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報復感情に駆られたコメントを、「ジャーナリスト」の肩書で紹介するメディア

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「自由報道協会賞」小沢氏受賞に異論続出 「選考不備」で仕切り直し
J-CASTニュース2012/1/26 16:58
  記者会見のいわゆる「オープン化」を目指して活動している自由報道協会が設けた賞をめぐり、会の内外から異論が噴出している。いくつかある部門のうちひとつに、「報じられる側」であるはずの民主党の小沢一郎元代表の受賞が決まっていたことが、その原因だ。協会側は、選考に不備があったとして、一度発表した受賞者を取り下げることになった。
■江川紹子さん「退会する連絡だん」
   賞は、協会の発足1周年を記念したもので、「取材、報道、評論活動などを通じてジャーナリストとして顕著な業績をあげ、ジャーナリズムの信用と権威を高めた個人・団体・および作品等を顕彰する」ことが目的。公募の上、最終投票の対象になるノミネート作品が2012年1月25日未明に発表された。「大賞」「3.11賞」「報道賞」「マイクロジャーナリズム賞」「自由賞」の5部門で、それぞれ6〜9作品がノミネートされウェブ上の投票が始まったが、その直後に異論が出た。「記者会見賞」については、いきなり小沢一郎氏の受賞が発表されたからだ。その理由は、「自由報道協会が2011年に開催した67回の記者会見のうち、最多の6回、ゲストスピーカーとして登壇し、当協会の活動に大いに寄与した。また、『取材』『報道』を目的とする者であるならば誰もが参加できるオープンな記者会見システムへ理解を示し、言論の自由のために著しい貢献をした」というものだった。   これに対して、ジャーナリストの江川紹子さんは、深夜3時40分過ぎ、「自由報道協会を退会する連絡だん」とツイート、協会から距離を置く姿勢を示した。なお、「だん」とは「done=完了」の意味だ。その理由として、同日夕方に出演したTOKYO FMの「タイムライン」で、「ある組織が賞を出すということは、その組織の価値観が色濃く反映されると思う。色々な価値観があっていいと思うが、『自分の価値観とどこまで合うのか』というところがあった。度量の大きい人は色々なところが(受け)入れられるのかも知れない。私は器が小さいのかなと思うが、『自分がいる場所ではないかも知れないな』というようなことを思った」と、価値観の違いがあったことを明かした。
■小沢氏については「協会賞とは別に顕彰したい」
   また、「3.11賞」には、北海道警の裏金問題を追及したことで知られるジャーナリストの高田昌幸さんが編集に携わったインタビュー集「@Fukushima 私たちの望むものは」(産学社)もノミネートされていた。だが、高田さんはブログで「小沢氏の政治姿勢や小沢氏の事件に関する検察の姿勢などに関係なく、報道する側へのアワードと一緒に、通常は報道される側の権力者が並び立つことに強い違和感を感じております」
 と、ノミネートの辞退を申し出たことを明かした。また、「協会賞」に、原口一博・元総務相がノミネートされていたことも「違和感を増長させた」とした。
   これを受け、協会は対応を協議し、1月26日15時半頃、「選考不備による『記者会見賞』の協議延期を決定しました」と発表。受賞者の確定をいったん取り下げるとした。ただし、小沢氏については「当協会発足前からのご理解とご支援に感謝して、すべての協会賞とは別に顕彰したい」としている。
   なお、「記者会見賞」以外の部門でのウェブ投票は1月26日24時まで受け付けており、1月27日19時から授賞式が行われる。

 J-CASTニュース 御中

2012年1月26日

記事訂正のお願い

前略

2012年1月26日配信のJ-CASTニュースについて(2012/1/26 16:58 配信記事)。

http://www.j-cast.com/2012/01/26120160.html?p=all

当協会会員(現時点)の江川紹子氏が小沢一郎氏、もしくは記者会見賞を事由に、当協会への退会届を提出したという事実はございません。速やかに訂正を願います。

草々 

                                                                                 社団法人自由報道協会 

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
2012-01-26 
 平野貞夫氏は、何故、登石裁判長を「訴追請求」したのか?ーー「ネット論壇進化論(2)」。
 平野貞夫氏が、小沢一郎秘書3名に、前代未聞、荒唐無稽な有罪判決を下した「ミスター推認」、こと登石郁朗裁判官を「訴追請求」したことについて、オウム事件報道で売り出したテレビジャーナリスト某女史(江川詔子?)が、「ツィッター」に批判的な書き込みをしたという。それに、平野氏が反論している。僕は、論壇やジャーナリズムの世界には「味方のふりをした敵・・・」が溢れていると思っているが、某女史もまたそういう「味方のふりをした敵・・・」の一人ではないかと思っている。彼らの仕事場、つまり主戦場はテレビや新聞、週刊誌・・・といった「マスゴミ論壇」である。「小沢一郎問題」がマスゴミ論壇でホットな話題になると専門家気取りで、小沢擁護的な発言を繰り返すが、不利と判断すると潮時を見てあっさり裏切り、切り捨てる。そういう連中は、小沢問題など本当は関心がなく、自分がジャーナリズムで主役として「売れる」ことを狙っているだけの人たちである。平野氏は、以下のメルマガにこう書いている、・・・「私が、1月12日(木)に、東京地方裁判所の登石裁判官の、「訴追請求状」を提出したところ、『サンデー毎日』と『日刊ゲンダイ』が報道してくれた。ネットでは多数の方々から声援をいただいた。ネットでの議論は民主主義国家の司法のあり方をめぐって、真剣な意見が交換されているが、巨大メディアは無視を決め込んでいる。これからの情報社会では「ネット・メディア」が世の中を動かす予感がしてならない。」・・・。同感である。マスゴミは、「小沢一郎問題」も「小沢一郎裁判」も、その本質について、まともに報道していない。出来ないのである。興味本位で面白おかしく報道するだけである。「マスゴミ」と呼ばれる所以である。
 言うまでもなく平野貞夫氏は「マスゴミ論壇」の人ではない。著書、雑誌、対談、テレビ出演などマスゴミの世界に登場することも少なくないが、決してマスゴミ論壇を生活の場にしている人でも言論闘争の主戦場にしている人でもはない。それゆえ、マスゴミの同調圧力も情報工作も恐れてはいない。メルマガ配信を頻繁に続けている平野氏も、その意味で、植草一秀氏や天木直人氏と同様に、マスコミよりもネット論壇に軸足を置いている人である。マスゴミでの「売文」や「お喋り」を生活の糧とする某女史と平野氏の差異は、そこにある。むろん、「マスゴミでの「売文」や「お喋り」を生活の糧とする」ことを批判するつもりはない。しかし、そういう連中の言説や論評は、いかに客観的に見えようとも、どことなく信用できないと言いたいだけである。(続く)

小沢氏裁判/平野貞夫「登石裁判官の訴追請求状を提出したところ、ある有識者から厳しい批判があった」2012-01-26 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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森達也オフィシャルウェブサイト 
No.145(2012.1.1)
  年末から風邪をひいて、ずっと臥せっていた。仕方がないのでテレビをかなり見た。本当に劣化を実感する。特にバラエティ。あの笑い声とか驚く声とか、本当に必要なのだろうか。 加算しないことには視聴率が伸びないことは、かつて僕もさんざん体験した。 悔しいが減算すれば視聴者はチャンネルを変える。でも今のこの状況は、あまりに加算について億面がなさすぎる。
  オウムの平田信容疑者が出頭したことについて江川詔子氏が1日朝のフジテレビで、「年明けにも執行されるかもしれないという教祖の死刑がですね、かなり遅れるという、 そういう意味を持つと思います」とコメントしている(引用ママ)。
  そこまで殺したいのかと嘆息すると同時に、彼女はオウムに襲撃された被害者でもあり、坂本弁護士一家殺害事件については遺族的な心情も持つ当事者なのだから、これほどの憎悪もある意味で仕方がないのだろうとは思う。問題の根源は、報復感情に駆られた当事者的な感情を吐露する彼女のコメントを、「ジャーナリスト」の肩書で紹介するメディアなのだ。
  他にも弁護士とか漫画家とか、襲撃された被害者でありながら、そのコメントがその肩書とともに消費された人は大勢いた。その帰結として被害者感情が全国民レベルで共有された。こうしてオウム以降、厳罰化が激しく進行し、麻原法廷は一審だけで死刑が確定するという異常な事態になった(多くの人は異常とは認識していないけれど)。
  裁判がまともに行われないのだから、麻原がなぜサリンを撒けと命じたのか、その動機や理由がわからない。だからこそ不安や恐怖が刺激される。だから善悪二元化が進行し、厳罰化はさらに促進される。・・・こうして負のらせん構造に、1995年以降のこの国は陥った。
  平田は長官狙撃事件など、いくつかの謎のカギを握るキーパーソンの可能性があると言われている(僕はその可能性は薄いとは思うけれど)。ならばじっくりと取り調べて裁判を適正に行うことは当たり前だ。それは彼らのためではなく、僕らのためなのだ。 *強調(太字・着色)は来栖
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@amneris84Shoko Egawa
考えてもみて下さい。死刑制度を廃止するということは、オウムの松本智津夫のように、自分を信じて集ってきた者たちを使って、自らの野望を満たすために多くの人々を殺傷し、その後も弟子のせいにしたりして全く反省をする気もない人を、国民の税金で何十年もお世話して差し上げるということなんですよ
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獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました/拘禁反応によって昏迷状態に陥っている2011-11-30 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書2006年8月17日第1刷発行
p145〜
 獄中の麻原彰晃に接見して
 2006年2月24日の午後1時、私は葛飾区小菅にある東京拘置所の接見室にいました。強化プラスチックの衝立をはさみ、私と向かい合う形で車椅子に座っていたのは、松本智津夫被告人、かつてオウム真理教の教祖として1万人を超える信者を率い、27人の死者と5千5百人以上の重軽傷者を出し、13の事件で罪を問われている男です。
p146〜
 04年2月に1審で死刑の判決がくだり、弁護側は即時、控訴。しかし、それから2年間、「被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない」と松本被告人の精神異常を理由に控訴趣意書を提出しなかったため、裁判はストップしたままでした。被告の控訴能力の有無を最大の争点と考える弁護団としては、趣意書を提出すれば訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうと恐れたのです。それに対し東京高裁は、精神科医の西山詮に精神鑑定を依頼。その鑑定の結果を踏まえ、控訴を棄却して裁判を打ち切るか、審議を続行するかという判断を下す予定でした。2月20日、高裁に提出された精神状態鑑定書の見解は、被告は「偽痴呆性の無言状態」にあり、「訴訟能力は失っていない」というもの。24日に私が拘置所を訪れたのは、松本被告人の弁護団から、被告人に直接会ったうえで西山の鑑定結果について検証してほしいと依頼されたためです。
 逮捕されてから11年。目の前にいる男の姿は、麻原彰晃の名で知られていたころとはまるで違っていました。トレードマークだった蓬髪はスポーツ刈りになり、髭もすっかり剃ってあります。その顔は、表情が削ぎ落とされてしまったかのようで、目鼻がついているというだけの虚ろなものでした。灰色の作務衣のような囚衣のズボンがやけに膨らんでいるのは、おむつのせいでした。
「松本智津夫さん、今日はお医者さんを連れてきましたよ」
 私の左隣に座った弁護士が話しかけ、接見がはじまりましたが、相変わらず無表情。まったく反応がありません。視覚障害でほとんど見えないという右目は固く閉じられたままで、視力が残っている左目もときどき白目が見えるぐらいにしか開かない。口もとは力なくゆるみ、唇のあいだから下の前歯と歯茎が覗いています。
 重力に抵抗する力さえ失ったように見える顔とは対照的に、右手と左手はせわしなく動いていました。太腿、ふくらはぎ、胸、後頭部、腹、首・・・身体のあちこちを行ったり来たり、よく疲れないものだと呆れるぐらい接見のないだ中、ものすごい勢いでさすり続けているのです。
「あなたほどの宗教家が、後世に言葉を残さずにこのまま断罪されてしまうのは惜しいことだと思います」
「あなたは大きな教団の長になって、たくさんの弟子がいるのに、どうしてそういう子供っぽい態度をとっているんですか」
 何を話しかけても無反応なので、持ち上げてみたり、けなしてみたり、いろいろ試してみましたが、こちらの言うことが聞こえている様子すらありません。その一方で、ブツブツと何やらずっとつぶやいている。耳を澄ましてもはっきりとは聞こえませんでしたが、意味のある言葉でないのは確かです。表情が変わったのは、2度、ニタ〜という感じで笑ったときだけ。しかし、これも私が投げた言葉とは無関係で、面談の様子を筆記している看守に向かい、意味なく笑ってみせたものでした。
 接見を許された時間は、わずか30分。残り10分になったところで、私は相変わらず目をつぶっている松本被告人の顔の真ん前でいきなり、両手を思いっきり打ち鳴らしたのです。バーンという大きな音が8畳ほどのがらんとした接見室いっぱいに響き渡り、メモをとっていた看守と私の隣の弁護士がビクッと身体を震わせました。接見室の奥にあるドアの向こう側、廊下に立って警備をしていた看守までが、何事かと驚いてガラス窓から覗いたほどです。それでも松本被告人だけはビクリともせず、何事もなかったかのように平然としている。数分後にもう1度やってみましたが、やはり彼だけが無反応でした。これは間違いなく拘禁反応によって昏迷状態におちいっている。そう診断し、弁護団が高裁に提出する意見書には、さらに「現段階では訴訟能力なし。治療すべきである」と書き添えたのです。
 拘禁反応というのは、刑務所など強制的に自由を阻害された環境下で見られる反応で、ノイローゼの一種。プライバシーなどというものがいっさい認められず、狭い独房に閉じ込められている囚人たち、とくに死刑になるのではという不安を抱えた重罪犯は、そのストレスからしばしば心身に異常をきたします。
 たとえば、第1章で紹介したような爆発反応。ネズミを追いつめていくと、最後にキーッと飛びあがって暴れます。同じように、人間もどうにもならない状況に追い込まれると、原始反射といってエクスプロージョン(爆発)し、理性を麻痺させ動物的な状態に自分を変えてしまうことがあるのです。暴れまわって器物を壊したり、裸になって大便を顔や体に塗りつけ奇声をあげたり、ガラスの破片や爪で身体中をひっかいたり・・・。私が知っているなかで1番すさまじかったのは、自分の歯で自分の腕を剥いでいくものでした。血まみれになったその囚人は、その血を壁に塗りつけながら荒れ狂っていたのです。
 かと思うと、擬死反射といって死んだようになってしまう人もいます。蛙のなかには、触っているうちにまったく動かなくなるのがいるでしょう。突っつこうが何しようがビクともしないから、死んじゃったのかと思って放っておくと、またのそのそと動き出す。それと同じで、ぜんぜん動かなくなってしまうんです。たいていは短時間から数日で治りますが、まれに1年も2年も続くケースもありました。
 あるいはまた、仮性痴呆とも呼ばれるガンゼル症候群におちいって幼児のようになってしまい、こちらの質問にちょっとずれた答えを返し続ける者、ヒステリー性の麻痺発作を起こす者。そして松本被告人のように昏迷状態におちいる者もいます。
 昏迷というのは、昏睡の前段階にある状態。昏睡や擬死反射と違って起きて動きはするけれど、注射をしたとしても反応はありません。昏迷状態におちいったある死刑囚は、話すどころか食べることすらしませんでした。そこで鼻から胃にチューブを通して高カロリー剤を入れる鼻腔栄養を行ったところ、しばらくすると口からピューッと全部吐いてしまった。まるで噴水のように、吐いたものが天井に達するほどの勢いで、です。入れるたびに吐くので、しかたなく注射に切り替えましたが、注射だとどうしても栄養不足になる。結局、衰弱がひどくなったため、一時、執行停止処分とし、精神病院に入院させました。
 このように、昏迷状態におちいっても周囲に対して不愉快なことをしてしまう例が、しばしば見られます。ただ、それは無意識の行為であり、病気のふりをしている詐病ではありません。松本被告人も詐病ではない、と自信を持って断言します。たった30分の接見でわかるのかと疑う方もいらっしゃるでしょうが、かつて私は東京拘置所の医務部技官でした。拘置所に勤める精神科医の仕事の7割は、刑の執行停止や待遇のいい病舎入りを狙って病気のふりをする囚人の嘘や演技を見抜くことです。なかには、自分の大便を顔や身体に塗りたくって精神病を装う者もいますが、慣れてくれば本物かどうかきっちり見分けられる。詐病か拘禁反応か、それともより深刻な精神病なのかを、鑑別、診断するのが、私の専門だったのです。
 松本被告人に関しては、会ってすぐ詐病ではないとわかりました。拘禁反応におちいった囚人を、私はこれまで76人見てきましたが、そのうち4例が松本被告人とそっくりの症状を呈していた。サリン事件の前に彼が書いた文章や発言などから推理するに、松本被告人は、自分が空想したことが事実であると思いこんで区別がつかなくなる空想虚言タイプだと思います。最初は嘘で、口から出まかせを言うんだけれど、何度も同じことを話しているうちに、それを自分でも真実だと完全に信じてしまう。そういう偏りのある性格の人ほど拘禁反応を起こしやすいんです。
 まして松本被告人の場合、隔離された独房であるだけでなく、両隣の房にも誰も入っていない。また、私が勤めていたころと違って、改築された東京拘置所では窓から外を見ることができません。運動の時間に外に出られたとしても、空が見えないようになっている。そんな極度に密閉された空間に孤独のまま放置されているわけですから、拘禁反応が表れるのも当然ともいえます。接見中、松本被告人とはいっさいコミュニケーションをとれませんでしたが、それは彼が病気のふりをしていたからではありません。私と話したくなかったからでもない。人とコミュニケーションを取れるような状態にないからなのです。(〜p151)
 「死刑にして終わり」にしないことが、次なる悪魔を防ぐ
 しかるに、前出の西山医師による鑑定書を読むと、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性の無言状態にある〉と書かれている。偽痴呆性というのは、脳の変化をともなわない知的レベルの低下のこと。言語は理解しており、言葉によるコミュニケーションが可能な状態です。西山医師は松本被告に3回接見していますが、3回とも意味のあるコミュニケーションは取れませんでした。それなのにどうして、偽痴呆性と判断したのでしょうか。また、拘禁反応と拘禁精神病は違うものであるにもかかわらず、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく〉と、あたかも同じ病気で片や病状が軽く、片や重いと受けとれるような書き方をしてしまっている。
 鑑定書には、さらに驚くべき記述がありました。松本被告人は独房内でみずからズボン、おむつカバー、おむつを下げ、頻繁にマスターベーションをするようになっていたというのです。05年4月には接見室でも自慰を行い、弁護人の前で射精にまで至っている。その後も接見室で同様の行為を繰り返し、8月には面会に来た自分の娘たちの前でもマスターベーションにふけったそうです。松本被告人と言葉によるコミュニケーションがまったく取れなかったと書き、このような奇行の数々が列挙してあるというのに、なぜか西山医師は唐突に〈訴訟をする能力は失っていない〉と結論づけており、そういう結論に至った根拠はいっさい示していない。失礼ながら私には、早く松本被告人を断罪したいという結論を急いでいる裁判官や検事に迎合し、その意に沿って書かれた鑑定書としか思えませんでした。
 地下鉄サリン事件から11年もの歳月が流れているのですから、結論を急ぎたい気持ちはわかります。被害者や遺族、関係者をはじめ、速やかな裁判の終結と松本被告人の断罪を望んでいる人も多いでしょう。死刑になれば、被害者にとっての報復にはなるかもしれません。しかし、20世紀末の日本を揺るがせた一連の事件の首謀者が、なぜ多くの若者をマインド・コントロールに引き込んだのかは不明のままになるでしょう。
 オウム真理教の事件については、私も非常に興味があったため裁判記録にはすべて目を通し、できるだけ傍聴にも行きました。松本被告人は、おそらく1審の途中から拘禁ノイローゼになっていたと思われます。もっと早い時期に治療していれば、これほど症状が悪化することはなかったはずだし、治療したうえで裁判を再開していたなら10年もの月日が無駄に流れることもなかったでしょう。それが残念でなりません。
 拘禁反応自体は、そのときの症状は激烈であっても、環境を変えればわりとすぐ治る病気です。先ほど紹介した高カロリー剤を天井まで吐いていた囚人も、精神病院に移ると1カ月で好転しました。ムシャムシャ食べるようになったという報告を受けて間もなく、今度は元気になりすぎて病院から逃げてしまった。すぐに捕まって、拘置所に戻ってきましたが。
 松本被告人の場合も、劇的に回復する可能性が高いと思います。彼の場合は逃亡されたらそれこそたいへんですから、病院の治療は難しいでしょうが、拘置所内でほかの拘留者たちと交流させるだけでもいい。そうして外部の空気にあててやれば、半年、いやもっと早く治るかもしれません。実際、大阪拘置所で死刑囚を集団で食事させるなどしたところ、拘禁反応がかなり消えたという前例もあるのです。(〜p153)
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2011/01/27 Fri.
 江川紹子氏について、わずかの記事を挙げてみた。私見は、
>問題の根源は、報復感情に駆られた当事者的な感情を吐露する彼女のコメントを、「ジャーナリスト」の肩書で紹介するメディアなのだ。
 に、近い。彼女はとりたてて識見を有しているわけではなく、どこにでもいるフツーの「おばさん」の「感性」でモノを言っているにすぎないだろう。ま、それが、ツイッターのツイッターたる所以か。


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