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主の降誕(クリスマス)とオウム真理教事件/宗教的知識の欠如/「自分の頭で考える」という習慣のないこと

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2011年12月25日 主の降誕(夜半のミサ)(白)
今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった(福音朗読主題句 ルカ2・11より)
コソボ デチャニ修道院 16世紀後半
 このイコンには、降誕図イコンの要素として発展したすべてのものが取り込まれている。イエスはベツレヘムの洞窟で生まれたとする新約聖書外典『ヤコブ原福音書』などに基づき、イコンではイエス誕生の舞台としての岩山と洞窟が描かれる。山は聖母の象徴、洞窟は胎内の象徴ともいわれる。表紙絵のイコンでは、岩山の山肌が青く描かれている点が印象的である。『ヤコブ原福音書』では、イエスが処女から誕生したことを産婆から聞いたサロメという名の女性が、そのことに[O1]疑いを抱き、罰として手が焼けてとれそうになるが、神に嘆願し、幼子イエスを抱きかかえると癒されたという逸話がある(荒井献編『新約聖書外典』講談社文芸文庫参照)。絵画では二人の女性(乳母)が幼子を水盤に入れて水浴させようとしている光景が描かれ、これが降誕図の下のほうに配置されるのが通例化した。この作品が描くように、一人がイエスを抱え、一人が水を注ぐという構図が多い(左下)。
 天から注がれる星の光もイコンの定型要素である。ここではその周囲に天使たちが集い、畏敬の表情で見つめている。王の姿をした東方の学者たちも左端に描かれている。マリアは産後の疲れの中で横たわっているが、その姿は構図全体の中で中央の幼子に最も近く、また最大の比重を与えられている。その姿勢がイコンによってさまざまに描かれる中、ここでは、マリアは幼子と反対側のほうを見つめている。神の子の降誕の神秘を前に一種の畏れを示しているとも考えられる。右下には、憂いに沈むヨセフが描かれている。これも神のはからいの不思議さを前にした人間の一つの態度の象徴としてイコンの伝統の中で重視されている。しかし、マリアとヨセフはこのイコンの中では頭に光輪が描かれている。神の救いの計画の中で大切な役割を果たしたことのしるしであろう。右端には最初に降誕の出来事を告げられる羊飼いの姿も見える。
 幼子は、白い布でくるまれ、ひもで縛られている。人間の条件のもとでの誕生を意味する。ろば(ここでは例外的に馬のように描かれている)と牛がのぞきこむ光景は、イザヤ1章3節をもとにしている。この幼子が主であること、そのことをユダヤ人も異邦人も含めてすべての人が悟るという意味のものとして、東西を通じて降誕図の伝統的要素である。
 このように、このイコンには、聖書やその周辺にあるさまざまな伝承・伝説を含め、教会に伝わっている主の降誕に対する信仰と信心が豊かに反映されている。そのまん中で、洞窟のどこまでも深い闇の中に浮かぶ白い衣の幼子の姿が何より印象的である。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(第一朗読:イザヤ9・1)。「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました」(第二朗読:テトス・2・11)、「今日……あなたがたのために救い主がお生まれになった」(福音朗読:ルカ2・11 )という、主の降誕・夜半のミサのみことばを、今日、わたしたちにとっての希望のメッセージとして噛みしめたい。
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ルカによる福音書 2章
1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
  地の上に、平和が、
  御心にかなう人々にあるように。」
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〈来栖の独白〉
 「クリスマス」「クリスマス」と世間が云う風潮を、私は嫌悪する。いわゆるクリスマスソングなるものも、嫌悪する。
 イエスがどのようなお方か知りもせず(知ろうともせず)、騒ぐ。おぞましい。
 聖書は“宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。”と記す。貧しく、大工という最下層身分に生まれたイエス。こんな家族を泊めてくれる旅館などなかったのである。このように、イエスは社会の底辺に生誕し、生涯を小さくされた人たちとともに歩まれた。
 この季節、教会は野宿の人たちに(私は「ホームレス」という言葉を好まない)炊き出しをする。考えてみたい。イエスは、炊き出しをする側(教会)におられるだろうか。聖体ランプの灯った教会で「柔和」にしていらっしゃるか。そうではないような気がしてならない。生誕の日、泊まるところもなかった貧しい家(教会は「聖家族」と言う)をその出自とされるイエスなら、現代においても多分路上に凍えておられるのではないだろうか。一杯の雑炊を受けることを求めて並ぶ野宿の人たちの列のなかにおられるのではないか。それが、クリスマスではないだろうか。飢えと寒さのなかにおられる。
 聖書は次のように言う。
“ 『お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 ”(マタイによる福音書25章35〜40節)
 主の生誕の意味について無関心を決め込む日本人であるから、加賀乙彦氏は、オウム事件の起きた要因について次のように言う。
“ 2つ目の要因は、宗教的知識があまりにも欠如していたこと。戦後の日本は、国家神道一色だった戦前、戦中の反動で、子供たちに学校で宗教について教えることがタブー視されてきました。いや、学校だけではありません。宗教教育は戦後60年間ないがしろにされ続けてきたのです。結婚式を教会で挙げ葬儀を仏式で行っていたとしても、60歳以下の日本人の多くは仏教もキリスト教も神道もイスラム教も、基本的なことさえ知らない。そういう親のもとで育った子供たちは、いわば無菌室のなかにいたようなもの。だから、カルト宗教という悪魔に対する免疫がまったくないと言っていい。
 オウム真理教は、麻原彰晃が1984年に設立したヨーガ道場「オウムの神仙の会」にはじまります。ヨーガを用いた修行による煩悩からの解放を説き、煩悩を1つずつ超越することを解脱と呼び、またみずからは単身ヒマラヤで修業し「ただ一人の最終解脱者」となったなどと自称していましたが、その教義は既存の宗教を知っている人間から見れば笑ってしまうようなものでした。ヒンドゥー教、小乗仏教、大乗仏教、チベット密教、キリスト教、ゾロアスター教など、さまざまな宗教の教義から利用しやすい部分を切り取って、自分に都合のいいよう解釈し、つぎはぎしたにすぎません。宗教に関する基本的な知識を持っていれば、マインド・コントロールされる前の段階で、そのいかがわしさに気づき、ほかに魅力的な要素があろうとも客観視できたのではないでしょうか。
 麻原が予言していたハルマゲドン、世界最終戦争にしてもそうです。『新約聖書』のヨハネ黙示録に、ハルマゲドンという場所で天使と悪魔との大戦争が勃発するといった記述があったため、そこから転じて後年、ハルマゲドンを「最終戦争」、「この世の終わり」などの意味で使う人々が現れました。しかし、現代のキリスト教徒の多くは、ヨハネ黙示録を未来の出来事の予言ではなく黙示文学として受け止めています。そういう知識や、これまでも多数のカルトや新興宗教がハルマゲドンという概念を人々の恐怖を煽って入信させるために利用していたという認識を、オウムにはまる前に若者たちが持っていたなら・・・と思わずにはいられません。 ”
 そして更に深刻なことは、次である。
“ 3つ目は、第2章でも述べたように自分の頭で考えるという習慣がないこと。昔から、日本人全般にその傾向があるところへもってきて、彼らは子供のころから受験戦争で勝つためのパターン化された勉強法を強いられてきた世代です。オウム幹部のように、先生や親の言う通りいい成績を取り、いい大学に入ることを第一義として生きてきた受験戦争の勝利者は、なおさらそうでしょう。1979年からは国公立の大学入試にマークシート方式が導入され、ますます若者から考える力を奪ってしまいました。大学や大学院で勉強した物理や化学の専門知識は、サリンやVXガスを作れるほど豊富であっても、みずから進んでさまざまなジャンルの本を読み、きちんと自分の思想を整えるというところまでいっている人は非常に少ないと思います。だから、出来の悪いマンガのようなオウムのイデオロギーに簡単に取り込まれてしまったのではないか。林郁夫被告は、前出の体験記にこうもつづっています。
〈麻原のいうことを至上のものとして生活していたことから、そのように葛藤すること自体を、私自身が麻原の教えを理解できない劣った心の持ち主であるからだと思うようになりました〉
 教団の医師であり、薬物を使ったマインド・コントロールのことを熟知していたはずの彼でさえ、麻原の方針を疑いながらも、そんな自分のほうを否定し教祖の指示に従ってしまう。もちろん、オウム真理教は多くのカルトがそうであるように、教えに疑問を持ち脱会しようとする者に対しては、最悪の場合ポアという手段を取るなど恐怖による締めつけを行っていました。しかし、林の発言からはやはり、彼らが共通して持っていただろう自分の頭で考えてこなかったがゆえの弱さ、立場が上の者、声の大きな者に流されがちな傾向を強く感じます。 ” 
 自分の頭で考え、自分の言葉でモノを言う。こういったことが、今の日本人にひどく不足しているように感じられてならない。女性のお化粧一つとってみても、そうではないだろうか。上手で美しいが、何やらみんな画一的である。
 このように日本が一様にクリスマスを目出度がっているうちに、この国は亡んでしまうのでではないか。そのような気さえ、してしまう。主体性のない、気持ちの悪い国だ。


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