父親の死、少女に伝える 佐世保の高1生徒殺害
2014年10月7日 20時51分 共同通信
長崎県佐世保市の高1女子生徒事件で、殺人容疑で逮捕された少女(16)の父親(53)が死亡したのを受け、少女の弁護団が7日夜、佐世保市内で記者会見し、少女に父親の死を伝えたと明らかにした。弁護団の一人は「(少女の)成育環境を知る人を失い、事情の把握も困難になった。大きな痛手だ」と話した。
父親は5日午後4時すぎ、市内の自宅で首をつった状態で見つかり、その後死亡が確認された。佐世保署は自殺とみている。
少女は7月26日、1人で暮らしていた市内のマンションで、同級生の女子生徒(15)を殺害したとして、翌27日に県警に逮捕され、検察側が精神鑑定を請求した。
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〈来栖の独白 2014/10/08 Wed. 〉
この世に生を享け、生きてゆくことは、苦しみ多い。生きてゆく中で何が最も恐ろしい(苦しい)か、私の貧しい経験、知識情報のなかから考えてみる。あくまでも、私の人生のなかから考えてみるのであるが、「わが子が重い罪を犯すこと」のように思える。勝田清孝の両親の苦しみを思わないではいられない。わが子が人を殺める、これほどに辛いことはない、そのように感じてきた。
当該事件について、少しく考えてみる。
加害少女の父親は福岡でも最大の法律事務所を営むほどの羽振りの良さだったという。名誉も冨も力も、この世の栄華はすべて持っていたと想像する。それが娘の凶行により、一変した。
父親はいま自分に突きつけられた現実が辛くてならず、待ち受ける明日が恐ろしくてならず、絶望して、「逃げた」のではないか。
辛さも恐怖も絶望も、分からなくはない。が、親であるなら、死んではいけない。こんな時こそ、逃げてはならない。歯を喰いしばっても、生きて、哀れな娘を待ってやらないでどうするか。実母のいない娘が、何処へ帰るのか。また、長男(加害少女の兄)は、誰を頼りに今後を生きてゆくのか。
如何に辛くとも、なぶり殺しに遭うような人生(将来)であろうとも、親ならば死んではならない。それが、親として最低限の自覚である。
「ヨハネによる福音書」に次のようなコンテクストがある。14章18節、19節である。
わたしは、あなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰ってくる。もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたは、わたしを見る。わたしは生きるので、あなたがたも生きるからである。
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