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オウム坂本堤弁護士一家殺害事件/死を一人称で考える/中川智正被告の母/坂本堤さんの母さちよさん

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オウム裁判:「死を一人称で考える」…中川被告が手紙
 中川智正被告は判決前の11月8日付で毎日新聞に宛てた手紙に心情をつづっていた。手紙の要旨は次の通り(表記は原文のまま)。
 16年という月日が事件の後遺症に苦しまれている方、御遺族の方にはどれ位の年月だったのだろうか思いますと、言葉がありません。何人かの被害者の方とお会いし、おわびさせて頂きましたが、私の起こした事件の傷あとの深さを改めて感じました。私は何とお話して良いか分からず申し訳ございませんと申し上げるばかりでした。
 人は一人称では死を考えられないとよく言われます。しかし、私は、自分のやった事が原因で、それを考えざるを得ない立場になりました。
 私が医師をしていた頃、大部屋にいる癌の患者さんの容態が悪くなると、個室に移していました。そこで患者さんは亡くなっていたのです。私には直接伝わってきませんでしたが、患者さん同士は、「個室には行きたくない」と話していたそうです。当時は癌の告知をしないのが普通で、患者さんの不安は大きかったろうと思います。ある日、突然、個室に移された患者さんや隣のベッドが空いた患者さんはどう思っていたことでしょう。自分が犯した罪が原因なので比較するのは不適切だとは思いますが、これからの自分の身とあの患者さん達を重ね合わせてしまいます。
 ともあれ、いろいろとお心遣いありがとうございます。事件を起こしてしまったことには申し訳ない気持ちで一杯です。
 ◇中川智正被告
 京都府立医科大を卒業後、勤務医から89年に出家。松本智津夫死刑囚の主治医の一人で、出家2カ月後の坂本弁護士一家殺害事件など11事件に関わり、25人の犠牲者を出した。
毎日新聞 2011年11月19日 0時20分(最終更新 11月19日 0時51分)
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オウム裁判:「中川被告と面会続ける」…被害者の永岡さん
 「中川君は麻原(彰晃=松本智津夫死刑囚)という男に利用されただけ。死刑が確定しても執行停止を求め、本人との面会も可能な限り続けられるようにしたい」。中川被告らが起こした猛毒のVXガスによる襲撃事件の被害者で、「オウム真理教家族の会(旧称・被害者の会)」の永岡弘行会長(73)は判決後、目を潤ませながらそう語った。
 永岡会長は最高裁での弁論後の10月26日、東京拘置所で中川被告と面会。約1年半ぶりの顔合わせだった。
 チェックのシャツにベージュのズボン姿で現れた中川被告の体調は良さそうで、以前より太った印象を受けた。服が窮屈に見え、「お母さんに3サイズ大きい服を差し入れるよう伝えておくよ」と話すと、被告は「ありがとうございます」と礼を言った。母親が時折面会に来ていることに触れ、「母親も健康そうです」と気遣う言葉も漏らしたという。
 「私たち大人があなたのような若者の軌道修正をしてやれず申し訳なかった」。永岡会長が語りかけると、中川被告は穏やかな表情を浮かべて「周囲のいろいろな人に迷惑をかけたので、命ある限りの償いを続けていきたい」と答えたという。
 永岡会長はオウムに入信して家に戻らなくなった長男を取り戻すため、89年に他の父母らと被害者の会を結成。会には中川被告の母親も名前を連ねていた。90年に自身の長男を連れ戻すことに成功したが、今も信者の脱会支援活動を続ける。
 会長になって22年。周囲からは「もうやめたら」と言われたり「目立ちたがり屋」とささやかれたりしたこともあった。だが、オウムの後継教団に入信する若者は後を絶たず、必要性は失われていないと信じている。
 「世の中には誰かがやらなければいけないことがある」。共にオウムと闘った坂本堤弁護士の口癖が心の支えだ。【伊藤一郎】毎日新聞 2011年11月19日 0時17分
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弁護士一家殺害審理終了:募るやり切れない思い
カナロコ(神奈川新聞)2011年11月19日
 判決が言い渡された最高裁第2小法廷には中川智正被告の母(76)の姿があった。
 傍聴席の最前列、死刑を告げる判決をじっと目を閉じて聞き、閉廷の際には小さな体を折り曲げ、正面におじぎをした。
 覚悟して久しいことを示すように開口一番、「当然の結果です」と言った。
 遠く西日本の地方都市から拘置所の息子への接見に向かい、その際には鎌倉・円覚寺の坂本弁護士一家の墓に参ることもあった。それでも救われない心。
 この日も「たった一人の命ですが、少しでも償いになれば。でも、大勢の命を奪い、償いにはなりませんが」。自らに向けるように「わが子を(死刑で)失い、少しでもご遺族の気持ちに近づくことができれば」と静かに話し、タクシーに乗り込んだ。
 オウム真理教家族の会代表の永岡弘行さん(73)は、1カ月前に中川被告と接見したことを明かした。「太ったなあ、表情が穏やかになったなあ、と声を掛けると、笑みを浮かべていた」
 かつて自身の長男も入信。わが子を教団から取り戻す親たちの運動の先頭に立ち、中川被告の母とも行動を共にした。やがて母は「加害者の母」に。一方の永岡さんはVXガスで教団に殺されかかった。この日、目に涙をため「一連の事件を食い止められなかったわれわれ大人の責任。死刑判決に申し訳ない気持ちだ。お母さんにも掛ける言葉がない」とやり切れなさを募らせていた。
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弁護士一家殺害審理終了:「生きる者の義務」坂本堤さんの母さちよさん
カナロコ(神奈川新聞)2011年11月19日
 事件が起きた時、記者は小学生だった。坂本堤弁護士の母さちよさん(80)にお会いするのは初めてだった。思いを伝えられるのだろうか。葛藤を抱え、ペンを動かした。
 9月中旬。さちよさんは、息子堤さん一家が遺体で発見された新潟、富山、長野の3県に慰霊に訪れた。碑の前に立つ決意をするまでに、16年の歳月が流れていた。
 さちよさんは話した。
 「これまで本当に多くの方にお世話になり、今もまた、たくさんの方が息子一家を思い出し、親しんでくれています。けじめとして、命あるうちに礼を尽くさなければいけない。それが、生きている者の義務だと思いました」
 事件発生から約6年後の1995年9月。堤さん、都子さんの遺体が発見された時、さちよさんは「対面することはできなかった」という。「見てしまったら、どうしたってその姿が焼き付いてしまう。生きていかなければならない私にそんな勇気はなかった」
 96年、裁判が始まった。「自分がどんな精神状態になってしまうか不安」で、法廷に足を運ぶことはなかった。何が語られ、何が明らかになろうと、3人は戻ってこない。「つらくて、悲しくて、やりきれなくて、憤怒と憎しみの中にあり、気持ちのやりようもなく、それでも頭の中で、こらえて、こらえて生きてきました」
 裁判開始から15年。坂本弁護士一家殺害事件で起訴された実行犯5人と首謀者の松本智津夫死刑囚。18日の中川被告の最高裁判決で、6人全員の死刑が確定することになり、同事件の裁判は終わった。
 「死刑が執行されても、ただ、むなしいだけ」
 10月中旬。さちよさんは漏らした。どんな判決が下されようと、事件から逃れることはできない。「私が息を引き取るまで(事件は)終わらない。いいえ、あの世まで持っていかなければと思っています」
 事件を知らない世代は増えた。若い人は知る由もなく、それも仕方ないことと、さちよさんは言った。「それでも」と言葉を継いだ。「どこかで、誰かに、事件を記憶しておいてほしい」
 考え続けたい。事件がなぜ起きたのか。被害者遺族がどんな思いで生きてきたのか。さちよさんが言った「生きている者の義務」として。
 一連の刑事裁判は、21日に上告審判決予定の遠藤誠一被告(51)=一、二審死刑=を残すだけとなり、上告が棄却されれば事実上全て終結する。
 中川被告の弁護側は刑事訴訟法に基づき、判決翌日から10日以内に手続きができる判決訂正の申し立てをする方針だが、量刑が覆った例はなく、退けられれば正式に確定となる。判決は一連の犯行を「教団の組織防衛を目的に、法治国家への挑戦として組織的、計画的に行われ、反社会的で人命軽視も甚だしい」と指摘。
 「正当な職務上の活動をしていた弁護士を家族ごと殺害したり、殺傷能力の極めて高いサリンを散布したりするなど、残虐で非人道的な犯行態様と結果の重大性はほかに比べる例がない」と指弾し、「一連の犯行による被害者や遺族の被害感情も厳しい」とした。
 その上で、被告自身の行為について「弁護士一家殺害では妻子の首を絞めて窒息死させ、両サリン事件でも共犯者の医療役やサリンの合成役として犯行に不可欠な役割を積極的に果たし刑事責任は重大だ」と判断。大半が松本死刑囚の指示に従った犯行だったことを考慮しても、死刑はやむを得ないと結論付けた。
 一審東京地裁は2003年10月に求刑通り死刑を言い渡し、二審東京高裁は07年7月に控訴を棄却。被告側が上告した。
 上告審で弁護側は「さまざまな異常体験をし、精神疾患が犯行に影響した」と完全責任能力を否定。松本、地下鉄両サリン事件については「実行の謀議に加わっていない」と主張していた。
 一、二審判決によると、中川被告は1989〜95年、松本死刑囚らと共謀。弁護士一家殺害や両サリンなど五つの事件で計24人を殺害、目黒公証役場事務長の監禁致死事件と併せ、25人の死亡に関与した。京都府立医大在学中の88年に入信。松本死刑囚の主治医だった。
*坂本堤弁護士一家殺害事件 オウム真理教の信者脱会支援などに取り組んでいた坂本堤弁護士=当時(33)=、妻都子(さとこ)さん=同(29)=、長男龍彦ちゃん=同(1)=が1989年11月4日未明、横浜市磯子区の自宅アパートに押し入ったオウム真理教の教団幹部らに殺害された。5年10カ月後の95年9月、新潟県で堤さん、富山県で都子さん、長野県で龍彦ちゃんが、遺体で発見された。殺害は松本智津夫死刑囚(56)=教祖名麻原彰晃=の指示によるもので、松本死刑囚をはじめ、実行犯の早川紀代秀死刑囚(62)ら6人が殺人罪などに問われた。すでに5人の死刑は確定。中川智正被告(49)の上告審判決で同被告の死刑も確定する。
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余録:オウム裁判終了へ
 「赤い毛糸にだいだいの毛糸を結びたい だいだいの毛糸にレモンいろの毛糸を レモンいろの毛糸に空いろの毛糸も結びたい この街に生きる一人一人の心を結びたいんだ」。夫・堤さん、長男・龍彦ちゃんと共に殺された坂本都子さんの詩だ▲この詩が刻まれた坂本弁護士一家殺害事件の慰霊碑が、遺体発見現場の山中から山麓(さんろく)に移設された。落石で現場が危険なためだが、その移設作業が終わったきのう、犯行に加わったオウム真理教元幹部、中川智正被告の上告が棄却され死刑が確定する見通しとなった▲「恐ろしき事なす時の我が顔を 見たはずの月 今夜も清(さや)けし」は中川被告の歌という。坂本さん一家が殺害された22年前から6年後の地下鉄サリン事件にいたるオウム真理教による一連の犯罪だ。その裁判が21日の遠藤誠一被告への最高裁の判決をもって終了する▲だが公安当局によればオウム真理教の後継教団の信者数は1000人を超え、教祖だった松本智津夫死刑囚への崇拝は続いている。そもそも事件を知らぬ若い入会者が増えていると聞けば、過ぎた年月にむなしさも覚える▲教祖の途方もない妄想はなぜ若者の心を、また幾多の人命まで現実から奪い去れたのか。裁判は終わっても、答えはなお薄明の中にとどまった。そして心配も胸を刺す。今日の現実は若者の心をつなぎとめる理想や物語を事件当時よりさらにやせ細らせてはいまいか▲いや、カルトの灰色の妄信を過大評価してはなるまい。人々が生きる色とりどりの現実を結び合わせ、彩り豊かな世界を編んでいく都子さんの夢は、きっと今の若者にも引き継がれていこう。
毎日新聞 2011年11月19日 1時10分
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