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『百年の手紙--20世紀の日本を生きた人々』-7- 遺書を記憶し届ける 最終回

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『百年の手紙--20世紀の日本を生きた人々』遺書を記憶し届ける
第49回(中日新聞2011/09/30Fri.) 梯久美子 著
 今月22日に亡くなった辺見じゅんさんの代表作『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫)は、シベリア抑留中に亡くなったある男の遺書を、仲間たちが手分けして暗記し、家族に届けた実話である。
 遺書を書いたのは山本幡男(やまもとはたお)。酷寒と飢えと重労働によって仲間が次々と死んでいく収容所で、回覧誌を作り、句会を開き、温かな人間性と不屈の意志をもって、周囲の人々に生きる力を与えつづけた。
 帰国の日を待ちわびながら、抑留9年目に病死した山本。書いたものはすべて没収されるため、彼を慕う男たちは、一字一句を記憶するという方法で、長文の遺書を日本に持ち帰ったのである。
〈唯の一目でもいいから、お母さんに会って死にたかった。お母さんと一言、二言交すだけで、どれだけ私は満足したことでせう〉
〈やさしい、不運な、かあいさうなお母さん。さやうなら。どれだけお母さんに逢ひたかったことか!〉(母への遺書より)
〈妻よ!よくやった。夢にだに思はなかったくらゐ、君はこの十年間よく辛抱して闘ひつづけて来た。これはもう決して過言ではなく、殊勲甲だ。超人的な仕事だ〉
〈その君を幸福にしてやるために生まれ代わったやうな立派な夫になるために、帰国の日をどれだけ私は待ち焦がれてきたことか!一目でいい、君に会って胸一ぱいの感謝の言葉をかけたかった!〉(妻への遺書より)
(中略)
 山本は子供たちにも遺書を書いていた。その一節にこうある。
〈・・・君達はどんなに辛い日があらうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏波で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである〉(略)
 無名の人々の人生を丁寧にすくいあげ、時代に刻印した辺見じゅんという作家の仕事を通して、私たちはそれを受け取ることができるのであある。   =終わり
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〈来栖の独白〉
 一読した私を待っていたのは<終わり>という言葉だった。虚を衝かれたようで呆然とした。「百年の手紙」というのだから、相当長期にわたって連載されるものと思っていた。本日、最終回はまだ49回ではないか。土曜日曜は休むから、わずか2カ月ほどの連載だった。
 いま一つ、がっかりしたことがある。辺見じゅんさんが先週亡くなられていた、ということだ。知らなかった。大好きな作家だった。残念で、寂しくてならない。
 人は、死ぬ。生きとし生けるものは、すべて死ぬ。私も何人か、親しい人を見送ってきた。死者は皆、静かである
 あぁ、早く終わりたい。この10年ほどは、そう思いながら生きてきた。 辺見じゅんさんが死去 「男たちの大和」の作家
2011年9月22日11:10西日本新聞
 「男たちの大和」などで知られる作家で歌人の辺見じゅん(本名清水真弓)さんが東京都武蔵野市の自宅で死去したことが22日分かった。72歳。富山市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。
 近年体調を崩していたという。21日朝、自宅で倒れているのが見つかった。
 角川書店創立者の角川源義氏の長女。角川春樹事務所会長兼社長の春樹氏、角川グループホールディングス会長の歴彦氏は弟。
 1984年、旧日本海軍の戦艦大和の生存者、遺族を描いた「男たちの大和」で新田次郎文学賞を受賞。作品はその後映画化された。
....
辺見じゅんさんが72歳で亡くなった…
2011年9月23日 10:39 春秋
 辺見じゅんさんが72歳で亡くなった。現代短歌女流賞を受賞した歌人であり、ノンフィクションに自分の世界を持つ作家でもあった▼作家としての辺見さんは20世紀の日本の戦争を追った。戦場で生を終えた人々の最後の言葉を追い続けた。名もない兵士らが残した手紙などにそれを求めた。読んだ「遺書」は約1500に及ぶ▼どの戦場にいるかも知らない家族に暗号文で教えた硫黄島からの手紙があった。ガダルカナルの激闘をメモしたたばこの箱が、生き残った戦友により両親に届けられた。「戦場から来た遺書」(文春文庫)に詳しい▼何年も前に小欄で書いた話をもう一度書きたくなった。シベリア抑留中に45歳で没した山本幡男さんのことだ。家族に遺書を残した。字を書くことはスパイ行為とされていた。手紙を読んだ仲間は、4500字を十数人で分担して暗記し、帰還後に記憶を復元して届けた▼4人の子どもには「道義」を説いていた。「日本民族こそ(中略)道義の文化、人道主義を以て世界文化再建に寄与し得る唯一の民族」と。満鉄調査部にいて世界の情勢に通じていた山本さんは「正義の戦争なんてない」と家族には話していた▼文庫本のあとがきのなかで辺見さんは書いた。「戦後の日本は死者の存在の重みをどこかで忘れてしまったのではないか」。国の針路についても失念しがちな21世紀の日本人に対する辺見さんの「遺書」になった。
=2011/09/23付 西日本新聞朝刊=
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