産経ニュース 2014.12.16 15:15更新
【さらば石原慎太郎氏】引退会見詳報(1)「晴れ晴れと政界去れる」
石原慎太郎前衆院議員(次世代の党最高顧問)は16日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、「今度の選挙で(落選という)結果になって、私は引退を決心した」と述べ、政治活動からの引退を表明した。政治家人生を振り返った石原氏は「歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたことは政治家としても物書きとしてもありがたい経験だった」と語り、「欣快(きんかい)として、わりと晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」と語った。会見の詳細は以下の通り。
「皆さん、こんにちは。僭越でございますが、大してニュースバリューもないこの私が個人の資格で皆さんにこうやって大がかりな記者会見を申し込んだ理由は、私も延べ50年以上政治に携わってきたが、結局、今度の選挙でああいう結果になって、私は引退を決心した。ただ、(衆院選の)開票日に、いってはいけないが、自宅にまで浅薄なメディアの先兵が押しかけて、歩く途中もマイクを突きつけて『一言、二言』と(コメントを求められた)。そこで、後にゆっくり話させてくれということで、日本記者クラブにご厚意いただいて、この機会を設けさせていただいた。私が申し上げたいことを端的に申し上げて、皆さんに批判をいただきたい」
■見回せば、国会議員最高齢
「結論から言えば、かねがね私はこの解散が決まったときに、選挙をきっかけに引退をするつもりだった。私自身も肉体的にひびが入ったりもして、見回してみると国会議員の中の最高齢者になった。これ非常に皮肉な話だ。かつては奥野誠亮さんという尊敬していた大先輩が、90歳を過ぎるまでかくしゃくとして国会議員を務められたそうだが、とても私にはその自信も能力もないので、これをきっかけに引退ということを声明しようと思った」
「限られた仲間が『今引退されると党、選挙の趨勢(すうせい)に悪い影響を与えるから思いとどまってほしい』ということだった。特に若い議員からは連判状などもいただいた。いろいろ勘案して、選挙の事前に私が引退を声明することは仲間のためにもよろしくない、と判断した。それならば皆さんと、とにかく戦うと決心した」
「いずれにしても私は引退を覚悟で戦いをするわけだから、討ち死にを覚悟の出陣ということで、東京比例のランキングは一番最後してほしいことを、党の方も受け入れてくれた。ある意味で結論が知れていることだったので、空いている時間に仲間の応援に駆け回った。残念ながら風邪をひいたりして肝心の名古屋の大きな大会には出席できなかったが、仲間に対する義理だけは最低限、果たせたな、と思っている」
■落選で討ち死には1つの宿命
「私の実家の石原家は、武田武士の残党だった。武田家は(織田)信長に滅ばされて雲散霧消した。武田の赤備えというのは戦国時代有名だったそうで、武田武士を争って3つの藩が抱えたそうだ。1つは毛利藩、1つは井伊藩、もう1つは伊予藩だった。私の先祖は甲州から追われて伊予藩に抱えられたそうだ」
「かつての時代に弓矢の武功で禄を食(は)んでおって、家の家紋は黄金分立のきかない『7つ矢』だ。珍しい家紋だ。正月に赤塗りのお膳で家族そろって雑煮を食べたりするときに、据えられたお膳に7つの紋が記されているな、と印象深く覚えている」
「母の方の略紋は三ツ矢サイダーに似た3つの紋だったが、7つの紋はなかなか日本に珍しい家紋で、私もいわれを聞かされて子供心にプライドを持っていた。石原家の弓で勝ち取ったわが家の家訓は、『明日の戦 己はむなしと心得べし』という。これは武士の家訓としてもなかなかいい家訓だなと思った」
「それを受けて私は討ち死に覚悟というか、本当なら引退を声明して退くべきだと思ったが、やっぱり仲間の若い武士たちのために自分も一緒に戦って、恥ずかしいことだが落選という形の討ち死にすることは 自分の1つの宿命かな、と思って決心をした。私からこの選挙についてのかかわりについて申し上げることはそれだけだ」
■晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる
「振り返ってみると、参院の全国区から始まって、衆院を25年務め、インターバルをおいて、思うところあって都知事に就任した。できるだけのことはやったつもりだ。政治家として、どの国も物書きが政治に参画、コミットするのは例がないわけではない。ゲーテとか、(フランスの)ドゴール(大統領)の文化相を務めた(アンドレ)マルローの例もある」
「印象的だったのは激しい最初の、自民党からの優秀な人材が5、6人出た選挙で何とか都知事になったとき、縁があって日本に来られたときに2日ほどお会いして旅もした マルローなんていう人は印象的な人物だったが、アンドレ・マルローの未亡人から私に『知事になって頑張れ』という手紙をもらったのを覚えている」
「今までのキャリアの中で歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたことは私にとって、政治家としても物書きとしてもありがたい、うれしい経験だったという気がする。それをもって、私が欣快(きんかい)として今、わりと晴れ晴れとした気持ちで政界を去れるな、という気でいる。1つご理解いただきたい」
産経ニュース 2014.12.16 17:12更新
【さらば石原慎太郎氏】引退会見詳報(2)「『新党ヤマト』でいけばよかった」「醜い憲法の前文 文法も間違いだらけ」
--今回の選挙では石原氏が落選の“討ち死に”をしたほか、次世代の会のほとんども“討ち死に”をした。もともと地盤の強かったベテラン2人だけしか生き残らなかった。この結果について。
「『次世代の党』という党名そのものに私は異議を呈した。非常にわかりにくいというか、説明しなくてはなかなか意思が伝わらないネーミングだった気がする。私は小説家だから、自分としても自負しているが、小説の名前を付けるのは割とうまい方だ。政党の名前としてはどうも問題があるなと」
「いくつか他にも案があった。昔、私たちがつくった『黎明(れいめい)の会』とか。それとこれは(次世代の党党首の)平沼(赳夫)君が言い出したと思うが、富士山の名前をとって『新党富士』というのも良いじゃないかとね。でも、『ふじ』という名のリンゴがあるのでネーミングとしてバッティングすると」
「それから私が一番良いと思ったのはカタカナで『新党ヤマト』だ。これまた『宇宙戦艦ヤマト』というアニメがあって紛らわしい。私は本当は『新党ヤマト』でいけばよかったと思ったが、過ぎたことだから愚痴でしかない。ただ、やっぱり党名が浸透しにくい名前だった。(選挙戦の)時間がなかった」
■人生の中で彼と知己を得たのは快事の一つ
「維新の会と一緒だったが、分党になった。分党するときに、橋下(徹)くんと肝胆相照らした。私の人生の中で、彼と知己を得たのは快事の一つだと思っているが、やっぱり大阪維新の会が発売元本舗だから、『維新』の名前を私たちがひねって使うのは失礼だと思うし、遠慮した。結局、党員全体で投票して『次世代の党』という名前を選んで、この結果になった」
--次世代の党が選挙戦で前面に打ち出したのは自主憲法制定だった。それに対する世の中の評価については。
「憲法は良い意味でも悪い意味でも、これだけ日本社会に定着してしまうと、国民の関心はあまりない気がする。本当に憲法を変えなくてはいけないと考えている人は、残念ながら希少な存在でしかなくなったと思う」
「皆さんもメディアの方々だから文章について講釈するのはうるさいことだと思うが、あの醜い前文ひとつを見ても、間違いが非常に多い。私も最後の予算委員会で安倍(晋三)総理に話したが、言葉には助詞、動詞、形容詞、いろいろあり、助詞も非常に大事な要素だ。この助詞の間違いが前文にたくさんある。例えば『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』という部分だが、人にお金を貸すとき、『あなたに信頼してお金を貸します』とは言わない。やっぱり『信義を信頼』だ」
■選挙の結果は…勘弁してください
「かつてシェークスピアを訳した福田恒存さんと前文の話をしているとき、『石原君、勘定してごらん。5つも6つも7つも8つも助詞の間違いがあるぞ』と言う。私も本当にその通りだと思う。9条を変えるとなると大事になるから、せめて『に』だけは国文学者を集めて、変えようじゃないかと総理に言った。それが蟻の一穴となって憲法を変えることができるんじゃないかと。安倍さんは残念ながら答えませんでしたな」
--石原氏はかつては300万票を得票したこともある。その石原氏が比例で出馬しながら、これだけ集票が落ちた。
「私に対する投票じゃなく…。誰かが言っていたが、『比例の一番初めに石原さんの名前が挙がったらおそらく票数も違ったのではないか』と。でもそれはわからない。うぬぼれているわけじゃないから…。選挙の結果はいいでしょう。もう勘弁してください」
--今回の選挙で自公3分の2体制になったが、民意は何を示したと評価するか。
「それを逆に明かしているのは共産党の躍進だと思う。なんというか、今回、共産党に多くの支持が集まったのは、いま自分たちを囲んでいるもろもろの社会的な現実に対する、みんなが漠として感じている現況への不満の社会心理学的なリアクションだと思う。何が不満かというと、色んな格差が出てきた」
■不満や不安がこの結果
「例えば私たちがあえて『次世代』という言葉を使ったのも、これから日本を担っていく20代、30代の人にあまり希望がないからだ。結婚できない。しても子供をつくれない。なんていうかなあ、人生の黎明(れいめい)期にいる20代の人間が、自分の人生に対して大きな期待を持てない。そういう現象がある」
「例えば経済一つにしても、私は新聞を読まずに主にテレビで情報を拾っているが、ニュースの度に、経済を評価する指標に株の値段があげられる。経済動向を測るメジャースティックに株の値段が真っ先に取り上げられる。私はあまり良いことじゃないと思う。ほとんどの人が株なんてやってない」
「確かに株価は2倍になった。でも株価が何を表しているかというと、経済界の上層部、つまり上場を果たしている企業の内容だ。それだけをもって、日本全体が良くなっている、国民の生活が向上しつつある、そういった判定を下すには確かな指標にはならないと思う。その不満や不安がこの結果になった気がする」
「それとメディアの怠慢だと思う。前から言ってきたが、なんで日本の会計制度を変えないのか。日本は単式簿記で大福帳の域を出ない。どんな国でも複式簿記ですよ。日本は国家の財政運営に財務諸表がない。バランスシートがない。そんな近代国家はないですよ。国家の体をなしている国で、日本と同じように大福帳の域を出ないのは、私の知る限り北朝鮮とフィリピンとパプアニューギニアぐらいですな」
「メディアが頑張って、少し勉強して、声を起こして経済界が動いたらこの国は変わってくると思う。国の借金は1兆円近くあると言いながら、個人の持っている金融資本は1250兆くらいある。このギャップが埋められない」
産経ニュース 2014.12.16 18:15更新
【さらば石原慎太郎】引退会見詳報(3)「橋下徹は、若いときの田中角栄…首相になる可能性がある」
--橋下徹という政治家について、今後の彼の生き方も含め、どんな思いでみているか。
「彼は天才ですね。私は絶対、彼は(衆院選に)出るべきだったと思っている。前日まで私は何度も電話をして口説いた。彼は彼なりの言い分で、『自分はちょっと風呂敷を広げすぎたから、これを畳まなくちゃいかん』と。風呂敷って何か。大阪都構想ですよ。よくわかりにくい言葉だが、つまり東京に並ぶ大都市である大阪の復活ということだ」
「私は大阪が衰退するということは、日本の衰退だと思う。橋下君も感じていると思うし、安倍総理にしても自民党の政治家も、大阪というものをもう少し持ち上げないと、日本のバランスが取れないと痛感していると思う」
「橋下君はそれを念願するんだったら、国会に出てくるべきだ。安倍君とも(菅義偉)官房長官とも親しい仲らしいし、そういった人脈を通じて、とにかく国会で内閣を動かさないと大阪は持ち上がってこない。僕は絶対、彼は出るべきだったと思う」
--しかし出なかった。
「出なかった。本当に残念だ。私は彼に『君は大阪の井戸の中にいて、なかなか大海が見えていない。一回、井戸から出て、国会議員になって、日本を全部眺めろよ』と言ったが、残念ながら忌避した」
--橋下氏は総理になる器か。総理になる可能性はあるか。
「僕はあると思う。あんなに演説のうまい人をみたことない。言葉の調子は違うが、田中角栄だね。若いときの。それから例が良くないかもしれないけど、彼の演説のうまさ、迫力というのは若いときのヒトラーですよ。ヒトラーは後にバカなことをしたが」
「ドイツの外交官が『石原さん、ヒトラーは悪名を被っているが、若い時にやったことは間違っていなかった。ただ、ユダヤ人を偏見で虐殺したことは許せないが』と言っていた。私はその言葉を是とするし、橋下徹ってのは彼に該当する政治家だ。惜しいことをしたなあ。彼は必ずもう一回でてくるだろう。再登場すると思う。させなきゃいかんですよ」
--石原氏は(前東京都知事の)猪瀬直樹氏に副知事を経験させ、後継に指名したが、(医療法人徳洲会グループから)5千万円の提供を受けて問題になった。誤算だったか。
「それはわからないが、私は彼を評価している。物書きのくせにあんなに数字に精通して、数字の虚構を見破ることできる男を私は知らなかった。それから役人が体裁の上でつく嘘を見破るのも非常にうまい。彼は日本でも一流のノンフィクション作家だったから、そういうリサーチ能力は非常にあった。非常に惜しい人を失ったと思う。東京のためにも大きな損失だった」
--その5千万円をいただいた相手は(「徳洲会」前理事長の)徳田虎雄氏だった。徳田氏はもともと石原さんのファンであり支持者だったが、違和感はなかったか。
「むしろ私が徳田さんのファンだ。彼は本当に日本のシュバイツァーといっていいのか、見事な志を持った大事業家だと思う。日本の医師会が彼に反発し、自民党が彼をボイコットしたのは間違いだと思う。彼だけの自己犠牲を踏まえて病院の経営で人を助けた人がいますか」
--猪瀬氏から石原氏に相談はなかったのか。
「ない。個人の金融の問題ですから」
--数ある歴史の十字路の中で、忘れ得ない十字路は。
「私は日本の国会議員として初めてアメリカの戦略基地を訪れた。(元首相の)佐藤(栄作)さんが向こうの国務省にはかってくれたんだろうが。佐藤ってすごい人だと思う。沖縄返還交渉で非核三原則を唱えながら、アメリカの大統領のジョンソンに『日本は核を持ちたい、日本の核について協力してくれ』って言って断られている。それを諦めた後、沖縄返還の時にニクソン(元米大統領)と丁々発止やりながら、ドイツと一緒に核開発をしようと思って話をもちかけている。これだけの大きな二枚舌を使った政治家はいないと思う」
「私はそれで『アメリカの核の抑止力はない、アメリカの核の傘というのは全く信用できない』ということを暴いた。そのおかげで私は核保有論者にされたが、あの体験は日本に覚醒をもたらしたと思うし、自分にとっても歴史的な十字路に立ったポイントだと思っている」
産経ニュース 2014.12.16 19:03更新
【さらば石原慎太郎】引退会見詳報(4)「共産中国は嫌いだ。中国の若者は共産党独裁の壊滅を」「河野洋平君は大嫌い」
--中国人が石原先生にどういう質問があるかインターネットで集めた。3つの質問に絞って質問する
「絞って3つ?」
--先生は本当に中国が嫌いか。また嫌いだとしたらどういう理由か
「嫌い。共産主義も嫌い。共産中国嫌いだ。あなた方がチベットをなくしたんだ」
--東京都が尖閣諸島を買おうという運動で日中関係は悪化した。今の結果は望んでいるか。日中関係はこれからどうすればいいか
「もうちょっと頭冷やして、共産党の独裁というのを壊滅させることだ。それがあなたも含めて幸せなことではないか」
--中国の若者に対してメッセージを
「自分の人生を自由闊達に開いていくために共産党の独裁というのを壊滅させなければだめだ」
--石原先生がかつて自民党にいる時は「変わった人」と思われていた。最近の自民党は、かつて石原先生がおっしゃってたことと同じようなことを言っている。これを見ていて自民党はよくなっているとお考えか。それとも悪くなっているとお考えか
「僕と同じ事をどんな人が言っているのか」
--自主憲法制定まではいかないが、憲法改正を唱えている方は今の自民党内では半数を…
「当たり前じゃないですか。自民党の党是じゃないですか」
■河野君というのは…私は大嫌い
--青嵐会をやっているころは、例えば河野洋平さんのような憲法改正反対の方が相当おられたような気がしませんか
「さあ。河野君というのは全く例外的な人物で、私は大嫌いですけど」
--「晴れ晴れした気分」とおっしゃったがそうは見えない。実際悔いはないか。正直なところを
「悔いはありませんな。サバサバした気持ちだから」
--本当にこれで終わりなのか。終わりなら次は何をするのか。今日は田中角栄元首相の命日だが、宿敵の田中角栄氏と、長期政権になるであろう安倍晋三首相に政治家として何を言い残すか
「安倍さんには初志貫徹してもらいたい。しかし、角栄という人物は素晴らしかった。あんなおもしろい人はいなかった。私はかつて若い仲間と選挙権を18歳に下げようというキャンペーンをやった。選挙権を18歳に下げようという会合をやるために『自民党のホールを貸してくれ』と申し込みに行った。幹事長は田中角さん。角さんが『何に使うんだ』と言うから、『選挙権を18歳に下げるキャンペーン』と言ったら、『馬鹿なことを言うな。馬鹿なことを。何を馬鹿なことを言っているんだお前。選挙権は25歳でいいんだ。25歳で。頭冷やせ馬鹿』と言われて、私は後になってその通りだなと思った。成人式に親を連れてこなくちゃいけない連中が多い時代に18歳まで選挙権下げるのは間違いだ。絶対反対だ。25歳で十分だ」
■内外の若い芸術家を育てる
--ロッキード事件の背景に角福戦争があったのか。それともアメリカの謀略か
「日本のエネルギー問題でウラニウムの取得というものをアメリカルートじゃなくて自分で開発しようと動きだした。これはアメリカの虎の尾を踏んだと思う。しかもロッキード裁判というのはめちゃくちゃな裁判だ。アメリカの刑法を日本に持ち込んできて、向こうでやった免責証言は日本の裁判で使われて、しかもそれに対する日本側の反対尋問を許さない。こんなでたらめな暗黒裁判はない」
--本当にやめるのか。やめるとしたら今後何をするのか
「何かやります。アラブや東南アジアの芸術家との交流をやろうと思う。内外の若い芸術家を育てる仕事をしていきたい」
産経ニュース 2014.12.16 19:11更新
【さらば石原慎太郎】引退会見詳報(5)完 「尖閣の中国公船、私なら追っ払う」「言いたいこと言い、憎まれて死にたい」
--週刊誌で「シナと戦争して勝つこと」と発言。文学者としての発言なのか、政治家としての発言か。日本政府が尖閣諸島を国有化した後に海域の緊張が続いている
「私が首相なら追っ払う。ある週刊誌のインタビューで『一番したいこと』を聞かれたので『シナと戦争して勝つこと』と。私は日本人として言った」
--衝突が起きてもいいのか
「衝突を仕掛けているのは中国だ。けんか仕掛けているのは向こうだ。日本の領海に入っているのはシナ人の方だ。頭を冷やした方がいいよ、シナの人は」
--メディアには政治家をどう扱ってほしいか
「お互い人間だから問われたことに対して簡潔に分かりやすく話したか話さなかったかはある。メディアも相手の言論に対する理解力が足りないと思う」
--政界を引退したらヨットレースをするか
「今でも暇な時は乗っている。今年の夏も2つほどレースで優勝した。来年もまだ生きてて元気だったらレースの試合をしたいと思う」
--若い芸術家の育成以外にトライしてみたいことがあれば
「新しくつくった財団で、アラブとか東南アジアとか、日本人と違った感性を持っている若い芸術家がいるから、そういう人たちに日本に来てもらい、刺激を受けて、新しい芸術を世界のために展開してもらいたい。その手伝いをできるだけするつもりだ」
■心残りは憲法が一字も変わらなかったこと
--政治生活で成し遂げたことは何か。心残りは何か
「小さなことで都知事の立場でやれたことはいくつかあった。ただ、痛快だったのは日本の経済使節団が中国に行った。周恩来が『これからいかなる日本人も歓迎する』と言った。経済人が『青嵐会も歓迎するか』と聞いたら、周恩来が呵々大笑(かかたいしょう)して『私は彼らを非常に評価している。青嵐会の人たちは昔の日本人ですね』と発言したそうだ。心残りは憲法が一字も変わらなかったことだ」
--都知事時代に東京五輪招致の道筋をつけた
「都知事時代に招致運動で敗れはしたが、一回灯したたいまつだからもう一回火をつけようということで、在任中だったがもう一回チャレンジをすることを権限で決めた。皆が頑張って、世界の情勢もずいぶん変わったのだろうが、東京に決まったということで、たいまつの火を消さずにいてよかったなあと思っている」
--憲法改正に対する国民へのメッセージは
「もう一回前文だけでも読み直してもらいたい。あんな前文を持っている憲法は世界中にない」
--今の心境は
「いくつで死ぬか知らないが間もなく死ぬのだろう。死ぬまでは言いたいことを言って、やりたいことをやる。人から憎まれて死にたいと思う」
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