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前田恒彦被告に懲役1年6月の実刑判決/元検事をスケープゴートにして、国民の目を検察組織から逸らす

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元検事に実刑判決  「個人の犯罪」に矮小化するな
愛媛新聞 社説 2011年04月13日(水)
 大阪地裁は、厚生労働省の元局長が無罪となった文書偽造事件で証拠隠滅罪に問われた大阪地検特捜部の元主任検事の前田恒彦被告に、懲役1年6月の実刑判決を言い渡した。
 「現職の検察官が担当事件の客観証拠の内容を検察官に有利な方向に改変した、わが国の刑事裁判史上例を見ない犯罪」―判決の断罪は、厳しい。押収したフロッピーディスクのデータを、事件の見立てに合わないからと勝手に改ざんした前田被告の行為はもちろん、到底許されるものではない。
 法と証拠に忠実であらねばならない検察官が証拠改ざんという犯罪行為に手を染め、刑事司法への国民の信頼を根幹から揺るがした罪は重い。被告は控訴しない方針と伝えられるが、まずは妥当な判決と言えるだろう。
 しかし、事件を機に検察の体質に厳しい目が注がれ、法相の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」が生まれ、一時は組織の解体まで議論された経緯を考えれば、個人の資質の問題として矮小(わいしょう)化すべきでないことは明らか。検察関係者は、前田被告への判決が出ても「まだ何も終わっていない」ことを肝に銘じ、組織全体のうみを出し切って真相究明に努めてもらいたい。
 今回、被告は起訴内容を全面的に認め、争わなかった。「関係者のみなさまに申し訳ない。検察の伝統を私の行為が破壊した」「(上司を)できればかばいたい」など、内向きの発言も目立ち、反省の方向性に疑問を感じざるを得なかったが、審理は2回にとどまり、詳細な動機や背景も語られることなく、スピード結審した。
 一個人の裁判として見れば不自然とまでは言えない。しかし、一番知りたかった「今回のようなずさんな、違法な取り調べが組織的に常態化していたのではないのか」という疑問は、何も解明されないまま。身内の論理で幕引きを急いだ感は否めない。
 最高検は今回の裁判で、改ざん後に当時の上司2人が、改ざんを故意から過失にすり替え隠蔽(いんぺい)したと主張したが、判決は隠蔽の有無には触れなかった。検察組織のあり方や捜査手法について言及がなかったのも物足りない。上司2人は犯人隠避罪で起訴されたが、今後、最高検と徹底抗戦する構え。この「後半戦」も注視する必要がある。
 江田五月法相は、先週新たに、特捜部が取り扱う事件で取り調べ全過程の録音・録画(可視化)試行を指示した。最高検が既に自ら示した「部分可視化試行」を不十分と退けた形。「検討会議」の提言も含め、検察は真摯(しんし)に耳を傾けるべきだろう。今回の判決は、改革・再生のラストチャンスかもしれない。
村木厚子さんの事件:前田検事をスケープゴートにして、国民の目を検察組織そのものから逸らすという計略2010-09-24 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 〈来栖の独白〉2010-09-24 
 厚労省村木厚子さんの事件で、フロッピーデスクのデータが検察によって改竄されていたという報道に接したとき直感的に感じたのは、いみじくも新恭(あらた・きょう)さんと全く同様に「前田検事をスケープゴートにして、国民の目を検察組織そのものから逸らすという計略」ということだった。「ロッキード事件以来、検察は供述調書の恣意的作文や、強引で無茶な取り調べを繰り返してき」た。
 国民は、検察官僚の実態に気づくべきだ。村木さんの件だけではない。鈴木宗男氏の事件も、リクルート事件も、石川知裕さんの事件(弁護人・安田好弘氏)も、小沢氏への事情聴取も、特捜の暴走であることに、気づくべきだ。
 検察は、久しく「政治」に介入している。裁判所も然り。最高政治検察庁、最高政治裁判所と堕した。この国の主導権が「政治(国民の代表たる国会議員)」にではなく、官僚に握られてしまった。
 官僚(検察)の走狗となったのが、巨大メディアである。
 「官僚依存から政治主導」「取り調べの全面可視化」「検察庁人事への政治の介入(民間人を検事総長に登用)」「記者クラブの開放」などを謳った小沢一郎氏を、官僚(法務・外務・・・)と巨大メディアがタッグを組んで、葬った。司法が政治に口を出し、牛耳った成果が鳩山政権の終焉であり、漁夫の利を得たのが官僚追従の菅政権であった。
 このままでは検察ファッショの日本となり、亡んでしまう。
 昨年の政権交代から戦われていることは何なのか。
 それは、この国の主人は誰なのか、という闘いである。この国の主人は国民(政治)なのか、官僚なのか、という戦いである。官僚は、霞が関の既得権益を崩壊させる政治家を葬ろう、と死に物狂いでかかってきている。メディアを走狗に、世論を操作した。国民は、しっかり目を凝らして、実相を見なければならない。大本営発表の奥を見なければならない。
 最後に、先ごろ行われた代表選との関連で卑見を少し書いておきたい。
 前田検事のことが報道された日の夕方、最高検次長検事が記者会見した。そして、あっという間に前田検事は逮捕され、事情聴取が始った。「かなり前」に事件を掴んでいないと、最高検にこのような対応は難しいのではなかろうか。「かなり前」というのは、代表選前ということだ。菅側も最高検も代表選前に事件を知っており、朝日と談合して、発表を代表選後(9月21日)にもってきたのではないか。代表選前の発表だと、菅側には致命的だ。「政治とカネ」という切り札が使えない。
 かなり前にこの事件を知っていたからこそ、普段鈍い政府や最高検に、あのような機敏な動きが可能だったのではないか。そう思えて仕方がない。
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朝日のスクープに乗った検察の組織防衛
新 恭  提供:永田町異聞
 BLOGOS2010年09月22日11時01分
 2004年8月に知的障害のある男性を栃木県警が誤認逮捕した事件で、自らの調査報道にもとづいてスクープ記事を書いた記者がいた。下野新聞の板橋洋佳という。
 昨日、朝日新聞の一面、社会面に書き分けられた検察不祥事のスクープ記事に、同姓同名の記者の署名があった。
 筆者は下野新聞に電話をし、板橋記者がすでに退職していることを確認した。
 地方紙や、大手紙の支局勤務をしている優秀な記者を朝日や読売などが即戦力として引き抜くことは、しばしばある。板橋記者は朝日に移ったのだろう。
 昨日のスクープ記事は、「関係者」ではなく、「朝日新聞の取材でわかった」と書いている。
 無罪が確定し、復職する厚労省元局長、村木厚子さんの事件に関して、元部下の上村勉被告宅から押収したフロッピーデスクのデータを、検察側が、その見立てに合うよう改ざんしたというニュースだ。
 板橋記者らは大手情報セキュリティー会社に依頼して、上村被告に返却されたFDを解析してもらったところ、書き換えの事実が分かったという。
 板橋氏はかつて「捜査員にべったり張り付いて得る情報ではなく、権力と対峙して報道していくことに書きがいを感じる」と語っており、彼らしさが発揮された記事といえる。
 これまで検察のお先棒を担いでばかりいた朝日として、少しばかり汚名返上といきたいところだろう。
 しかし、筆者の腑に落ちないのは、この記事が出るやいなや、朝日と示し合わせたかのように、最高検が、しらばっくれた大芝居を打ってきたことだ。
 大阪地検特捜部の主任検事、前田恒彦を、記事が出たその日のうちに逮捕し、最高検が直接、捜査に乗り出して、検証チームも発足させることを早くも発表している。この素早さ、セレモニーのような賑々しさはいったい何なのだろう。
 本来、村木冤罪事件の総責任は最高検が負うべきである。その立場にある者が、その指揮監督のもとで手柄を立てようとした検事を、いっせいに袋叩きにし、一人悪者に仕立て上げようとしているように見える。
 第三者機関に捜査を委ね、最高検の責任も含めて、国民の判断を仰ぐべきではないのか。
 前田検事が私用のパソコンでFDの改ざんをしたという、朝日のスクープは、村木冤罪事件の全責任を前田検事になすりつけ、組織そのものは正常だったと宣伝したい検察に利用されつつあるのではないか。
 検察上層部と朝日の最近の異常な接近は、9月9日の当ブログ「村木判決を前にした朝日の弁解代弁記事二本」で指摘した。これを要約して下記に掲載する。
 (村木事件で)民主党議員の関与を伝えるなど、暴走報道を繰り返した朝日新聞は、一見、検察批判風の記事を昨日、今日と二日続けて掲載した。いずれも、「朝日新聞の取材」に対し、複数の検察幹部が答え、それに基づいて記事にしたという体裁である。
 まず8日の記事。
 「関係者の取り調べの際につけたメモ(備忘録)を廃棄していた大阪地検特捜部の検事の対応が、最高検の通知に反するものだったことがわかった」
 「聴取メモ廃棄 通知違反」と見出しがついているように、この記事はメモの廃棄という、検察の取り調べの根幹にかかわる問題に正面から切り込むことを避け、廃棄が最高検の通知違反であるというニュースに仕立てあげていることがわかる。
 皮肉っぽく言うと、最高検はちゃんと通知していたのだという言い訳を、新聞が代弁しているように見える。最高検の権威を守ると言う前提のもと、取材する側、される側の暗黙の了解で書かれた記事ではないかというのが、筆者の疑うところである。
 9日の記事はこうだ。
 石井一議員への事情聴取を大阪地検特捜部が昨夏の総選挙を理由に遅らせていたことがわかった。この結果、石井議員が口添えをしたとされる日に千葉県のゴルフ場にいたことが、村木被告の起訴後に発覚。特捜部が描いた事件の構図が崩れる一因になった。
 これを起訴前にやっておけば、村木氏の起訴方針を見直すことができたのではないかという記事だと読める。
 すべては総選挙への配慮のせいだと言わんばかりの、見苦しい言い訳の代弁を朝日新聞がやっているというふうに思えるのだが、穿ちすぎだろうか。
 このころから、朝日はさかんに検察の上層部と接触していたことがわかる。もちろん、村木無罪判決を予想して、取材活動をしていたのだが、取材される検察上層部は、いかにして組織を防衛するか、つまり、一部の不心得者のやったことだと逃げる方法を模索していたはずだ。
 そこに、強引な取調べで知られる前田検事のFD改ざんを、朝日が独自取材しているという情報が入り、それに飛びつくことを思いついたのではないか。
 つまり、前田をスケープゴートにして、得意の捜査手法により一人の不埒な検事の悪だくみというシナリオを描くことで、国民の目を検察組織そのものからそらすという計略である。
 村木さんへの不当な捜査は、誰が見ても組織ぐるみだ。前田検事が一人、FDの改ざんをして個人的にどんなメリットがあるというのか。
 大坪弘道特捜部長、林谷浩二検事、国井弘樹検事らは無関係で、前田一人がやったことと逃げられるだろうか。
 予定した筋書きに合わない話はバッサリと切り捨て、意図的に聞き出した断片的な材料を、むりやりつなぎ合わせて、あらかじめ考えた通りの調書を作文し、心理的、肉体的疲労状態に追い込んで、署名を迫る。それが、検察の常套手段だ。
 FD改ざんもその延長線上のものでしかない。取り調べる人間の言葉は好きなように変えて作文してもOKで、フロッピーのデータはダメというのでは道理が通らない。
 何度も書くが、「検察の正義」の象徴であるロッキード事件以来、検察は供述調書の恣意的作文や、強引で無茶な取り調べを繰り返してきているのである。
 その事実を、おおっぴらにせず、検察や警察の発表は「客観」であり、自らの調査報道は「主観」であるとして、もっぱら捜査機関の発表やリークに依存してきたマスメディアの大罪は、いまさら言うまでもない。
 西松建設の献金問題で逮捕された小沢一郎の秘書、大久保隆則の公判で、裁判所は小沢事務所からゼネコン談合への「天の声」があったとする検察主張を退けているが、そのことをどれだけの国民が知っているだろうか。
 そういえば、当の前田検事は大久保秘書の取り調べにあたった検事だった。
 いずれにせよ、最高検は、これを機に「取り調べの全面可視化」を自らが積極的に推進する姿勢を示すべきだ。 トカゲのしっぽ切りでは、誰も納得しないだろう。
・プロフィール
新 恭
 某全国紙の社会部記者として13年活動した後、ファッション業界に転じ、アクセサリーショップ8店舗を運営。
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郵政不正事件〜証拠改竄は組織体質の問題である
佐藤栄佐久公式サイト 2010年9月22日

 村木氏の無罪判決についてのブログ草稿を書いているとき、村木事件の主任検察官によるFD証拠改竄が明らかになったと報道がありました。
 新聞でもテレビでも「信じられない」「ありえない」「検察の信頼は」等のコメント、見出しが躍っていますが、検察と直接対峙した経験のある者としては、全く意外ではなく、さもありなん、というのが正直な思いです。
 見立てに沿わない供述は決して認めず真実とは離れたところで供述を作文するのですから、その延長線上にこのような行為があるのは、十分推察できるところです。
 私の事件では、参考人として呼ばれた多くの人が、たとえ真実を貫こうとしても、逮捕をちらつかせられ、「すぐにでも会社をつぶせるぞ」「嘘でもいいから言え」「作ってでも言え」と恫喝され、深夜まで帰してもらえなかったのは以前のエントリーでも記述した通りです。
 弟は精神的に苛め抜く取調べに耐え兼ね、「検事の意向に沿う証言をした」と自分が認識している17日も前の日付で、「自白調書」が複数存在し、これは一審の法廷でも「掠め取り調書」=捏造自白調書ではないかと争いになりました。
 参考人として呼ばれた友人は、取り調べ検事に「上司に報告しなければならぬので何か一つ悪口を言ってくれ」と懇願されたといいます。
 取り調べを指揮する上司=主任検事/特捜部長が真面目な検事を真実から遠さけているとしか思えません。検察が組織として証拠を捏造し得る証左です。
 ですから、村木氏の、決して「信じ難い」ではなく、「ここまでやるか」という言葉は理解できます。
 あらかじめ決めた結論に向かい、無理やり事実を歪めてつぎはぎし、供述調書を作成していく、検察がそのような手法をとるのは身に染みてわかった。その流れで証拠物にまで手を付けていたのか、という思いです。
 村木氏の一審無罪直後からNHKの「追跡!A to Z」をはじめとして多くのメディアが事件全体を大阪地検のが生んだ取り調べの異常さ、という観点で報じてきました。
 「大阪地検を無くすんじゃないかという話も出ている」とテレビで語る元検事の弁護士の方もいましたが東京地検でも同じことが起こっているという事実を身を以て知っている私としては信じがたい見方です。
 下位組織固有の特殊性に帰結させようとする力が非常に強く働いているのを感じておりました。
 そこで今回の証拠改竄事件が発覚です。夜のニュースでは、前田検事の映像を洪水のように流し、個別のFDディスクデータの改竄手法や意味づけを事細かに報道していました。
 個人と具体性に強くフォーカスすることで、すでに組織の体質という全体像がぼやけはじめています。
 直接の面識はありませんが、前田検事は東京地検が捜査を行った私の事件でも取り調べを行っていました。(一審後、虚偽の証言をしたのは間違いであった、控訴審で真実を述べたいと
 宗像主任弁護士に連絡してきた水谷氏の取調べを担当していました。)
 この点を取り上げるだけでも、決して大阪地検固有の問題ではありません。
 このようなメンタリティを持った検事が高く評価され、「エース」として全国の重要事件の捜査を飛び回り、リーダー的地位を占めている、その事実の指し示す意味は自明です。
 村木氏の無罪は、当然の結果です。当然の結果でありながら幸運な事例であるとも、私は考えています。
 今回の改竄事件の報道を通じ、菅家さんの事件、爪はがし事件など無罪を勝ち取った冤罪事件が例として挙げられていますが、このFDは村木氏の有罪、無罪を左右するほどの力を持つ証拠物であることを考えれば、すでに有罪として確定している事件の中にこそ、本当の悲劇、被害者が隠れているはず、というところまで洞察を働かせる必要があるのではないでしょうか。
 特捜検事をやめた方がテレビに出ることが多くなっています。注意深く聞けばソフトにコメントしている言葉の端々に、検察に連綿と現在も流れている体質の問題点が垣間見えます。
 先日書いた、熊崎勝彦元東京地検特捜部長の「黒を決して逃がすことはあってはならない」という、推定無罪の原則を軽視する言葉もその例ですが、今回も22日の「朝ズバ」で元東京地検特捜副部長 石川達紘氏が、検察内でなぜこのような改竄が起こりうるのか、という文脈の中で「最近は調べられるほうも権利意識が高まっているので、(捜査は)難しい部分もある」とさらりと話していました。
 この言葉は捜査する側にいかに人権意識が希薄であるか、聴取される側が、無知で大人しい相手ならば、供述を得るためには何でもやってよい、と考えていることを間接的に示しているのではないでしょうか。
 その意識こそが、特捜検察の体質、村木氏の事件、そして私の事件をはじめとする無理筋事件の暴走の根となっているような気がいたします。
 検察一体の原則、そのトップである最高検が捜査にあたるそうですが、「前田検事の特殊な犯罪」「大阪地検固有の体質」を断罪して全てが終了しないか、注意深く推移を見守りたいと思います。
  佐藤栄佐久
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拡大する検察権力
安田 戦後の歴史を見ると、ロッキード事件、そしてこれに続く金丸事件で、政府あるいは国会が検察に全く刃向かうことができなくなってしまった。その結果、日本の国家権力で一番強いのが検察になってしまったと思います。そして、その内実は、徹底した保守主義なんですね。
 僕なんかは、検察官に将来なっていく人たちと司法研修所で一緒だったわけですけど、そういう人たちの多くは政治的なんですね。検察官という職業に対して、政治的な意味づけをしている。腐敗した政治や行きすぎた経済を正さなければならない。それができるのは自分たちだけだという感覚を持っている人がわりあい多くて、もっと言ってしまえば、実に小児的であったんです。
 たとえば、ある特捜部長は、就任の際、検察は額に汗をかく人たちのために働かなければならないという趣旨の発言をするんですね。青年将校なのか、風紀委員なのか、実に幼いんです。こういう青年将校的な発想しか持ち合わせない寄せ集めが、今の検察の実態ではないかと思うんです。
 しかもそれがすごく大きな権力を持っているものですから、これは警察と一体となって行っているのですが、対処療法的に次々と治安立法を作り上げていく、たとえばオウム以降、破防法がだめだったら即、団体規制法を作る。あるいはサリン防止法を作る。あるいはその後に少年法を変えていく、内閣に犯罪防止閣僚会議というようなものを作って、刑罰を1、5倍に重刑化して、刑法全体の底上げをやるわけですね。
 彼らは、社会の実態をほとんど知らない、犯罪の原因も知らない、あるいは相対的な価値観や複眼的な視点もない、というのが正しいんでしょうけど、どんどん風紀委員的に対応するんですね。その最たるものが、1997年の死刑事件に関係する連続五件の上告だったと思うんです。あのときに最高検の幹部が談話を発表して、裁判所は腰抜けだということを言うわけです。つまりこのままでいけば、死刑判決を出せる勇気のある裁判官はいなくなると。彼らを鍛え直すために上告をしたというわけです。ところが死刑判決があの時期に減ってきたというのは、社会全体のマインドだったんですね。しかし、そういうものを理解する能力がなくて、彼らには腰抜けと映ったわけです。
 他方、検察は、被害者感情を利用し、それに乗っかって、重罰化を進めてきたんですね。例えば、光事件ですと、検察は少年を死刑にすることを被害者遺族に誓い、そのために共同戦線を張り、1、2審とも無期であったのに、死刑を求めて異例の上告をしたわけでして、検察官そのものが公的な立場から私的なものに転換してしまった。私的というのは個人的という意味よりも、公の大きなことを忘れてしまって些末な価値観の中にしか存在しなくなった、という意味で申し上げているのですが。
 もう一つは、検察は社会的な批判に弱い、言い換えると、社会に迎合して非難をかわすわけです。これは、厳罰化のもう一つの側面だと思います。
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郵便不正事件証拠改ざん 死も考えた前田恒彦被告初公判 「ずっと支えたい」=妻の陳述書  2011-03-15 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
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