なし崩しを狙うムラ仲間 原発再稼働問題
論壇時評 金子 勝 2012/01/2263Thu.中日新聞
関西電力自身が行った大飯原発3、4号機のストレステスト(安全評価)を、一般傍聴者を排除して原子力安全・保安院が「打倒」と判断した。業界で数々の「やらせ」問題が暴露されたにもかかわらず、相変わらず原子力ムラの「仲間うち」で再稼働を決めようとしている。
■数字的裏付けなし
佐野真一「『原発を再稼働しないと日本は食っていけない』という“脅し”に我々が対抗できる唯一の武器」(『SAPIO』2月1・8日号)は、「『原発なくして現在の生活は成り立たない』などという脅し文句を彼らが用いる時、一度でも数字的裏付けが示されたことがあるだろうか」と問う。事実、現状でどのくらいの原発が必要か、根拠となる数字は政府から何も示されていない。福島第1原発事故を踏まえて、どの原発が最も危険で、どの原発が相対的に「安全」かを判断する基準も示されていない。
添田孝史「全原発54基総点検」(『新潮45』2月号)は、「再稼働しないほうがいい原子炉」について「(1)78年の耐震指針(旧指針)が出来る前に作られたもの(旧旧世代原発)、およびマーク?型格納容器のもの(2)耐震安全性に問題があるもの(3)3基以上の原子炉が集中しているところ(4)組織に問題があるところ」の「4条件」で検討。添田によれば(1)の旧旧世代原発「旧指針が出来るまえに安全審査」を終えた原発で、「全国の原発54基のうち半分弱にあたる25基」。福島第1原発1〜3号機もそうだ。(2)では活断層の存在が問題になる。最も危険性が高いのは中部電力浜岡原発で「直下で起きる地震の規模(M8クラス)、その確率(30年以内に87%)ともずば抜けて」おり、四国電力伊方原発も危ないという。(3)では、米国は「65か所の原発に計104基の商用原子炉があるが、1つの原発に原子炉は最大3基までしかない」という。実際、福島第1原発事故では「要員は複数プラントの緊急対応をするには不足していた」。(4)では東京電力と九州電力の組織体質をあげる。
結局「比較的問題が少ないのは新設も含め9基。それに加え、(2)や(4)で課題を検証中の炉が12基残った。これら以外の稼働は危険が大きい」と述べ「2011年の夏もっとも多くの電力を使った8月10日、原発は15基が稼働していた。厳しい節電を積み重ねた成果ではあるが、54基もいらない」と主張する。
〈中段 略〉
故高木仁三郎は大腸癌の闘病中に書いた遺著『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書)の中でこう記した。「根本の問題をおきざりにした日本の原子力行政は、もっとひどいところにくのではないか。最悪の事故のようなものが避けられないかもしれない。とんでもない事態が起こっているようで、かけ値なしの恐怖感が私にはあるのです」。なし崩しの原発再稼働は避けなければならない。もう一度、同じような事故を起せば、この国は終わるのだから。
(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)
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◆高木仁三郎という希望2011-07-07 | 地震/原発
「高木仁三郎という希望」中里英章
2011/6/22 中日新聞夕刊
"市民科学"思想の温かさ
3・11の原発震災後、高木仁三郎さんの著書を新装版として出版しました。『チェルノブイリ原発事故』『食卓にあがった放射能』『反原発、出前します』の三冊ですが、20年も前に出版されたとは思うないほど、みずみずしい文章が語りかけてくるのに驚かされました。
高木さんとであったのは1969年のことです。この年、大学闘争が盛んで国立大学2校で入試がなかったので、東京都立大学の化学科に進んだのですが、そこへ高木さんが新任の助教授として赴任してきたのです。31歳の気鋭の科学者でした。師と呼ぶには若く、兄貴のようでした。当時の教官と学生は、一緒にデモもすれば集会にも参加し、議論は対等(のつもり)にやっていました。
1971年3月のある夜、高木さんの家へ向かうバスの座席に二人並んで座っていました。この頃、成田空港建設のための第1次強制執行が行われていて、連日たくさんの逮捕者を出していました。私は三里塚現地の闘争に参加するのを躊躇していましたが、時期が煮詰まってきたので、高木さんの研究室で相談しました。そして、「三里塚へ行きます。逮捕は覚悟です」と、やっとのことで言いました。すると「もう少し話さないか。今夜、家にお出でよ」といってくれたのです。
「逮捕なんか覚悟すると、だいたい逮捕されるんだよね」。さすがに兄貴のいうことには、説得力があります。「でもね、自分が楽になる方を選んじゃいけないね。苦しくなる方へ進むと道がひらけるんじゃないかな」。ほかに何を話したかよく覚えていませんが、夜道を走るバスの中の会話は鮮明に記憶に残っています。その言葉通り、高木さんは、72年に三里塚の岩山大鉄塔ができた後、ドイツのマックス・プランク核物理研究所へ留学。帰国後、都立大学を辞したのです。そして、原子力資料情報室の世話人となり、原子力推進を根源的に批判し、「平和で持続的な未来」を展望する“市民科学”という思想に至りました。その思想を伝えるのが原子力資料情報室のほか、高木学校と高木仁三郎市民科学基金です。
1987年に『あきらめから希望へ』(花崎皋平との対論)を出版しました。社会は重苦しい雰囲気に包まれていました。未曾有の大災害となったチェルノブイリ原発事故から一年を経ていましたが、ヨーロッパやウクライナの悲惨な被害の実態が次々に報じられていたからです。日本でも、ジェット気流にのって飛んできた放射能で食品が汚染されるなど、原発を推進する側にも反対する側にもやりきれない気持ちがただよっていました。日比谷公園に二万人もの人々が集まった脱原発大集会は翌年です。
そうした状況のなかで、市民からの問い合わせや事故の原因究明に忙殺されながら、高木さんは次のような発言をしています。原発技術者や体制内に蔓延する「組織されたあきらめ」を批判したあとに、「私は、あきらめに対置して『希望をこそ組織しよう』と言いたい。かのパンドラの箱にひとつだけ残っていたのは希望で、ギリシャ神話によれば、それこそが私たちを生かし続けて来たものだった。かの技術者は『甘い』というだろう。だが、『冷めたあきらめ』より『甘い希望』を選ぶしかあるまい」(「朝日新聞」1987年4月23日)。
2000年10月8日、道半ばでガンで倒れたのは残念なことでした。高木仁三郎について語るとき、透明なあたたかさを感じるのは希望を抱くからではないでしょうか。
(なかざと・ひであき=編集者、七つ森書館代表)
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◆「右」からの脱原発デモ/非常時にイデオロギーは要らない/山河を守るという民族派の原点2011-07-31 | 地震/原発
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島根原発:2号機が定検入り 松江市長「安全対策クリアを」 /島根
中国電力島根原発2号機(松江市鹿島町片句)は27日、定期検査(定検)に入った。中国電によると26日午後7時から出力を下げ、27日午前1時に発電を停止。午前6時に原子炉も停止した。定検終了時期は「未定」としている。同原発1号機はすでに定検中で、中国電の原発はすべて運転を停止した。【曽根田和久、目野創、加藤小夜】
全国の商業用原子炉は54基で、現在稼働するのは、北海道電力泊3号機(北海道泊村)、東京電力柏崎刈羽6号機(新潟県柏崎市)、関西電力高浜3号機(福井県高浜町)の計3基のみ。高浜3号機は2月20日、柏崎刈羽6号機は3月下旬、泊3号機は4月下旬にも定検に入る予定だ。
広島市の中国電中央給電指令所では、電力の需給状況を示した「系統監視盤」を社員数人が確認。原子力の発電量を示す数字は27日午前0時半ごろ10万キロワットを下回り、同1時ちょうどゼロに。直後、2号機の発電停止を知らせる連絡が入った。
取材に対し松浦正敬・松江市長は定検後の再稼働について「地元了解を取り付け、(福島事故の)原因を究明した上で、安全対策をクリアすることが必要。それをやらずに市民の支持や理解は得られない」と強調。「市民の間では、原発というより、『政府が本当にやる気があるのか?』という不信感が大きくなっている」と政府を批判。溝口善兵衛知事も、「(再稼働を)国民に説明し、地元の意向や考えをよく聞いて、政府が検討すべきだ」と述べた。
原発に反対する環境NGO「グリーンピースジャパン」(東京都)は、大寒波の中で電力が不足していないことなどから、「中国電は原発の再稼働という危険で無駄な努力はやめるべきだ」とする声明を発表した。
毎日新聞 2012年1月28日 地方版