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福島市のコメ、出荷制限へ=一部地区、政府「風評対策に努力」

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福島市のコメ、出荷制限へ=一部地区、政府「風評対策に努力」
時事通信2011年11月17日13時6分
 藤村修官房長官は17日午前の記者会見で、福島市大波地区産のコメ(玄米)から国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出されたことについて「出荷制限の指示を検討している。早急に結論を得たい」と述べ、大波地区産のコメの出荷停止を近く指示する方針を示した。
 藤村長官は同時に、「大きく広がる話ではなく、特殊なケースだと聞いている。風評被害につながらないようにしなければいけない」と語った。大波地区は山に囲まれた地形で、他の福島県産米とは生育環境が違うことを強調したものだ。
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<来栖の独白>
 今朝のNHKニュースは、「大波地区産の玄米から国の規制値を超える放射性セシウムが検出された」と伝えた。
 放射性セシウムと報道によって、どれほど多くの農家・酪農家が苦悩し、路頭に迷うことだろう。絶望し、自ら命を絶った酪農家もいた。
 わが子の食事を安全なもので、との親の願いは尊い。一方で、「がんばろう!日本」という標語は、何なのか。私は、漠とした不安を覚えないではいられない。自分の家族しか映らない眼も、何やら美しくは感じられない。
 このような時、キリスト者の末端を標榜する私は、きまってイエスの「憐れみ」を思う。聖書のメッセージする「憐れみcompassion」とは「共に苦しむ passion with」という意味だ。ラテン語のpati(苦しむ)とcum(共に)から生まれた。上から苦しむ人を見下ろして憐れむのではなく、「苦しむ者があれば、一緒になって共に苦しみ、共感する」と言う意味。「がんばろう!日本」とは、些か違うように思える。
 「共に生きる」とはどういうことか、問われているようだ。

イザヤ書53,3〜53,6
 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
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