一所懸命に義父の世話をするのは、この問題をしっかりと見据えようとしているからである。この一点において、『恍惚の人』は時代に消費されるベストセラーではなく、時代を越えて読み継がれている文学作品なのである。
*小説家の直感が浮かび上がらせた「恐るべき逆説」
 先見性ということでは、昭和五十年に刊行された『複合汚染』は、有吉作品のなかでも特筆されるべき傑作である。
 新聞連載時から多くの読者を得て瞠目されたこの作品は、工業化と科学技術の進歩のなかで自然破壊がいかに広範な危機を人類にもたらしているかを、農業の化学肥料や次々に売り出される合成洗剤、食料品の防腐剤、自動車の排気ガスの汚染など様々な角度から具体的にあきらかにしている。高度成長期に入り公害問題や水俣病などの化学物質による深刻な被害が注目されてきたが、“複合汚染”という言葉はまだほとんど知られていなかった。しかし、二つ以上の毒性のある物質を長期にわたって生活習慣として摂取すれば、それは人体のみならず、自然環境、地球そのものに甚大な破壊をもたらす。農薬という名の毒素や食品添加物は、排気ガスや工場の煙に汚された空気を吸っていることで、相加作用を示して人体を蝕んでいく。レイチェル・カーソンが『沈黙の春』(一九六二年)で警告したように、自然破壊は環境としての外の世界ばかりではなく、生物の細胞組織そのものを侵犯し、生命の核を破壊していく。
 作家は、したがって『複合汚染』でいわゆる社会問題としての環境破壊を取りあげたのではなく、人間の生命そのものをテーマとして描こうとしたのである。厖大な数の文献を調べ、多くの専門家に直接取材をして書き進められているが、これがルポルタージュにとどまらず「小説」となり、「文学」となっているのは、一つ一つの汚染の危機と実体を暴き出しながら、作家がその先にある人間の生き方の本来性に常に目を集中し注いでいるからだ。作中の次のような言葉は象徴的である。
《健康な土から、健康な農作物を作り、それを食べてこそ人間は健康に生きることができる。大地という自然の恵みなしに私たちは一日も生きることができない》
 大地とそれを構成する土。生物の源としての何億年という長い時間によって育まれてきた土と水の汚染は、この地球の生命と環境のバランスを崩壊させてしまう。『複合汚染』は、しかし難しい化学論や哲学的な生命論などではなく、それを素人の立場として(作中では読者に分かりやすく説明するために、あえてその「立場」に作家自らを立たせている)叙述していく。小説家の直感は、危機の事実の背後にうごめいているものを掴み出し、その正体を次第に浮かびあがらせる。それは豊かな生活や便利さを実現させた近代文明それ自体が、人間の生命を痛めつけ殺していく、という人類が到達した途方もない恐るべき逆説である。
 本のあとがきに作家は、「私が目的としたのは『告発』でもなければ『警告』でもありません」と記しているが、『複合汚染』が今日でも読まれ、その衝撃度が増しているのは、原発事故に代表されるように、われわれが科学と文明の恩恵を受けながらも、そこに深い不安と自省を感じているからであろう。
*政治思想ではなく人間を視た
 有吉は『地唄』『キリクビ』などの芸道を描いた小説、『紀ノ川』『日高川』『有田川』のような女の一生を年代記的に書きあげた作品、花柳界を舞台にした『香華』『芝桜』、幕末維新の歴史を背景にした『和宮様御留』など実に多彩な作品を、五十三歳で急逝するまで旺盛に書き続けたが、それらの全体を改めて俯瞰してみるならば、男性中心の近代社会のなかで、その負と影の部分を引き受けて生きようとした女性の生命力の勁さを一貫して描いてきたのである。『複合汚染』にしても、日々の生活の細部へと目が行き届く主婦、生活者の眼差しから書き起こされているのであり、かつては米びつに黒点のように生息していたコクゾー虫が、いつの頃からか見えなくなったという日常の疑問の一つから出発している。それはまさに女性の視座なのである。
 さらに付け加えるならば、この作家が時代のイデオロギーや政治思想にほとんど左右され翻弄されなかったことである。満州事変の起こった昭和六年に生まれ、終戦を十四歳でむかえた有吉は、父親の勤務地の関係で幼年期をジャワ(現インドネシア)に育ったこともあってか、戦前の皇国史観や戦後の進歩主義の左翼思想からも自由な、思想よりも人間を視る作家の眼差しを一貫させてきたといっていい。その眼差しを支えたものは、作家としての限りない探究心と結びついた行動力であった。
 昭和三十六年に日本文学代表団の一員として亀井勝一郎や平野謙、井上靖ら文壇の重鎮らと三十歳の有吉ははじめて中国を訪問しているが、その後何回も中国に行きかの地の作家とも交友を深めている。小説としては『孟姜女考』(昭和四十八年)などがあるが、昭和五十四年に刊行した『有吉佐和子の中国レポート』が代表的著述であり、大陸中国の農民パワーと文革による農政の破壊、そして農薬問題などの警鐘もふくめて、現在の中国の破滅的な汚染大陸の現実と比較して読むと面白い。中国は「日本人には分かり難くて遠い国」である、という冷めた眼差しは、文革の中国や毛沢東を賛美した戦後の知識人や文学者にはなかったものであった。
*領土問題の島々へも実際に足を運んで
 こうした政治や思想にたいする冷静な眼差しが、最もよく発揮されている著述のひとつが亡くなる三年前に上梓した『日本の島々、昔と今。』(昭和五十六年)というルポルタージュである。北は焼尻島、天売島から、南は与那国まで実際に現地に飛び、種子島では鉄砲の伝来からロケット基地まで、対馬では韓国漁船侵犯の状況を調べあげ、北方領土の島々の来歴と現在を記し、島々の歴史と海の問題(領有権、大陸棚、二百カイリ等々)の複雑さを一冊にまとめている。その根本にある問いは、この海に囲まれた日本はどこまでなのか、というネーション(国民)の土地という問題である。
 とりわけ興味深いのは、単行本の最終章の尖閣列島である。昭和五十五年十一月十七日脱稿とあるから、今から三十四年前の記事であるが、今日中国の軍事的・経済的な膨張と侵進によって、日本との間で最大の懸案となっているこの島嶼について、作家はあらゆる角度からの検証を加える。歴史的な経緯と地理的な状況、また昭和三十六年に東海大学の地質学者が尖閣の海底に「豊富な石油と天然ガスが埋蔵されている」と指摘しながら誰も聞き捨てにしていたが、この論文がアメリカの海洋地質学誌に載るに及んで、国際石油資本が動きはじめ、各国が目の色をかえてこの地域の調査が行なわれたことも記されている。そして昭和四十七年五月の沖縄返還前後から、尖閣列島はまさに「そこに石油がある」ことによって、韓国、台湾そして中国との熾烈な奪い合いが開始された。この本の他の「島々」もそうであるが、作家は書物による知識だけでなく、「出かけて行って実際に島を見る」ことが大切であるとし、運輸省の海上保安庁広報室を訪れ、ヘリコプターで魚釣島上空まで飛行する。そしてこの島嶼の由来について改めて考える。
 中国政府が昭和四十六年に領有権を主張したことに悪乗りして、荒畑寒村、井上清、羽仁五郎ら「進歩的文化人」が、「尖閣諸島は日清戦争で日本が強奪したもので、歴史的に中国固有の領土だ。われわれは日本帝国主義の侵略を是認できない」と記者会見で声明を行なったことにふれながら、尖閣の領有権について日清戦争以前から日本人が住みついていたという事実を明記している。領土や領海というものを、その歴史と自然条件から冷静に客観的に知ることが大事であり、それを自らの眼で直に感じることこそ作家の仕事であるという有吉の強い信念がうかがえる。
 羽仁五郎のように堂々と「中国政府のお先棒を担ぐ」「進歩的知識人」はさすがに表立っては少なくなったが、原発問題や防衛・領土問題をめぐって、冷静な客観的議論を欠いて、マスコミ世論のムードに棹さす文学者や知識人は、今日も後を絶たない。もとより有吉は、尖閣は日本の領土である立場を明確にしているが、国と国との利害がぶつかり合い、戦争状態になるような資源・領土紛争は回避すべきであり、日中の友好関係を大切にすべきであると語っている。
『日本の島々、昔と今。』が物語っているのは、国家という枠組と対立のなかで捉えられる「領土」ではなく、国民の故郷であり、人々の郷土としての島々であり、自然としての国土へのいとおしさなのである。東日本大震災そして今年二月の日本全土を襲った豪雪など、自然の猛威にわれわれは直面させられている。
 昭和三十八年に刊行した『有田川』(最近、講談社文芸文庫で復刊された)は、明治二十二年八月の紀州地方を襲った未曾有の大水害を材料にいくつかの水害のことが出てくるが、人間の生活を支え、時にそこに住む者たちに襲いかかる山河のすがたは、有吉文学の原風景であった。有吉にとっての故郷とは、母の実家のあった和歌山であり(十四歳の夏に和歌山に疎開する)、紀伊半島の自然は作家の創作の源泉でもあったが、それはただ風光明媚な穏やかなふるさとでは決してなかった。人間は自然の氾濫によって生死を左右され、そのたびに蘇生していかなければならない。自分が生まれ育った土地、移り住んだ場所という宿命から逃れることはできないというメッセージが、その作品から伝わる。
 平成二十六年の今日、日本人はこの自らの故郷をめぐる重大な試練のなかにある。列島の島々をめぐる困難な課題が突きつけられている。近代文明と科学技術の先端で、その土地に住むことが半永久的にできなくなるような究極の放射能汚染の問題があり、生命の在り方、人間の生き方さえコントロールできる遺伝子レベルでの実験が進み、地球全体が悲鳴をあげているような天候の異常、自然の災害が続発している。複合汚染はまさにグローバルな全面的危機と化している。
 有吉文学を、大衆小説とか社会派とか純文学とか区別してみる必要はない。読み継がれてきた作品に描かれているのは、今日を生きる全ての人間への、一人の小説家の懸命で誠実な問いかけだからである。
 ◎上記事の著作権は[@niftyニュース]に帰属します
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〈来栖の独白 2014/8/19 Tue. 〉
 有吉佐和子さんの作品は、数多く読んだ。『香華』『一の糸』『芝桜』『木瓜の花』『和宮様御留』『鬼怒川』・・・想像力豊かな彼女の(虚構の)世界が好きだった。
 そんなことから、氏が『複合汚染』を朝日新聞に連載を始められたときは理解できず、気分的に面白くなかった。こんなノンフィクションを何で彼女が書くのか、書かねばならないのか、彼女のジャンルではないだろう、と気分が悪かったのを覚えている。『恍惚の人』についても、同様だった。しかし、いつの頃からか、それら作品に共感を覚えるようになっていった記憶がある。作品の持つ力の為せる業だろう。
 寂しいのは、今、彼女のような「物書き」がいないことである。「物書き」だけではない。日本中が幼児化して、大人がいない。幼稚な、体だけの大人ばかりだ。身体だけの大人が子供をつくり、育児放棄し、死なせる。

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