小沢一郎元代表 大いに語る「野田じゃダメだ」「政界再編に動く」覚悟
日刊ゲンダイ2012年1月4日 掲載
この年だけど、黙ってみているわけにはいかない <2012年は世界中がカオスになる>
2012年はどういう年になるのか。世界恐慌の足音は日増しに高まっているし、消費税増税に入れ込む野田政権はひたすら、自爆の道を突き進んでいる。未曽有の政治的混乱は避けようがなく、どう考えてもロクな年になりそうにないのだが、小沢一郎・元民主党代表の「見立て」も同じだった。「カオス」の年の“展望”と“覚悟”を聞いてみた。
今年は何が起こるのか。こう問うと、小沢はいきなり、「マヤ暦を研究した方がいいんじゃないか」と言った。
マヤ暦とは2012年に人類が滅亡するという終末論のひとつだ。もちろん、小沢は象徴的な意味合いで「マヤ暦」を持ち出したのだが、実際、大混乱の年になりそうだ。
〈だって、世界中の指導者が代わる可能性があるわけでしょう。アメリカ、フランス、ロシア、韓国は大統領選挙があるし、中国は国家主席が代わる。EUもグチャグチャでしょう。世界中がカオスの年になる。もちろん日本も例外ではありません〉
こう言う小沢は、具体的に政局のシミュレーションを語り始めた。
〈国会議員はみんな正月に地元に帰った。消費税増税や年金問題について、散々怒られて帰ってくると思う。野田政権は政権発足後、毎月、10%ずつ支持率が落ちている。そういう政権が消費税増税を打ち出した結果、どうなるか。僕は、本当の世論は大新聞の世論調査結果よりもはるかに厳しいと思っています。それを国会議員たちは実感して国会に帰ってくる。その頃、新聞にはもっと厳しい野田内閣の支持率が出る。この調子で下がれば、1月は20%になっているかもしれない。現実はもっと厳しいから、ほとんど支持者がいない状況です。そんな時に選挙になったら、民主党はほぼ全滅ですよ。かといって、自民党も過半数を得られない。今年は選挙の年になるとみていますが、このままでは、自民も民主も安定した政権をつくれません〉
政治は何も決められずに漂流していく。小沢は、「それを避けるために、野田政権は確固たる信念を持ち、政権交代の原点に戻るべきだ」と言う。しかし、それができれば苦労はしない。野田が原点回帰などやるわけがない。その時は、党分裂、政界再編の動きにならざるを得ないのではないか。
<消費税増税に国民は賛成するか?>
〈「国民の生活が第一」という民主党政権の原点を野田政権が忘却のかなたに追いやるなら、国民サイドから動きが起きてくると思います。正月早々消費税増税の路線を明確にした場合、国民は“よかった”と言うだろうか。政権運営は極めて難しくなる。その場合、あらゆる選択肢があります。せっかく政権交代したのに、このままではオシマイ、全員アウト。そういう状況になった時は、民主党内も野田政権ではダメだ、となるんじゃないか〉
小沢氏はそう言ったうえで、付け加えた。
〈世界が混乱する中で、日本の政治もカオスになる状況だけは絶対に避けなければいけない。僕は、民主党が潰れても、自民党なり他の政党が安定した政権をつくってくれるのであれば、心配はしない。しかし、そうならないのなら、この年だけれど、もうひと働きしなきゃいけない。このまま日本がカオスになり、泥沼に落ち込むのを黙って見ているわけにはいかない。過半数をとって安定する政権、体制を考えなければいけないと思う〉
安定政権とは衆参で過半数を得ている政権を指す。小沢はそれを目指すという。つまり、政界再編だ。小沢は民主党の惨敗、自民党のメルトダウンを見越している。その前後に、政界再編の流れが出てくる。その時のリーダーは誰なのか。
〈きちんと自分の政治理念を掲げ、自分の責任でそれを訴え、自ら決断、実行していくリーダーです。ただし、その理念には高い見識と志が不可欠。ただ、郵政改革だけすればいい、といった次元ではない。日本をつくり替える理念です。今は平時ではない。真のリーダーが必要なのだが、なかなかいないですね〉
自身が先頭に立つ覚悟を固めているのは間違いない。裁判は1月に小沢自身への質問が行われる。「春に晴れて無罪になったら動く?」と聞いたらこう言った。
〈世界も日本も僕の裁判とは関係なく進んでいく〉
大政局は春まで待たずに動き出す。
◆小沢一郎/「今年は選挙になる。俺は、やる」TPP、大不況、安全保障、裁かれる不条理/[最後の大構想]後編2012-01-06 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢一郎「最後の大構想」後編 週刊ポスト2012/01/13・20号
◆小沢一郎氏 2012年は最後のご奉公、文字通り「最後」と語る/人間・小沢一郎「最後の大構想」前篇 2011-12-29 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆【小沢一郎インタビュー】野田政権の出方次第で「ありとあらゆる選択肢がある」2012-01-04 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆小沢一郎氏「お見舞いに歩くのが政治家の仕事なのか?お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか?」2012-01-05 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢・民主元代表:東日本大震災後、初の沿岸訪問 「頼もしい」「今更」 住民、期待や不満 /岩手
震災後初となった小沢一郎・民主党元代表の3日の沿岸訪問。被災地の住人からは「頼もしい」といった期待や、「今更来ても遅い」といった不満が入り交じる声が上がった。
小沢元代表はこの日、達増拓也知事や県選出の国会議員らと共に、久慈から陸前高田まで沿岸5市で開かれた同党県連の緊急役員会に出席。宮古市では「私たちの主張した地域主権が(政権交代から)2年余たっても、まだ緒にも就いていない」と持論を展開。「皆さんの抱えた課題を解決するには、本来我々の掲げた政策理念を実行しなければいけない」と訴えた。
夫婦で参加していた、宮古市大通の無職、伊藤隆さん(75)は「小沢さんのように力のある政治家がいて頼もしい。予算を確保して、復興が進むよう国に働きかけてほしい」と期待を込めた。
小沢元代表は夕方には、陸前高田市竹駒町の仮設住宅を訪問。集会場に集まった約30人の住人を前に「皆さんの生活を一日でも早く元に戻せるよう全力で頑張っていく」と力を込めると、記念写真を求められるなど歓迎を受けた。
一方で、住人の女性(58)は「今更来ても遅い。震災直後の惨状を見れば、党内で足の引っ張り合いをしてる場合じゃないと気づいてもらえたはず」と不満を漏らした。【宮崎隆】
毎日新聞 2012年1月4日 地方版
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〈来栖の独白2012/01/04 Wed.〉
東日本大震災と政局ということについて、短く感じたことを述べてみたい。
昨年の民主党代表選、或いは先ごろの多数の民主党議員の離党・新党結成の折、「東日本で被災して多くの国民が苦しんでいるときに、政治家は、勢力・権力争いに明け暮れて・・・」との批判をメディア上で何度も目にした。上の記事でも、「今更来ても遅い。震災直後の惨状を見れば、党内で足の引っ張り合いをしてる場合じゃないと気づいてもらえたはず」と不満を漏らす女性の声が載っている。生活に切羽詰った被災者たちの感情として当然かなとも思うが、果たして、そうか。いや、これほどに困窮を極めた今日だからこそ、政治にしっかりしてもらわなくてはいけないのではないか。そんな気がする。
小沢一郎さんは、以下(↓)のように言う。以下のように言いながら、小沢一郎という政治家のやさしさ、熱さは、公判を含めた過密日程の間隙を縫って被災地を訪れた。
“マスコミ自体も、政治が何をすべきか、政治家が何をすべきかと(報じない)。お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか? お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか? というふうに私はあえて憎まれ口をきくけれど、やはり政治の役割というのは、そういうことではないと思う。このような深刻な事態をどのようにして克服していくか、そのためには政治の体制はどうあるべきなのか、政治家はどうあるべきなのかと考えるのが、本当に国民のための政治家のあり方だと私は思っている。そういう意味で、今後もいろいろとご批判は頂きながらも、私の信念は変わらないので、その方向で頑張りたいと思う。”
これは、媚びない姿勢がなくては言えない言葉だろう。またその前提として、日々の生活に窮する民の惨状を知り、それゆえに、政治の果たす役割が「国民の生活が第一。」と見極めた確かな眼がなくては、言えない言葉だと思う。確かな眼とは、「本物の政治家の眼」ということだ。
当然のように、このような政治家が国民に理解されることは稀である。剛腕などと云われ、嫌われる。「災害があればいち早く現地に駆けつける」という動きの良さもないので、不可解である。ポピュリズムとは対極にある。
この種の政治家は、国民からの人気がないばかりではない。既得権益といった旧弊にとらわれないので、官僚からも嫌われる。おまけに要領が悪いゆえ、エンタメ(メディア)に貢献するところなく、嫌われる。
国民(検審)・官僚・メディアから嫌われれば、行き着く先は決まっていよう。かくて小沢一郎氏は、地元から帰京すれば、10日、11日の裁判(東京地裁 公判)が待っている。被告人質問である。
東日本大震災という未曽有の苦難のなかで、この国はかくも、有為な政治家の手足を縛った。
ところで、ここからは余談になるので後日に稿を改めたいと思うが、昨年より深く憂慮している一事がある。4月にも判決といわれている、小沢一郎さんの裁判である。
陸山会事件登石郁郎裁判長の判決で思い知らされたが、裁判長には裁判長で、縛りがかけられているということだ。登石裁判長の下した判決は、郷原信郎氏のような専門家は無論のこと、私のような素人がみても、おかしな判決だった。なぜ、このような恥ずべき判決文を書かなければならなかったのか。まかり通ったのか。
新藤宗幸氏はその著『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕(岩波新書)の中で、次のようにいう。
“司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。
裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。 ”
ここでも“官僚”である。上の文脈によれば、小沢氏裁判で「無罪」と書いて大善文男裁判長個人に利するところがあるか。無い(だろう)。地方の簡裁か家庭裁判所へ飛ばされるのがオチであろう。
前田元検事は「主任検事から『この件は特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢をあげられなければ特捜の負けだ』といわれた」と証言している。裁判所にとって、被告人に利するか、はたまた長く利益を分かち合ってきた検察との仲を保つかを天秤にかけるなら、答えは歴然としていよう。
そのことは、検察と一体となり走狗となって「小沢 クロ」と書いてきたメディアとっても同様である。ここで「小沢 無罪」が出たなら、メディアは、どう書けばいいのか。
ことほど左様に、司法には司法の事情があり、裁判所と検察には判検(一体)の、検察とメディアには検察とメディアの、それぞれ譲れぬ事情がある。
深く憂慮に堪えない。小沢氏無罪は、難しい。
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◆『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉2011-07-30 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア より抜粋
■お悔みを申し上げるのが政治家の仕事なのか?
上杉: まずは「3.11」の震災について、その震災後のことについてお話を頂ければと思う。今ウォルフレンさんからお話いただいたので、小沢さんの方から。「3.11」の国を揺るがすような大震災以降、どうも既存メディアでは小沢さんの影が見えなかったのでは、何もしていないのではないか、という声もあった。果たして小沢さんはどのような活動をされていたのか。「3.11」の発災以降のことも含めて、お話をいただければと思う。
小沢一郎衆院議員(以下、小沢): 今度のいまだかつて経験したことのないような大災害、私も被災県の岩手県の出身だけれども、特に福島県の原発の損壊と放射能汚染の問題、それが非常に深刻な事態だと、私は当初から機会ある度に訴えてきた。このような時にあたって、今ウォルフレンさんが指摘されたが、世界でも非常に評価されるような日本人の長所が発揮されていると同時に、日本人の欠点も露呈されているというのが、正直なところではないかと思っている。長所というのは、それは一般的に言われているように、こんな大災害にもかかわらず、みんな一生懸命力を合わせて復興のために頑張っていること。その忍耐と努力と、そして能力というのは、当然日本人として誇っていいことだと思っている。
ただ、放射能汚染といういまだかつて(ない)、ある意味においてはチェルノブイリやスリーマイル以上に、非常に大きな危険性を秘めているこの原発の事故と放射能汚染の拡大――。これほどの大きな深刻なことになると、単なる個人的な力の発揮ということ以上に、本来もっと国家として前面に立って、そして英知を集めて思い切って対策を講じていく仕組みと姿勢が必要だと思う。けれども、どうもその意味において、政治の面だけではなくて、一般の国民の中からもそういった強い要求というか、動きというものがなかなか出てこない。まさに非常に日本的な現象だと思っている。ほかの国ならば、こんなに黙って現状を見過ごしているような国民は多分ないだろうと思う。大きな大きな国民運動にまで広がりかねないと思うが、そういう(大きな運動にならない)ところがちょっと日本の国民性というか不思議なところであって、「まあまあ」という中で個人が一生懸命頑張っている。
上杉さんがマスコミの話をしたけれども、マスコミ自体も、政治が何をすべきか、政治家が何をすべきかと(報じない)。お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか? お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか? というふうに私はあえて憎まれ口をきくけれど、やはり政治の役割というのは、そういうことではないと思う。このような深刻な事態をどのようにして克服していくか、そのためには政治の体制はどうあるべきなのか、政治家はどうあるべきなのかと考えるのが、本当に国民のための政治家のあり方だと私は思っている。そういう意味で、今後もいろいろとご批判は頂きながらも、私の信念は変わらないので、その方向で頑張りたいと思う。(中、後段 略)
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◆検察が不起訴にした政治家を国民の手で強制起訴した事で政治がどのような影響を受けたか噛み締めるべき2012-01-03 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸/小沢一郎の日本再造計画2011-05-05 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆小沢一郎裁判/三権協調・菅政権の有力閣僚・国家権力に寄生する巨大メディア・・・によって2011-12-30
◆小沢一郎氏 裁判/大善文男裁判長は将来が約束されたエリート判事 登石郁郎裁判長以上に体制寄り2011-10-06