湯川さん父 声震わせ 「仕事に信念持ち渡航」
中日新聞 2015年1月26日 朝刊
「頭が真っ白」-。「イスラム国」とみられるグループに湯川遥菜(はるな)さん(42)が殺害されたとする画像の公開から一夜明けた二十五日、父は声を震わせた。人質となっている後藤健二さん(47)の母は、息子とみられる画像の男性の姿に「もう、耐えられない」。見えない人質解放交渉に、無事を祈る人たちは憔悴(しょうすい)しきっている。
「うそであればいいと心の中で思っている。再会できれば、思い切り抱きしめてやりたい」。湯川さんの父正一さん(74)は二十五日朝、千葉市花見川区の自宅で報道各社の代表取材を受け、約三十分間、心境を語った。その表情は終始、硬かった。
同日午前零時ごろ、外務省から正一さんに連絡があった。湯川さんが殺害されたようにみえる画像が配信されたということだった。「(真偽は)確認されていないが、ご承知おきいただきたい」と告げられた。その瞬間、「すべてが真っ白になった」という。拘束されてから約五カ月。つらい内容の話を聞いた正一さんは「戦争がこんなに悲惨なものであることを肌で感じた」と漏らした。そして「人命がこんなに大切かと、本当に感じた。早く戦争をやめて、平和な時がくることをお願いしたい」と語った。
湯川さんは後藤さんを「兄貴のようだ」と慕っていたという。正一さんは後藤さんを「遥菜を心配して命をかけて現地入りし、拘束されたということで、非常に心苦しい。早く解放され、日本に帰ってまた活動していただきたい」と気遣った。
正一さんによると、湯川さんは、ミリタリーショップを経営していたが十年以上前に倒産。その後も事業に失敗し、妻を早く亡くした。自殺を図り、未遂に終わったこともあった。「人生の限界を感じている」。湯川さんは弱音を漏らすようになった。
そんな湯川さんが新たな生きがいを持った。民間軍事会社をうたう「ピーエムシー(PMC)」の経営だった。「海賊が出ている場所で船の護衛をしたい」と、湯川さんは正一さんに打ち明け、昨年一月に会社を登記した。その三カ月後、戦地の視察として初めてシリアに渡航し、後藤さんと出会った。帰国後は「救急車の中古を買って送れないか」「物資もない。靴を持って行くと約束した」と正一さんに熱く語った。
この間の心境の変化を、湯川さんは自身のブログに率直につづっている。
PMCの設立には「日本にないビジネスをやりたい」「やりたいことが生きる目的になっている」と意気込んでいた。「イスラム国」と敵対する現地の武装勢力とメールで連絡を取り合っていることも明かしていた。
息子の話に疑問を感じていた正一さんも、「何か信念があるのだろう」と考えるように。昨年七月、湯川さんは再びシリアに向かった。正一さんは、心配しながら「行くなら頑張ってこい」と見送った。
渡航前、ブログには「日本に帰国すると堕落する。僕は今の日本で生きていくのは向いていない」と記していた。そして昨年七月二十一日付の「再び、紛争地域の戦場へ」の書き込みを最後に、ブログの更新は止まった。 (北浜修、内田淳二、渡辺陽太郎)
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◇ 銃器の興味が…「いつもスリル求めていた」 湯川遥菜さんを戦場に駆り立てたものは 2015-01-26 | 国際/イスラム…
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湯川遥菜さん 倒産⇒事業失敗⇒自殺未遂⇒「やりたいことが生きる目的」軍事会社PMC経営⇒シリアに渡航
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