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『采配』落合博満/孤独に勝たなければ、勝負に勝てない/3つの敵/「負けない努力」が勝ちにつながる

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『采配』
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【第1回】2011年11月21日 落合博満
■孤独に勝たなければ、勝負に勝てない
 「一人で過ごすのは好きだけれど、孤独には耐えられない」
 最近の若い選手に対する印象だ。これは、子供の頃からの生活環境も大きく影響していると思う。
 親子3代同居が核家族化し、少子化も手伝って一人部屋を与えられる子供が増えた。テレビゲームや携帯電話の急速な普及も、一人で過ごす時間を作り出している。プロ野球界の環境の変化も例外ではない。その昔、遠征先の宿舎は旅館が多く、首脳陣や一部のベテランを除いて大部屋で過ごしていた。しかし、現在はホテルの個室が大半である。
 これ自体はいいか悪いかではなく、完全に時代の流れだ。生活様式や食生活が純和風から欧米型になっているのと変わりない。その中で、若い選手たちも一人で過ごす時間が長くなっている。
「最近の若いヤツらは、終業後に飲みに誘っても来ない」
 管理職世代のそんな嘆きもよく耳にするが、若者たちの気質の変化には配慮してもいいと思う。
 プロ球団の遠征先での食事は、ホテルの宴会場を借りて会場にしていることが多い。ドラゴンズでは、約1ヵ月にわたって寝食をともにする春季キャンプ中は、それを選手用と首脳陣用に分けていた。
 食事の時間くらい上司の顔を見なくてもいいだろうと考えたからだ。夕食をサッと済ませ、自室でパソコンに向かっていようが、奥さんや彼女と長電話していようが構わない。プロ野球選手は、グラウンドで結果さえ残してくれればいいのだ。
 ところが、そのグラウンド上でひ弱さを見せるようだと、「若者の気質に配慮して」などとも言っていられなくなる。
 自分の時間は一人で過ごしたいのに、グラウンド(仕事)では「どうすればいいですか」、「何か指示を出してください」、「これで間違っていませんか」という頼りなげな視線を向けてくる。
 それでは困る。自分一人で決めねばならないのだ。
 選手は誰でも可愛い。すぐにでも助け舟を出してやりたいと思うのだが、バッターボックスにいる選手のもとへ足を運び、肩に手を置いて「頑張れ」と励ましてやることはできない。
 野球は9人対9人で戦うチームスポーツだが、実際は投手と打者による1対1の勝負である。しかも、投手の指先をボールが離れると、コンマ何秒で勝負がついてしまう。
 そんな一瞬の勝負に、長々とアドバイスしている時間はない。
 一般社会でもそれと同じような場面があるはずだ。
  若手もベテランも関係なく、お客さんのところへ一人で営業に行ったり、会社の責任者として取引先などへ一人で行かされたりすることもあるだろう。
 会社を背負って、勝負を背負って、たった一人で複数の相手に立ち向かう場面では、緊張感とともに孤独感を抱くだろう。その孤独感は、「一人で過ごせること」とはまったく意味合いが違う。
 孤独に勝てなければ、勝負に勝てないのだ。
――明日は、野球選手にもビジネスマンにも共通する、自らが戦う「3つの敵」について語ります。(連載全4回、まとめ記事作成・編集部)
【第2回】 2011年11月22日 落合博満
■ビジネスマンも野球選手も、3つの敵と戦っている
 ビジネスマンもプロ野球選手も、仕事を「戦い」や「闘い」にたとえれば、自分のスキルを成熟させながら、3つの段階の戦いに直面することになる。
  それは、自分、相手、数字だ。
  学業を終えて社会に出たら、まずは業種ごとに仕事を覚え、戦力になっていかなければならない。教わるべきことは教わり、自ら考えるべきことは考え、早く仕事を任されるだけの力をつけようとしている段階は自分との闘いだ。
  正しい方法論に則って努力すれば、ある程度まで力をつけることができる。プロ野球選手で言えば、育成の場であるファームから勝負の場である一軍へ昇格し、25人のメンバーに定着していく段階を指すのだろう。
  半人前、一人前になれば、営業職なら外回りをして契約を取る。それまでに教えられたこと、経験したことを元に成果を上げようとする段階では、どうすれば相手を納得させられるか、信頼を勝ち取れるかなど、相手のある戦いに身を置く。プロ野球選手なら、どれだけ相手に嫌がられる選手になれるかを考えるのだ。
 そして、営業成績でトップを取れるような実力をつけたり、職場には欠かせないと思われる存在になれたら、自分自身の中に「もっと効率のいいやり方はないか」、「もっと業績を上げられないか」という欲が生まれる。
  現状のままでは評価されなくなるという切迫感、これで力を出し切ったとは思われたくないというプライド、さらなる高みを見てみたいという向上心とも向き合いながら、最終段階として数字と闘うことになる。契約数アップ、開発時間の短縮、コストの削減――プロ野球選手ならば、打率、防御率など、数字と闘えるようになれば本当の一人前、一流のプロフェッショナルということになる。
  ただ、この“数字と闘う”は、一流のプロでも容易ではない。
  毎シーズン、開幕前に「三冠王を獲ります」と宣言してプレーしてきた私でさえ、数字との闘いに勝てなかった経験は何度かある。だから、監督として「おまえも数字と闘える段階になったな」とは口が裂けても言えないものだ。
 2011年のドラゴンズは打線が低調だった。特に左右の主軸である森野将彦と和田一浩の調子がいっこうに上がらなかったことには、ファンの皆さんもやきもきしたと思う。彼らを間近で見ている立場から言えば、和田が不振に喘ぐかもしれないという想定はしていた。2010年はセ・リーグの最優秀選手に選ばれたものの、よりシンプルな打ち方を身につけようと新たな取り組みをしていたからだ。
  和田のように実績を残している選手が、さらに高度な技術を習得しようとした場合、そのプロセスにおいて以前のような成績を残せなくなるリスクはある。それでも新たな段階に進もうとするか、現状のままでやっていこうとするか。それは和田自身が判断することであり、私も口を挟むことはできない。和田本人が決断した以上、それをサポートするために我慢も必要だと腹を括っていた。
  やや予想外だったのは森野のほうだ。前後の打者の不振によって「自分が打たなければ」と気負いすぎたか。2011年から「飛ばない」と言われているボールを使用することになったが、それを気にし過ぎて形を崩したか。どちらも遠因にはなったのかもしれないが、私が感じた中で一番の原因は“数字と闘った”ことだと思う。
 プロ野球の試合が行なわれる球場では、打席に立つ選手の打率、本塁打、打点という主だった数字をオーロラビジョンに表示する。開幕直後はともかく、1か月が過ぎても、2か月が過ぎても数字が伸びてこないと、どうしても打席に入る際に気が滅入ってくる。
  対戦相手も、はじめのうちは「森野がこのまま終わるわけがない」と思っているから、場面によっては四球で勝負を避けたりするのだが、次第にオーロラビジョンに表示されている数字を信用するようになってくるのだ。
  つまり、一軍に昇格してきたばかりの投手まで、「あの(高くない)打率なら、俺も森野さんを抑えられるんじゃないか」と考え、思い切ったボールを投げてきたりする。相手が大胆に攻めてくれば、当然、森野は対処にてこずるだろう。
  そうした、さまざまな要素が悪循環となり、本当にわずかの違いなのだが、打撃を小さくしてしまったという印象だ。私も森野に「数字とは闘うな」と助言したが、打席に向かう際にはどうしてもオーロラビジョンを見てしまうものだろう。
  このように、数字とは厄介なものである。
 自分が残している結果をただ表すだけ。どんなに一生懸命に営業しても、契約を取れなければ「0」としか表せない。数字ははっきりと現状を映し出してしまう。それだけに数字と闘うのは苦しいのだが、そこは苦しさを噛み締めながら、自分で乗り越えていくしかない。
  そして、数字と闘った経験のある者は、苦しむ後輩にタイミングを見計らって「数字と闘えるようになったら一人前だ。でも、今は数字とは闘うな」と助言してやりたい。
  最終段階での闘い、一流のプロフェッショナルの闘い、それが数字だ。数字は自身の揺るぎない自信にもなるが、魔物にもなる。それゆえ、スランプに陥った時には、数字の呪縛から解き放つ術も知らなければいけないのだ。
――明後日は、「勝つために目指してきたこと」について語ります。(連載全4回、まとめ記事作成・編集部)
【第3回】 2011年11月24日 落合博満
■「負けない努力」が勝ちにつながる
 野球の試合では、
?先発投手が互いに3点以内に抑えて投げ合っているような展開を投手戦
?反対に両軍の打線が活発に機能し、5点以上を取り合っているような展開を打撃戦
 と呼ぶ。皆さんは、どちらの試合展開が好みだろうか。
 私はドラゴンズの監督に就任してから、ずっと投手力を中心とした守りの安定感で勝利を目指す戦いを続けてきた。なぜなら、投手力はある程度の計算ができるのだが、打撃力は「水もの」と言われているように、10点を奪った翌日に1点も取れないことが珍しくないからだ。
 どんな強打者を集めても、何試合も続けて打ち勝っていくことは至難の業である。だからこそ、優勝への近道として投手力を押し出した戦いをしていく。
打者出身の私の考えとしては意外に思うかもしれないが、これは私の好みではなく、勝つための選択なのだ。
 ただ、投手力を前面に押し出すとは言っても、肝心なのは投手力と攻撃力の歯車がいかに噛み合うかということ。すなわち、投手陣と野手陣に相互信頼がなければならない。いくら投手が1点も取らないよう、いいピッチングをしても、打者が一人も打たなければ勝ちはない。その逆もしかり。
 では、投手陣と野手陣の相互信頼はどうやって築いていくものだろうか。
監督になったつもりで考えてほしい。0対1の悔しい敗戦が3試合も続いた。ファンもメディアも「打てる選手がいない」と打線の低調ぶりを嘆いている。この状況から抜け出そうと、チームでミーティングをすることになった。監督であるあなたは、誰にどんなアドバイスをするか。
 恐らく多くの方は、打撃コーチやスコアラーの分析結果も踏まえて、3試合で1点も取れない野手陣に効果的なアドバイスをしようと考えるだろう。技術的な問題点を指摘するか、「気合いを入れよう」と精神面に訴えるか。ソフトに語りかけるか、檄(げき)を飛ばすか。コミュニケートする方法も慎重に考えながら、何とか野手陣の奮起を促そうとするのではないか。
 つまり、「0対1」の「0」を改善するという考え方だ。私は違う。
 投手陣を集め、こう言うだろう。
 「打線が援護できないのに、なぜ点を取られるんだ。おまえたちが0点に抑えてくれれば、打てなくても0対0の引き分けになる。勝てない時は負けない努力をするんだ」
 プロ野球界では、先発投手が6、7回を3点以内に抑えれば「仕事をした」と言われる。つまり、3失点以内で負ければ「打線が仕事をしていない」、3点以上奪っても負けると「投手が仕事をしていない」ということになる。投手戦、打撃戦の区別もここからきているのかもしれない。
 待ってほしい。
 勝負事も含めた仕事というのは?生き物?だ。経験に基づいたセオリーは尊重するとしても、一歩先では何が起こるか本当にわからない。
 ならば、打線が3点取れなくても勝てる道を見つけ、10点奪ったのに逆転負けしてしまうような展開だけは絶対に避けなければいけない。そうなると、「3失点以内なら投手は仕事をした」という考え方はできないと思う。投手には、あくまで打線の調子を踏まえた上で?勝てる仕事?をしてもらいたい。
 繰り返すが試合は「1点を守り抜くか、相手を『0』にすれば、負けない」のだ。
 また、得点できない野手を集めてミーティングをすると、呼ばれなかった投手陣は「俺たちは仕事をしているんだ」という気持ちになり、チームとしての敗戦を正面から受け止めなくなる。このあと、また同じような状況になっても、「悪いのは野手陣だろう」と考えてしまい、ここから投手陣と野手陣の相互信頼が失われていくものだ。
 スポーツ紙を読むと、3失点で完投しながら打線が2点しか奪えなかった、つまり「2対3」で負けた試合で、その投手がこうコメントしているのを目にするはずだ。
 「負けたのは悔しいですが、自分の仕事はできたと思っています。次も頑張ります」
 私はその記事にポツリとつぶやく。
「先発投手が黒星を喫したら、仕事をしたことにはならないだろうに」
 そもそも、チームスポーツで「仕事をした」と言えるのは、チームが勝った時だけである。
 20対19という大乱戦でも、この試合に先発し、5回を10失点で白星を得た投手は、内容は最悪だが仕事はしているのである。しかし、0対1で完投しながら負けた投手は、厳しいようだが仕事をできていないのだ。
 一般社会において、あと一歩で契約を取れなかった社員が「自分の仕事はしました」と胸を張るだろうか。前回からの成長ぶり、その仕事にベストを尽くせたかどうかの評価は別の次元の話であり、契約を取れなければ仕事をしたとは言えない。それと同じことだ。
 私のように考えると、さぞかしドラゴンズの投手陣は大変だろうと思われるだろう。仕方がない。野球の勝敗の80%は投手が握っていると言われるように、投手は守りの中で唯一、ボールを投げることで「攻撃できる」役割なのだし、投手が投げることで試合が動くという性質上、野手はどうしても受け身の立場だからだ。
 しかも、投手が自分の手でボールを投げられるのに対して、野手はバットという道具を使って打ち返さなければならない。自分のコンディションに加え、バットも上手く使いこなせなければ結果を残せないのだから、チームで勝つという唯一最大の目標を達成するためには、パフォーマンスをある程度計算できる、投手を中心に試合運びを考えざるを得ない。
 ここでも大事なのは、原則だ。
 負けない努力が勝ちにつながる。この考えだ。
 その1勝をつかむために、誰を信頼し、誰を中心に戦っていくのか。ここがブレてしまっては、チームワークも、選手の目指す方向性もおかしくなってしまう。これは皆さんの仕事でも同じだと思う。とりわけ厳しい時代においては、この考えはしっくりくるのではないだろうか。
――明日は最終回、「こんなリーダーを目指してほしい」という落合博満氏からのメッセージです。(連載全4回、まとめ記事作成・編集部)
【最終回】 2011年11月25日 落合博満
■できる・できない、両方がわかるリーダーになれ
 「毎シーズンAクラス(3位以上)に入れるチームを作ることができた要因は何ですか?」
 そう問われた時、私が唯一はっきりと答えられるのは「選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったこともあるから」ということである。
 日本のプロ野球界では、いわゆる「野球エリート」と呼ばれる人が監督になるケースが多い。長嶋茂雄さんや王貞治さんに代表されるように、高校・大学時代から豊かな将来性を嘱望され、注目された中でプロ入りすると、期待に違わぬ活躍を見せてスターとなる。現役を退く際にも「近い将来には監督に」という期待を寄せられ、ほどなく監督に就任するという野球人生だ。
 このタイプの監督は、ドラフト1位など高い評価で獲得した選手をしっかりとレギュラーに仕上げていく。時にはポジションを空けてレギュラーに据え、一軍で実戦を経験させながら一人前にしていく。
 ただ、その一方ではドラフト下位で入団してくるような無名の選手を育てるのが得意ではない。無理もない。自分自身が潜在能力に恵まれ、順風満帆な野球人生を過ごしてきたゆえ、“できない人の気持ち”が理解できないのだ。
「プロに入ってきたんだから、そんなことくらいはできるだろう」
 そういう視点だと、できない選手が「能力がない」、「努力をしていない」と見えてしまう。野球界では「名選手、名監督にあらず」と言われていた時代があったが、その原因はまさにこういうことだったのだと思う。長嶋さんが監督1年目に球団史上初の最下位になった時、「四番に長嶋がいない」と漏らしたという。これこそ「何でもできた人」ゆえの悩みだったのではないか。
 そんなスター監督とは正反対に、選手時代には高い実績を上げられなかったものの、若くして指導者の道に入り、コツコツと経験を積み重ねて監督に就任する人もいる。コーチや二軍監督を経験していれば、先に書いた“できない人の気持ち”は手に取るように理解できるから、若い選手を厳しさの中から育てていく手腕に長けている。人当たりがよく、辛抱強さも備えていることで、チームの風通しもよくなることが多い。ところが、このタイプの監督は主力選手、すなわち“できる人の思い”をなかなか理解できない。
 人によっては、スター選手に嫉妬心を抱いて無用な衝突を起こしたりする。そして、ベテランから若手に切り替えるタイミングを間違えることもある。
 私は現役時代に7人の監督の下でプレーし、こうした印象を持っていた。そして、自分自身がどちらのタイプでもないことが、指導者になった時には生かせるのではないかと考えていた。
 高校時代は先輩からの鉄拳指導が嫌で入退部を繰り返し、大学は中途退学。社会人の東芝府中も当時は強豪チームではなかったから、プロ入りできること自体を「儲けものだ」と考えているような選手だった。また、プロ野球選手になれば、すぐにクビになっても“元プロ野球選手”になれる。残った契約金で飲食店でも開けば、野球の好きな人は集まってくれるかもしれないなどと考えているような選手だったのである。そして、2年間は一軍とファームを行ったり来たり。そうした下積みを経験したのち、三冠王を3回手にしてプロ野球界のトップにも立った。
 つまり「できない人の気持ち」は、若い頃の私自身の気持ちそのものである。
 そして、チームを背負う主力選手の思いもまた、存分に味わってきているのだ。
 こうした経験を経て監督になっているから、ドラフト1位だからという理由だけでポジションを与えるようなことはしない。逆に、ドラフト6位だから、ファームから下積みをさせようとも思わない。目をギラつかせ、「俺はこの世界で絶対に一流になるんだ」という若手を見つければ、彼らの自己成長をサポートしてやろうと考えるだけである。
 こちらからは教えないし、育てようともしない。
 ただ、私に突っかかってくるのなら、いくらでも相手になる。昔の職人の世界なのかもしれないが、時代が移り変わっても、それがプロフェッショナルというものなのだと思っている。そして、ファームでもがいている若手には、彼らの気持ちを察しながら課題を示す。チームを背負って戦う選手には、気持ちよくプレーできる環境を整える。それをある程度までできたことが、チームの成績として反映したのではないだろうか。
 ビジネスの世界にも、一流大学から大手企業に進んだエリートもいれば、コツコツと下積みから這い上がった人もいるだろう。さまざまな歩みをしてきた人がさまざまな思いを抱えているだけに、少しでも「できる人の思い」「できない人の気持ち」、両方を理解できるリーダーになってもらいたい。
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落合博光
1953年生まれ。秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。
1979年ドラフト3位でロッテオリオンズ入団。81年打率 .326で首位打者になり、以後83年まで3年連続首位打者。82年史上最年少28歳で三冠王を獲得、85年には2度目の三冠王とパ・リーグの最優秀選手(MVP)に輝いた。86年には史上初の3度目、2年連続の三冠王を獲得。
1998年現役を引退。その後、野球解説者、指導者として活動し、2004年より中日ドラゴンズ監督に就任。2007年にはチームを53年ぶりの日本一に導く。就任から8年間、2年に1回以上はリーグ優勝ないしは日本一、Aクラス入りを逃したこともない。2011年は球団史上初の2年連続リーグ優勝を果たし、「常勝チーム」を作り上げた。
2007年には、プロ野球の発展に大きく貢献した人物に贈られる正力松太郎賞を受賞。2011年には競技者として、日本の野球の発展に大きく貢献した功績を永久に讃え、顕彰する「野球殿堂」入りを果たす。
著書は、『コーチング―言葉と信念の魔術』(ダイヤモンド社)、『落合博満の超野球学1、2』『プロフェッショナル』『野球人』(ベースボール・マガジン社)、『勝負の方程式』(小学館)など多数ある。
『采配』
「邪念を振り切り、今この瞬間に最善を尽くす」――監督就任から8年間、4度のリーグ優勝、1997年の53年ぶり日本一、2011年には球団史上初となるリーグ連覇を達成。偉業ともいえる圧倒的な成績を残し、チームを「常勝チーム」へと変貌させた名将が、現役時代には決して語ることのできなかった「采配」の秘密を今、明かす。
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