安部龍太郎著『等伯』369回
日本経済新聞2012/02/04 Sat.
〈前段 略〉
利休の添え状はひときわ大事に油紙に包んで仕舞ってある。壁画を描いた等伯の労をねぎらい、世上の評判も高いので鼻が高いと満足の意を表したものだ。
そして最後に「これで亡き信長公へ恩返しができた。自分の茶は信長公に仕えたからこそ仕上がったもので、公を失ってからは世を渡る技になってしまった。そのことをかねがね悔やんでいたが、三門が完成したので思い残すことなく身を退くことができる」と記してあった。
これを読めば、利休に僭上の気持などなかったことは明らかである。だが、言われるままに夕姫に渡すのはためらわれた。
「今は世を渡る技と成り果て候」
という一文が、秀吉に仕えるのは不本意だと取られるおそれがあった。
これはそんな意味ではなく、茶の湯は求道の技であるのに、世の雑事にかかずらう機会が多いと嘆いたものだ。
利休が時折口ずさんでいた、
汚さじと思う御法(みのり)のともすれば
世渡る橋となるぞ哀しき
という歌に通じる心境である。
だが近衛前久が秀吉をいさめる時にこの書状を証拠として見せたなら、あるいは石田三成が取り次ぐときにわざと悪意ある解釈をしたなら、かえって秀吉を怒らせることになりかねなかった。
等伯がどうしようかと迷っている間にも、事態は悪化の一途をたどっていた。(以下 略)
安部龍太郎著『等伯』370回
日本経済新聞2012/02/05 Sun.
〈前段 略〉
都でも利休の死罪が決まったという噂が飛び交い、大方の興味は堺で切腹させられるか都で磔にされるかに移っていた。
それにつれて利休の有罪は自明のことだという空気がかもし出されていったのは、石田三成らの巧妙な世論操作による。
そうした噂を耳にするたびに、等伯はじっとしていられない焦燥にかられた。
このまま宗匠を死なせてはならぬ。ここで口を閉ざしているのは、三成に加担するのと同じことだ。そう思うものの、利休の添え状を夕姫に渡す決心はつかなかった。
もしこれを悪用されたなら、自分ばかりか長谷川一門が破滅する。そんな懸念をぬぐい去れないのだった。
ある夜、等伯は夢を見た。
利休と二人で三条河原の土壇場に引き据えられ、首を打たれようとしている。等伯は恐怖のあまり、自分は利休とは無縁だと口走っていた。
安部龍太郎著『等伯』371回
日本経済新聞2012/02/06 Mon.
「さようか。ならばこの利休めが、お前をそそのかしたのだな」
検屍役の石田三成が、利休は有罪だと証言すれば助けてやると誘いをかけた。白目に血筋の浮いた冷酷な目付きをして、生きていたければ言うことを聞けと迫ってくる。
しかし、大恩ある宗匠を裏切るのはさすがにはばかられる。等伯が進退きわまって黙り込んでいると、
「おおせの通りでございます」
利休が罪を認め、この男は何の関係もないと言った。
「縁もゆかりもない男ゆえ、どうぞお放し下されませ。門外の者に伴をされては迷惑でございます」
その声を聞くなり、等伯ははっと目をさました。
冬だというのにびっしょりと寝汗をかいている。胸には助かったという安堵と利休を裏切った後悔が、重くまとわりついていた。
すでに夜が明けている。戸板の間からさし込む朝の光が、部屋を薄ぼんやりと照らしている。隣の夜具には清子と又四郎が身をよせ合って眠っていた。
二人の安らかな寝顔を見れば、この幸せを壊すわけにはいかないという思いがつのってくる。だがここで何もしなかったなら、夢の中で利休が言ったように門外の者になってしまう。それは絵師の魂を売りわたすのと同じことだ。(後段 略)
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〈来栖の独白〉
日本経済新聞連載の安部龍太郎著『等伯』を毎日、楽しみに読む。すべてに感服させられる。文学の、小説の力、愉しさをくれる。