名古屋の能楽曲がり角 公演支えた弟子が減少
中日新聞 芸能風向計 2014/9/22 朝刊
画像;華麗な装束をまとう能楽師がずらりと居並ぶ能「正尊」だが、台所は火の車=名古屋能楽堂で(瀬野匡史さん撮影)
能・狂言が江戸時代から盛んとされてきた名古屋の能楽界が、大きな曲がり角を迎えている。戦後の能楽興隆を支えてきたベテランが相次いで第一線を退くなか、能楽を習う愛好者が激減。あおりで主役を担う中堅・若手シテ方たちが、能楽協会名古屋支部から本年度いっぱいで移籍する事態になっている。
華麗さの裏側
8月24日、総ヒノキ造り、客席630席と日本最大の規模を誇る名古屋能楽堂(名古屋市中区)。登場人物だけで15人という能の大曲「正尊(そうそん)」が開かれ、真新しい華麗な装束に身を包んだ能楽師たちが舞台狭しと並んだ。
名古屋在住のシテ方宝生流の衣斐正宜(いびまさよし 70歳)の弟子らでつくる後援会が「東京芸術大学卒の気鋭の能楽師衣斐に好きな能を舞ってもらおう」と30回続けてきた能楽公演である。
一世一代の舞台だが、衣斐の顔は浮かない。「かつて各地に650人以上いた後援会員は今は半分以下。赤字覚悟の公演を支えてくれた方が亡くなったり、老齢で抜けたり。後援会能は来年いっぱいで打ち切り、新たな形で自主公演を続けていきたい」と話す。
名古屋地区の能楽関係の催しをほぼ網羅してきた月刊誌「能楽の友」を調べると、名古屋能楽堂が開館して盛り上がりを見せた1997年と2013年では、能楽の有料公演は57回が43回へ、25%減る一方、入場無料の発表会関係は52回から29回とほぼ半減していた。
1回当たりの上演番組数もかなり減少しており、衣斐は「能の上演番数は盛時の半分、稽古人口は4分の1ぐらい」とみる。
半世紀にわたって名古屋を代表するシテとして活躍した観世流の梅田邦久(83)。大勢の弟子を抱え、「1日100番」のは発表会で鳴らした隆盛は今は昔だ。「今やシテは舞台の出演料頼み。能面や装束をあつらえて、自腹を切って催す自主公演はもう無理です」と打ち明ける。「脚が弱うなって」主役から今は退き、「まだ声は出る」ともっぱら地謡、後見を担当するが「京都でも能は大変。このままでは、能は文楽の二の舞になる」と話す。
脱退ショック
最近「シテの受難」を象徴する事態が発生した。邦久の芸養子、梅田嘉宏(38)、後輩の武田邦弘(72)、大志(37)の父子、さらに古橋正邦(55)の4人が本年度限りで能楽協会名古屋支部を脱退し、京都支部に移籍することになったのだ。4人は邦久と同じ京都の観世流の名門、片山九郎右衛門家の門人で、関西在住ながら名古屋の能楽公演の中軸を担ってきた。
関係者によると「シテ方の切符のノルマ制が復活して負担できない」のが移籍の最大の理由。一方で、片山家側にも「内弟子修行の3人が厳しい修行にドロップアウトしてしまった」(九郎右衛門)ため人手不足という事情もあった。
邦久の主役引退に続いて名古屋の能楽界は有力なシテ方を計5人失うわけで「名古屋観世会定例公演能」「青陽会式能」「名古屋能楽堂定例公演」の番組編成に影響が懸念される。
こうした事態に、邦久に代わって2年前から名古屋の観世流を取り仕切る地元在住の久田勘鷗(66)は「抜ける人もいるが、新たに補充要員もいるので、そう心配していない」と楽観的だ。関西で活躍する30代後半の実力派2人、山中雅志と久保信一朗を名古屋観世会などに起用するほか、女性の若手も養成中という。勘鷗の息子、勘吉郎(19)も修行中ながら次代を担うホープつぉいて期待される。
囃子方は安泰
一方、戦後名古屋の囃子方を支えたベテラン勢4人は80歳を超え、このうち太鼓の筧鉱一は昨年死去。小鼓の福井四郎兵衛既に引退。小鼓の後藤孝一郎、大鼓の名手河村総一郎も年齢的に限界が見えている。しかし筧を除いてプロの後継者がいては安泰とみられる。
失速気味のシテに対して、囃子方、狂言方の実力派は全国的な活躍をみせる。その筆頭は、笛方藤田流家元の藤田六郎兵衛(60)。プロデューサーとしてもすご腕を振るい、東京・国立能楽堂で10年から始めた能楽公演「万歳楽座」は文化庁芸術祭演劇部門の大賞を受賞。一門の結束を固め各地に客演する狂言方和泉流の野村又三郎(43)も元気だ。
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