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『日本人と差別』野中広務・辛淑/黒いシール事件と、命を絶った(殺された?)新井将敬

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『日本人と差別』野中広務・辛淑玉(角川oneテーマ21)
p113〜
●オウム真理教事件と破防法
辛 両親が犯罪を犯したからと、子どもも犯罪者のように扱われ、小学校にも行けないというのは異常でした。住むことも、食べることも、働くことも、公衆浴場に行くことも、電気ガス水道の使用も拒否されるなんていうのは、すさまじい大衆の暴力です。
 朝鮮人が叩かれてる時もそうだけど、政治家は、それはいけないことだと言ってほしい。アメリカのあのブッシュでさえ、「9、11」の後、アメリカにいるイスラム教徒は別なんだっていう話をしたにもかかわらず、日本の場合は、たとえば北朝鮮関連で何らかの問題が起きたのをきっかけに在日がボコボコやられていても、決してそれに対してコメントを出さない。それと同じように、松本智津夫氏の子どもは犯罪者の子どもだということでボコボコにやられていても誰も助けない。つまり、叩いてもいい相手を決めて、集団でストレスの発散をする。
野中 困った民族だ。
p114〜
 オウム真理教関係者によるさまざまな犯罪が明るみに出ると同時に、インターネットでは、教祖である麻原彰晃は「部落民だ」「朝鮮人だ」という言説がまことしやかに流れた。これは、何もオウム関連の事件に限ったことではない。凶悪犯罪が起きる度に、都市伝説のように流される。これは、マスコミが「犯人は外国人風」と報道するのと同じである。外国人とは一体何をさすのか。国籍なのか、肌の色なのか、言語なのか。私は“外国人風”に見えるだろうか。つまり、「日本人」以外の者がやったと言いたいのだ。日本人はいつも善良で、被害者だと思いたいのだ。そして、彼らが言う「日本人」には、部落民も、日本国籍を取得した人も、アイヌも、ウチナンチュも、ハンディのある人も、セクシャル・マイノリティも入っていない。
 どこまでも徹底して自分たちと他者とを分け、そして、あらゆる問題について、自分たちの社会の問題だということから逃げようとする。そのいけにえとしての部落民であり、朝鮮人なのだ。
p125〜
●部落民にとって、「天皇」とは
 1917(大正6)年、「神武天皇稜」を上から見下ろす位置にあった洞部落の200戸余りの人々は、強制移住を強いられた。
 神武天皇稜は1863年、幕府が造営し、1890年、橿原神宮がつくられた。
 1913年、『皇陵史稿』には、「・・・・神武天皇陵に面したところに、新平民の墓がある。土葬なので、その醜骸が、この神聖な地に埋められている」。このままだと「霊山と御陵の間は、?多の家で充填され、醜骸は霊山の全部を侵食する」と述べている。
 部落は、土地を宮内庁に献上するという形を取り、1920年、移転を終えた。しかし、移転先に田畑などはなく、移転費用も僅かで、古家も買えず貧しさは加速された。移転の際には、人だけではなく、墓も「遺骸」も根こそぎ掘り起こされ運ばれた。埋葬後10年たっても遺骸はまだ原形をとどめており、とうもろこしのような毛のような遺髪を部落の人々は自らの手でまとめた。埋葬して2,3年しか経っていないものは腐敗臭もあり、それを担ぎ、排斥運動のあった一般の村を避けて遠回りをして移動させられていった。
 天皇制により、部落の人々はより貶められていった。
 他方、被差別者には、天皇に対する独特の親近感もまた存在する。
 歴史的には、南朝を代表する後醍醐天皇が、農本主義者である武士=足利政権に対抗するため、非農耕民(流通業者、職人、芸能民、被差別民)を軸足にした政権維持を試みた。もちろんこれは失敗して、南朝勢力は衰亡した。しかし、このとき天皇が被差別者を厚遇したことが、それ以後の被差別階級にとって、天皇家との関係を自分たちの正統性の根拠とする慣習を生んでいった。
 もうひとつは、貴種流離譚との関係。やんごとない人々が政治的迫害や病などの理由で、被差別階級に落ちぶれ、全国各地を流浪するという民話がある。王子と乞食などもこの話の系譜である。
 つまり、被差別者の失われたアイデンティティを補償する存在として、天皇家との関係をシンボリックに強調する傾向(家系図で先祖に天皇家をいれたがる)がある。
 だから、任侠も、右翼も、被差別者も天皇が好きなのだ。
p127〜
●新井将敬の死は何をいみするのか?
辛 1998(平成10)年2月に、新井将敬が亡くなりました。私は彼と仕事先で何回か顔を合わせています。あの時の、新井将敬を取り巻く自民党の中の状況はどうだったのかを教えてほしいんです。
野中 僕は新井将敬に関わったほうなんですが、いまだに彼は自殺じゃないと思ってるんだ。
辛 それは、彼は死ぬような人ではなかったと?
野中 うん、客観的な状況の中で。ただ、彼は間違っていた。また自分がやってきたことは間違ってないんだ、という思いが強すぎた。僕は彼に直接話したんだから。彼は「議会運営委員会に出て、自分がどんなに正しかったかということを発言します」と言うから、僕はいさめた。
 「やめとけ。おまえの周囲の壕は全部埋められているんだ。もう議会運営委員会で何を証言しようが、おまえが逮捕されることは目に見えてる。だから、いまさらこうだああだと言い訳するな。そんなことよりも、自分がこれからどうして生きるかということを考えろ。もうおまえの政治家としての生命は既に絶たれようとしている。おまえはお母さんとお父さんが苦労して大阪から出してくれて、能力があったから東大を出て大蔵省に入れた。このキャリアに恥ずかしくない生き方とはどういうものかを考えてみろ」
 それが亡くなる2日前かな。
辛 彼は何て言いましたか。
野中 「いや、私は正しいんだ。私は正しいことを正しく国会の議運で証言するんだ。そうしたら私の潔白はわかってもらえる」と。「そんな甘っちょろいところじゃないんだ。おまえは純粋過ぎる。いまさら、そんな恥ずかしいことするな」と僕は言ったんだけどね。
 で、その2日後かな、僕が本会議場で座っておったら、亀井静香が「おい、えらいこっちゃ」って言いに来た。「何だ?」と尋ねたら、「新井将敬が行方不明だ」と。亀井がホテルに飛んでいったら、部屋で新井が死んだ状態だった。しかしまだ高輪の警察も知らなかったと。昨夜から一緒にいたという第一発見者の奥さんがおらなかった。亀井が僕に言うには、「発見から警察がくるまでに2時間ぐらい間がある。その間に何があったのか、その謎が全然僕には掴めない。この事件はおかしい」と。
辛 殺されたと?
野中 うん。だから新井は口封じをされたんだと。
辛 新井さんが国会で、「自分は朝鮮人だから、在日だから差別されてる」ってことをおっしゃっていたので、私は祖の次の日、ちょうど彼がホテルに入っている時だと思いますが、ラジオでインタビューを受けたんですよ。「新井さんがそういうふうに言ってるけど、辛さん、どう思いますか」って。
 私、新井さんの発言に正直申しあげてむかついたんです。だから私、かなり激しい口調で、「洋服を着たサルだ」って言ったんですね。彼は、政治家になっても、在日の問題は何一つやってこなかった。朝鮮人BC級戦犯のことも、在日の今のことも、戦後補償問題のことも・・・。なのに、自分が叩かれた時になって初めて在日ってことを持ち出すのはとんでもないって言ったんです。彼が経済人だったら許すけれども、政治家っていうのは弱者救済の役目を担っているわけですからね。
 そのラジオをとても多くの在日の先輩たちが聴いていて、「新井将敬を殺したのはお前だ」っていう言い方をされたんです。だけど、私は新井将敬を精神的に殺したのは石原慎太郎だと思っているんですね。最初の選挙の時に・・・。
野中 ああ、ビラを貼ってということか?
辛 そうそう、新井将敬のポスター三千枚に、真っ黒いシールで「北朝鮮から帰化」と書かれたものを貼った。同じ選挙区だったので驚異に感じたのでしょう。すさまじいまでの差別事件でした。確か、彼の秘書が捕まったけど、その後も石原さんは、日本人の血ではないものが国政に関わっていいのか、と執拗に言い続けていた。そんなこともあって、おそらく、新井将敬は「日本人に愛される政治家」になりたかったんだと思うんですね。よく、右翼の友だちが言うんですよ。「自民党の政治家は俺たちを裏で使っても表には出さないけど、新井将敬はいつも俺たちを表に出す」「いつでも右翼の俺たちを後援会の最初に紹介する」って。だから彼は、日本人に愛される日本人になろうと頑張ったんだろうなと、私は思ったんです。でもその彼が最後に在日だからって言った時に、私はどうしても美化できなかった。弱いものを裏切った男を、許せなかったのですよね。
 それと、野中さんと新井さんが会った前後だと思いますが、新井さんが在日の先輩のところに会いに行った話を聞いたんですよ。私が、「その時新井将敬はどうだったんですか」って聞いたら、先輩は新井議員に、「あんたはここ(在日の社会)を捨てて出てった人だろ。だから、今ここを凌げばまた次があるから、その世界で頑張れ」って。その後彼が自殺したっていう話があって、私はそれはどういうふうに自分の中で整理しようかと思ったんです。私は、はっきり言えば特権的なマイノリティなんですよね。こうやって人としゃべることもできるし、字も学ぶことができたし、それから発言するチャンスもある。そうしたらどこかで踏ん張らなきゃいけないってことが自分の中にもあるわけですね。そういう姿勢は野中さんの中にも見るんですね。
野中 いやあ、そんなもんじゃないけど。
辛 だから私にとって新井将敬っていう存在は、在日として超えなきゃいけない壁だと思っているんですが、彼は自民党の中では仲間がいなかったんでしょうか。
野中 そんなこともないと思いますけどね。僕らとも気安く話したし、僕は飲まんほうですから飲み食いしたりなんかするのはなかったけども、亀井静香らとも仲良かったし、ただ、彼はやっぱり「俺は東大を出て花の大蔵省に入ったんだ」という、そういうプライドが強くありすぎたんじゃないのかなあと。それが彼の甘えになってしまったんじゃないかなあと、そんな気がします。
 彼には、仮に捕まったとしても、法廷闘争をやって堂々と出てくる---そういう勇気をもってほしかった。選挙の時自分の名前を書いてもらって、成長する機会を与えてくれた人々に対して責任を持つべきだったなあと思いますけどね。
辛 私は、彼が朝鮮人であるということを一貫して否定し続けてきたところに人間の弱さがあるような気がしてならないんですね。
野中 そうかなあ。否定したかどうかは、僕は知らんね。
辛 最初は自分の存在を国際化の象徴というようなかたちで、表現していたんですけども、叩かれてからは確かにかわりましたね。私は、バランスを取るために東大とか大蔵官僚っていうものが彼にとっては必要だったんじゃないかなっていう気がします。
野中 ああ、そりゃあそうかもしれません。ああいう道を進んだのは彼の間違いだったと思うんだ。理論派で、堂々として論陣を張っておった。論客でしたよ。彼の中にも、日本社会の中で俺は人を見返してやるんだというものがあったと思うんですよ。
辛 私はあの時のお父さんとお母さんの激しい憤りの表情とか、すごく覚えていて。
野中 ああ、なんかね、僕も見ておれなかったですよ。(〜p133)

黒いシール事件
【コラム】筆洗 東京新聞2010年4月20日
 若手の論客として知られた新井将敬という政治家がいた。東大卒、旧大蔵省のキャリア官僚出身のエリートだったが、株取引での利益供与を要求した証券取引法違反容疑が浮上し、衆院が逮捕許諾の議決をする直前に自らの命を絶った▼在日韓国人として生まれ、十六歳の時に日本国籍を取得した新井氏は一九八三年に旧衆院東京2区から初出馬、落選した際に悪質な選挙妨害を受けた。選挙ポスターに「元北朝鮮人」などと書いた黒いシールを大量に張られたのだ▼それを思い出したのは、永住外国人への地方参政権付与に反対する集会で、石原慎太郎東京都知事が「(帰化した人や子孫が)国会はずいぶん多い」などと発言したからだ▼選挙区内の新井氏のポスターにせっせとシールを張って歩いたのは、同じ選挙区の現職だった石原知事の公設第一秘書らだった。「それ(帰化)で決して差別はしませんよ」と集会で知事は語ったが、彼の取り巻きが過去にしでかしたことを思い起こせば、そんな発言を誰が信じよう▼与党幹部には帰化した子孫が多いという発言の根拠はインターネットだという。そりゃあ、石原さん、いくらなんでもちょっと無責任すぎるよと言いたくなる▼あからさまな差別的発言を大きく報道したメディアは本紙だけだった。「またいつもの放言だ」と取材側がまひしているならかなり深刻だ。

差別のつもりないと都知事 「帰化」発言で釈明
2010/04/23 17:48【共同通信】
 石原慎太郎東京都知事が、17日の永住外国人への地方選挙権付与に反対する集会で「与党幹部には帰化した子孫が多い」などと発言した問題で、知事は23日の定例会見で「私はその人たちを差別するつもりはない」と釈明した。
 知事は、選挙権付与に前向きな民主党を批判して、自らは反対の立場であることを強調。しかし、発言の根拠について「情報を明かせと言われたら、多すぎていつ誰が言ったか、さっぱり分かりませんな」と語った。
 発言については、社民党の福島瑞穂党首が「人種差別ではないか」と批判している。

特集 地軸 先祖は同じ
2010年04月21日(水)付 愛媛新聞
 いつもの放言癖では済まされない。石原慎太郎東京都知事が、永住外国人への地方選挙権付与などに反対する集会で放った「与党の幹部に帰化した(人の)子孫が多い」という趣旨の発言だ▲石原知事といえば、かつて「三国人」発言で物議を醸した。ちょうど10年前だ。なぜ、いつも不用意に人を傷つけるのか。日本の首都を預かるトップとしては、人権感覚が欠如しているというしかない▲「帰化」は中華思想的発想の言葉、というのを何かで読んだ記憶がある。つまり帰化は支配下に入ることをも意味する。知事は差別的発言を繰り返してきた。思うに知事の中では、日本や日本人中心の独自の世界観が形成されているのだろう▲が、日本や日本人の成り立ちは単純ではない。古来から現在の中国や朝鮮半島から多くの影響を受けている。人の移動も含めてだ。集団での渡来もあった。政治や産業に深く関与した人も多い。東アジアは長らく一体だったのだ▲それが崩れる契機の一つは、明治維新だろう。日本は「脱亜入欧」をスローガンに文明化をめざした。が、一方で中国や朝鮮半島の人々を蔑視(べっし)し、虐げてきた。この意味でも、知事発言は許されない▲東アジア共同体といわれる。知事の言葉を逆手にとれば、域内の先祖は同じであろう。国や国籍を超えて、手を携える方策を考えることこそが政治家の務めだ。
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『日本人と差別』野中広務・辛淑 / 黒いシール事件
『差別と日本人』善良で被害者の自分たちと他者とを峻別。その生贄としての部落民・朝鮮人2009-09-06 | 読書
石原都知事(差別発言・黒いシール事件)と、命を絶った(殺された?)新井将敬2010-04-24 | 社会


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