Quantcast
Channel: 午後のアダージォ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 10101

三人の元少年に2審死刑判決の「木曽川・長良川連続リンチ殺人事件」 あす最高裁弁論

$
0
0
連続リンチ殺人 あす最高裁弁論 16年余・・・向き合う日々
 愛知、岐阜、大阪の3府県で1994年、11日間で19〜26歳の4人の若者の命が奪われた連続リンチ殺人事件で、強盗殺人などの罪に問われ、2審で死刑とされた犯行当時18〜19歳の元少年3被告の上告審は10日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)で弁論が開かれる。事件発生から16年余。死刑確定を待ち続ける被害者の遺族。面会を通じて被告と交流を始めた遺族。弁論を前に思いを聞いた。
 昨年10月初旬、事件で長男江崎正史さん=当時(19)=を失った愛知県の江崎恭平さん(66)、テルミさん(65)夫婦は、殺害現場の岐阜県輪之内町の長良川河川敷に立った。テルミさんはつらさで倒れそうになり、恭平さんは15分余りたたずんだ。
 その日、夫婦は事件の経過と同じ時刻に長男が連れ回された5つの現場を巡った。すべての現場に足を運んだのは初めて。「追悼というより、上告審の前に気持ちを再確認したかった」と恭平さん。死刑という2文字にすべての謝罪と贖罪が含まれると考えている。
 事件後の数年間。夫婦は長男の部屋をそのままにしたが、遺品に手が伸びると動けなくなってしまった。「これではいかん」。恭平さんは自分の書斎に改造し、長男と共有する日常の空間にすることで何とか乗り越えた。
 それでも、最高裁の弁論期日決定を待ちわびた時期は、気分が激しく落ち込んだ。テルミさんは訴える。
 「遺族の気持ちは事件当時と少しも変わらない。この16年は長く、負担でした。判決が確定しなければ、新しい一歩を踏み出せないのです」
 事件で弟を奪われた愛知県内の男性(43)は2009年4月、大阪府松原市生まれの被告(35)と、弁護士の勧めで面会した。
 被告の言動に直接触れ、「その場の雰囲気に流されて犯行に及んだのではないか」と考え始め、「自分が助けなくては、ひとりぼっちだ」と思うようになった。
 面会のたびに、ぶ厚いアクリル板越しに手を合わせる「握手」を被告に促す。「体温を感じるか」「人を信じろ」と言葉を掛けたこともある。ただ、被告のことを完全に許せるかどうか---。家族との意見はまだ一致していない。
 男性との交流について、被告は「初めは遺族と会うことが怖かった。しかし、気持ちが以前より前向きになれた」と話している。〈中日新聞2011/02/09朝刊〉
--------------------------
「正義のかたち:死刑・日米家族の選択/3 遺族、少年の更生に参加」
 毎日新聞 2009年2月17日 東京朝刊
◇極刑求めて…揺らぐ
 カップ酒一つとたばこ1箱、菊の花3本。昨年10月、岐阜県輪之内町の長良川河川敷に、供え物が並んだ。
 少年グループによる連続リンチ殺人事件で、江崎正史さん(当時19歳)と、友人の渡辺勝利さん(同20歳)は、94年10月8日、この河川敷で亡くなった。
 <正史さんをみな様から奪いとってしまいほんとうに本当に申し訳ありませんでした>
 昨年の命日の前日、江崎さんの父恭平さん(64)に手紙が届いた。死刑を宣告された3被告(いずれも上告中)のうち、愛知県一宮市生まれの元少年(33)からだった。供え物は、彼が知人に頼んで手向けた物だ。
 だが、恭平さんは「手紙を素直に受け入れることはできない」と言う。責任のなすり合い、傍聴席の知人に送る目配せ。殺意を否認する3人からは「反省」を見いだせなかった。
「昔なら『死んでおわびを』と聞けたところであろう。貴様らの口からはそんな言葉はみじんもない」。05年3月、恭平さんは6枚の陳述書を読み上げた。3被告の弁護人の一人は「あの意見陳述で、裁判長の態度が明らかに変わった」と振り返る。05年10月に名古屋高裁が全員に死刑を言い渡すと、恭平さんは検事と握手を交わした。
    ◇
 「君たちが更生しようがしまいが知ったことじゃない。私みたいな人間を出さないために、ここに来ている」。06年9月から、恭平さんは愛知少年院(愛知県豊田市)で少年の更生のプログラムにかかわり、被害者遺族の置かれた状況を訴えている。その決意の背景には、少年院が更生の役割を果たしていない、という疑問があった。
 一宮市生まれの元少年は事件前の1年5カ月をここで過ごしている。事件は、仮退院した7カ月後だった。
 元少年の実母は、生後2カ月で他界。養母からたばこの火を手の甲に押し付けられた。小学3年の時、教師の万年筆が盗まれた。女児がやったのに犯人扱いされた。教師から謝罪はなく、大人への不信感を強めたという。
 拘置中の98年、死刑囚らで作る交流誌に「聖書を学びたい」と投稿。面会に訪れた名古屋市のクリスチャンの女性(58)が、汚れた服を引き取り洗ってくれた。面会を重ね、3年前から、女性を「おかん」と呼んでいる。
 「家族のつながりを奪い、許されないことをしてしまった」。拘置所で「家族」と出会い、奪った命の重さを知った。「生きたい、と言うのはずうずうしい。けど、自分が死ぬことで解決しないのかなとも……」。元少年は、面会した記者に揺れる思いを口にした。
    ◇
 恭平さんは、犯罪被害者の遺族として、命の尊さを訴える「生命のメッセージ展」の活動に5年前から参加している。死刑を求めることは、3人の命をくれ、と言っているのと一緒。サークルにおれがおってもいいのかな。そうつぶやいた恭平さん。
 「死刑を求める気持ちに変わりはない。ただ、ちょこっと揺らぐ部分がある」(毎日新聞 2009年2月17日 東京朝刊) 
償いの言葉 響かない。無念 胸に11年。3被告見つめる遺族 
「正義のかたち:死刑・日米家族の選択/2 遺族と被告、拘置所で面会」
  毎日新聞 2009年2月16日 東京朝刊
   ◇別れ際に握手…なぜ
 弁護人に付き添われ、面会室のドアを開けた。アクリル板の向こうに現れたのは、160センチに満たない丸刈りの男だった。06年4月、名古屋拘置所。満開だった桜も、葉が目立つようになっていた。
 大阪、愛知、岐阜3府県で94年、男性4人が殺害されたとされる連続リンチ事件。2人目の犠牲者となった建設作業員、岡田五輪和(さわと)さん(当時22歳)の母(71)は、兄弟で一番仲の良かった弟(35)と、息子の命を奪った男に向かい合った。名古屋高裁で05年10月に死刑を言い渡された3被告(事件当時18〜19歳、いずれも上告中)のうち、大阪府松原市生まれの元少年(33)だった。
 元少年は1審の時から、10月7日の命日に合わせて毎年、手紙を送ってきた。
 <犯してしまった過ちが大き過ぎてどうしたら良いのか解(わか)らず苦悩するばかりです>
 拘置所の請願作業で蓄えた1万円余りの現金も届くようになった。もちろん、許せるわけはない。だが、謝罪の思いは伝わってきた。死刑判決後、元少年の弁護人から頼まれ、会ってみようと思った。
    ◇
 少年らのグループによる五輪和さんへの暴行は、6時間以上にわたった。愛知県一宮市の木曽川の河川敷に放置され、息絶えた。所持品の中に、べっとりと血がついた10円玉が2枚あった。瀕死(ひんし)の体で電話をかけようとする姿を思うと、母は涙が止まらなかった。
 面会室で、弟が事件の詳細を問い詰めた。元少年は記憶をたどり、小さく答えた。
 「殴ってる時、気持ち良かったか」「そんなことないです」。「何発殴った?」「10発ぐらいです」
 弟の口調はきつかった。ただ、自身も荒れていた時期があったといい、年を重ねての自分の変化も口にした。
 「頑張って出て来い。出て来たら10発殴ってやる。指切りして約束しろ」。アクリル板越しに小指を当てた。
 元少年をじっと見つめていた母も口を開いた。「頑張って償って。出て来たら線香の1本も上げて」。別れ際、母がふいに声をかけた。「握手をしよう」。アクリル板越しに、手のひらを重ねた。
    ◇
 事件から10年余りを経て、初めて言葉を交わした遺族と加害者。元少年は「直接謝りたかった。それで済むとは思ってない」と、言葉少なに記者に語る。
 一方、母の思いは複雑だ。「死刑になったら、それでおしまい。サワ(五輪和さん)の苦しみを(被告に)味わわせてほしい。そしたら人間の命はどういうもんか初めて分かる」。厳しい言葉を吐いた。
 あの時なぜ握手しようと思ったのか。元少年を見ていて五輪和さんの姿が浮かんだのだという。
 「けじめをつけた。いつまでも事件のことを思いよったら、自分が前に進まれん。もう(被告)3人の誰とも会いたくない」。線香を上げ、遺影に言葉をかける日々が続く。
◇死刑制度
 「アムネスティ・インターナショナル日本」によると、死刑を維持する国・地域は59。廃止した国・地域は、10年以上執行を停止している「事実上廃止」を含め138。廃止が潮流になりつつある。主要先進国で維持するのは、日本と米国。欧州連合(EU)は、死刑廃止が加盟の条件。日本と同様、国民が裁判に参加し、量刑まで決めるフランスやドイツの国民が死刑を言い渡すことはない。(毎日新聞 2009年2月16日 東京朝刊)
「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法 
1、三人の元少年に死刑判決が出た 木曽川・長良川事件高裁判決
 村上 名古屋の事件というのは、いわゆる木曽川・長良川事件といわれるリンチ殺傷事件(1994年)で、19歳前後の少年たちが、大阪で1人の若者を死に至らしめ、その後愛知に移って、愛知の木曽川で、1人の若者を死に至らしめ、そして長良川河川敷で2人の若者を死に至らしめた事件であります。
 その前に、名古屋では大高緑地アベック殺人事件(1988年)というのがあり、当時、少年または少女たちによる凶悪犯罪として大きく報道され、それに続くものとして、この木曽川・長良川事件が起きましたので、名古屋では相当衝撃的な事件として報道されていたわけです。
 この事件は、少年たちが出会って集団になってから20日前後から1ヵ月半程度しか経っていない段階でこの犯罪が起きているというのが特徴的です。
 この木曽川・長良川事件は、1審で1人が死刑で、2人が無期となりました。そして、そこで、死刑と無期に分かれた論理は、主犯格か従属的な立場だったかが主な形で区別されたわけです。その後、控訴され、検察官は3人ともに死刑を求刑し、名古屋高裁におきまして3人とも死刑判決が下されたのです。
 裁判をやっていくなかで、私が一番感じたことですが、この木曽川・長良川事件以外の他の事件の中で被害者の方の意見陳述という制度が導入されてきまして、被害者感情が裁判にそのまま導入されてきているなぁというイメージがありました。でもそれは、犯罪事実の認定だとかそういうことには影響しないと言っているんですけれども、被害者遺族が被害感情を強く法廷で言うことによって、裁判官は、被告人にとって一番シビアな犯罪事実の認定を選ぶというような効果があるのではないかという危惧感をもっておりました。
 当時、この木曽川・長良川事件で自分が担当している被告人に対して死刑判決はないと確信しておりました。証拠調べが終わった最後に、4人の遺族の代表的な方が、被害者意見陳述で痛烈に被告人3人を非難しました。そこでは、死刑という言葉は使われてはいません。ただ、この3人は絶対許せないという形で、法廷にそのままの形で感情が入ってきました。そのときに、この被害者意見陳述が裁判所にどういう影響を与えるんだろうと危惧感を感じました。実際、判決を聞いたときに、被害者意見陳述の内容がそのまま判決の構成になっているというのを感じました。(以下略)
2、光市事件最高裁判決の踏み出したもの
安田 木曽川・長良川事件の1審判決はかなり杜撰だったけれども、事件をそれなりに見ようとする態度が見られたと思います。というのは、木曽川の事件については殺人罪を認定しなかった。裁判所は、子供たちの曖昧模糊とした意思とバラバラな意思疎通の中で、解決策も歯止めもないまま事態だけがどんどん悪い方向に進行していくという事案の実相をそれなりに見ていたんだろうと思うんです。しかし、それにもかかわらず一人だけを死刑にしたというのは、やっぱりあの被害者の数との関係で、ものすごい政策的な辻褄合わせをしたんだろうと思うんです。ですからあの判決はたいへん中途半端な判決で、それが、高裁につけいるスキを与えてしまったんだと思います。検察官にとっては大変批判しやすかったんだと思うんです。
 高裁は、それぞれの子供たちが細胞としては別々かも知れないけれど、3つ、4つ集まってからまると1つの生物となるとでも考えたのか、3人をまとめて故意を認定し、それをテコに3人を死刑にしてしまうという、ものすごく荒っぽいことをしてしまいました。あの判決のどこを読んだって、法適用の厳粛さ、つまり3人に死刑を適用しなければならない必然性は出てこない。もちろん、熟慮の痕跡などもまったくない。ましてや教訓的でもない。単なる決算書とほとんど変わらないような中身だったですね。僕は、あれを見てやはり司法の危機というのをすごく感じたわけです。
 それに比べ、アベック殺人の高裁のときは、裁判官は悩んだですね。思いっきり悩んで、しかも、子供たちを死刑にするのは自分たちとして、大人たちの社会として許されるだろうかという問いかけがその中にありましたね。苦渋の選択が判決の中から読みとれたけど、今回ははっきり申し上げて何一つなかったわけです。真面目さが欠如していますね。
 それは司法そのものが、裁判官も含めてですけれど、思想とか哲学とかそういうものを持ってこなかったことの結果だろうと思います。すでに司法のメルトダウン現象が起こっているんですね。それはどういうことかというと、司法が担うべき役割、その重要な要員である裁判官・弁護士・検察官が、自分たちが果たすべき職責を完全に忘れてしまって、一般世論、あるいはメディアと完全にシンクロしてしまっているんですね。それは、時の権力や勢力に一切支配や影響をうけることなく、超然として、法にのみ支配されてその職責を遂行する、つまり、刑事司法の場面では、違法捜査を抑止し、事実を徹底して解明し、有罪の場合はなぜこのような事件が起こったのかというところまで事案を掘りさげ、公正に刑を量定すると同時に今後、被告人が生きていくすべを指し示す、そういう職責を司法は担っているんですね。ところが、このような職責を全部放棄して、世間相場で物事を見切って事件を処理してきた。司法のメルトダウン現象は、司法全体の怠慢の必然的な結果なんだろうと思います。
 木曽川・長良川の事件の判決は光市の事件の判決と軌を一にしていますね。それは、事実解明の努力の欠如と世論への徹底した迎合です。それで、凶悪ということが今日のテーマになっているんですけど、僕は凶悪とは、見る人のイメージがそのまま反映されて凶悪という表現をとっているものであって、結局、自己の価値観というか自己の傾向をそのまま表現したものだと思うんですね。マスコミは、いろいろな事実がある中で、視聴者や読者の凶悪のイメージと合致する事実だけをつまみあげて強調していく。捜査官も検察官もそうだと思うんですよ。数ある事実の中で被告人が有罪だという事実と凶悪だという事実だけを取り上げて事件を構成していく。時には事実をねつ造したりします。そして弁護人も裁判所もまったくそれに汚染されてしまって、何らそれに抗するだけのものを持っていない。ですから、よってたかってみんながこれでもか、これでもかと、被告人に凶悪というイメージを叩きつけていく。叩きつけるのは事実ではなくイメージなんですね。もはや司法はリンチの世界になってしまっていると思いますよ。
 有罪・無罪だけでなく、量刑も被告人にとって重大なことです。ましてや、死刑か否かは決定的です。平川先生がいらっしゃるので僕は苦言を呈したいんですけど、被害者感情が刑の重さを決める上でどういう位置を占めるのか、あるいはどういう位置を占めるべきかということについて、刑法学の中で、まったく議論がされてこなかったんですね。犯罪の成立とかそういうことについては、熱心に議論がなされてきた。そして、それが刑が無限定に拡大していくことへの歯止めになってきた。しかし、被害者感情についての議論は皆無なんですね。そういう中にあって、被害者の意見陳述や被害者の訴訟参加など、被害者感情が一気に刑事司法になだれ込んでこようとしている。今のままでは、量刑だけでなく犯罪の成否についても、被害者感情に支配されるという刑事司法の総崩れ現象が起こるのではないかと危惧しています。現に、光市の事件では、最高裁をはじめ、1,2審も、全て量刑の議論だけに終始し、事実の解明がまったくなおざりにされているんです。
 本来、司法は冷静で、客観的で、そして理性的でなければならない。司法の誕生は、政治的思惑や私的制裁あるいは被害者感情からの分化の歴史だったと思うんですよ。ところが司法の側にこれを守りきるだけの力がないから、その垣根が総崩れになっている。司法は時の政権におもねり、世論や感情に同調し、もう手がつけられない状態になっている。弁護士、検察、裁判所、司法全体の暴走状態が始まっているという気がするんです。木曽川・長良川の高裁判決、光市の最高裁判決は、そのはしりだと思うんです。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 10101

Trending Articles