変化する年
田中良紹の「国会探検」投稿者: 田中良紹 日時:2012年1月2日01:42
昨年は年初に「地殻変動の年」という一文を書いた。昨年の干支は「辛卯(かのとう)」で、生物が死滅し新たな世界が開かれる意味だった事と、中東各地で民衆が蜂起し磐石と思われた独裁体制が次々と倒れる情勢にあったからである。冷戦の終焉と同様の構造変化が起る事を予感して「地殻変動」という言葉を使った。
ところが3月に、文字通り東北の太平洋沖の海底で地殻が変動し、大地震と大津波が東日本を襲った。それにより東京電力福島第一原子力発電所が壊滅的打害を受け、日本は深刻な放射能汚染にさらされる事になった。我々は国家のエネルギー政策を根本から見直し、国の統治のあり方も見直さざるを得なくなった。
年末、世界で唯一「冷戦」が終焉していない朝鮮半島で独裁者が急死した。世襲による権力継承がどのような結果をもたらすかいまだ不明だが、チュニジアの独裁政権崩壊で始まった一年は北朝鮮の独裁者の死によって幕を閉じた。
今年の干支は「壬辰(みずのえたつ)」である。種が膨らみ生物が成長していく様を表す。私はそれを「変化する年」と捉えたい。明日を作るためには我々が捉われてきた常識を捨て、大胆に変化する事を恐れず、「失われた時代」から決然と脱却するのである。
今年は世界の指導者が交代の時期を迎える。いやでも世界は変化する。それをまず注目する必要がある。来週は台湾で総統選挙が行われる。与党国民党と野党民進党の一騎打ちだが、結果は中台関係に影響する。3月にはロシアで大統領選挙がある。プーチン氏の返り咲きが有力だが、昨年末の下院選挙不正疑惑がプーチン氏の権威を失墜させた。ロシア政治は安定から不安定へ向かっている。
4月にはフランス大統領選挙がある。ヨーロッパ経済危機の真っ只中での選挙だけにサルコジ大統領が再選されるかどうか予断を許さない。そしてアメリカでは今月から予備選挙が始まり、11月に大統領選挙が実施される。現職大統領が再選されるのが普通だが、景気がどうなるかで交代もありうる。12月には韓国と中国で指導者が交代する。不透明な北朝鮮情勢とアジアへの関与を強めるアメリカの戦略、これに両国がどう向き合うかは目が離せない。
そうした中で日本の政治は大震災と原子力事故からの再生を確固たるものにしなければならない。メディアは解散・総選挙が必至の情勢だと報じているが、本当だろうか? 「選挙モードに入るのか?」でも書いたが、私はその事に懐疑的である。日本の政治にそんな暇があるとは思えないからである。
ヨーロッパの経済危機は対岸の火事ではない。世界経済を牽引してきた中国がヨーロッパの影響を受けて失速すれば世界は深刻な不況に陥る。日本はその中で大震災からの復興の道筋を固めなければならない。その時に与野党が喧嘩をしている場合かというのが私の率直な意見である。
もっとも解散ムードを作り出したのは野田総理である。G20で消費税増税を国際公約したところから消費税政局が始まった。国際公約したというのは自分の首を賭けた事になる。3月に法案を国会に提出できなければ野田総理は国際社会から責任を問われる。なぜそこまでしたかの裏側には、単に財務省の差し金というだけではない、表に出ない事情が隠されていると私は見ているが、ともかくその事で民主党は二つに割れた。そして自公両党は「民主党の選挙公約違反」を理由に解散・総選挙を迫っている。
「選挙公約違反」と聞くと昔の社会党を思い出す。昔、社会党は消費税に反対ではなかった。ヨーロッパ型福祉国家を目標にしていたからヨーロッパ各国が採り入れている消費税に反対の筈はない。しかし世論は増税反対であった。すると社会党は「選挙公約違反」を理由に反対に回った。
中曽根総理が「大型間接税はやらない」と選挙公約した事を取り上げ、「選挙公約違反だ」と批判した。今回消費税を10%にすると先に言い出したのは自民党だから、総選挙になっても消費税増税の是非は争点にならない。もし「増税」が争点になれば、野田民主党と自公は同じ立場である。民主党の増税慎重派(反対ではない)とみんなの党、自民党内慎重派らがこれと対立する構図になる。
そうなれば自民党対民主党の構図は消え、政界再編が浮上するが、その時増税を掲げて選挙に臨む政治家がどれほどいるか、私は疑問である。自公が「選挙公約違反」を槍玉に挙げているのは増税ではなく民主党のマニフェスト違反を争点にしたいのである。それに民主党は乗るだろうか。
自公は一刻も早く政権に復帰したいから野田総理が国際公約を果たせなくなるよう追い込む。その時、野田総理が解散に打って出れば「殿ご乱心」である。昔なら身内に後ろからばっさりとやられた。日本復興に全力を挙げなければならない時に「やけっぱち」になるような総理は解散権を行使する前に辞めさせるしかない。5年前に国際公約を守れずに辞任した総理がいる。その安倍晋三氏は突然政権を投げ出した。自民党からばっさりやられたからである。野田総理もこのまま突き進めばそうなる。
そこで別の誰かが総理になり民主党政権は続く。野田総理と主張の異なる人物が総理になれば国民は政権交代が果たされたような気分になる。そのためにも民主党の中には主張の異なる二つの潮流が存在し対立する意味がある。小児病メディアは民主党の分裂をマイナスにしかみていないが、政治はそれほど単純でない。私には民主党より自民党のバラバラの方が気になる。谷垣総裁の求心力が野田総理を上回っているようには思えない。
野党が強くならなければ民主主義も強くならない。ところが今の自民党はまるで昔の社会党である。スキャンダル攻撃にしか力を発揮できない。強い野党の意味を勘違いしている。そんな野党では政権交代しても今度は自分がスキャンダル攻撃を受けるだけの話で不毛の政治が続く。批判するだけではない野党に生まれ変わらなければ強い野党にはなれないのである。
もっとも国民も政治を与野党の争いと見る見方から脱却すべきである。国民生活を守るために官僚権力と戦い、外国の権力と戦うのが政党政治の務めである。与野党の対立はそれら権力との戦いを有利に進めるために行なうもので、根っこでは国民主権の政治という立場で繋がっている。ところが日本の政党政治は戦うべき相手から分断され不毛の争いを続けているのである。大震災は不毛の争いから脱却するチャンスだった。だがそのチャンスが生かされていない。
不毛の争いよりも今年注目すべきは強制起訴された小沢一郎氏の裁判である。1月被告人質問、2月に証拠採用の決定、3月に求刑と弁論があり、4月に判決が下る。判決がどうであってもこの裁判の意味を国民は真剣に考えるべきである。検察が不起訴にした政治家を国民の手で強制起訴した事で政治がどのような影響を受けたかを噛み締めるべきである。
政治の見方に対するこれまでの常識を捨て去り、政党政治に力を与え、大震災からの復興に正面から立ち向かう政治を作り上げた時、日本は「失われた時代」から脱却できると私は思う。今年はそのように日本が変化する事を願っている。
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◆小沢一郎氏裁判/国民の代表である政治家と「全面戦争する」と言う特捜=国民主権を認めない組織〈検察〉2011-12-19 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
検察崩壊 田中良紹の「国会探検」
検察審査会によって強制起訴された小沢一郎氏の裁判で、陸山会事件を担当した二人の検事が重大な証言を行なった。その証言を聞いて、検察組織をいったん解体して作り直さなければならないと痛感した。
この裁判が終ったら、結論が有罪だろうが無罪だろうが、立法府は国政調査権に基いて検察組織を徹底調査し、民主主義国家にふさわしい捜査機関に作り変える必要がある。日本が民主主義国家たらんとすれば、それは立法府の当然の使命である。
一昨年の3月に私は『予言が現実になった』というブログを書いた。小沢氏の大久保隆規公設第一秘書が西松建設事件で突然東京地検に逮捕されたからである。07年の参議院選挙に自民党が惨敗した時、私は「自民党は民主党の小沢代表をターゲットにスキャンダルを暴露するだろう」と予言した。それが私の知る自民党のやり方であり、それ以外に政権交代を阻止する手立てはないからである。その予言が現実になったのである。
しかし大久保秘書の容疑は政治資金規正法の虚偽記載という形式犯で、しかも西松建設からの献金を実体のない政治団体からの献金と偽ったというものである。ところが政治団体には実体があり、検察の言いがかりに過ぎない。普通なら逮捕も考えられないし、起訴しても無罪の可能性がある。狙いは他にあると私は思った。
それは小沢氏に代表を退くか、もしくは政界引退を促す検察の脅しである。大人しく言う事を聞けば秘書は起訴しない。しかし言う事を聞かなければ捜査を拡大し、必ず犯罪の証拠を握って見せるという脅しである。政権交代が確実な情勢なのにあなた一人が頑張ると民主党全体に迷惑をかけますよと検察は言っているのである。これに小沢氏がどう対応するかを私は注目した。すると小沢氏は痛烈に検察を批判し戦いを宣言した。
恐らく検察は怒り心頭に達したに違いない。しかし追い込まれたのは検察である。いかにバカなメディアを煽り、バカな国会議員を煽っても、西松建設事件だけで小沢氏を政界から葬り去る事は出来ない。検察は有罪に出来る保証のない形式的な事件で大久保秘書を起訴せざるを得なくなった。
その起訴を見届けてから小沢氏は鳩山由紀夫氏と代表を交代し、幹事長として選挙の采配を振るった。西松建設事件の影響は最小化され、日本で初の政権交代が実現した。これで検察はますます窮地に追い込まれた。何とか小沢氏と企業との関係を洗い出し、裏金を見つけ出さなければならない。必死の捜査が始まったのは政権交代の後である。
ところが何も出てこない。出てきたのは嘘を言って前の福島県知事を逮捕させた水谷建設だけである。小沢氏側に1億円の裏金を渡したとの証言を得た。水谷建設は札付きの企業で、金を貰った政治家は政界にも地方自治体にもごろごろいる。水谷建設は叩けばいくらでもホコリが出る。だから検察がお目こぼしをすると言えば嘘八百を言ってでも検察に協力する。そんな企業しか見つからなかった時点で検察の負けなのだが、それでも叩けば何か出ると検察は考えた。
そこで無理をして陸山会事件に着手する。これも容疑は政治資金規正法の虚偽記載である。小沢氏から一時立て替えてもらった4億円が記載されていないのを「裏金だからだ」と踏んで、「期ズレ」を虚偽記載として秘書3人を逮捕した。私にはこれも言いがかりに見えるが、秘書3人を叩けば何か出るだろうという「思い込み」捜査が始まった。
それにしても検察は政権交代がかかる選挙直前に西松建設事件を摘発し、陸山会事件では現職の国会議員を通常国会の直前に逮捕した。かつて検察や警察を取材した経験のある私には信じられないやり方である。民主主義国家で最も尊重されなければならないのは国民の民意を問う選挙であり、国民の税金の使い道を議論する国会の審議である。捜査機関がそれに影響を与えるような事は決してやってはならない。それが民主主義国家の民主主義国家たる由縁である。その原理原則がいつの間にかこの国から消え失せていた。
そこで『国民の敵』というブログを書いた。「思い込み」によって現職の国会議員を逮捕し、「ガセ情報」をマスコミに書かせ、国民生活に関わる予算審議を妨害した日本の検察は民主主義の原理を無視した「国民の敵」だと書いた。また起訴された石川知裕衆議院議員の辞職勧告決議案を提出した自民党、公明党、みんなの党は国民主権が何かを知らない哀れな政党だと書いた。
結局、検察は裏金の存在を立証する事が出来ず、また政治資金規正法の虚偽記載についても小沢氏を起訴する事が出来なかった。完全敗北である。すると政治的に小沢氏を葬り去ろうとする連中が動き出した。検察審査会が小沢氏を強制起訴に持ち込んだのである。理由は検察が「シロ」としただけでは納得ができず、裁判所の判断も聞いてみたいというのだから呆れた。
「11人の愚か者が1億3千万人の国民生活の足を引っ張る判断をした」とブログに書いた。政治を裁くという事の重さを知らない凡俗が日本を世界に類例のない『痴呆国家』にしようとしたのである。しかしこれは小沢氏を追い詰めるどころか検察を追い詰める事になる。検察は唯一起訴する権限を有するから権力を持っている。それが起訴できず、一般市民に起訴してもらうのでは自らの存立基盤を壊す。それに気づかず強制起訴に協力した検事がいたら相当におめでたい。「検察審査会の強制起訴は逆に検察を追い詰める事になる」と『オザワの罠』というブログに書いた。
その時がやってきた。石川知裕衆議院議員を取り調べた田代政弘検事と大久保隆規氏を取り調べた前田恒彦元検事が証人として小沢裁判に出廷した。人間はどんなに本当の事を喋ろうとしても本能的に自分を守るものである。法廷の証言でも証拠がなければ嘘をつく可能性がある。だから二人とも自分の取り調べに間違いはないと証言したが、それを私は信用しない。
その部分を除くとしかし二人は実に興味深い証言を行なった。田代検事は「合理的であれば調書に取り入れるが、合理的でない供述は入れない」と証言した。「合理的」とは検察のストーリーに合致した事を言う。つまり取調べとは真相を究明する事ではなく、検察のストーリーに都合の良い言質をつまむ事だと言ったのである。それなら取調べの意味はない。
そして田代検事は昨年5月に石川議員の取調べを行った際、実際のやり取りとは異なる架空の話を捜査報告書に書き入れた事を認めた。その嘘の捜査報告書が検察審査会の強制起訴の議決に影響を与えた可能性がある。大阪地検の前田元検事による証拠改竄は事件になったが、同じような証拠改竄が東京地検でも行なわれていたのである。田代検事は「記憶が混同した」と弁解したが、前田元検事も当初は「意図的でなく誤ってやった」と弁解した。
その前田元検事は、検察に忠実であろうとして検察から切り捨てられた立場だけに、陸山会事件の捜査に批判的だった。応援要請を受けて大阪地検から東京地検に来た時「これは特捜部と小沢との全面戦争だ」と言われたと言った。そして捜査は「虚偽記載」ではなく「裏献金」に主眼が置かれていたと言い、しかし現場は厭戦ムードで捜査に積極的だったのは特捜部長と主任検事だけだったと明かしている。
小沢氏の4億円を企業からの献金とするのを「妄想」と言い、事件の見立て、つまり検察が描いたストーリーが間違っていたと言った。だから「私なら小沢氏に無罪の判決を下す」と言うのである。水谷建設から石川議員への裏金も検察内部では「石川は受け取っていない」と言われていた事を明かした。
ところが前田氏も「検察の想定と違う内容は証拠にしない」と言うのである。つまり検察に都合の悪い証拠は検察によって「隠滅」されるのがこの組織では常識なのである。これは立派な犯罪ではないか。
国民の代表である政治家と「全面戦争する」と言うのは、国民主権を認めない組織がこの国に存在する事を意味している。その組織に都合の悪い証拠は隠滅される。これほどの感覚のズレを正すのに自己改革など到底無理な話である。行政権力を監視し、それを変える力は立法府にしかない。立法府がこの問題に真剣に取り組まなければ、日本は民主主義の名に値しない国の烙印を押される。
投稿者:田中良紹 日時:2011年12月18日23:48
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◆小沢一郎氏茶番裁判 特捜検察の恐るべきデタラメ/検察、警察はデッチ上げで犯罪、犯人を捏造している2011-12-17 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆小沢一郎氏裁判 第10回公判〈後〉前田恒彦元検事「私が裁判官なら小沢さん無罪」「検察、証拠隠しあった」2011-12-17
◆小沢一郎氏裁判 第10回公判〈前〉/前田恒彦元検事「上司から『特捜部と小沢の全面戦争だ』と言われた」2011-12-16
◆小沢一郎氏裁判 第9回公判〈後〉/証人 石川知裕議員女性秘書が語った深夜に及ぶ違法な取調べの実態2011-12-16
◆小沢一郎氏裁判 第9回公判〈前〉/証人 田代政弘検事「特捜部は恐ろしいところだ」=報告書に虚偽の記事2011-12-15
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◆小沢氏起訴議決検察審査会=11人の愚か者が下衆(げす)の感覚によって国民生活の足を引っ張る判断をした2010-10-07 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
「痴呆国家」田中良紹
Infoseek 内憂外患 2010年10月07日 09時00分
11人の愚か者が1億3千万人の国民生活の足を引っ張る判断をした。政治を裁く事の重みを知らない下衆(げす)の感覚によって、この国の政治は混乱させられ、世界に類例のない「痴呆国家」になろうとしている。
検察審査会の議決を「市民目線」と評価したり、「小沢氏は議員辞職すべきか」と質問したり、小沢氏を国会に証人喚問すべきだなどと主張する馬鹿がこの国にはいる。今回の容疑事実を知り、検察審査会の仕組みを知ったら、恐らく世界はその馬鹿馬鹿しさに驚くに違いない。しかしその愚かさに気付こうとしないのだから「痴呆」と言うしかない。
やはりこの国は驚くべき未熟政治国家である。何故そうなるのか。私は国民が全く「政治教育」を施されていないからではないかと考える。子供の頃から教えられるのは、日本は民主主義で、三権分立であり、国会が国権の最高機関であるという建前の話だけである。現実の政治がどのように動いていて、建前と現実との間にどのような乖離があるかなど絶対に教えてもらえない。
建前しか教えられていないから、日本人は民主主義を「素晴らしい制度」だと思い込み、その上で「反権力であることが民主主義」だとか、「庶民感覚を大事にする事が民主主義」だとか、とんでもない嘘を吹き込まれている。国民が投票で選び出した政治権力は国民と一体の筈であり、諸外国の謀略に打ち勝たなければならない政治家に庶民感覚を求めても意味がない事を知ろうとはしない。
その庶民は、政治にとって最も大事な権力闘争を「汚れた行為」と捉え、物事を実現するために権力を集中させれば「反民主主義」と叫び、民主主義のかけらもない官主主義の国を民主主義国だと信じ込む。政治家を口を極めてののしるかと思えば、まるで芸能人を見るかのようにあがめ奉る。民主主義は衆愚政治と紙一重だが、この国では官主主義が国民を愚かにしている。
英国のチャーチル元首相に言わせれば民主主義は「最悪の政治制度」であり、政治は人間の欲望がむき出しになる世界である。そういう事をこの国では決して教えない。学校は政治教育を忌避し、教える教師もいない。国民に主権を発揮されては困る官僚にとって、政治教育がない事は何よりである。国民が目覚めて本当の民主主義をうち立てられては困るからだ。
かつて私が提携したアメリカの議会中継専門放送局C−SPANは、国民に対する政治教育を目的に設立された。議会の審議を放送する一方で、選挙権のない若者に対する政治教育に力を入れていた。議会審議のビデオテープを学校教育に使うように全米の大学と高校に働きかけている。
私は実際に議会審議のテープを授業に使用しているイリノイ州の大学を取材したことがある。教授が選んだ審議の映像を学生達に見せ、それを巡って学生が討論を行うという形の授業だった。現実の政治家の議論が教材になっていた。そしてC−SPANは中継車で全米の大学と高校を回り、学生達の政治討論番組を生中継している。
ある時、テレビを見ていたレーガン大統領が高校生の討論に電話で飛び入り参加した。それが全米で話題となり、私は素直に「素敵な話だ」と思った。日本にもC−SPANのようなテレビ局を作りたいと思った。勤務していたテレビ局を辞め、開局の準備を進めながら、まずは文部省に協力を求めに行った。
アメリカの例を説明しながら、日本で「国会テレビ」を開局したら、高校と大学だけでなく義務教育の中学校にも普及させたいと言った。すると役人から「社会党と共産党の発言しか見せない先生がいるから」とすげなく協力を断られた。
アメリカの大学の卒業式では決まって政治家が卒業生へのはなむけのスピーチをする。その時に党派が問題になることなどない。しかし日本では大学が政治家にスピーチを頼む事は滅多にない。そもそも政治家は国民の投票で選ばれた国民の代表である。にもかかわらず政治家は反教育的存在と見なされる。こうした事に私は長い官僚主導国家の岩盤の存在を感ずる。
そういう国の国民だから、検察審査会の議決で政治を裁く事の重みなど感じない。愚かな11人は極めて非論理的で情緒的な判断を下した。公開の場の裁判で白黒をはっきりさせて欲しいなどという「願望」で政治を混乱させている。裁判で白になっても時間は戻らない。政治を混乱させた罪はどうなるのか、国家的損失をどう償う事が出来るのか。これは日本の司法の一大汚点となるのではないか。
検察審査会制度はGHQの占領政策の一環である。特捜部と相前後して生まれた。独立したにもかかわらず、日本はいつまでアメリカの占領政策を引きずるのか。いつになったら自前の国造りが出来るのか。とても不思議で仕方がない。
しかもその検察審査会が強制起訴まで出来るようになったのは、政権交代の総選挙を前に、それを阻止しようと思ったのか、東京地検特捜部が西松建設事件を、大阪地検特捜部が郵便不正事件の捜査に着手して民主党の代表と副代表をターゲットにした「でっち上げ」捜査を行っていた矢先である。「でっち上げ」が上手くいかなくなっても、素人の国民をちょっと洗脳すれば強制起訴に持ち込めると考えたとしても不思議でない。
目的は以前から何度も書いてきたように小沢氏を有罪にする事ではない。民主党を分断することである。だから鳩山由紀夫氏は白で小沢氏は黒の流れになる。私の知る法曹関係者はみな「鳩山が白なら小沢はもっと白だ」と言う。一連の捜査は刑事目的ではなく政治目的なのである。小沢氏が無罪になっても十分に目的は達せられる。しかしこんな馬鹿をやっている暇は今の日本政治にはない筈だ。まさに「痴呆」と言うしかない。
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◆小沢一郎裁判=「官僚支配に従う者」と「国民主権を打ち立てようとする者」とを見分けるリトマス紙である2011-10-10 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆小沢一郎氏 初公判 全発言/『誰が小沢一郎を殺すのか?』2011-10-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
〈小沢元代表 初公判の全発言〉
今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。
指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。
百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。
また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。
そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。
贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。
だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。
それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。
なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。
それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。
この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。
オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。
衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。
議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。
日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。まだ間に合う、私はそう思います。
裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。
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検察が不起訴にした政治家を国民の手で強制起訴した事で政治がどのような影響を受けたか噛み締めるべき
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