他の監督とはここが違う 落合博満だけに見えるものがある
2011年11月03日(木)週刊現代
「観客が入らない」「人気が落ちている」「つまらない」と言われた。それでも彼は「勝つこと」にすべてを捧げてきた。「強いチーム」作りから「勝てるチーム」作りへ。確かに彼は野球を変えた。
■仕事はクビを切ること
野球解説者の若松勉氏は、ヤクルト監督時代に対戦した落合・中日を称して「不気味だった」と語っている。「落合監督がやっている野球それ自体は、非常にオーソドックスなものなんです。でも常にベンチにどっしり構えて、何を考えているのかわからない。メンバー交換のときも一切、無駄なことは話さない。やりづらかった」
「不気味な」落合監督がチームを率いたこの8年間、中日はセ・リーグ最強のチームだった。4度のリーグ優勝に日本一1回。今年は首位に最大10ゲーム差をつけられながら、逆転優勝を果たした。
では落合監督が目指した「オーソドックスな野球」とはどんなものなのか。落合監督の元で二軍監督を務めた佐藤道郎氏が言う。
「最近の野球はどのチームも、点を取られなければ勝てるというのが基本戦略。落合君はそれを突き詰めようとしていた。だから打者が打てなくても諦められるけど、打たれることをとても恐れる。4~5点勝っているのに、ゲームセット後に握手をすると、掌が汗でびっしょりだったこともあった」
落合監督の「点を取られない野球」が、他球団を圧倒するまでになった要因は何か。それは毎試合ベストの戦力で闘うために、選手たちの状態を見極めることだった。
その根底には、落合監督の卓越した「見抜く目」がある。
佐藤氏が補足する。
「落合君には他の監督では気づけないような選手の能力を見抜く眼力がある。スカウトの方が適しているのではと思うくらいだ」
その好例が、河原純一である。西武を解雇され1年ブランクのあった河原を、'09年、テストを経て獲得。その年河原は貴重な中継ぎとして活躍。40試合以上に登板を果たした。
「落合君は、年齢やちょっとした怪我では選手の評価を変えない。考えるのは、今のチームに足りないものを補ってくれるかどうか、それだけ。そもそもベテランは落ち目でも実績がある。能力が保証された上で安く済むしね」(佐藤氏)
「守りのチーム」の要である二遊間の荒木雅博、井端弘和に関しても、落合監督は慧眼を発揮している。6年連続でゴールデングラブを獲得した二人の定位置を交換したのだ。
落合監督は、その理由を、
「オレが記憶している二人の動きと微妙にずれていたんだ」と答えているが、それを聞いた荒木は、
「自分が思っていた以上に無理が来ていた。監督の目だけはごまかせない」
と唸った。
本人ですら気づかないような変化を、監督の目は見抜いてしまう。それは試合直前にも発揮された。
「その日のコンディションを見極めるのがうまい。中日は同じようなレベルの選手が多いから落合君は、悪ければ代えるし、良ければ使う。井端がケガしても、岩崎(達郎)がいる、堂上(直倫)がいるという風に調子のいい者を使うんです」(佐藤氏)
しかし見切りも早い。佐藤氏が続ける。
「使えるか使えないかの評価を常にしていた。すべて自分で決めるので、我々も全く知らないうちに、育ちかけていた選手が切られていくこともあった」
このとてもドライで、ある意味徹底された「プロ意識」が、落合野球のもう一つの特徴でもある。
監督に就任した'04年、開幕投手を務めた川崎憲次郎氏は、落合監督が選手たちの前で初めて発した言葉を鮮烈に覚えている。
「新体制最初の全体ミーティングでした。『オレの仕事はお前たちのクビを切ることだ』と言ったんです。それが僕らへの監督の第一声でした。『使えなかったら切られる』というのは、プロなら当然のこと。でもそれを改めて口にする監督は、他に聞いたことがない」
■選手と心中はしない
前述のとおり、落合監督の野球では、「打つ」ことより「守り」が優先されている。選手を見るときに、自分の現役時代の能力を基準にしているからである。打つことに関して、現役時代の自分を超える選手はいない。だから、多くを期待しない。
滅多に選手をほめない落合監督は、
「オレ以上の実績を作った選手がいたらほめてやる」
というのが口癖だった。
川崎氏が言う。
「落合さんから見れば、現役選手達は全員、自分以下としか映っていない。
だからこそ『選手と心中』なんてことはしないんです。選手を信じ切らないから、油断がない。試合への準備はどのチームより緻密に行っているはずです」
落合監督は常に情報収集に気を配った。中日にはスコアラーが他球団に比べて3倍近くいるというのは有名な話だ。
情報収集はチーム内に向けても積極的に行った。目の届かない二軍についても、毎日トレーナーの報告を聞き、各選手の状態を正確に把握していた。佐藤氏にはこんな経験がある。
「リリーフ専門の鈴木義広が二軍に落ちてきたとき、調整法の一環として先発させたら、すぐ監督から、『なぜリリーフを先発に使うのか。二軍でもリリーフで使ってくれ』という電話が入った。堂上(剛裕)を外野で使っただけでもそう。二軍の試合のスコアブックまで読み込んでいるんだよ」
「監督はどこで何を見ているかわからない」---中日の選手の間には、常に緊張感と競争意識が植えつけられていった。そして落合監督が植えつけた競争意識は、チームに最大の変化をもたらした。
練習量の増加である。
若松氏はヤクルト監督を辞任した後、評論家として訪れた中日キャンプで、選手たちのハードな練習ぶりを目の当たりにして「度肝を抜かれた」という。
「他のチームのキャンプは、大抵4日練習して1日休むペースで行います。でも中日は6勤1休だった。要は開幕後のスケジュールに合わせて練習しているんです。全体練習後もほとんどの選手が残って必死にバットを振っていました」
最近の中日の練習を見た元プロ野球選手が、思わず「こんなに練習するんですか」と感嘆すると、落合監督はニコリともせず言い放った。
「俺の現役の頃は、もっと練習していた」
無駄を嫌う落合監督が猛練習を行う理由、それは単純に練習が無駄ではないからだ。
川崎氏がさらに言う。
「チャンスが突然来るという怖さもあるんです。失敗すると次はないかも知れないですしね。『誰が使われるかわからない』という、落合さんの起用法だと、選手は準備がとても大変なんです。スタメンにもベンチスタートにも対応できるように、常にコンディションを整えておかないといけないですから」
■「見られている」という意識
日本一の「野球眼」をもつ監督に、見られている。選手は常に競争意識を保ち、準備を怠らないように練習を繰り返す。そうして中日は、チーム力を高めていった。落合監督は、同様の効果をコーチにも求めていた節がある。
'05年~'06年にかけて捕手コーチを務めた秦真司氏は、就任要請のタイミングにまず驚かされた。
「電話があったのが、前シーズンが始まったばかりの6月だったんです。そんな時に来年のチーム編成を考えている監督なんて他にいません。そもそも、現役時代に落合さんとは何の接点もなかったですしね」
落合監督にとっての「勝てるチーム」に、義理や人間関係のシガラミは邪魔だったのかも知れない。
秦氏が続ける。
「私のような外様を呼んだのは、中日OBのコーチばかりがつるんだ、なあなあ体質を払拭しようという意図があったんです」
そして落合監督は、すぐに秦氏に役割を与えた。当時怪我がちだった主戦捕手・谷繁元信のコンディションをケアすること。監督は一切口を出さなかった。
「谷繁の調整だけに集中し、全力を注ぎました。
2年契約が満了した時、更新の話はもらえなかった。それでも切られたという意識はありません。責任をもって自分の仕事をさせてもらえましたから」
一度任せたら口出しはしない。ただしチームに必要かどうかは、シビアに判断する。選手からコーチ、スタッフに至るまで、「見られている」という緊張感が充満し、落合流の「プロ意識」が浸透していった。
外から見た落合野球も、「何をするかわからない」という意外性がある。冒頭で若松氏が言っていた「不気味さ」である。
たとえばそれは、勝てば優勝もある10月14日の対巨人戦でも見られた。その試合、落合監督は入団1年目の新人投手・大野雄大に、プロ初登板初先発を命じたのである。しかも先発マスクは谷繁ではなく、2年目の松井雅人だった。
「驚きましたね。優勝のかかった試合でデビュー登板させるなんて、普通では考えられません」(若松氏)
一見、奇策に見える落合監督の投手起用だが、前出の川崎氏は、「落合さんらしい」と指摘する。
「落合監督本来のスタンダードな野球を行う上で、ああいった思いもよらないことをすると、敵に『中日は何をしてくるかわからない』と思い込ませることができる。『わからない』と、意識させれば、落合さんの術中にはまってしまう」
対戦相手である巨人以上に、今後CSや日本シリーズで戦う相手に、警戒心を植えつける効果もある。
落合は2回に打ち込まれた大野を、4回までマウンドから降ろさなかった。結果敗れたが、試合後の落合監督は「いい勉強だよ」と笑顔だった。
解任決定後も落合監督は、自分が去った後のチームの将来を見つめ続けている。その様は、「プロ」としての仕事を、貫徹しようとしているように見える。
■「勝て」と言われたから勝った
思い起こせば落合監督の用兵は、奇策から始まった。'04年の広島との開幕戦、先発マウンドには、川崎憲次郎氏が立っていた。
「落合さんが就任した直後の1月2日に、電話がかかってきた。そこでいきなり『今年の開幕投手はお前で行く』と言われたんです」
当時肩の故障を抱えていた川崎氏は、3年間一軍で投げていない状態だった。
開幕戦、川崎氏は序盤にKOされてしまった。しかしチームは逆転勝利。この日の奇襲は落合野球の「不気味さ」の象徴となり、そのシーズン、1年目にしてリーグ優勝を果たした。
一方で川崎氏は、この登板に落合監督からのメッセージを感じ取っていた。
「当然監督は私の投球に期待していたわけではない。暗に、『これが今のお前の実力だよ』と知らせたかったのだと思います」
川崎氏は、その後再登板のチャンスを与えられたが、またもKO。直後二軍に落とされ、3度目のマウンドに立ったのは自身の引退試合だった。1年で、たった3回の登板機会。そして引退。それでも川崎氏は今も監督に感謝している。
落合監督は、川崎氏の実績に「開幕投手」という形で敬意を払った。その上で、能力の足りない者は、容赦なく切り捨てる。そこには一貫したプロ意識がある。
10月19日、中日優勝の翌日、スポーツ紙に落合監督の手記が掲載された。優勝できたのは、9月の対巨人戦で敗れた後、坂井球団社長がガッツポーズをしたことが最大の要因だったと激白している。
《負けてなんでガッツポーズされるんだよって。(略)負けじ魂に火がついた》
非情と言われた落合監督。その根底には確かなプロ精神が流れている。そんな彼は、今回の仕打ちをどう捉えているのだろう。監督と親しい記者が、その胸中を忖度する。
「解任宣告も、球団に呼び付けられた監督は、朝一番の新幹線で立ったまま名古屋に行き、『ご苦労さん』の一言で済まされたと言います。名監督の最後としては寂しすぎますよ」
優勝した中日は、当然今季のセ・リーグで、最も結果を出したチームだ。落合監督にも選手にも、その自負がある。「勝て」と言われて、勝った。それでも切られる理不尽に、落合監督は憤っている。自分がプロとしての責任を果たしたと信じているからだ。
いま監督が一番心配しているのは、彼の緻密な野球を支えたスコアラー陣の今後なのだと言う。
「『彼らをクビにしないでくれ』と事あるごとに球団幹部に頼んでいます」(前出記者)
「名選手に名監督なし」という言葉がある。3度の三冠王を獲得した史上最強の打者は、球界の常識をいとも簡単に打ち破ってみせた。
落合監督は最後の夢、リーグ優勝&日本一の栄冠に挑む。
「週刊現代」2011年11月5日号より
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