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秋葉原殺傷事件/加藤智大被告 公判結審

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秋葉原殺傷:「今は事件を後悔」加藤被告…公判結審
2011年2月9日 21時22分
 東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件で、殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(28)の第29回公判が9日、東京地裁(村山浩昭裁判長)であり、弁護側は弁論で「責任の重大さを終生考え、苦しみ抜かせることがふさわしい」と死刑回避を求めた。加藤被告は最終陳述で「今は事件を起こすべきでなかったと後悔、反省している。ご遺族と被害者の方に申し訳なく思っています」と短く述べて謝罪し、結審した。
 検察側は前回公判で死刑を求刑している。判決は3月24日に言い渡される。
 村山裁判長は前回公判で、被告に「次回は意見を言う機会があります。自分なりに言いたいことをまとめておいてもよいのではないかと思います」と伝えていた。しかし、この日、発言を求められた加藤被告は最終陳述をわずか十数秒で終えた。裁判長が「いいんですか?」と確認すると「はい」と表情を変えないまま答えた。
 傍聴した被害者の元タクシー運転手、湯浅洋さん(57)は「あまりに淡白であぜんとしている。納得できる真実はひとつも聞けなかった」と怒りを隠せない様子だった。
 弁護側は弁論で「再鑑定が却下され、責任能力の有無は解明されていない。仮に責任能力が認められても死刑を科すべきではない」と主張。▽携帯サイトの掲示板の嫌がらせを原因とする記憶の欠落や身体的変調があり、精神疾患をうかがわせる▽母親の虐待で人格の偏りが生じ、掲示板に依存した。現在は後悔しており更生可能性がある−−といった点を考慮すべきだと述べた。【伊藤直孝、山本将克】
 ◇解説 弁護のあり方、課題残す
 社会を震撼(しんかん)させた通り魔事件の公判は、計42人の証人尋問を経て結審した。理不尽な被害の実態が法廷で明らかになったが、出廷した被害者の精神的負担は極めて大きく、重大事件の審理や弁護のあり方に課題を残したといえる。
 加藤被告は公判で「再発防止のために説明したい」と繰り返し、事件前の出来事や心境を丁寧に説明した。最終陳述を十数秒で終えるなど不可解な行動も残るが、公判を通じ反省を深めつつあるように見える。接見を重ねた弁護団の果たした役割は大きいだろう。
 一方、裁判では被害者9人や現場にいた遺族らが出廷を求められた。事実関係に争いのない事件では、取り調べ段階の供述調書は大半が双方の同意で採用されているのが実態だが、今回は弁護側が犯行状況にかかわる多数の調書の証拠採用に同意しなかったからだ。
 一緒に買い物に来ていた父親(当時74歳)を目の前で殺害された男性は「何十時間も警察官や検察官と面談し調書を作成した。法廷に引きずり出され傷口に塩を塗られた思いだ」と述べた。別の被害男性は事件後に外出できなくなって出廷もできず、検察側が調書の一部を撤回した。
 憲法は被告に反対尋問権を保障している。被告は「記憶がほとんどない」と述べており、弁護側が尋問で事実関係を確認しようとしたのも、被告の正当な権利行使ではある。
 しかし、今回の事件は防犯カメラ映像や写真も多く、状況を全ての被害者に直接確認する必要性が高いとは思えない。弁護側の狙いは必ずしも明確ではなかった。被害者に負担を強いれば国民の理解は得られないだろう。「被害状況が法廷で直接語られると、裁判官に強い処罰感情を印象付ける」と話す弁護士もおり、被告にも不利益をもたらす結果になる。【伊藤直孝】毎日新聞
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秋葉原殺傷事件:加藤智大被告に死刑求刑2011-01-25 
 〈来栖の独白2011-01-25 〉
 検察側は「犯罪史上まれに見る凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業。多数の模倣犯を生み悪影響は計り知れない。命をもって罪を償わせることが正義だ」と述べたそうだ。
 「人間性のかけらもない」「悪魔の所業」とは、極限の形容だ。
 これまでの報道から、公判では検察側証人が列を成した、という印象を私は受けた。この種の事件では、弁護側情状証人は口を開きにくいだろう。
 被告人は「真実を解明することがせめてもの自らの務め」と言い、ありのままに述べている。苦悩の中から、被害者に謝罪の手紙も書き送り、外部との交流も絶って孤独に反省の時を刻んできた。
 動機については「自分の居場所だった掲示板に現れる偽者や荒らし行為をする人に対し、事件を起こすことで『やめてほしい』という気持ちを伝えたかった」と述べ、就労と容姿、交際相手を巡る悩みに基づくものではないと否定した被告人。この供述は保身の故ではないだろう。有利不利を超えた被告人の真実の気持ちであり、「真実を解明」することにあたる。それを否定されたことは、死刑求刑よりも被告人を悲しませたのではないか。加藤被告は罪を悔悟し、とっくに死刑判決を覚悟しているのだから。 
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秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大被告と・・・2010-07-28 
〈来栖の独白2010-07-28
 報道によれば、加藤智大被告は、事件の原因は三つ、だと述べる。〈記事は、中日新聞、毎日新聞から引用〉
「まず、わたしのものの考え方。次が掲示板の嫌がらせ。最後が掲示板だけに依存していたわたしの生活の在り方」である、と。
 加藤被告は以前から「裁判は償いの意味もあるし、犯人として最低限やること。なぜ事件を起こしたのか、真相を明らかにすべく、話せることをすべて話したい。わたしが起こした事件と同じような事件が将来起こらないよう参考になることを話ができたらいい。事件の責任はすべてわたしにあると思う」と自分の裁判に対する姿勢を表明しており、今回の被告人質問への答えも、その趣旨に沿っている。
 事件の直接の原因となったネット掲示板について、「ネット掲示板を使っていた。掲示板でわたしに成り済ます偽者や、荒らし行為や嫌がらせをする人が現れ、事件を起こしたことを報道を通して知ってもらおうと思った。嫌がらせをやめてほしいと言いたかったことが伝わると思った。現実は建前で、掲示板は本音。本音でものが言い合える関係が重要。掲示板は帰る場所。現実で本音でつきあえる人はいなかった。」という被告の風景は、寂しい。
 この事件について、メディアでは、「ネット」や「派遣労働」が、問題として取り上げられた。確かに、そのような問題を当該事件は提起していた。
 だが、私が目を向けずにいられなかったのは、被告の生育環境だった。極々身近では、勝田事件においても、その起きた主たる原因は彼の成育環境にあった。このように言うことは、被告(或は死刑囚)の親を鞭打つことで、哀れであるが、しかし、犯罪の根が生育環境に大きく起因するように私には思えてならない。
 土浦8人殺傷事件公判においても、金川真大被告(=当時)の父親の証言から、同様のことを感じた。金川被告の父親は、息子を「被告人」と呼称して証言している。これは、加藤智大被告の母親と同じである。加藤被告の母親も、尋問で、息子を「被告」と呼称して意見を述べている。以下「7月8日に行った加藤被告の母親に対する証人尋問の要旨」から。  「私は、青森高校を卒業後、地元の金融機関に就職しました。そこで同僚だった被告の父親と知り合い、昭和55年に結婚しました。その後、主婦となり、57年に長男である被告が生まれ、その3歳下に次男が生まれました。その後、62年に夫の職場が五所川原市から青森市に変わり、その年に家を建てました」
 「引っ越してからは、夫が毎日のように酒を飲んで帰るのが遅く、暴れたり、帰宅しないこともあり、私はイライラし、子供たちに八つ当たりすることがたびたびありました」
 「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」
 「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」
 「長男と次男に同じようなことをした記憶がありますが、どちらかというと長男である被告に強く当たりがちだったと思います」
 「私が夫の前で怒ることもありましたが、夫は止めてくれませんでした」
 「私は被告について、物覚えが早くて頭のいい子だと思っていましたが、一方で、あまり言うことを聞かない子だとも思っていました」
 「私は被告に、北海道大学や東北大学を目指してほしいと思っていて、自分と同じ青森高校に行ってほしいと思っていました」
 「被告は小学生のころは反抗するより、泣いていました。中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで被告と口論となり、顔を殴られたことがありました。私はそれ以降、被告とあまり口をきかなくなりました」
 「中学3年のころ、被告がレーサーになりたいと言い出したので、危険だから絶対やめるように言いました。女の子とも交際していたようですが、成績にプラスにならないからやめるように言いました」
 「私は、被告が昔から車が好きだったので、自分で進路を決めて良かったと思いました」
 《加藤被告から平成18年8月に「これから死ぬから後はよろしく」と突然電話がかかってきたという》
 「私は、借金があると言っていたので、私が返してあげるから、必ず帰ってくるように言いました。それと、私が辛くあたったことも原因の一つだと思い、謝るから帰ってきなさいとも言いました」
 「その後、被告は『精神科に行きたい』といいましたが、あまり意味がないと思ったので、そうアドバイスし、結局行きませんでした」
 「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません。被害者や遺族の方には申し訳ないと思いますが、経済的な損害賠償は不可能です。私は被告を見放すことはなく、できる範囲でこたえていきたいです」  このような親子関係をまえに、私は言葉を失う。加藤被告のほうからは、以下のような証言がなされている。(2010/07/27東京地裁 被告人質問から)  【母親との関係】
 わたしは、何か伝えたいときに、言葉で伝えるのではなく、行動で示して周りに分かってもらおうとする。母親からの育てられ方が影響していたと思う。親を恨む気持ちはない。事件を起こすべきではなかったと思うし、後悔している。
 わたしは食べるのが遅かったが、母親に新聞のチラシを床に敷き、その上に食べ物をひっくり返され、食べろと言われた。小学校中学年くらいのとき、何度も。屈辱的だった。
 無理やり勉強させられていた。小学校低学年から「北海道大学工学部に行くように」と言われた。そのため青森高に行くのが当たり前という感じだったが、車関係の仕事をしたいと思っていた。現場に近い勉強がしたい、ペンより工具を持ちたいと。母親に話したことはない。
 中学時代に母親を殴ったことがある。食事中に母親が怒り始めた。ほおをつねったり髪をつかんで頭を揺さぶられたりした。無視すると、ほうきで殴られ、反射的に手が出た。右手のグーで力いっぱい左のほおのあたりを殴った。汚い言葉でののしられた。悲しかった。
 大学進学をやめ、自動車関係の短大に行くことにした。母親にはあきらめられていたと思う。挫折とは思っていない。勉強をしていないからついていけないのは当たり前。短大には失礼だが、無駄な2年。整備士の資格は取るつもりだったが、父親の口座に振り込まれた奨学金を父親が使ったので、アピールとして取ることをやめた。  生育環境・親子関係を事件の起きた主たる要因と観ることに、繰り返すが、私は親御さんへの苛酷を感じる。故宮崎勤死刑囚の父親(親族)の苛酷な晩年に痛ましさを禁じえないけれども、やはり犯罪の因って起きる元が生育環境にあるとの見方を捨てることができない。勝田清孝は、その人生の最後まで、父親にこだわり続けた。面会でも、会話の多くを父親との生活に割いた。子とは、親を慕ってなんと切ないものだろうと思わされた。手記の末尾に次のように述べる。  支離滅裂な拙文ですが、生き恥としての私の生い立ちをかいつまみしたためました。
 被害者の霊に手を合わさずにいられない今の私には、嘘は断じて許されないことを念頭に、すべて直筆致しました。
 とりわけ身勝手な振る舞いでさんざん親不孝を重ねた私は、自分に向けられた父の慈愛を見抜けずに反感ばかり募らせていたことを、実に済まない気持ちでいるのです。確かに父は寄り付き難い存在でしたが、人一倍自己に厳格で、律儀一遍の父でもあったのです。父への悪感情も隠さず数多くしたためましたが、父との確執は私の放逸な行動ゆえ起こるのであって金銭のみならずあらゆる面で苦労をかけ続けた私には、父を憎悪する資格などどこにも見当たらないのです。
 また、公務員になった事を悔やみ、積もり積もった心のわだかまりを吐露すればするほど責任回避と受け取られてしまうのではないかと思いながらも、人生の進路を誤ったという正直な気持ちを切り離して悪業を思い起こすことは、どうしても真意を偽ってお話しするような気がしてならなかったのです。
 「宮崎被告 家族の悲劇  被害者の陰、地獄の日々 父親自殺 改姓 離散・・・」  
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秋葉原殺傷事件 亡くなられた方のご冥福と、傷を負った方の一日も早い回復を、心より祈って(2)
秋葉原殺傷事件 亡くなられた方のご冥福と、傷を負った方の一日も早い回復を心より祈って(1)
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