2011年11月28日月曜日 カルト新聞
元オウム・広瀬健一死刑囚が手記を公開
オウム真理教による地下鉄サリン事件の実行犯の一人として2009年に死刑が確定した広瀬健一死刑囚が、獄中で手記をしたため、公開を要望しています。広瀬死刑囚から手記を託されたA氏からの提供で、広瀬死刑囚による直筆の手記の一部を掲載します。手記は現在も獄中からA氏のもとに送られてきており、12月上旬には完結する見通しとのことです。
広瀬死刑囚は、1995年にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件に実行犯として関わったほか、自動小銃密造事件に関与。教団内では「科学技術省次官」の地位にありました。2009年に死刑が確定しています。
一方、広瀬死刑囚から手記の公開を託されたA氏は、死刑確定の半年ほど前から広瀬死刑囚と文通を始めたといいます。A氏のもとに送られてきた広瀬死刑囚の手記には、以下のような記述があります。
【広瀬健一氏の手記】
(略)
地下鉄サリン事件においては、一三人の方々の尊い生命を奪い、五〇〇〇人以上の方々に重軽症(ママ)を負わすという大罪を犯しました。被害関係者の方々の苦痛の激しさは、私の想像が及ぶべくもないものと存じ上げます。謝罪の言葉も見つかりません。また人として許されない残酷な行為をしたことは、慙愧に堪えません。その贖罪は、私の命を捧げてもかなわないと存じております。
私がサリンを発散した車両では、一人の方が亡くなられ、また一人の方が重篤な障害を負われ、今も闘病生活を続けておられます。(略)このような重大な結果を自身の行為によって招いたという事実、そして被害関係者の方々が今も言葉に余る悲しみや苦痛に耐えていらっしゃるという現実が私の心から離れることはなく、生き続けていることが真に申し訳なく思います。
そのような状況においてまた、私には心苦しいと思うことがあります。それは、約束である手記の出版を果たしていないことです。地下鉄サリン事件の被害関係者の方々が原告となられた民事裁判において、代理人の方から手記を出版するようにとのお話があったのです。元信徒の手記を含む多数のオウム関連書籍が存在する今、軌を一にするものを上梓できるはずがなく、いかなる手記を執筆すべきか迷い続けて参りましたが、贖いに向けた行為をせずに無為に日々を過ごすのは許されないと思い、決心するに至りました。
少しでも何らかの役に立つことを願い、一般社会の方々や信徒・元信徒たちから寄せられた問いを念頭に置いて、執筆させていただきたく思います。
(略)
そして広瀬死刑囚は、一連の事件とオウム真理教の教義との関連や、教祖・麻原彰晃の発言を綴っています。
【広瀬健一氏の手記】
(略)
麻原において、CSI(教団の科学班:本紙註)のメンバーを意識してヴァジラヤーナの救済を説いていた事実から、この教義によって信徒を強化し、違法行為に導く意図があったことは明らかです。また元より、私どもは麻原から、ヴァジラヤーナの救済であることを明示された上で、教団の武装化を命じられていたのです。
(略)
A氏は、手記の公開を望む広瀬死刑囚の意向にそって、手記の一部を公開することにしたとのことです。原稿は現在も継続してA氏のもとに送られてきており、今回掲載するのは「序章」から「第3章2節」までのそれぞれ抜粋で、計39ページ分です。最終的な分量や内容はA氏も「わからない」そうですが、残り10数ページで12月上旬には完結するのではないかとのこと。本紙でも今後、新たな原稿が届くごとに追加していく予定です。
なお広瀬死刑囚の意向としては、一部をネットで公開の後、何らかの形での出版を望んでいるといいます。
オウム真理教の事件をめぐっては、11月21日に最高裁判所が遠藤誠一被告の上告を棄却し死刑が確定。これによって一連の刑事裁判が全て終結しました。しかし本紙既報の通り、同日、オウム真理教家族の会などが、教祖・松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚以外の12人について死刑執行を回避すべきとの声明を発表。記者会見で、「松本智津夫以外の人たちの多くは、カルト問題やオウムに対してきちんとしたことをやっていく大事な証人」(オウム真理教被害対策弁護団の事務局長・小野毅弁護士)などとしています。
今回公表された手記も、死刑囚が発信する貴重な証言の一例でしょう。
【広瀬健一死刑囚の手記】
序章
第2章第2節
第2章第4節
第3章
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投稿者 藤倉善郎 時刻: 10:00:00 ラベル: オウム真理教
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元オウム・広瀬健一死刑囚が手記を公開
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