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上杉隆/本稿をもってジャーナリストを休業する/「懇談メモ」と称する、政府とメディアの談合の「証拠」

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『週刊・上杉隆』堕国論?
Diamond online 2011年12月22日
 12月23日、布袋寅泰(元BOOWY)の30周年ツアーは被災地・仙台で幕を閉じる。
 7月のコンプレックスの再結成による東京ドームチャリティライブ、そこで4億円もの支援金を集めたロックスターの2011年がそうやって終わろうとしている。
 「何ができるんだろう。3.11の呆然とする中、しばらくして俺は気づいた。やはり俺にはこいつ(ギター)しかない。30年以上一緒にやってきたこの相棒で表現するしかないんだ」
 渋谷公会堂での演奏の合間、そう呟いた布袋氏の言葉を聴きながら、筆者は、継続することの力強さ、さらに、またひとりの人間がなすべき可能性について、想いを巡らせていた。
 ひとりひとりにできることは小さい。だが、今回の震災で、「何かしたいのだ」と考える機会を、ひとりひとりの日本人に与えるきっかけになったことは大きい。
 布袋氏は、それをギターという道具を使ってロックで届けようとした。その布袋氏の言葉に符合するのが、広河隆一氏(フォトグラファー)の言葉だった。
 「何ができるのか、そして何をしたのか。3.11は、ひとりひとりのジャーナリストにそのことを突きつけた」
 野田首相が「事故収束」宣言を発表した翌日、DAYS JAPAN編集長の広河氏は、その総会の冒頭挨拶でこう述べた。
 乾杯の挨拶を待つ間、筆者はその言葉を自らに向けて、深く反芻させていた。
 いったい3.11のあの日、筆者は何をしていたのだろうか。
 そう、そういえば、あの日、筆者はいったんすべての取材活動を休止し、あるひとつのことに集中、猛進していたではないか。それは、一瞬の判断での決断と行動であった。
「記者会見をオープンにしてください。まもなく世界中から一線級のジャーナリストたちが日本に到着します。その時に政府の会見をクローズドにしていたら、まちがいなく情報隠蔽を疑われます。そしてそれがデマとなり、世界中で日本政府の信用、さらには日本の国家全体の信頼を堕とすことになります。最初が肝心です。放射能事故の際はなおさら完全な情報公開が必要です。なんなら、私は入らなくてもいい。とにかく、外国人記者だけでもいいから会見に入れてください」
 官邸の脇、途中からは国会議事堂前の坂道に自動車を止め、筆者はこうした電話を繰り返し繰り返しかけ続けた。相手は内閣官房、閣僚、民主党幹部、秘書、党職員、そして官邸中枢だ。
 だが、その震災後の100時間ほど、筆者の人生において無力感を覚えた時間はなかった。
 官邸の笹川武内閣広報室長(当時)、西森昭夫内閣参事官(当時)は相も変わらず、煮え切らない態度を続けている。私の口調は徐々に荒くなり、3月14日以降の電話では、ほとんど怒鳴ることが続いていた。
 「原発事故だ。原発事故! 人の命が懸かっているんだ。国民の命だぞ。お前ら役人に何の権限があって情報を遮断するんだよ。とにかく、こちらには現地の情報があるんだ。フリー記者、海外メディア、自由報道協会の記者たちが現場に入り、そこの情報を持っているんだ。ガイガーカウンターで測定した数値もある。こんな時に政府を批判しようなんてジャーナリストなんていないよ。いいか、おい、記者会見は質問ばかりではない。記者が政府に情報を伝えるという機能もあるんだよ。とにかく、早く官房長官、副長官でもいいから伝えろ!」
 前の日の3月13日、筆者は原発から3キロメートルのところに到達した広河氏と電話で話していた。
 広河氏は、子どもたちの遊ぶ病院の敷地内で3つあるガイガーカウンターを稼動させた。すべての計器の針は振り切れ、それは20年来チェルノブイリを取材している広河氏にとっても初めての経験となる恐ろしい出来事であることを示していた。
 「とにかく、子どもと女性だけでも逃がさなくてはいけない。首長に掛け合っているところですが、なかなか信じてもらえない」
 その広河氏の言葉を聞いた私は、官邸への圧力をさらに強める覚悟を決めた。携帯電話のバッテリーはすぐに消耗し、自動車の電源系統から直接、充電しつつ、電話を続けるようになった。
 また、ちょうど同じころ、自由報道協会所属のフリーライター島田健弘氏の知人の自衛隊員が、福島第一原発への最初の突入を試みていた。それは初めての現場の声として、筆者らの背筋を凍らせるに十分な情報だった。
 「ダメだ。遠くに避難しろ。ここは無理だ」
 島田氏は迷いながらもそれを自由報道協会のメーリングリストにアップした。情報源との兼ね合いなどもあるものの、人命救助を優先させた末の判断だった。
 その時期、そうした決断をした人物はほかにもたくさんいる。三号炉の緊急冷却装置の設計者でもある上原春夫・元佐賀大学学長もそのうちのひとりだ。
 「燃料棒が空気に触れている今、メルトダウンは確実に始まっているんだよ。緊急冷却装置を作動させ続けて、時間を稼げば、どうにか対応できるんだよ。なんで、動かさないのかな。上杉さん、伝えてくれよ」
 上原氏による原子炉のメルトダウンの可能性にかかる重要な情報は、翌14日、氏を紹介してくれた原口一博元総務大臣の口から、直接、官邸のオペレーション室に届けられた。
 その原口氏は今回の震災後、もっとも献身的に行動した政治家のひとりである。仮に原口氏がいなければ、福島の原発はもっと酷いことになっていたに違いない。それは断言できることだが、残念ながらその原口氏の評価は低いものとなっている。
 なぜか。それは記者クラブメディアが自らの「誤報」を隠すために、原口氏を悪者に仕立て上げることを続けているからだ。その証拠はたくさんある。だが、そのすべてをいま明かすことはできない。ただ、筆者はその証人でもあり、確固たる自信をもって原口氏の涙ぐましい努力の数々を証言することができる。
 3.11直後のうんざりするようなあの情報隠蔽の中、原口氏は果敢に官僚機構に挑んだ数少ない政治家だった。
 だが、当時の官邸は、いや現在もそうだが、完全に機能不全を来たし、そうした献身的な人物たちが寄せる情報を吸収する余裕はなかった。むしろ、官僚と記者クラブが伝える偽情報ばかりを信じ、逆に、現場からの正しい情報を排除するという過ちを繰り返すことになる。
 それは9ヵ月後のきょう(12月22日)、ようやくメディアが当時の真相を明らかにし始めたことでも、本コラムの読者のみなさんならばすぐに理解できるだろう。
〈東京電力福島第一原子力発電所の3号機で、水素爆発を起こす前日の3月13日に、現場の運転員が非常用の冷却装置を所長らがいる対策本部に相談せずに停止し、原子炉を冷やせない状態が7時間近く続いていたことが、政府の事故調査・検証委員会の調べで分かりました。
 福島第一原発では、1号機に続いて3号機も原子炉が冷却できなくなってメルトダウンを起こし3月14日に水素爆発しました。政府の事故調査・検証委員会の調べでは、この前日の13日未明に、3号機の運転員が原子炉を冷やす「高圧注水系」という非常用の冷却装置のバッテリーが切れることを懸念して、消火ポンプによる注水に切り替えようと装置を停止したということです。ところが、注水ができるように原子炉の圧力を抜くための弁の操作に必要なバッテリーを用意していなかったため、弁は開かず、再び冷却装置を稼働させようとしましたが、動かなかったということです。このあと、3号機では車のバッテリーを集めて弁を開け、消防ポンプによる注水が行われましたが、原子炉の冷却が7時間近くにわたって中断され、その後メルトダウンに至ったということです。装置の停止が対策本部に伝わったのは停止から1時間以上あとだったということで、事故調査・検証委員会は、冷却装置を止めるという重要な決定を事前に所長らがいる対策本部に相談しなかったことは問題だったとみています。福島第一原発では、1号機でも、非常用の冷却装置を運転員の判断で停止したのに対策本部に伝わらず、所長らは冷却装置が動いていると誤って認識していたことが明らかになっています。こうしたことから事故調査・検証委員会は、安全上重要な情報を現場 と対策本部が共有できなかったことが事故対応の遅れにつながったとみて、今月26日に公表する中間報告で指摘することにしています〉(12月22日NHKニュース)
 こんなことは3月13日、遅くとも15日までにはすべてわかっていたことだ。結局、筆者らがずっと指摘してきたように、今回の原発事故は「人災」だったのだ。
 だが、NHKをはじめとするメディアは当時、そうした可能性を一切報じなかったばかりか、真実を口にする者を次々とメディアの世界から追放しはじめたのである。
 果たして、戦時中の「大本営」を髣髴とさせるそんなことがこの現代日本に起こるのだろうか。いや、実際にそれは起きたのだ。
 政府と記者クラブは、3.11を境に事実上、自分たちと論を異にする言論人たちを社会から遮断し続けた。それはチュニジア、エジプト、リビアの独裁者たちが行った情報隠蔽とまったく同じ構図である。
 いや、わざわざ世界に例を探す必要もないだろう。かつて日本においても同じことが行われていたではないか。そう、日本のパワーエリートたちは再び70年前のあの愚挙を繰り返しているにすぎないのだ。
 まさか、そんなことはなかった、とは言わせない。3月、原発事故による瓦礫とともに築かれたメディア「誤報」の山は、いまなお撤去されること無く積み上げられたままである。自らの目で確かめるがよい。
 その誤報の山はまた、TBSを筆頭に、まともな言論人たちを追放した責めを将来にわたって負うことになるだろう。すべての記者クラブメディアが背負った国家と国民への重大な「犯罪」は2011年の歴史に確実に刻まれている。
 いったい誰が放射能の危険性を最初に追及したのか。いったい誰が東京電力の隠蔽に迫ったのか。いったい誰がこれから日本の未来図にとって重要な原発事故の工程表を明らかにさせたのか。
 少なくともそれは政府でも、役人でも、東電でも、ましてや大手メディアの記者でもない。あの三月、自由報道協会を筆頭とするフリーランスのジャーナリストたちがいなかったら、果てして日本はどうなっていたか。それは考えるだに恐ろしい。現在の日本社会から事実上、追放された者たちの仕事によって、ほとんどすべてが明らかになったのだ。
 仮にあの三月、ジャーナリストの日隅一雄氏がいなかったら、あるいはフリーライターの木野龍逸氏がいなかったらと考えると筆者は暗闇に落ちるような錯覚を覚える。
 とくに日隅氏は、自らの本業である弁護士業務をすべて中断させ、東京電力本店に通い続けた。あの底冷えする暗いロビーに座り込み、記者クラブの記者たちが独占している椅子の隅で立ち続けていた日隅氏。体調不良を洩らすも、彼の使命感は東電会見から離脱することを許さなかったのだ。
 その結果、5月、耐えに耐えた末に向かった病院で余命半年の末期がんを宣告されることになる。だが、それでも、日隅氏は政府と記者クラブの隠蔽に立ち向かい続けた。
 週に2回開かれる統合対策本部の記者会見に姿をみせ、弱って痩せ細ったその体から、か弱き声をマイクにぶつけ、文字通り命を賭けた質問を繰り返している。
 12月、日隅氏の余命はマイナス一ヵ月になった。それでも彼の姿は東京電力本店に認められていた。咳き込みながらも、いつものように鋭い質問がマイクを通じて繰り出される。だが、いまの日隅氏に残された力はそこまでだ。質問を終えると机に突っ伏す。そして肩で息をしながら、その耳で回答を聞くのがやっとのこともあるのだ。
 しかし、政府・東京電力は、その日隅氏の唯一の心の叫び場である会見を閉鎖することに決めてしまった。なぜ、政府と東電による統合対策室は命の明かりを灯しながら、真実に向かって戦う者を排除するのか。細野豪志原発担当相によると、会見の閉鎖というそのアイディアは同業者、つまり、筆者たちとおなじ記者からもたらされたものだという。記者クラブの記者はそこまで腐りきっているのか。
 また、福島第一原発の現場にいる2000人を超える作業員たちも同じだ。まさしく日々、命がけで「冷温停止状態」の政府の保証する「安全な」原発の収束作業に当たっている。
 3月以降、すでに5人以上の作業員が命を落としている中、現場検証もされず、死因特定もされず、親会社の東京電力への捜査も、証拠保全さえもされない中、「安定して安全な原子炉」(政府)の作業に当たらされているのだ。
 日本という国家が彼らを救済することは絶対にないだろう。なぜならこの9ヵ月間、どんな死因であろうが、政府と東京電力は一例たりとも放射能の影響による健康被害を認めていないからだ。
 政府・東京電力は賠償逃れを確定させるため、今日の今日までこの事故が「人災」であるということを伏せ続け、代わりに「津波」や「地震」のせいにし、時間稼ぎをしているのである。そして、原子力賠償法に基づくそうした賠償逃れの片棒を担いできたのがメディアだ。記者クラブという世界でも稀に見る不健全な利権システムを完成させた大手メディアの記者たちだ。それはまさしく「大本営発表」以外の何者でもない。
 あのころ、官邸は何をしていたのか。筆者がかけ続けた電話をすべて拒否したあの100時間、政府と記者クラブは何を諮り、実際どのような「犯罪」を繰り返していたのか。
 その欺瞞の証拠を少しだけお見せしよう。
〈記者 IAEAへの要請については首相はなんと言っていたのか?
顧問 早期に先遣隊というのは時期的な問題もあるから、そういうのは外国の受け入れを含めて細野さんのところだったかな、そこに指示を出すと。
記者 国民が安心していない、ということか?
顧問 説明に対して、やっぱりわかんねえんだよ。やっと専門用語じゃない、平易な言葉で話すようにはなったけれども、やっぱり国際機関の中でこういう処理をしていけば大丈夫だとか、これがものすごく広がることにはならないよ、とか政府や事業者がいったって、なんとなくそうなのかなとは思うわね。
記者 首相はそれについての問題意識は持っていたのか?
顧問 本人は「ぼくはものすごく原子力には強いんだ」と。詳しいんだといっていた。辻元さんが「まいっちゃうよねえ」とかいっていたね。ハハハ。
記者 危機感がないようだが?
顧問 福島が弾けた後、最大の危機の震災の問題、日本の半分はつぶれるんじゃないかと。このまま、もしチェルノブイリと同じようなことになったらね、という危機感の中で対応した、ということだ。技術的な面も含めて、自分は詳しいからものすごい対応をしてきたと。でも、ここから先、収まりそうになったので、原発問題については枝野さんと福山さんのかかわりかたを少し軽減させたいと。
記者 軽減させる、というが、それは首相の言葉?
顧問 それは少し、荷を軽くするといったのかな。原子力ばかりしゃべっている話じゃないわけだから。
記者 4号機も近付けないようだが。
顧問 炉心に完全防護で入った経験からいうと、10分交代でやる作業になるわけだよ。今もうちょっと短い期間なのかな。一番いいのはわかるところから注入するのがいいんだけど、これが接近できないとなるとね。非常にタイトなところを渡っているのは間違いない。
記者 「ぼくは原子炉に強いんだ」の発言はどういう文脈で出たのか?
顧問 電力事業者の危機感が薄いねと。だから最終的に乗り込んでいって、もっと危機感をもって対応してくれないかという話をしたなかで出た。
記者 それは首相が話した?
顧問 そうですよ。自分としては原子力の問題については詳しい。まあ、たぶん自分は政府の中で一番知っていると思っているんじゃないかって。
記者 政府で一番知っていると言ったのか?
顧問 あ、それは私の感じだが。
記者 東日本が、というのも首相の発言か?
顧問 仮にだよ、仮に。本当に事故が1から4まであるいは5やら6まで含めてあったら、東日本は危機的な状況になるわな。
記者 首相がいったのか?
顧問 数字はいっていない。福1が本当に最悪の事態になったときには東日本がつぶれる、というようなことも想定をしなければならない。そういうことに対する危機感が非常にうすいと。自分はこの問題については詳しいので、余計にそういう危機感をもった対応をしてほしいということで電力に乗り込んだということだ〉
 ここでいう「顧問」とは、内閣総理大臣特別顧問で連合の笹森清氏のことである。それにしてもこの緊張感のなさは何なんだろうか? こうしたやり取りをずっと続けて、原発事故の本質については何も報じない、それが記者クラブメディアのやり方だ。
 だが、報じない代わりに、上司を喜ばせるだけのこうした「懇談メモ」を作り続けている、それが、悲しいかな、日本のジャーナリストたちの主たる仕事なのである。筆者は彼らに対して、心からの同情を禁じえない。同時に、大いなる軽蔑の目をも向けざるを得えない。そう、筆者の手元にある40万ページにも及ぶ「記者メモ」のほとんどは、こうした政局ネタばかりなのである。
 筆者は、本稿をもってジャーナリストを休業する。それはフェアでない言論空間しか持たない現代日本社会への絶望に対してではない、同業者たちへの大いなる抗議の意味と、新しい日本を築くためのひとつの方法論としての休業である。
 日本は一度堕ちるところまで堕ちなければならないのかもしれない。終戦の翌年(1946年)、坂口安吾が喝破したようにそれ以外にいまの日本という国家を建て直す道はない。
 記者クラブシステムを象徴とする「偽装設計」による国家の成り立ちは、もはや滅びの瀬戸際にまで日本を連れて行った。政府、東電、経済産業省、マスメディアなどで構成される「原子力ムラ」という腐った「建築資材」では、じき全体の崩壊を招くことになるだろう。
 66年前のあの敗戦後の廃墟の中、坂口安吾はこう書いた。
〈戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが、人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなど上皮だけの愚にもつかない物である〉(『堕落論』新潮文庫)
 自らを直視し、堕ちることのできない政治はウソである。自らの過ちを認め、訂正しながら堕ちることのできない記者クラブは欺瞞である。そうした社会制度を打倒しない限り、3.11からの日本の真の復興は有り得ない。
 この12年間、ジャーナリストとして筆者のやってきたことは、この腐敗したシステムの綻びを世に問い続けることであった。そしていま別のアプローチでこの日本の病巣に向かっていく時期がやってきたようだ。
 大本営メディアによるこの腐敗したシステムはいちど滅ぼさなくてはならない。そのために筆者はアンシャンレジームとともに堕ちる道を覚悟している。自ら、そのシステムもろとも地獄に堕ちる以外に日本のジャーナリズムを再生させる道はない。
 その最初の一撃が40万ページに及ぶ、「懇談メモ」と称する、政府とメディアの談合の「証拠」を公開していくことだ。
 なにより、まず、この「談合」の実態を本コラムの読者に問いたい。それでもなお、みなさんは政府を信じ、そしてメディアを信じることができるだろうか。
 結論は各人の自由である。だが、その結果、そうでないと感じ、その革命のためになにかをしなくてはならないと思えば、ぜひとも行動に移してほしい。
 それはどんな方法でも構わない。もちろんギターでなくてもいいし、カメラでなくてもいい。
 ひとりひとりができることを考え、そして実際に行動に移すだけいいのである。ともに堕ちる覚悟さえあれば、きっと日本は変わるだろう。いや、それ以外にこの日本を救う道はないのである。
 「生きよ、堕ちよ」
 まさしく65年前に安吾の書いたこの言葉こそ、すべての日本人に欠かせない言葉だ。未来の日本人のために一緒に堕ちようではないか。それがジャーナリストとしての私からの最期のメッセージである。
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無期限活動休止宣言・上杉 隆「フェアでない日本のメディアに関わりたくない」2011-04-02 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 無期限活動休止のおしらせ
並々ならぬご支援を頂戴している皆々様へ
(以下:なみなみならぬみなみなさま)
おかげさまで、兎年の今年、上杉隆はジャーナリスト活動12周年を迎えることができました。これもなみなみならぬみなみなさまのおかげでございます。まずは冒頭、衷心より御礼申し上げます。
ニューヨークタイムズを辞め、フリーランスとしての活動でもちょうど10年。おかげさまで、この間、じつに多くの方々の温かいご支援や励ましのもと、たくさんの著作や記事、あるいは番組などを通じて、活動内容を世に問うことができました。誠にありがとうございました。
とくに、最近の5年間は、フェアでない日本の言論空間の是正、メディア環境の世界標準化を目指す一環として、記者クラブ制度の改革に取り組み、それなりの警鐘を鳴らすことに成功したと自負しております。これもなみなみならぬみなみなさまの支えがあったからに他なりません。重ねて御礼申し上げます。
しかし、残念ながら、少しばかり手遅れのようでありました。今回の東京電力福島第一原発事故の例が示すように、自らの既得権益にのみ汲々とした日本の大手メディア(記者クラブ)は、結果として、政府と東電の「合成の誤謬」に加担し、憐れにも、先人たちの築いてきた日本という国の信頼を地に堕とす「共犯者」の役割を演じています。
かつて在籍したニューヨークタイムズ紙などの世界の論調を眺めていると、私はひとりの日本人ジャーナリストとして、いま強烈な無力感に襲われています。それは、あたかも日本政府は原子力エネルギーをコントロールできない無謀な「核犯罪国家」であり、また日本全体が先進国の地位から脱落して、今後数十年間にわたって「情報最貧国」に留まることが決定付けられているような書きぶりだからです。
ただ今回、唯一の救いは、今年立ち上がった「自由報道協会」所属の記者を中心としたジャーナリストたちの目を瞠るような活躍により、被災地、あるいは記者会見の現場、さらには内部の情報提供者から、政府・東電・マスコミで作られた「官報複合体」の隠蔽しようとする情報を、国民の前に提示することができたことです。
震災発生直後にガイガーカウンターを持って現地入りした者、ツイッターなどのソーシャルメディアで安否情報を発進した者、ラジオなどで被災地の声を全国に届けた者、東京電力という巨大スポンサーに屈せず発言し番組を降ろされた者、記者会見に通い海洋汚染の危険性を唱え続けた者、核マフィアの隠すプルトニウムの真実を追及した者、最悪のシナリオについて再三叫び続けた者――。彼らは各々己の責任で勝手に取材活動を行なっただけにすぎないのですが、結果としてジャーナリストとして「連帯」していたのです。
自由報道協会の暫定代表として、私は、彼らの仕事を心から誇りに思います。
いま、私は、70年前の「大本営」(政府・軍部・新聞)の時とは明らかに違う世界に住んでいる喜びを実感しています。インターネットなどの新しいメディアの発達によって、世界はそれ以前の状態に戻ることはないだろうと、確信しました。私自身は、微力ながらも、少しだけその変化に寄与できたはずだと自負しております。
一方で、記者クラブメディアはこの間、いったい何をしていたのでしょうか。自分たちは安全なところに置きながら、フリーランスや海外メディア、ネット記者らの仕事を横取りし、ソースも明示せず、自らの手柄のように報じているだけです。しかも、その直前までは政府・東電の発表に乗っかり、まったく逆のニュースを流していたのです。
私は、少なくとも敬意を持って彼らの仕事を評価してきたつもりでした。ソースは必ず明示し、スクープには賞賛を、つまらない仕事には批判でもって対応してきました。ところが、この12年間、彼らの方では、フリーランスやネット記者の仕事を、ただの一度も認めることはしませんでした。この20年間、ほとんどのスクープ記事が雑誌、ネット、フリーランスのジャーナリストたちによるものであるにもかかわらず、です。
これ以上、国際的にフェアな仕事のできない日本のメディアに関わることは、畢竟、自分自身も犯罪に加担していると疑われる可能性もあります。私はジャーナリストとして、国家的犯罪に加担したくないのです。
ということで、なみなみならぬみなみなさまにご報告があります。日本にとって、また私自身にとっても大きな節目となる2011年、その本年12月31日をもって、ジャーナリズム活動を休止することを決めました。
なみなみならぬみなみなさまに置かれましては、事情ご賢察のほど、ご理解賜りますようよろしくお願い申し上げ、お許し願えればと存じます。
最後になりましたが、今回の東北関東大震災で被災されたすべての方々へのお見舞いと、政府、東京電力、記者クラブが作る歪んだ社会の中で生き続けなければならないすべての日本人の幸福を心からお祈り申し上げます。
2011年4月1日
上杉 隆
 
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もはや関係修復は不可能 小沢一郎氏vs記者クラブメディアの戦い
Diamond online 週刊・上杉隆【第195回】2011年10月7日
・この事件は小沢一郎という政治家と司法、霞ヶ関、マスコミとの戦いである
 陸山会事件における小沢一郎氏本人の裁判がようやく始まった。
 きょう、東京地裁では初公判が行われた。これによって、2009年3月の大久保元秘書の逮捕からスタートした政治資金規正法違反事件の本番がようやく訪れたということになる。
 なにしろ長かった。その一年半余りの間、元秘書の逮捕、代表辞任、政権交代、検察審査会、党員資格停止、さらに3人の元秘書の有罪判決などがあり、きょうに至っているのだ。
 これまで自由報道協会の記者会見以外ではほとんど語ることのなかった小沢氏だったが、初公判を受けて、早速、今夕、議員会館で簡単な記者会見に臨んだ。
 筆者自身も、この事件については2009年3月3日、つまり、事件当日から追っている。
 端的にいえば、この事件は、小沢一郎という政治家と、現在の日本の権力システム――司法(裁判所)、霞ヶ関(検察)、そしてマスコミ(記者クラブ)――との戦いに他ならない。
 今回もまた、世間にほとんど知られていないマスコミとの戦いが繰り広げられている。
 そこで、筆者自身の取材を振り返る意味でも、また、小沢氏のマスコミとの戦いを検証する意味でも、きょうの会見を振り返ってみようと思う。
 なお、筆者も会見には出席したが、小沢氏の発言の引用については、より公平性を期すため、すべて産経新聞のウェブ版に拠った。さらに、文意のまとまったパラグラフについては省略をしないことにする。そのため、引用部分が長くなるがそこはご海容いただきたい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111006/stt11100618560018-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111006/stt11100619050019-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111006/stt11100619350020-n1.htm
〈えーそれでは私から最初に申し上げさせていただきます。私が主張したい内容は、本日の法廷で裁判長の許可をいただいて意見を申し述べましたので、そのことにほとんど含まれておりますので、ここで改めて私の意見の陳述をもう1度繰り返させていただきます。あん?そうかな。立った方がいいのかな。座った方がいいのか。立った方がいい。よしよし。今日ぐらいサービスしよう。大丈夫。
 裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の起訴状に対し、私の見解を申し上げます。指定弁護士の主張は、検察の不当・違法の捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくものに過ぎず、この裁判はただちに打ち切るべきであると考えます。百歩譲って裁判を続けるにしても、私が罪に問われる理由はまったくありません。本件では政治資金収支報告書に間違った記載をした事実はなく、従って政治資金規正法のいう、虚偽記載に当たる事実はありません。
 ましてや、私が虚偽記載について、共謀したことは断じてありません。また、本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民からの何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を濫用(らんよう)し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります〉
・テレビでは仏頂面がおなじみだが 実は「いい感じ」のスタートが多い小沢会見
 冒頭からいきなりカメラマンへのサービス精神を発揮した小沢氏だが、じつは普段の自由報道協会の会見でもこうした「いい感じ」で始まることが多い。
 ところが、実際テレビなどで映像が使われる段になると不機嫌で怒ったような顔ばかりが使用される。単純な印象操作だが、それも徹底していれば影響は大きい。実際、小沢氏はそうしたアンフェアな報道姿勢に不満を持っており、それは、後の小沢氏自身の言葉からも読み取ることができる。
〈実際、日本外国特派員協会の会長でもあったオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクターアサシネーション、人物破壊は世界的に類を見ないと言っています。人物破壊とはその人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺、アサシネーションであり、生命を奪う殺人以上に残酷な暴力だと思います。
 それ以上に本件で特に許せないのは主権者たる国民から何も負託されていない検察、法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒涜(ぼうとく)侵害したことであります。
 一昨年の衆院総選挙の直前に、何の根拠もないのに検察当局は捜査逮捕権という国家権力を乱用して、いきなり野党第一党の代表である私を狙って強制捜査を開始したのであります。衆議院総選挙は国民が自ら主権を行使して、直接政権を選択することのできる唯一の機会に他なりません〉
・言外に日本のメディアを批判した小沢氏 しかし質疑応答スタートの一言は……
 ここでは小沢氏自身は触れていないが、この「人物破壊」には記者クラブメディアも加担していると言外に表明しているのだ。海外メディアの日本の団体のトップであった人物に語らせることで日本のメディアのアンフェアさを述べているのである。
〈日本は戦前、行政官僚、軍人官僚、検察警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで国家権力を濫用し、政党政治を破壊しました。その結果は無謀な戦争への突入と、悲惨な敗戦という悲劇でありました。教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません〉
 さらに小沢氏はそれを戦前の大本営発表になぞらえて批判している。日本の記者クラブシステムの打破は、20年来の小沢氏の持論でもある。
 だが、それを本当に理解している人物は少ないのかもしれない。なにしろ会見の司会を担当した側近議員ですら、完全オープンでの記者会見の意味を理解せず、いきなり次のように語って質疑応答を始めたのだった。
「それでは幹事社の方から質問をお願いします」
 それでは、小沢一郎氏と記者クラブメディアの戦いをノーカットで見てみよう。
――テレビ幹事社として2点伺う。まず今日の初公判を終えての現在の心境、率直なご感想をお聞かせいただきたい。初公判を終えての現在の心境を率直に一言お願いしたい
〈今申し上げた通り、私の今回の捜査、そして検察審査会による強制起訴。これは全く、今申し上げました通り、不当な捜査であり、また、今日の裁判も一時も早く止めるべきであるというふうに申し上げました。その通りであります〉
――元秘書3人が一審で有罪判決を受けたことを含め、刑事責任とは別に道義的責任を問う声もあるが、ご自身の今後の政治活動はこれまで通り続けられるのか。議員辞職や離党についてはどのようにお考えか
〈今の文章でもお分かりいただけたと思いますけれども、私も、私の秘書も有罪と認定されるようなことは何もしておりません。この間の判決についても何ら法的な証拠も何もない。裁判官が自分の推測と推断で事実を認定し、それに基づいて判決を下すと。前代未聞のことであり、私は司法の自殺に等しいと思っております。従いまして私どもが何か違法なことをしたというならば、あんたが今使った言葉の中の、色々なことについて考える余地はありますけれども、何にも違法なことをしておりませんですから、そのようなことを考えるつもりは全くありません〉
――国会での説明責任についてうかがいたい。野党は証人喚問が必要だと主張している。かつて小沢氏は政倫審への出席を表明した経緯もあるが、公判がスタートしたとはいえ、司法の場とは別に国会で説明責任を果たす考えはあるか
〈君はどう考えているの? 司法の公判が進んでいるとき、他の立法権や、その他のこと、いろいろと議論すべきだと思ってんの? あんたは。あんたの見解は?〉
――司法手続きは重要だと思うが、国会での説明も一方では重要なことだと思う
〈あっ、そうなの。じゃ、三権分立を君はどう考えているの? だから、ちゃんとよく勉強して筋道立った質問してください。司法で裁判所っちゅうのは、最高の、最終の法に基づき、根拠に、証拠に基づいて判断をする場所でしょ? それが、いろいろな力や感情によって結果が左右されるようなことになってはいけないから、司法は司法で独立しているわけでしょ。うん。もうちょっと勉強してから、また質問をしてください〉
――今回の虚偽記載の件に関し、小沢氏が用立てたとされる4億円の原資は何だったのか
〈原資は私のお金です。詳しく聞きたければ検察に聞いてください。強制捜査、1年以上もやって、国会で説明する、君たちに説明するどころじゃないでしょ? 強制捜査をずっとやってんですよ。私の知らないことまで全部調べておりますから、お聞きください〉
 司会の岡島一正民主党衆院議員「フリーランスの記者の質問を2問ほど受けます」
――(TBS松原キャスター)2004年に小沢氏の政治資金管理団体「陸山会」は銀行から4億円の融資を受け、そこに小沢氏も署名しているが、これはなんのための融資だと考えるか。指定弁護士は虚偽記載の隠蔽工作ではないかと見ているが、どう考えるか。どう説明するか
 岡島氏「質問はフリーの人を優先してということなんで」
――あのー、いやー。
 岡島氏「フリーの方と知らないで私、指したんで」
〈(質問者に対し)ちゃんと、あんた、ルールを守らなくちゃだめだよ。答えるけども〉
岡島氏「フリーの方、もう一度お願いします」
〈(テレビ局からの質問はすでに)代表してやったんでしょ?〉
 岡島氏「フリーだと思ったんで。フリーじゃないと知らなかったものですから、すみません」
――(自由報道協会・田中龍作記者)小沢氏がこうまで検察とマスコミに狙われるのは、検事総長をはじめとする検察の人事、記者会見のオープン化、新聞社がテレビ局を持つという奇妙奇天烈なクロスオーナーシップに踏み込むからではないかとみる向きもある。小沢氏はどう考えているか
〈あのー、私は検察の人事であれなんであれ、官僚の人事にいろいろ干渉したり、口出したりすることは、したことはありません。ただ、それとは別に、今もう一つ言った、マスコミもいわゆる法律的にも集中排除の原則というのは法的にちゃんと規定されております。そういうことと同時にですね、私はやはり、どういう分野であっても程度の差はあれ、自由な競争というものが必要だと思っております。ですから、身近なことでいえば、会見でも、ずーっと以前から私はどなたでもどうぞというふうにオープンにいたしております。それが私の基本的考え方です〉
――それが記者クラブに嫌われた原因か
〈それは分かりません〉
 岡島氏「さっき、私の仕切りの言葉が悪かったので誤解されたかもしれません。まず、フリーの方、あとおひとり」
――(ニコニコ動画・七尾功氏)
 今回の裁判では小沢氏への支持、不支持を超えて司法のあり方そのものを疑問視する声が非常に多い状況となっている。一方でマスメディアのいう世論というものがあり、昔からこうした声は正反対の意見が多いわけだが、もう少し考えを聞かせてほしい。また、今後の対応は
〈はい、あのー、私はテレビ、新聞のやっている世論調査、国民の声というものがまったくデタラメとは申し上げませんけれども、しかし、必ずしも全国民のまんべんなく意見を代表しているというふうにも思えません。ですから、もし、その通りであるならば、私自身が選挙に受かることもなかったでしょうし、こうして政治家として活動が許されることもなかったと思います〉
〈ですから、賛否両論、いろいろ私に対してはあると思います。それは当然です。しかし、それが一方的なものであるとは私、思っていませんので、がんばってくれという大勢の方もありますし、私自身、なんら一点もやましいこと、ありませんので、今後もがんばっていきたいと思っております〉
 岡島氏「(記者会見に同席した民主党の階猛、辻恵両衆院議員に対し)補足ありますか。特にない。それではこの会見は、これで質問を終わらさせていただきます。ありがとうございました」
〈はい、ありがとう〉
 これでわかるだろう。もはや小沢一郎という政治家と既存の記者クラブメディアとの関係修復は不可能なのだ。
 こんな状況で健全な記者会見ができるはずもない。フェアな議論はフェアな舞台にしか宿らない。
 小沢一郎氏がマスコミを人物破壊を行う「敵」のひとりとみなしている理由はここにある。《「救急で小沢一郎氏が病院へ搬送」のニュースと田中角栄氏/ 小沢一郎氏vs記者クラブメディアの戦い2011-10-07 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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小沢氏初公判 第3の検察と化した記者クラブ
田中龍作ジャーナル2011年10月6日 20:53
 初公判を受けての小沢氏記者会見。会場は立錐の余地もないほど記者やカメラマンで埋め尽くされた。
 土地購入をめぐる政治資金規正法違反(虚偽記載)で検察審査会の議決によって強制起訴された小沢一郎・元民主党代表。6日夕方、初公判を終え国会内で記者会見を開いた。
 小沢氏は法廷で行った意見陳述をもう一度読み上げた。続いて記者クラブ幹事社からの質問だ。筆者は会見が始まる前、記者クラブから出されるであろう質問を予想し、それをツイートした。「秘書が有罪になったが…」「議員辞職はしないのか?」などだった。
 幹事社(今月はテレビ朝日、共同通信)はものの見事に筆者の予想に沿った質問をしてくれた。テレビ朝日の記者が「秘書が有罪になったことの道義的責任は?」「議員辞職しないのか?」と質問したのだった。
 小沢氏は次のように答えた―
 「私も私の秘書も有罪とされるようなことはしていない。有罪の証拠はない。裁判官が自分の推測にもとづいて判決を下した。(議員辞職など)そのようなことは考えていない」。
 共同通信記者の質問は―
「野党は証人喚問を要求しているが、国会で責任を果たす予定は?」
「4億円の原資は何だったのか?」
 小沢氏の回答は―
 「3権分立を何と考えているのかね。君はどう考えているのかね」。
小沢氏から逆質問されると、共同通信の記者は絶句してしまった。
 「4億円は自分のお金です。検察に聞いて下さい。検察が1年以上、私の知らないことまで捜査しているのだから」。
 検察リークを垂れ流していることへの強烈な皮肉だった。
 検察審査会が第2の検察と言うなら、記者クラブは第3の検察である。
 筆者も毎度おなじみのワンパターンな質問をした。情けない話だが、この問題に行き着くのである。
 「小沢さんがこうまで検察とマスコミに狙われるのは『検察人事』『記者会見のオープン化』『クロスオーナーシップ』に踏み込もうとしているからではないか?」
 小沢氏はこう答えた。「検察人事に介入したことはない。記者会見は開かれたものでなければならない。(クロスオーナーシップについては)集中排除の法律を守らなければならない」。
 「あいつ(田中)はいつも同じ質問ばかりだな」とバカにされるのは承知のうえだった。記者クラブ制度と検察の体質を改善しない限り、日本という国が破滅に向かうと思うからである。
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