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再審開始へ動き始めた「袴田事件」だが、長過ぎる拘禁生活に、死刑囚も無罪を信じた元判事も「心神喪失」

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袴田死刑囚DNA型鑑定 静岡地検「必要なら反対せぬ」
中日新聞 静岡 2012年1月19日
 清水市(現静岡市清水区)で1966年、一家4人が殺害された「袴田事件」で、袴田巌死刑囚(75)の弁護団が同死刑囚のDNA型鑑定を求めていることについて、静岡地検の千葉雄一郎次席検事は18日の定例会見で「鑑定が意味のあるものであれば、特に反対する理由はない」と述べた。
  昨年12月に結果が明らかになった犯行時の着衣とされる衣類の鑑定では、袴田死刑囚のDNAは鑑定対象にならなかった。弁護団が推薦した鑑定人の鑑定では、半袖シャツ右肩の血痕から被害者以外の人物のものとみられるDNAが検出された。弁護団は「袴田さんのDNA型と照らし合わせることで、無実がはっきりする」と主張、地裁に昨年12月、同死刑囚のDNA型鑑定を文書で申し入れた。
  会見で千葉次席検事は「昨年12月明らかになった(地検推薦、弁護団推薦の鑑定人による)2件の鑑定結果の検証を踏まえた上で、必要であって意味あることが確認できれば、DNA型鑑定に反対する理由はない」との考えを示した。静岡地裁は今月23日、地検と弁護団との臨時の3者協議を開く。
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再審開始へ動き始めた「袴田事件」だが、長過ぎる拘禁生活に死刑囚も無罪を信じた元判事も「心神喪失」
現代ビジネス 2011年12月15日(木)伊藤 博敏
 またひとつ死刑判決が下された殺人事件が、再審開始へ向けて動き始めた。
  「袴田事件」---静岡県清水市(現静岡市清水区)で、1966年、一家4人が惨殺、逮捕され、自白した袴田巌死刑囚が、公判では無罪を主張したものの通らず、68年9月、静岡地裁で死刑判決。東京高裁で控訴するも棄却、最高裁の上告も棄却され、80年12月、死刑が確定した事件である。
  袴田事件弁護団は、再審を請求するも棄却され、第二次再審請求を行っているが、12月12日、静岡地裁の開示勧告を受けていた静岡地検は、取り調べの録音テープ、公判未提出の供述調書、犯行時の着衣など176点を開示した。これを受けて弁護団は、証拠を精査、再審環境は整いつつある。
  有罪率99・9%を誇る日本の刑事裁判の歪みが、最近、噴出しており、菅家利和さんの再審無罪が決定した「足利事件」では、犯人を作り上げる捜査当局の"無法"が、改めて実証され、同じように冤罪を訴え続ける「袴田事件」が、昨春、映画化されたこともあって、再び注目された。
  「袴田事件」の衝撃は、一審で無罪判決を下した元判事が、「私は袴田死刑囚の無罪を信じていた」と、告白したことである。
  元判事の名は熊本典道氏。判決は3人の判事の合議制で、熊本元判事は無罪を信じていたものの、「2対1」で通らなかったという。だが、良心の呵責に耐えかねて判決の7ヵ月後に退官、弁護士となった。
  その後も「袴田事件」を忘れることができず、独自に警察による証拠を実証調査、「証拠は偽造」とするレポートを袴田事件弁護団に送るなど水面下での"支援"を続け、2007年2月、ついにマスコミの前で「彼は無実だ」と、訴えた。
 『BOX 袴田事件 命とは』と題した映画は、荻原聖人が演じる熊本元判事が主人公となって、「死刑判決」を下した裁判官の苦悩を伝えており、折しも、裁判員制度が導入された時だけに、「あなたなら、死刑といえますか」というキャッチコピーとともに話題となった。
  第一次再審請求に対し、最高裁が特別抗告を棄却したのは08年3月で、申し立てから27年が経過していた。袴田死刑囚は、いつ刑が執行されるかわからない確定死刑囚のために、弁護団は姉・ひで子さんを再審請求人として、08年4月、第二次再審請求を申し立てた。
  本人ではなく、姉が再審請求人となったのは、拘禁症で神経を病んでしまったからである。死刑判決から30年以上。いつ死を迎えるかわからないというストレスは、想像を絶するもので、映画でも新井浩文が演じる袴田死刑囚の病んでいく過程が、説得力ある形で描かれていた。
  支援者のひとりが説明する。
 「死刑判決を受けても、再審請求が静岡地裁で棄却されるまでは、袴田さんは強い意思を持って無罪を主張していました。でも、しだいに病んでいった。それでも元プロボクサーらしく、ボクシング関連の雑誌などには目を走らせていたのですが、今は、すべてに無関心。完全なる心神喪失状態です」
  歳月は残酷である。
  熊本元判事は、現在、75歳の袴田死刑囚より2つ下の73歳だが、昨年あたりから認知症の症状が出始めており、今、症状が重くなってきているという。
  私は、本誌(10年4月8日付け)にこの映画のことを紹介する際、熊本元判事に会っているのだが、当時は、時に認知症状が生じることはあっても、受け答えはハッキリしていたのに、今は、袴田死刑囚と同じく、「心神喪失状態」といっていい。
 「ここ1年で、足腰も含めて、急激に弱りました。第二次再審請求で前向きの動きが出ている話をしても、もう何のことかわからない・・・」(前出の支援者)
  「足利事件」や「村木厚子事件」など冤罪事件の続出もあって、刑事司法の在り方が問われるなかでの「袴田事件」の新たな動きだが、「変わらぬ司法当局」を垣間見せる一幕があった。弁護側が証人尋問を申請した男性に対し、静岡地検が、11月21日、電話で男性を呼び出し、供述調書を作成しようとしたのである。
 検察側の意図は、有利な供述を引き出しておいて、もし再審請求の証人尋問で、異なる内容の供述をしたら、「偽証罪に問う」という脅しだろう。察知した弁護団が即日、裁判所に抗議、地検は呼び出しを撤回した。
  起訴したら有罪に持って行かねばならず、有罪判決は守らなければならない、という検察の"信念"は健在である。それが過去に多くの冤罪事件を生んだことへの反省はない。
  死刑判決から30有余年の歳月は重く、「袴田事件」は、冤罪事件かどうかはもとより、死刑制度そのものと、死刑囚のままで留め置く執行制度の問題点を、浮かび上がらせている。
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元裁判官、再審求め上申書 袴田事件の死刑判決に関与2007-06-26 | 死刑/重刑/生命犯 問題

          

資料を手に、再審請求の経緯を説明する熊本典道元裁判官(中)=25日午前、東京・霞が関の司法クラブで
2007年6月25日 中日新聞夕刊
 静岡県清水市(現静岡市清水区)で一九六六年、みそ製造会社の専務一家四人を殺害したとして死刑判決を受けた元プロボクサー袴田巌死刑囚(71)が再審請求している「袴田事件」で、一審の静岡地裁で死刑判決に関与した元裁判官の熊本典道さん(69)が、再審の開始を求める上申書を作成、二十五日、袴田死刑囚の支援者を通じて、最高裁第二小法廷に提出した。
 死刑判決に関与した元裁判官が、最高裁に再審を求めるのは極めて異例。支援者らは同日午前、東京・隼町の最高裁を訪問。A4判四枚の熊本さんの上申書と再審開始を求める約四千人分の署名を最高裁の担当書記官に手渡した。
 熊本さんは上申書で「公判当初より、無罪の心証を持っていたが、ほかの裁判官を説得できず、主任裁判官として死刑判決を書かざるを得なかった」と経緯を記した上で「袴田さんが今もとらわれているのは断腸の思い。判決言い渡し時のがっくりした様子は忘れられない」と心情を吐露している。
 さらに、「自白調書は臨場感がまったくなかったが、有罪を書かねばならなくなったため、心ならずも妥協して一通だけ採用した」と明かし、「その良心の呵責(かしゃく)に耐えきれずに裁判官を辞めた。少しでも私にできることがあれば、残された年月をかけて償いたい。袴田さんの再審を開始してください」と訴えた。
 熊本さんは袴田事件の第二回公判から左陪席裁判官として審理に加わり、主任を務めた。これまでの証言によると、事件の翌六七年に検察側が犯行時の着衣を変更したことなどから、「罪を認めた自供は合理的な疑いが残る」といったんは無罪判決を起案したという。
 判決を書いた翌六九年に退官。
 今年三月に「合議に加わった他の二人の裁判官が他界した今、自分の心の中で耐えきれなくなった。半分は袴田君、残り半分は自分のために、死ぬまでに言っておきたかった」と無罪の心証を持っていたことを明らかにした。
 評議内容を明らかにしたことについて、熊本さんは、上申書で「評議の秘密は理解しているが、再審の実現には最後のチャンスになると思い、非難を覚悟の上、無罪の心証を公表した」としている。

袴田事件の元裁判官・熊本氏 再審支援へ弁護士再登録を申請2008-01-24 | 死刑/重刑/生命犯 問題 
中日新聞 2008年1月23日
 清水市(現静岡市清水区)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人が殺害された「袴田事件」で、再審請求中の元プロボクサー袴田巌死刑囚(71)に対し、一審・静岡地裁で主任裁判官として死刑判決を起案した熊本典道氏(70)=福岡市=が再審活動を支援するため、弁護士資格の再登録を申請している。近く結論が出る見込み。熊本氏は袴田死刑囚は無罪との心証を明らかにしており「申請が認められれば、一刻も早く身柄を釈放するために働きたい」と話している。
 元裁判官が、かつて裁判を担当した死刑囚の再審活動に弁護士として加わったのは、財田川事件で死刑確定後に再審無罪となった故谷口繁義さんの弁護人の故矢野伊吉氏の例があるが、極めて異例だ。
 熊本氏によると、昨年末、第2東京弁護士会に入会申請と弁護士登録請求書を提出した。同弁護士会が会員弁護士らでつくる資格審査会で請求を認めれば、日本弁護士連合会に上申し、最終的な登録の可否が決まる。熊本氏は健康面に不安を抱えており、こうした点も審査の対象になる。
 熊本氏は袴田事件の一審に左陪席として参加。判決の翌69年に裁判官を辞め、東京や鹿児島で弁護士として活動したが、90年に登録を抹消した。昨年3月、「自白の信用性に疑問を持ち、裁判長らとの合議で無罪を主張したが、退けられた」などと記者会見で告白。6月には再審開始を求める上申書を最高裁に提出した。
 弁護士法には、熊本氏のように自ら廃業した弁護士の再登録について制限はなく、申請から3カ月以内をめどに弁護士会が結論を出すよう求めている。
 熊本氏は昨年7月以降に計3回、東京拘置所を訪れ、袴田死刑囚との面会を求めているが、いずれも拘置所に拒否されている。面会は原則として弁護人や親族らに限られるためだが、再登録が認められると、静岡地裁で死刑判決を下した68年以来の袴田死刑囚との“再会”も実現しそうだ。
 ただ一方で、再審支援者の中には、健康面の問題などから、再審活動への参加に否定的な意見もある。弁護団の西嶋勝彦弁護団長は「協力はありがたいが、死刑判決を出した元裁判官が再審弁護団に加わるというのは適切でないかもしれない。正式に申し出があった時点で検討する」としている。
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小沢一郎氏裁判/検察の「小沢許すまじ」の執念に始まり、マスコミを引き連れ、起訴にまで持ち込んだ2012-01-12
 小沢一郎元代表への被告人質問でヤマを越した「陸山会事件」の持つ意味と露呈した刑事司法改革の難しさ
 現代ビジネス「ニュースの深層」2012年01月12日(木)伊藤 博敏
 読まされる方も報道する方も、いささか食傷気味だった「陸山会事件」が、10日、11日の両日、行われた小沢一郎元民主党代表への被告人質問でヤマを越した。
 事件発生から3年が経過、最初は小沢事務所の巨大裏ガネ疑惑を追及していたが、途中で諦め、最後は秘書宅取得資金の4億円が政治資金規正法違反にあたるか否かを問う事件となった。
 小沢一郎という日本を左右する大物政治家の「政治とカネ」に関する事件だけに、意味がないとは言わないが、検察の「小沢許すまじ」といった執念から始まり、マスコミを引き連れ、ようやく起訴にまで持ち込んだという背景を考えれば、「小沢叩き」に与する気が失せる。
 むしろ国民は、検察が主導してきた刑事司法が、特捜検察の制度疲労によって改革の時を迎えているだけに、「陸山会事件」は、その岐路を象徴する事件だと理解すべきではないだろうか。
 実際、「小沢逮捕」にかける検察の執念は異様だった。その"見立て"が間違っていたことは、12月16日、第10回公判で法廷に立った前田恒彦元大阪地検特捜部検事(証拠隠滅罪で実刑確定)が、「私が裁判官なら無罪判決を書く」と述べたことでも明らかだ。
 検察に切られ、地位と身分を失った前田元検事に怖いものはない。前田元検事は、「初日に主任検事から『特捜部と小沢の全面戦争。小沢をあげられなかったら特捜部の負けだ』と言われた」といい、当時、「4億円は複数の企業からもらったという"妄想"を抱く幹部がいた」と、辛辣に批判した。
 つまり、「小沢逮捕ありき」で捜査は進み、裏ガネがあると"妄想"した検察幹部によって、事件が組み立てられていった。「小沢公判」に先立つ「秘書公判」で、検察が水谷建設からの1億円の裏ガネを立証したかったのは、事件に関係はなくとも、「小沢事務所はクロ」と印象付けたかったからだ。
 特捜検察が手がける事件の多くが「強引なシナリオ捜査」で仕掛けられると指摘されてきたが、検察の"身内"がそれを暴露したことになる。
 小沢元代表は、検察には起訴されなかったが、検察審査会に強制起訴された。それは、強引に取られた調書によって審査員に「おかしなカネ集めをする事務所」という意識が刷り込まれていたからだと主張した。
 10月の初公判の「意見陳述」で、「本件が特に許せないのは、国民の負託を受けていない検察が、議会制民主主義を踏みにじり、国民主権を冒涜したことだ。(中略)恣意的な権力行使が許されるなら、民主主義国家とはいえない」と、小沢元代表は検察をののしった。当否はともかく"怒り"は理解できる。
 しかし、だからこそ「検察改革」なのである。取り調べの全面可視化も含め、検察は変わろうとしている。前田元検事が犯した大阪地検特捜部事件と合わせ、東京地検特捜部の「陸山会事件」は、明らかな行き過ぎであり捜査の失敗。その修正は始まっている。
 まず検察は、特捜部が手がける独自捜査を少なくし、「ノルマに縛られない捜査」を目指すことになった。むしろ国税当局、公正取引委員会、証券取引等監視委員会など外部と連動、時には警視庁と組む。
 同時に、有罪率100%を目指し、強引な自白調書を散るような取り調べはしない。調書至上主義からの脱却。また、全面可視化を目指すことも決めており、白黒は法廷でつければいいと考えるようになった。
 その分、有罪率は低下するが、起訴すればほとんど有罪。有罪率99・9%という数字が間違っていたのであって、裁判所は、検察側最終弁論で判決文を書くような"手抜き"が許されなくなる。
 検察が無理をしないということは、裁判所に被告が否認している案件が数多く持ち込まれるということだ。裁判官は、有罪を前提に量刑だけ決めればいいというこれまでの刑事司法から一転、自分の頭で公判資料を読み込み、尋問をし、自ら判断を下さねばならなくなった。
 「陸山会事件」の秘書公判で、東京地裁の登石郁朗裁判長は、特捜部の強引で恣意的な捜査を批判、供述調書の主要部分を認めず、「検察に対立するのか」と、訴訟指揮の評判は悪かった。しかし、「反検察」だったわけではない、裁判所もまた変わろうとしていた。
 それは、検察と"癒着"することで成り立つヤメ検弁護士の世界にも変化をもたらす。ヤメ検と言えば、罪を認めさせる代わりに、保釈を早くし、執行猶予判決を取ることが主な"役割"だった。だが、それは正しい刑事司法の姿ではない。
 争うべきは争う---。そう発想する人権派弁護士への依頼が増え、小沢元代表に就いたのが、冤罪の村木厚子事件で無罪を勝ち取った弘中惇一郎弁護士であるところに、それは表れている。
 司法マスコミもそうである。裁判所にタダ同然で記者クラブを置き、検察と一体となって報じていればいい記事、社内で評価の高い記事が書けていたのだから、検察と一心同体だった。だが、村木事件と小沢事件を経て、ネットジャーナリズムが雑誌ジャーナリズムと連帯、「検察べったりの司法マスコミ」を批判するようになった。
 検察自身が、制度疲労を認め、変革しようとしているのだから、司法マスコミも自立しなくてはならない。かつては考えられないことだが、検察批判、裁判批判が堂々と論じられるようになった。
 そういう意味で、「陸山会事件」は、法曹3者に司法マスコミも加えた刑事司法の関係者が、自立を始めるきっかけとなった事件であり、公判だと位置づけられよう。
 むろん素人を裁判に巻き込む裁判員裁判と合わせ、定着は容易ではない。自立を目指していた秘書公判の登石裁判長は、結局、検察の主張通りの判決を下したし、司法マスコミは横一線で形式犯に過ぎない「陸山会事件」を、微に入り細に入り報じ、「なぜ、いつまでも裁判が続いているのか」という、国民の声には答えていない。
 それだけ刑事司法改革は難しく、検察がすべてのシナリオを描く司法を郷愁する向きもある。だが、回り始めた歯車は元に戻せない。国民も含め、それそれが自分の頭で刑事事件を考えるしかなく、そうすることが、冤罪を生む強引な捜査からの決別になると信じたい。


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