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小沢一郎氏4月判決 大善文男裁判長=トップクラスのエリート裁判官/体制寄り/予定調和的な判決ばかり 

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小沢裁判 判決は4月 大善エリート裁判長の気になる評判
日刊ゲンダイ
2012年1月13日 掲載
判決は日本の裁判所の公正と正義の判断基準となるだろう
 小沢一郎・元民主党代表(69)をめぐる世紀の「魔女狩り裁判」は、ヤマ場の被告人質問を終えた。4月に予定されている判決公判で、裁判長はどんな判断を下すのか。
  裁判を指揮しているのは大善文男裁判長(51)。早大法学部出身で、裁判官歴26年のベテラン。司法研修所教官、高松高裁事務局長を経て、10年4月から東京地裁刑事11部の部総括判事を務める。
 「外見は典型的な『バーコード頭』だが、83年に司法試験に合格した38期の司法官僚の中では、トップクラスのエリート裁判官です。柔和な表情で被告人に話しかけるのが特徴で、将来の最高裁判事は確実とみられています」(司法記者)
  13回に及ぶこれまでの裁判では、検察審査会(検察審)が小沢を強制起訴した“決め手”となった捜査報告書が検事の捏造だったことがバレ、事件自体がデッチ上げだった疑いが濃厚になった。「市民感覚」で考えれば「無罪確実」だが、大善裁判長はそんな当たり前の判決を書けるのか。約3300回の裁判を傍聴してきたジャーナリストの今井亮一氏はこう言う。
 「大善裁判官はニコニコしていて、まるで安アパートにでも住んでいそうないいオジサンという雰囲気ですが、判決は厳しいものになるでしょう。東京地裁で裁判長を務めるのはエリート中のエリート。よほどのことがない限り、警察や検察の筋書きを追認するのが普通です。つまり、被告人側の主張は執拗に疑い、検察側の主張は信用できる部分を探し出す。そうやって理屈をこねて検察側の筋書きに“お墨付き”を与えるのが一般的です」  実際、裁判官質問では、億単位のカネの管理を秘書に任せていた、とする小沢の姿勢を“疑う”ような発言が繰り返された。
  しかし、「疑わしきは被告人の利益」という刑事裁判の大原則が裏切られる結果になれば、日本の司法は死んだも同然だ。まして、小沢事件は、東京地検が「有罪にできない」と不起訴にしたものだ。4月の判決は裁判所が本来の役割である「公正」「正義」を取り戻せるかの判断基準となる。
小沢一郎氏「お見舞いに歩くのが政治家の仕事なのか?お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか?」 2012-01-05
 〈来栖の独白2012/01/04 Wed.〉
 --前段 略--
 当然のように、このような政治家が国民に理解されることは稀である。剛腕などと云われ、嫌われる。「災害があればいち早く現地に駆けつける」という動きの良さもないので、不可解である。ポピュリズムとは対極にある。
 この種の政治家は、国民からの人気がないばかりではない。既得権益といった旧弊にとらわれないので、官僚からも嫌われる。おまけに要領が悪いゆえ、エンタメ(メディア)に貢献するところなく、嫌われる。
 国民(検審)・官僚・メディアから嫌われれば、行き着く先は決まっていよう。かくて小沢一郎氏は、地元から帰京すれば、10日、11日の裁判(東京地裁 公判)が待っている。被告人質問である。
 東日本大震災という未曽有の苦難のなかで、この国はかくも、有為な政治家の手足を縛った。
 ところで、ここからは余談になるので後日に稿を改めたいと思うが、昨年より深く憂慮している一事がある。4月にも判決といわれている、小沢一郎さんの裁判である。
 陸山会事件登石郁郎裁判長の判決で思い知らされたが、裁判長には裁判長で、縛りがかけられているということだ。登石裁判長の下した判決は、郷原信郎氏のような専門家は無論のこと、私のような素人がみても、おかしな判決だった。なぜ、このような恥ずべき判決文を書かなければならなかったのか。まかり通ったのか。
 新藤宗幸氏はその著『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕(岩波新書)の中で、次のようにいう。
“司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。
 裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
 政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。 ”
 ここでも“官僚”である。上の文脈によれば、小沢氏裁判で「無罪」と書いて大善文男裁判長個人に利するところがあるか。無い(だろう)。地方の簡裁か家庭裁判所へ飛ばされるのがオチであろう。
 前田元検事は「主任検事から『この件は特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢をあげられなければ特捜の負けだ』といわれた」と証言している。裁判所にとって、被告人に利するか、はたまた長く利益を分かち合ってきた検察との仲を保つかを天秤にかけるなら、答えは歴然としていよう。
 そのことは、検察と一体となり走狗となって「小沢 クロ」と書いてきたメディアとっても同様である。ここで「小沢 無罪」が出たなら、メディアは、どう書けばいいのか。
 ことほど左様に、司法には司法の事情があり、裁判所と検察には判検(一体)の、検察とメディアには検察とメディアの、それぞれ譲れぬ事情がある。
 深く憂慮に堪えない。小沢氏無罪は、難しい。 ◆小沢一郎氏 裁判/大善文男裁判長は将来が約束されたエリート判事 登石郁郎裁判長以上に体制寄り2011-10-06 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 小沢初公判 検察を痛烈批判「国家権力の乱用」「裁判打ち切れ」 傍聴希望者2146人が長い列
日刊ゲンダイ2011年10月6日
 小沢一郎・民主党元代表(69)と司法権力との最後の闘いが始まった。政治資金規正法違反罪に問われた小沢の初公判が6日、東京地裁(大善文男裁判長)で行われ、小沢は罪状認否で起訴内容を全面否認し、無罪を主張。その後、約10分間にわたって意見陳述を行い、検察の捜査のあり方を「国家権力の乱用」と痛烈に批判した。
 小沢は午前9時半前、東京地裁に歩いて入った。SP数人に先導され、9人の弁護士に囲まれながら、ゆっくりとした足取りで法廷に向かった。
 初公判は10時に始まった。検察官役の指定弁護士が起訴内容を読み上げた後、小沢は罪状認否で「指定弁護士が述べたような事実はありません」と述べ、起訴内容を全面否認した。
 ハイライトは罪状認否に続く意見陳述。小沢は「検察官の違法な捜査で得られた供述を唯一の証拠としており、直ちに打ち切るべきだ」と主張。「証拠もないのに特定の政治家を狙ったことは、国家権力の乱用で、法治国家では許されない」と検察の捜査を強く批判、全面対決の姿勢を見せつけた。
 続いて弁護側も意見陳述を行い、「虚偽記載はなく、元秘書との相談や、指示もなかった」と無罪を主張した。
 公判では、石川知裕衆院議員(38)=1審有罪、控訴=ら元秘書3人との共謀が最大の争点となる。虚偽記載が成立するかどうかや、起訴が適法かどうかも争われる。
 指定弁護士側は冒頭陳述で、小沢と元秘書との関係について、「重大な問題はすべて小沢被告の指示に従い、独断で事を運ぶことはなかった」と指摘した。
 弁護側は午後に冒頭陳述を行い、元秘書との共謀について、石川らの供述には任意性がないとした上で、「収支報告書の記載はすべて秘書に任せており、把握していなかった」と訴えるとみられる。
 東京地裁前には、朝早くから49の傍聴席を求めて2146人が抽選に並んだ。
<裁くのは体制ベッタリのエリート判事>
 公判を指揮する大善文男裁判長(51)とは、いかなる人物なのか。
 元秘書3人に妄想判決を下した登石郁朗裁判長(57)のように検察寄りで権力ベッタリなのか。
 判事の人間性によっては「民主主義国家では考えられない」判決が出る異常事態を見せつけられた直後だけに気がかりだが、大善裁判長は将来が約束されたエリート判事。登石裁判長以上に体制寄りなのだ。
「裁判官といっても、しょせんは官僚。常に判事同士で出世を争っています。大善裁判長の経歴をみれば出世コースを歩んでいるのは明らか。同期73人の判事の中でも『高裁事務局長』『司法研修所教官』を経験し、東京高裁刑事部の総括(裁判長)を狙える条件をクリアした数少ない判事です」(司法関係者)
<小沢意見陳述 要旨「私を抹殺することが目的」>
 小沢一郎民主党元代表が初公判で述べた意見の要旨は次の通り。
 検察の不当、違法な捜査で取られた調書を根拠に誤った判断がなされた。この裁判は打ち切るべきだ。百歩譲って裁判を続けるとしても、罪に問われるようなことは全くない。国民から何の負託も受けていない捜査機関が国家権力を乱用した。汚点として後世に残る。議会制民主主義を阻害する恐れがある。
 収支報告書の間違いは修正することで処理され、済まされてきているのに、私の団体のみ1年有余にわたり、実質的な犯罪の証拠はないのに強制捜査を受けた。もちろん収賄などの実質的な犯罪は全くない。なぜ私のケースだけ突然、強制捜査されねばならないのか。これでは公正で厳正な権力の執行とは言えない。実質的な犯罪がないと判明した時点で捜査を終結すべきだったのに、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸している。小沢一郎を標的にしたもので、私を抹殺することが目的と推認できる。明白な国家権力の乱用で、到底許されない暴力行為であり、表舞台からの抹殺で残酷なものだ。
 選挙は国民が主権を行使する唯一の機会で、とりわけ2年前の総選挙は戦後初の本格的な政権交代が予想された。そのような時の恣意(しい)的な権力の行使は許されない。国家権力の介入を恐れる政治はもはや民主主義ではなく、戦前の過ちを繰り返すほかない。裁判長、裁判官の見識ある判断をお願いする。
..  ..  ..  ..  ..
〈来栖の独白 2011/10/06〉
 人には「生まれ合わせ」「運」というものがあるのかもしれない、と溜め息をついてしまう。小沢さんは、不運だ。この裁判は、恐らく敗けるだろう。とても勝ち目はない、この裁判長では。
 いま一つ。本件は、検察審査会が決定した強制起訴の第1号だ。検審の決定は、「市民(国民)による決定」を標榜している(事実はそうではないが)。ならば、エリート裁判官がおのが出世を棒に振ってまで小沢氏に肩入れする(「無罪」を与える)とは、考えられない。検審の強制起訴を受けて被告人を有罪とし、検審制度を意義足らしめる。そのポイントにより、大善文男判事は目出度くステージを一段上がるのである。こんなチャンスを棒に振る官僚はいない。
 小沢さんは、よくよく不運だ。恐ろしい国だ、この国は。
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関連:「広島女児殺害事件」司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ2010-08-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 〈来栖の独白 2010/08/07〉
 憲法76条3項は「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と裁判官の職権行使の独立を認めている。が、ここ(当該事件裁判)で私が見たものは、司法制度改革へ舵を切った最高裁に逆らうものは出世の道から外される、という「官僚司法」のありようであった。司法制度改革とは、核心司法、拙速裁判である。最高裁は「当事者が立証しようとしていない点まで立証を促す義務はない」とし、本件の精密な審理を望んで地裁へ差し戻した楢崎康英高裁裁判長を家裁へ転任させている。(↓)
....   ...   ...
光市母子殺害事件(差戻し)・広島女児殺害事件控訴審裁判長だった楢崎康英氏が山口家裁所長・・・ 
〈来栖のつぶやき〉2009/10/14
  家裁とは・・・。しかも、広島家裁ではなく、(広島管区)山口とは。何があったのだろう。60歳ということだが、定年は65歳だ。光市事件差し戻し控訴審・広島女児殺害事件控訴審判決では、メディア・世論に評価されたと私は受け止めていたが。
 追記 2009/10/16Fri.
 本日、広島女児殺害事件上告審判断があった。高裁へ差し戻しということである。
 楢崎さんには、相手が悪かった。裁判員参加という不合理な制度を推進する大本山に立てついたような格好になった。楢崎さんは精密司法(1審へ差戻し)に「死刑」を展望していたのかもしれないが、最高裁の拙速志向(核心司法)とは相容れなかった、ということか。核心司法によって本件のように、今後いのちを得ること(死刑回避)になるのならいいけれど。 
 昨年だったか、東海テレビ「裁判長のお弁当」に登場した元裁判官下澤悦夫さん。若い頃、「青年法律家協会」に所属し、退会・退官勧告に従わなかったので、地方の家裁・簡裁を転々とさせられ、生涯一裁判官で終わった。「そりゃぁ、上に行きたいって気持はありましたよ。だけど・・・」と語っていた。ご自分の信念を曲げてまで・・、ということだろう。清廉な人格でいらっしゃると感服した。
 楢崎さんの場合、高裁刑事部で裁判長まで務めた人である。所長ポストであれ、家裁への異動はどうなのか・・・。存分に腕が振るえるとは思えない。簡裁であっても、同様である。
 「裁判官の独立」につき憲法は“良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束される”と、謳っている。が、新藤宗幸著『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕(岩波新書)の中に、次のような文脈があった。
“司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。
 裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
 政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。 ” ◆小沢氏 初公判 10月6日/大善文男裁判長=極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた2011-08-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 来年4月判決 小沢「無罪」最大の難関は超カタブツ裁判長 日刊ゲンダイ2011年9月10日
 人生初の判断を下せるのか
 検察審査会に強制起訴された民主党の小沢一郎元代表に対する判決が、来年4月下旬に言い渡されることになった。
 司法関係者の間でも「無罪は確実」といわれ、政界をメチャクチャにした不毛な争いにはサッサとケリをつけて欲しいが、心配のタネがある。小沢裁判を担当する東京地裁の大善文男裁判長2 件(51)の存在だ。
 大善裁判長は1986年任官。東京地裁を皮切りに名古屋地裁、高松地裁、広島高裁の判事を経て、昨年4月に東京地裁刑事11部の総括判事となったベテランだが、司法界では「堅物判事」として有名だ。刑事事件が専門のある弁護士は「無罪判決を一度も出したことがないのでは」と言うほど、極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた。
 被告人が「無罪」を主張しようが、お構いなし。淡々と実刑判決を言い渡す。全面無罪を主張する小沢にとっては、ちょっと厄介な裁判長なのだ。
 大善裁判長のクールさが如実に表れたのは、昨年6月の裁判員裁判。都内で起きた2件の強盗事件を巡り、強盗致傷罪に問われた被告の事件への関与が争われたケースである。
「被告は、実行犯で知人の男に『強盗を指示した』として逮捕されたが、捜査段階から一貫して容疑を否認。唯一の証拠は『指示された』という実行犯の供述だけでしたが、その実行犯が公判の過程で『実は自分ひとりでやった』と供述を翻したのです。実行犯の捜査段階での供述と公判での証言のどちらが信用できるのか。判断の難しいケースですが、大善裁判長はアッサリと『捜査段階の供述の方が具体的かつ詳細に状況を述べている』と検察側の主張を支持。被告を『否認を続け、反省の態度が全く見られない』と断罪し、懲役9年の実刑判決を言い渡したのです」(司法記者)
 小沢の元秘書3人の裁判では、検察調書の大半が「任意性」を否定され、証拠として採用されなかったが、大善裁判長の手にかかると、どう転ぶか分からない。
 来月スタートの裁判で、カタブツ判事は小沢に“人生初”の無罪判決を言い渡すのか。常識的な司法判断を期待したい。 ◆検察はメディアに「金丸悪玉」イメージを流させ/小沢一郎氏は「裁判で検察と徹底抗戦すべし」と進言した2012-01-13
田中良紹の「国会探検」
政治家の金銭感覚

 強制起訴された小沢一郎氏の裁判でヤマ場とされた被告人質問が終った。法廷でのやり取りを報道で知る限り、検察官役の指定弁護士は何を聞き出したいのかが分からないほど同じ質問を繰り返し、検察が作り上げたストーリーを証明する事は出来なかった。
 検察が起訴できないと判断したものを、新たな事実もないのに強制起訴したのだから当たり前と言えば当たり前である。もし検察が起訴していれば検察は捜査能力のなさを裁判で露呈する結果になったと私は思う。従って検察審査会の強制起訴は、検察にとって自らが打撃を受ける事なく小沢一郎氏を被告にし、政治的打撃を与える方法であった。
 ところがこの裁判で証人となった取調べ検事は、証拠を改竄していた事を認めたため、強制起訴そのものの正当性が問われる事になった。語るに落ちるとはこの事である。いずれにせよこの事件を画策した側は「見込み」が外れた事によって収拾の仕方を考えざるを得なくなった。もはや有罪か無罪かではない。小沢氏の道義的?責任を追及するしかなくなった。
 そう思って見ていると、権力の操り人形が思った通りの報道を始めた。小沢氏が法廷で「記憶にない」を繰り返した事を強調し、犯罪者がシラを切り通したという印象を国民に与える一方、有識者に「市民とかけ離れた異様な金銭感覚」などと言わせて小沢氏の「金権ぶり」を批判した。
 しかし「記憶にない」ものは「記憶にない」と言うしかない。繰り返したのは検察官役の指定弁護士が同じ質問を何度も繰り返したからである。そして私は政治家の金銭感覚を問題にする「市民感覚」とやらに辟易とした。政治家に対して「庶民と同じ金銭感覚を持て」と要求する国民が世界中にいるだろうか。オバマやプーチンや胡錦濤は国民から庶民的金銭感覚を期待されているのか?
 政治家の仕事は、国民が納めた税金を無駄にしないよう官僚を監督指導し、国民生活を上向かせる政策を考え、謀略渦巻く国際社会から国民を守る備えをする事である。そのため政治家は独自の情報網を構築し、絶えず情報を収集分析して対応策を講じなければならない。一人では出来ない。そのためには人と金が要る。金のない政治家は官僚の情報に頼るしかなく情報で官僚にコントロールされる。官僚主導の政治が続く原因の一つは、「政治とカネ」の批判を恐れて集金を自粛する政治家がいる事である。
 今月から始まったアメリカ大統領選挙は集金能力の戦いである。多くの金を集めた者が大統領の座を射止める。オバマはヒラリーより金を集めたから大統領になれた。そう言うと「清貧」好きな日本のメディアは「オバマの金は個人献金だ」と大嘘を言う。オバマが集めたのは圧倒的に企業献金で、中でも金融機関からの献金で大統領になれた。オバマは150億円を越す巨額の資金を選挙に投入したが、目的は自分を多くの国民に知ってもらうためである。そうやって国民の心を一つにして未来に向かう。これがアメリカ大統領選挙でありアメリカ民主主義である。政治が市民の金銭感覚とかけ離れて一体何が悪いのか。
 スケールは小さいが日本の政治家も20名程度の従業員を抱える企業経営者と同程度の金を動かす必要はある。グループを束ねる実力者ともなれば10億や20億の金を持っていてもおかしくない。それが国民の代表として行政権力や外国の勢力と戦う力になる。その力を削ごうとするのは国民が自分で自分の首を絞める行為だと私は思う。
 日本の選挙制度はアメリカと同じで個人を売り込む選挙だから金がかかる。それを悪いと言うから官僚主義が民主主義に優先する。それでも金のかからない選挙が良ければイギリス型の選挙制度を導入すれば良い。本物のマニフェスト選挙をやれば個人を売り込む必要はなく、ポスターも選挙事務所も街宣車も不要になる。「候補者は豚でも良い」と言われる選挙が実現する。いずれそちらに移行するにせよ今の日本はアメリカ型の選挙なのだから金がかかるのをおかしいと言う方がおかしい。
 ところで陸山会事件を見ていると1992年の東京佐川急便事件を思い出す。金丸自民党副総裁が東京佐川急便から5億円の裏献金を貰ったとして検察が捜査に乗り出した。捜査の結果、献金は「金丸個人」ではなく「政治団体」へのもので参議院選挙用の陣中見舞いである事が分かった。しかも既に時効になっていた。要するに検察が描いたストーリーは間違っていた。
 ところが検察はメディアを使って「金丸悪玉」イメージを流した後で振り上げた拳を下ろせなかった。しかし金丸氏を起訴して裁判になれば大恥をかくのは検察である。検察は窮地に立たされた。そこで検察は取引を要求した。略式起訴の罰金刑を条件に、検察のストーリー通りに献金の宛先を「金丸個人」にし、献金の時期も時効にならないよう変更しろと迫った。「拒否すれば派閥の政治家事務所を次々家宅捜索する」と言って脅した。その時、小沢一郎氏は「裁判で検察と徹底抗戦すべし」と進言した。法務大臣を務めた梶山静六氏は検察との手打ちを薦めた。この対立が自民党分裂のきっかけとなる。
 金丸氏が取引に応じた事で検察は救われた。そして金丸氏は略式起訴の罰金刑になった。しかし何も知らない国民はメディアの「金丸悪玉説」を信じ、余りにも軽い処罰に怒った。怒りは金丸氏よりも検察に向かい、建物にペンキが投げつけられ、検察の威信は地に堕ちた。検察は存亡の危機に立たされ、どうしても金丸氏を逮捕せざるを得なくなった。
 総力を挙げた捜査の結果、翌年に検察は脱税で金丸氏を逮捕した。この脱税容疑にも謎はあるが金丸氏が死亡したため解明されずに終った。世間は検察が「政界のドン」を追い詰め、摘発したように思っているが、当時の検察首脳は「もし小沢一郎氏の主張を取り入れて金丸氏が検察と争う事になっていたら検察は打撃を受けた」と語った。産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏の著書「歪んだ正義」(情報センター出版局)にはそう書かれてある。
 小沢一郎氏は金丸氏に進言したように自らも裁判で検察と徹底抗戦する道を選んだ。検察は土地取引を巡って小沢氏が用立てた4億円の原資に水谷建設から受け取った違法な裏金が含まれているというストーリーを描き、それを隠すために小沢氏が秘書と共謀して政治資金収支報告書に嘘の記載をしたとしている。それを証明する証拠はこれまでのところ石川知裕元秘書の供述調書しかないが、本人は検事に誘導された供述だとしている。
 その供述調書が証拠採用されるかどうかは2月に決まる。その決定は裁判所が行政権力の側か国民主権の側かのリトマス試験紙になる。そして小沢氏に対する道義的?責任追及も民主主義の側か官主主義の側かを教えてくれるリトマス試験紙になる。
投稿者:田中良紹 日時:2012年1月12日 23:53 ◆小沢一郎元代表の「暗黒人民裁判」は、実は「市民感覚=貧民感覚裁判」だった2012年01月12日
 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
 小沢一郎元代表の「暗黒人民裁判」は、1月10日、11日の被告人質問というクライマックスを終えた。
 この裁判の最大の特徴は、大多数の下層民(貧乏人)が、富裕層(金持ち)を裁判にかけて糾弾する構図にあった。
 それは、フランス革命の最中、ダントン、ロベスピエールなどの革命家が王族や富裕層を人民裁判にかけて糾弾し、どんどん有罪判決を下して断頭台に送った姿を彷彿とさせる。
 小沢一郎元代表にとって、「4億円」は、「たかだか4億円」にすぎない。自民党幹事長時代、東京都心の大企業をグルッと回って、20億円〜30億円を平気でかき集めてきていた。
 当時、政治資金規正法には、いまのように厳しい規制条項はなく、政治資金収支報告書も、限りなく大ざっぱに記載するよう選挙管理委員会が指導していたくらいである。
 この意味で、小沢一郎元代表自身が政治資金規正法の改正に関与しているうちに、「大ざっぱ」なことではできなくなったのは事実だ。
 政治資金規正法が厳しくなったのは、1993年5月23日、自民党羽田派44人が離党し、新生党(羽田孜、小沢一郎代表幹事)を結成して以降のことである。
 小沢一郎元代表は、「お金」に恵まれた人である。言い換えれば、「お金」がどんどん集まる運勢を持っている。親の資産はもとより、和子夫人の実家である「福田組」関係から集まる資金、大中小企業はもとより個人、あるいは多種団体からも勝手に資金が集まってくる。このほかにも、創価学会の池田大作名誉会長とは、英国など海外で資金運用をともにしていた時期もある。
ある時、不動産協会の役員が、私にこう明かしていた。
「役員2人で、小沢一郎さんの部屋に政治資金をもって行ったことがある。すると、秘書や事務所の人たちを全員部屋の外に出した。3000万円を入れた紙袋を手渡すと、中味を見ることなく、ただ一言『オッ』と言った。何かお言葉があると思ったが、それだけだったので、拍子抜けしたことがある」
 そのとき私は、
「それは、現金をを受け取ったとか、お礼を言うとか何か会話を交わすと、あとで問題になったとき、お互いに都合悪くなる。不動産協会には、業界団体としての要望をきちんと実現することでお返ししていることだろう」
と解説をしたところ、納得していた。
 この種の「お金」が湯水の如く集まってくるので、小沢一郎元代表本人には、「4億円程度のお金」は、決して大金ではなく、政治闘争、選挙活動の「軍資金」でしかない。私服をこやしてはおらず、ましてや、本人にしてみれば「4億円」の出入り内訳の詳細は、わからなくなっているはずである。つまり、いつ、だれからもらったお金であるかの区別はつかなくなっている。
 本人にも説明できない「お金」であるから、部外の人にわかろうはずもない。
 検事はもとより、今回の「暗黒人民裁判」で検察官役の指定弁護士も、「4億円」の中味について、具体的に不正を証明することも、出入りを証明することもできるわけがない。本人に聞いても、よくわからなくなっているので、説明が二転、三転するのは当然である。
 ということは、この裁判は、限りなく疑いは濃厚でありながら、「疑わしきは、被告人の利益に」という大原則を適用せざるを得ない類のものである。 ◆小沢一郎氏裁判/検察の「小沢許すまじ」の執念に始まり、マスコミを引き連れ、起訴にまで持ち込んだ2012-01-12
 小沢一郎元代表への被告人質問でヤマを越した「陸山会事件」の持つ意味と露呈した刑事司法改革の難しさ
 現代ビジネス「ニュースの深層」2012年01月12日(木)伊藤 博敏
 読まされる方も報道する方も、いささか食傷気味だった「陸山会事件」が、10日、11日の両日、行われた小沢一郎元民主党代表への被告人質問でヤマを越した。
 事件発生から3年が経過、最初は小沢事務所の巨大裏ガネ疑惑を追及していたが、途中で諦め、最後は秘書宅取得資金の4億円が政治資金規正法違反にあたるか否かを問う事件となった。
 小沢一郎という日本を左右する大物政治家の「政治とカネ」に関する事件だけに、意味がないとは言わないが、検察の「小沢許すまじ」といった執念から始まり、マスコミを引き連れ、ようやく起訴にまで持ち込んだという背景を考えれば、「小沢叩き」に与する気が失せる。
 むしろ国民は、検察が主導してきた刑事司法が、特捜検察の制度疲労によって改革の時を迎えているだけに、「陸山会事件」は、その岐路を象徴する事件だと理解すべきではないだろうか。
 実際、「小沢逮捕」にかける検察の執念は異様だった。その"見立て"が間違っていたことは、12月16日、第10回公判で法廷に立った前田恒彦元大阪地検特捜部検事(証拠隠滅罪で実刑確定)が、「私が裁判官なら無罪判決を書く」と述べたことでも明らかだ。
 検察に切られ、地位と身分を失った前田元検事に怖いものはない。前田元検事は、「初日に主任検事から『特捜部と小沢の全面戦争。小沢をあげられなかったら特捜部の負けだ』と言われた」といい、当時、「4億円は複数の企業からもらったという"妄想"を抱く幹部がいた」と、辛辣に批判した。
 つまり、「小沢逮捕ありき」で捜査は進み、裏ガネがあると"妄想"した検察幹部によって、事件が組み立てられていった。「小沢公判」に先立つ「秘書公判」で、検察が水谷建設からの1億円の裏ガネを立証したかったのは、事件に関係はなくとも、「小沢事務所はクロ」と印象付けたかったからだ。
 特捜検察が手がける事件の多くが「強引なシナリオ捜査」で仕掛けられると指摘されてきたが、検察の"身内"がそれを暴露したことになる。
 小沢元代表は、検察には起訴されなかったが、検察審査会に強制起訴された。それは、強引に取られた調書によって審査員に「おかしなカネ集めをする事務所」という意識が刷り込まれていたからだと主張した。
 10月の初公判の「意見陳述」で、「本件が特に許せないのは、国民の負託を受けていない検察が、議会制民主主義を踏みにじり、国民主権を冒涜したことだ。(中略)恣意的な権力行使が許されるなら、民主主義国家とはいえない」と、小沢元代表は検察をののしった。当否はともかく"怒り"は理解できる。
 しかし、だからこそ「検察改革」なのである。取り調べの全面可視化も含め、検察は変わろうとしている。前田元検事が犯した大阪地検特捜部事件と合わせ、東京地検特捜部の「陸山会事件」は、明らかな行き過ぎであり捜査の失敗。その修正は始まっている。
 まず検察は、特捜部が手がける独自捜査を少なくし、「ノルマに縛られない捜査」を目指すことになった。むしろ国税当局、公正取引委員会、証券取引等監視委員会など外部と連動、時には警視庁と組む。
 同時に、有罪率100%を目指し、強引な自白調書を散るような取り調べはしない。調書至上主義からの脱却。また、全面可視化を目指すことも決めており、白黒は法廷でつければいいと考えるようになった。
 その分、有罪率は低下するが、起訴すればほとんど有罪。有罪率99・9%という数字が間違っていたのであって、裁判所は、検察側最終弁論で判決文を書くような"手抜き"が許されなくなる。
 検察が無理をしないということは、裁判所に被告が否認している案件が数多く持ち込まれるということだ。裁判官は、有罪を前提に量刑だけ決めればいいというこれまでの刑事司法から一転、自分の頭で公判資料を読み込み、尋問をし、自ら判断を下さねばならなくなった。
 「陸山会事件」の秘書公判で、東京地裁の登石郁朗裁判長は、特捜部の強引で恣意的な捜査を批判、供述調書の主要部分を認めず、「検察に対立するのか」と、訴訟指揮の評判は悪かった。しかし、「反検察」だったわけではない、裁判所もまた変わろうとしていた。
 それは、検察と"癒着"することで成り立つヤメ検弁護士の世界にも変化をもたらす。ヤメ検と言えば、罪を認めさせる代わりに、保釈を早くし、執行猶予判決を取ることが主な"役割"だった。だが、それは正しい刑事司法の姿ではない。
 争うべきは争う---。そう発想する人権派弁護士への依頼が増え、小沢元代表に就いたのが、冤罪の村木厚子事件で無罪を勝ち取った弘中惇一郎弁護士であるところに、それは表れている。
 司法マスコミもそうである。裁判所にタダ同然で記者クラブを置き、検察と一体となって報じていればいい記事、社内で評価の高い記事が書けていたのだから、検察と一心同体だった。だが、村木事件と小沢事件を経て、ネットジャーナリズムが雑誌ジャーナリズムと連帯、「検察べったりの司法マスコミ」を批判するようになった。
 検察自身が、制度疲労を認め、変革しようとしているのだから、司法マスコミも自立しなくてはならない。かつては考えられないことだが、検察批判、裁判批判が堂々と論じられるようになった。
 そういう意味で、「陸山会事件」は、法曹3者に司法マスコミも加えた刑事司法の関係者が、自立を始めるきっかけとなった事件であり、公判だと位置づけられよう。
 むろん素人を裁判に巻き込む裁判員裁判と合わせ、定着は容易ではない。自立を目指していた秘書公判の登石裁判長は、結局、検察の主張通りの判決を下したし、司法マスコミは横一線で形式犯に過ぎない「陸山会事件」を、微に入り細に入り報じ、「なぜ、いつまでも裁判が続いているのか」という、国民の声には答えていない。
 それだけ刑事司法改革は難しく、検察がすべてのシナリオを描く司法を郷愁する向きもある。だが、回り始めた歯車は元に戻せない。国民も含め、それそれが自分の頭で刑事事件を考えるしかなく、そうすることが、冤罪を生む強引な捜査からの決別になると信じたい。
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