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平田信容疑者「震災で、おれ何をやっているんだろうと逃亡生活が情けなくなった。でも踏ん切りがつかず」

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出頭の平田容疑者「震災で逃亡情けなく」
 逮捕された平田信容疑者(46)は取調官に対し、教団のサリン攻撃を受けたこともある「オウム真理教被害対策弁護団」の滝本太郎弁護士(横浜弁護士会)を呼ぶよう求めた。
 駆け付けた滝本弁護士が2日午前、留置先の大崎署で約2時間接見すると、平田容疑者は「東北の大震災で不条理なことを多く見て、自分の立場を改めて考えた。2011年のうちに出頭したかった」などと話した。
 自身の関与した拉致事件で命を落とした仮谷さんには「申し訳ないことをした」と謝罪の言葉を口にし、「オウム真理教を信仰していない」とも話したという。
 捜査関係者によると、「震災で『おれ、何をやっているんだろう』と自分の逃亡生活が情けなくなった。でも、なかなか踏ん切りがつかず、出頭は大みそかになってしまった」とも話しているという。
(2012年1月3日17時37分  読売新聞)
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出頭先探し都内転々=電車で移動、110番も−弁護士に経路説明・平田容疑者
 公証役場事務長の監禁致死事件で逮捕されたオウム真理教元幹部平田信容疑者(46)が、警視庁丸の内署に出頭する前、捜査本部のある大崎署を訪れたり、110番したりしていたことが3日、分かった。接見した弁護士が明らかにした。
 弁護士によると、平田容疑者は先月31日夜、初めにJR大崎駅から捜査本部のある大崎署に行き出頭しようとしたが、署の掲示板に自身の手配写真がなかったため断念。公衆電話から特別手配容疑者の情報提供を募るフリーダイヤルにかけたが、話し中でつながらす、110番したところ、警視庁本部に行くよう指示された。
 このため、大崎駅からJRで恵比寿駅まで行き、乗り換えた東京メトロ日比谷線の霞ケ関駅で降りて、警視庁本部に行ったと説明したという。
 同容疑者は同日午後11時半ごろ、警視庁本部を訪れ「特別手配の平田です」などと何度も名乗ったが、いたずらと思った警戒中の機動隊員に門前払いされ、約650メートル離れた丸の内署まで歩いて出頭した。(時事通信2012/01/03-21:34)
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平田容疑者「電話つながらず」 出頭先求め転々か
日本経済新聞2012/1/3 22:00
 公証役場事務長の監禁致死事件で逮捕された平田信容疑者(46)が、「警察が情報提供を求めているフリーダイヤルに電話したが、話し中でつながらなかった」と話していることが3日、面会した弁護士の話で分かった。12月31日夜、出頭しようと警察署などを転々とした足取りも判明した。
 弁護士によると、平田容疑者は同日午後9時前、出頭を決意して事件の捜査本部がある警視庁大崎署(東京都品川区)前まで行ったが、署の受付は2階にあり、どこに行けばよいのか分からずに引き返した。
 その後、公衆電話から警察のフリーダイヤルに10回ほど電話したがつながらず、110番して「平田の事件を担当している署はどこか」と尋ねると「警視庁」と言われ、霞が関の同庁本部(千代田区)に向かった。
 JR山手線の大崎駅から恵比寿駅へ行き、東京メトロ日比谷線に乗り換えて霞ケ関駅で降車。
 しかし、本部庁舎前で警備中の機動隊員に、いたずらと勘違いされて“門前払い”。約700メートル歩いて同日午後11時50分ごろ、丸の内署(同区)に着いた。外にいた警察官に名乗ると「うそ」と驚かれ、「ほら、背が高いでしょう」と言うと「本当にそうなの」と署内に入れられたという。
 捜査関係者によると、日比谷線の恵比寿駅と霞ケ関駅で防犯カメラに同容疑者によく似た男が映っていた。警視庁は、他の駅のカメラ映像や切符も回収するなど、出頭前の詳しい足取りを調べている。
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平田容疑者逮捕、死刑囚13人の執行に影響も
 オウム真理教による事件で特別手配されていた平田信容疑者(46)の逮捕は、松本死刑囚ら13人の死刑囚の執行スケジュールに影響を与える可能性がある。
 法務省は、共犯者が公判中の場合は、死刑囚が証人となる可能性があることから、原則、執行を見送る運用をしているからだ。
 教団関連の刑事裁判は昨年11月にすべて終結し、松本死刑囚らの執行時期が焦点になっており、同省内には、「執行は、まず首謀者の松本死刑囚から検討すべきだ」との意見が強かった。このため、捜査関係者の間では、「あまりにも(出頭の)タイミングが良すぎる。松本死刑囚らの執行を免れる作戦ではないか」(最高検幹部)との見方が出ている。
 あるベテラン刑事裁判官は「平田容疑者の弁護側が『松本死刑囚が証人として法廷で真実を語るかもしれず、執行は待つべきだ』と主張すれば、執行にも影響が出るだろう」と予測する。最終的に執行は法相判断に委ねられるが、同省幹部は「死刑に消極的な法相であれば、執行しない口実にする可能性もある」と懸念する。
 ただ、松本死刑囚の執行にあたっては、平田容疑者の逮捕を考慮すべきではないとの意見もある。仮谷さん拉致事件については、ほかの元幹部らの証言で全容がほぼ明らかにされており、平田容疑者に直接指示したわけでもない松本死刑囚を証人とする必要性はないとの理由からだ。別の同省幹部は「松本死刑囚の証言で、平田容疑者の刑の重さが変わるとは考えられない。今回の逮捕を、松本死刑囚の執行を妨げる要因とすべきではない」と話す。
(2012年1月3日11時23分  読売新聞)
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「井上死刑囚ら数人が指示」=仮谷さん拉致現場まで車運転―逮捕のオウム平田容疑者
2012年1月3日14時5分[時事通信社]
 オウム真理教(現アレフ)による目黒公証役場事務長仮谷清志さん=当時(68)=の監禁致死事件で、逮捕された元教団幹部平田信容疑者(46)が、元教団幹部井上嘉浩死刑囚(42)ら数人の指示を受け、仮谷さんの拉致現場まで車を運転したと供述していることが3日、捜査関係者への取材で分かった。
 平田容疑者は、事件の指揮役とされる井上死刑囚のほか、既に有罪が確定した元教団幹部数人の名前を挙げ、「車を運転するよう指示された」と供述。また、接見した弁護士によると「仮谷さんに対する薬物投与は知らなかった。亡くなったことも後で知った」と話しているという。
 平田容疑者は、元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)らと共謀し、教団から離れていた仮谷さんの妹の居場所を聞き出すため、1995年2月に仮谷さんを東京都品川区の路上で拉致し、山梨県の旧上九一色村の教団施設で麻酔薬を注射して死亡させたとして、逮捕監禁致死容疑で逮捕された。
 一方、捜査関係者によると、地下鉄サリン事件などで特別手配されている菊地直子(40)、高橋克也(53)両容疑者について、平田容疑者は「どこにいるか分からない」と供述。弁護士に対しては「連絡を取り合うことはなく、ずっと別行動だった」と説明したという。
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オウム事件:平田容疑者逮捕(その1)大みそか「平田です」緊迫、未明の逮捕
 ◇「迷惑かかる」潜伏先語らず
 大みそか、東京・皇居近くの警察署に突然現れた元オウム真理教幹部、平田信容疑者(46)。「平田信です。出頭してきました」と署員に告げ、17年近くに及んだ逃亡生活に終止符を打った。全国の警察や社会の「目」をどうくぐり抜けたのか。なぜ、今になって姿を現したのか。平田容疑者は1日未明に逮捕され、「一区切りつけたかった」と供述したものの、「人に迷惑がかかる」と潜伏先については供述を拒んでいるという。劇的な出頭・逮捕で、教団の闇はどこまで明らかになるのか。
 平田容疑者が出頭した丸の内署には1日未明、次々に捜査員が集まった。午前3時ごろには、普段は制服姿の署幹部が無言で署内を行き来するなど緊迫。さらに約1時間後、捜査1課幹部が、同署前に集まっていた数十人の報道陣に「後で(取材)対応するから」とだけ言い残し、慌ただしく車で走り去った。
 平田容疑者のこざっぱりした服装を見た捜査幹部は「路上生活をしていたとはとても思えない」と漏らした。「ひと目見て、平田だと思った」と衝撃も受けたという。平田容疑者は「いろんな所に支障が出たら困る」と、17年近く何をしていたのかを語ろうとしないといい、その足取りは謎のままだ。
 捜査関係者によると、平田容疑者は地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件が発生した95年3月ごろ、教団幹部から「逃走資金」として数百万円を受け取ったとみられているが、足取りが把握されているのは96年2月までだ。
 地下鉄サリン事件直後の95年3月27日、東京都内で運転免許証と旅券の更新手続きを行い、三重県へ。再上京した4月4日、免許証などを受け取ると、同13日にはフェリーで徳島市の教団信者宅に向かった。このころ、事件に関係するガスマスクなどの証拠物を北関東の山中に捨てたとみられている。
 同年8月には名古屋市内で当時逃亡していた林泰男死刑囚(54)と会ったとされる。教団の東京総本部や山梨県上九一色村(当時)の施設も訪れていたようで、ある教団幹部には「バーテンをやるか、山の中の陶芸をやるところに入り込めば逃げられる。札幌に行けば、昔の仲間がいるのでなんとかなる」などと語ったという。
 同年5月の指名手配後、逃走を支えたとみられるのが、教団看護婦だった女性信者(49)だ。この女性が96年2月までの3カ月間働いていた仙台市内の料理店の従業員寮のアパートには、一緒に暮らしていたとみられる形跡があったが、2人の足取りはこの後、途絶えた。
 警察当局は95年9月には特別手配をするとともに、北海道に住んでいる両親の家に立ち寄らないかを警戒。しかし、平田容疑者が捜査員の前に姿を現すことはなく、両親も昨年までに亡くなった。父親は生前、関与が取りざたされた警察庁長官狙撃事件について、平田容疑者から「俺は犯人じゃない」と電話で伝えられたといい、捜査員には「息子は犯人じゃない」と繰り返していたという。
 そして迎えた突然の出頭。警視庁によると、平田容疑者は、仮谷清志さん拉致事件について「車を運転しただけ」と触れる一方、出頭した経緯は「一区切り付けたかった」と供述するだけだという。弁護士を通じたコメントでは「国松長官事件が時効になって、間違った逮捕があり得なくなった。教祖の死刑執行は当然と考えている」としたが、真意ははっきりしない。
 出頭はしたものの、17年近い逃走経緯や支援者がいたのかは明らかにならないまま。捜査幹部は「出頭は、捜査をかく乱し、教祖の死刑執行停止狙いとみるのが自然」と指摘した。【内橋寿明、村上尊一】
 ◇射撃で国体出場 松本死刑囚警護も
 平田信容疑者は、射撃の腕前や一部の教団幹部の供述から、一時は国松孝次・警察庁長官狙撃事件(95年3月30日)への関与も取りざたされた。
 中高は札幌市内の私立学校に通った。学校関係者によると、温厚でおとなしい性格だったという。札幌商科大(現・札幌学院大)を卒業後にいったんは就職したが、87年8月、教団に出家。「車両省」に所属し、空手が得意だったため、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)のボディーガードも務めた。
 高校の射撃部でエアピストルの国体少年の部で11位になり、94年ごろにはロシアでの実弾射撃訓練に参加した経験も持つ。長官狙撃事件への関与が一部週刊誌に報道されたが、平田容疑者を知る信者は捜査員に「気が小さく、人殺しなんてできる人間ではない」と話したという。
 ◇最初は本庁出頭、機動隊員「いたずら」と判断 「丸の内署へ」指示
 平田信容疑者は当初、警視庁本部庁舎(東京都千代田区霞が関)に出頭しようとしたが、玄関前にいた30代の機動隊員が「悪質ないたずら」と判断し、身柄の確保などの対応をとらなかったことが分かった。警視庁警備部幹部は「事実関係を確認したうえで、今後の対応を検討する」としている。
 幹部によると、平田容疑者は12月31日午後11時35分ごろ、本部庁舎前に1人で現れ、警戒していた機動隊員に「平田信です。出頭してきました」と話しかけた。しかし、この隊員は、髪形や顔の肉づきなどが手配写真と異なる印象を受け、悪質ないたずらと判断。丸の内署の方向を示して「あちらに警察署があるので」と伝えた。
 平田容疑者は「特別手配の平田ですが」などとも話したが、隊員は無線で指示を仰ぐこともせず、再度、丸の内署に向かうよう指示。平田容疑者は「分かりました」と従い、同署の方向に1人で歩いていき、午後11時50分ごろに出頭した。
 ◇叔父、出頭に「ひと安心」
 平田容疑者は札幌市出身で、公務員だった父親は数年前に死去。母親はその後、平田容疑者の叔父に当たる自身の弟が住む北海道帯広市に移ったが、昨年7月下旬に76歳で病死した。叔父は1日夜、取材に対し「母親は連絡のない一人っ子の息子を待っていた。会いたかったと思う」と心情を思いやった。
 近所の知人らによると、母親が転居したのは3、4年前。叔父宅近くの一軒家で1人暮らししていた。町内会の集まりに参加するなど元気な様子だったが、息子がいることは周囲に話さなかったという。近所の女性は「亡くなった後に行方不明の息子がいるとうわさで聞いた。帰った時のために貯金もしていたようだ」と話した。
 平田容疑者について叔父は、札幌近郊の大学に通っていた20年以上前に会ったきりという。普通の学生だったが、入信後は連絡が途絶えた。「出頭を望んでいたのでひと安心している」と語った。【小川祐希】
 ◇平田信容疑者とオウム真理教を巡る経緯
 <87年>
 8月ごろ  平田信容疑者が教団に出家
 <89年>
11月 4日 坂本堤弁護士一家殺害事件
 <95年>
 2月28日 仮谷清志さん拉致監禁致死事件
 3月19日 杉並区マンション時限式爆発物事件
 3月20日 地下鉄サリン事件
 3月22日 警視庁などが教団施設を一斉捜索
 3月27日 平田容疑者が東京都内で運転免許を更新
 3月30日 国松孝次警察庁長官狙撃事件
 5月16日 松本智津夫死刑囚を逮捕
 5月31日 時限式爆発物事件で平田容疑者を指名手配
 8月ごろ  平田容疑者が名古屋市内で林泰男死刑囚と接触
 8月14日 仮谷さん事件で平田容疑者を指名手配
 9月14日 二つの事件で警察庁が平田容疑者を特別手配
11月ごろ  女性信者と仙台市内で生活開始(96年2月ごろまで)
<04年>
 2月27日 東京地裁が松本死刑囚に死刑判決
<06年>
 9月15日 最高裁が松本死刑囚の特別抗告を棄却。死刑が確定
<10年>
 3月30日 国松長官狙撃事件の公訴時効が成立。警視庁は「教団による組織的テロ」との捜査結果を公表
<11年>
11月21日 最高裁が遠藤誠一死刑囚の上告を棄却し、一連のオウム裁判が事実上終結
12月12日 最高裁が遠藤死刑囚の判決訂正の申し立てを棄却、起訴された189人全員の判決が確定
12月31日 平田容疑者が警視庁丸の内署に出頭
<12年>
 1月 1日 警視庁が平田容疑者を逮捕監禁致死容疑で逮捕
 〈毎日新聞 2012年1月3日 東京朝刊〉

オウム事件:平田容疑者逮捕(その2止)遺族「真実知りたい」
 ◇「なぜ今になって」 仮谷さん長男、供述に不信感
 「なぜ今になって」。平田信容疑者(46)が関与したとされる事件の被害者らにとっても、突然の出頭は予想外の展開だった。【小泉大士、長谷川豊】
 95年2月に拉致され死亡した目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68歳)の長男、実さん(51)は1日午前、東京都内の自宅前で集まった記者に「遺族としては真実を知りたいというのが切実な願い」と前向きに話した。
 実さんは、清志さんが死亡した経緯に疑念を抱いており、真相解明に期待を抱く。しかし、これまでも教団に振り回され、「一区切り付けたかった」という平田容疑者の供述をそのまま受け取れないという。「信者にかくまわれていた可能性もやっぱりあると思う」と指摘したうえで、事件の共謀者が公判中の場合は死刑が執行されないとみられるため、「出てくるタイミングが良すぎるのでは。幹部の死刑執行を延期するためとも受け止められる」とも加えた。
 ◇宗教学者・島田さん「事件まだ動いていた」
 平田容疑者は、仮谷さん拉致事件の翌月に東京都杉並区のマンションで時限式爆発物が爆発した事件でも特別手配されていた。この部屋は宗教学者の島田裕巳さんの元自宅だった。
 島田さんは1日午前10時ごろ、ツイッターの情報で平田容疑者の出頭を知った。「一連の裁判が終わり、忘れたような気になっていたが、事件はまだ動いていた」というのが率直な感想だ。
 島田さんも「なぜこの時期なのだろう」と、出頭の経緯には懐疑的だ。「証拠はないが、平田容疑者に支援者がいて、死刑の執行を遅らせようとして出頭させたのではないか」と話し、「支援者が松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に今も帰依している可能性さえある」とも指摘した。
 爆発事件は、教団が起こしたとみられているが、経緯ははっきりしていない。04年7月には元信者が爆発物取締罰則違反容疑で逮捕されたが、不起訴となった。
 島田さんは「これだけ長く逃走していた平田容疑者の意志は強く、供述もしないのでは」と期待は掛けていない。
 ◇「捜査当局への積極的協力を」−−ひかりの輪
 教団の上祐史浩元代表が設立した「ひかりの輪」広報部は1日、平田容疑者逮捕について、「オウム事件の全容解明のために捜査当局に積極的に協力するとともに、自己と向き合って、二度と同様の事件を繰り返さないための総括・教訓を残すことを期待する」とのコメントを出した。
 ◇オウム事件で初、裁判員裁判対象
 平田容疑者が逮捕監禁致死罪で起訴されれば、教団の事件では初めて裁判員裁判の対象となる。
 ただ、裁判員法の規定では、対象事件でも、裁判員らに危害が及ぶ可能性があるなどと裁判所が判断した場合は、裁判官だけの公判に変更できるとしている。過去には、暴力団抗争に絡む殺人事件で、裁判員裁判の対象から除外されたケースがある。
〈毎日新聞 2012年1月3日 東京朝刊〉

オウム中川被告「寝耳に水」=仮谷さん殺害示唆を否定―きょう上告審判決・最高裁
2011年11月18日15時6分
 オウム真理教による1995年の公証役場事務長仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件をめぐり、教団元幹部中川智正被告(49)=一、二審死刑=が事件直後、殺害を示唆する発言をしたとされる問題で、中川被告は時事通信の取材に対し、「寝耳に水の話で全く事実ではない」と発言を否定する内容の手紙を18日までに寄せた。
 中川被告の上告審判決は午後に言い渡される。オウム事件の裁判は21日の元幹部遠藤誠一被告(51)=一、二審死刑=の上告審判決で終結する見通し。
 手紙は13日付で、手書きで便箋に3枚。元幹部井上嘉浩死刑囚(41)が今年8月、遺族に対し、中川被告が事件直後、「殺害できる薬物の効果を確かめようと点滴したら、亡くなった」と発言したと伝えたことについて、「真偽は別にして、井上君が彼なりの真実を述べるのであれば、ご遺族の方々の関心の高い内容だけにもっと早く話してほしかった」と不快感を示した。その上で「井上君が述べている話は、私の記憶とも実際にあったこととも違う」と改めて否定した。[時事通信社]
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オウム真理教:井上死刑囚が仮谷さん「殺害」示唆の手紙
 オウム真理教による東京・目黒公証役場事務長の監禁致死事件(95年)で、事件に関与した井上嘉浩死刑囚(41)側が、被害者の仮谷清志さん(当時68歳)の遺族に対し、事件が殺人だったことを示唆する手紙を送っていたことが分かった。遺族は「『告白』を機に、事件の真相を知りたい」と話している。
 仮谷さんの長男実さん(51)によると、井上死刑囚の話を家族が代筆した手紙で、今年8月に届いた。仮谷さんの死後、中川智正被告(49)=1、2審死刑=から「ポア(殺害)できる薬物を点滴したら死亡してしまった」と聞いた、などと記されていた。
 手紙には「中川被告の刑が確定すれば面会もできなくなると考え、この時期に伝えた」との記述もあった。ただ、実さんが先月21日に中川被告と面会した際には、「積極的に何かをしたわけではない」と殺害を否定したという。実さんは「裁判が終わった後でも、改めて関係者から話を聞きたい」と話している。中川被告の上告審判決は18日、言い渡される。
 これまでの確定判決によると、井上死刑囚や中川被告らは教祖の松本智津夫死刑囚(56)の指示を受け、信者の居場所を聞き出そうと95年2月28日、東京都品川区の路上で、信者の兄の仮谷さんを拉致して監禁。3月1日、全身麻酔薬の副作用による心不全で死なせた。遺体はマイクロ波焼却装置で焼かれた。
毎日新聞 2011年11月12日 20時45分
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