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光市事件20日判決 元少年、今の心境/永山基準転倒=とにかく死刑だ、無期にするためにはそれなりの理由

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山口・光市母子殺害事件 判決を前に元少年がFNNの記者との面談で現在の心境など語る
FNNフジニュースネットワーク最終更新: 2012/02/19 06:45
 1999年に、山口・光市で母子を殺害した罪に問われ、死刑を言い渡されている当時18歳の元少年について、20日に最高裁の判決が下される。判決を前に、元少年はFNNの記者との面談に応じ、現在の心境などを語った。
 広島拘置所の接見室で、記者の質問に対し、「僕自身、殺意がなかった。強姦(ごうかん)ではないという主張をしています」と話したのは、1999年の光市母子殺害事件で、殺人などの罪に問われている、犯行当時18歳の元少年。
 現在は、30歳になっている。
 元少年は、面談で「死姦(しかん)というのは、一般的に言われるようなこととは一線を画している。変質者というか、そのような人のみが行う行為を思っていたので、自分は言えませんでした。吉田鑑定書、その中の遺体所見では、『姦淫(かんいん)』とは書いてあるが、『強姦』とは書かれていない。捜査機関が作ったもので、証拠があると言われて認めてしまったけど、事実としては強姦はしていない」と話した。
 元少年は、会社員・本村 洋さんの自宅で、妻・弥生さんの首を絞め、殺害したあとに乱暴した。
 当時生後11カ月だった長女・夕夏ちゃんも、首をひもで絞めて殺害した疑いが持たれている。
 2000年3月、本村 洋さんは「きちんと、犯した罪に対して相当する罰を与えるような判決を下してくれることを信じています」と話していた。
 1・2審ともに無期懲役の判決だったが、2006年、最高裁がそれを破棄した。
 2008年の差し戻し審では、死刑が言い渡され、元少年は上告した。
 その判決が、20日に下される。
 元少年は「僕がどうこう言えるわけではないですが、裁判官の判断で決めるわけですが、厳正な対処を望みます。傷害致死であって、死刑が適用ないなら回避してほしい。素直な思いとしては、怖いと思います」と話した。
 記者の目を見て、落ち着いた丁寧な言葉づかいで答えた元少年。
 2008年の差し戻し審では、これまで犯行事実を認め、謝罪していたにもかかわらず、それを翻し、判決文では、死刑を免れることを企図して、旧供述を翻したうえ、虚偽の弁解を弄(ろう)していると批判された。
 本村 洋さんは「彼も、どこかでこの判決を覚悟していたんじゃないかなというほど、落ち着いた顔だったというふうには、印象を受けました」と話していた。
 死刑判決後、傍聴席の本村さんに対し、頭を下げたことについて、元少年は「ずっと心残りだった。1審、2審含めて、本村さんの方に深く礼をなすことができなかった。僕自身、どこかこだわりがあった。頭を下げたところで、命が戻ってくるわけではないという、変な逡巡(しゅんじゅん)があった」と話した。
 事件から13年。
 3日後に迫った判決の日を、どのように過ごすのかという問いには「落ち着いて受けるしかない。どのような内容であれ、僕自身の不備なので、それを相手のせいにしないで、自分のことを棚に上げて、相手をどうこう言うことは控えたい」と答えた。
 (02/18 01:09 テレビ新広島)
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〈来栖の独白2012/02/19 Sun.〉
>判決文では、死刑を免れることを企図して、・・・と批判された。
 「死刑を免れることを企図して」は、根拠がない。「自分の有利、不利を超えて、真実を明らかにしなければ、真の謝罪にも犯罪の防止にもつながらない」と弁護人は言う。
光市母子殺害事件【死刑判決で弁護団記者会見】(産経ニュース2008.4.22 18:07〜)より抜粋
---1審と控訴審で無期懲役になっていたことを考えると、被告の利益を考えてあえて新供述を出さずに、今までの供述を変えない法廷戦略もあったのでは
安田弁護士:「それは弁護士の職責としてあり得ない。真実を明らかにすることで初めて被告の本当の反省と贖罪(しょくざい)が生み出されると思う。そうすることでようやくこの事件の真相が明らかになる。なぜこの事件が起こったのか。どうすればこういった不幸なことを避けることができるのか。そしてどうすれば被害者の許しを請うことができるのか。戦術的に物事をとめるとか不当に終わらせることは決してやってはいけないことだ」
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13年目の判決:光市母子殺害事件 元少年、揺れる胸中 「厳刑望む」「死刑には反対」
 山口県光市の母子殺害事件で殺人や強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(30)が、20日の差し戻し上告審判決を前に広島拘置所(広島市)で毎日新聞記者の面会に応じた。「事件の真相を認めてもらった上で、(判決が)厳しいものであれば受け入れたい」とした一方、「厳しい刑罰こそ望むが、死はそこで途絶えてしまう」とも語り、生と死の間で揺れる複雑な胸の内を明かした。
  6日、狭い接見室を隔てるアクリル板の向こう側に、黒のタートルネックに灰色の上着姿で元少年が現れた。「なるべく努めて、落ち着いて臨もうと思っています」。00年の1審から数えて5度目となる判決を待つ。
  差し戻し審で殺意を否認した元少年は「検察の主張は事実と異なっている。(最高裁には)証拠をきちんと見て判決を下してほしい」と訴えた。
  記者が元少年の姿を見るのは、差し戻し控訴審の死刑判決(08年4月)以来4年ぶり。肩幅は広くなり、がっしりした体格。髪は短く刈り、ひげを生やしていた。事件時は細身だったが、今は頬骨も張り、たくましさも感じさせる。
  「端的に言えば、悲しかった」。4年前、死刑を言い渡された瞬間をそう振り返る。
  「僕1人の命では、亡くなった2人の命を償えない。未来を取り戻すことはできない」と思うからだ。臓器移植のドナー登録に触れて「1人の命でも、複数の人の命をつなぐことができる」とも話し、「命をなくす死刑には反対」と続けた。
  差し戻し審の法廷では、遺族の本村洋さん(35)と向かい合える自分を目指したい、と述べた。思いは変わらないといい、「等身大の僕を分かってほしい。それでも(本村さんが)極刑を望むなら、裁判所に言われるより受け入れられる」と話す。
  だが「どういうことが償いになるのか教えてほしい」「模索することも反省の一つ」とも言う。法廷で述べた「(被害者のために何をしたいか)見つかっていない」状態から抜け出せない迷いも伝わる。
  本村さんに謝罪の手紙を送った時期もあったが、「手紙には、受け取り手がいますから」といい、送るのを控えている。本村さんはかつて記者会見で「手紙は開封していない」と明かした。
  今は母子の月命日、支援者の手を借り、事件現場に花を供えている。
  約15分間、表情は落ち着き、時折笑顔も見せながら早口が続いた。拘置所の単独室では本を多く読み、筋力づくりにも励んでいるという。
  東日本大震災は拘置所のラジオ放送で知った。支援者と相談し、福島の子どもたちに放射線測定器を贈るための募金に協力した。
  関係者によると、家族の面会は、長い間途絶えている。【大沢瑞季】
 毎日新聞 2012年2月19日 東京朝刊
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元少年への再判断注目 光市母子殺害、差し戻し上告審20日判決
日本経済新聞2012/2/18 20:58
 1999年の山口県光市母子殺害事件で殺人や強姦致死などの罪に問われ、2008年に広島高裁の差し戻し控訴審判決で死刑とされた当時18歳1カ月の元少年(30)の差し戻し上告審判決が、20日午後3時から最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)で言い渡される。
 事件は未成年者への死刑適否をめぐって法廷の内外で幅広い議論を呼んだ。上告が棄却されれば事件から13年近くを経て審理が事実上終結する。
 少年事件の死刑をめぐる最高裁の判断は、94年に大阪など3府県で男性4人が殺害された連続リンチ事件で死刑が確定した元少年3人に対する昨年3月の判決以来。現在ならば裁判員裁判の対象となり、性犯罪に対する厳罰傾向も指摘されるだけに、更生可能性などと併せてどのような判断が示されるか注目される。
 故永山則夫元死刑囚(97年執行)の第1次上告審判決で最高裁が死刑適用基準を示した83年以降、少年事件で死刑が確定したのは永山元死刑囚と、92年に千葉県市川市で一家4人を殺害した当時19歳の元少年(01年確定)、連続リンチ殺人の3人の計5人だけ。死亡被害者2人では例がない。
 審理も異例の経過をたどった。一審山口地裁と差し戻し前の控訴審は年齢や更生可能性などを理由に無期懲役としたが、06年に最高裁が「犯行時の年齢は死刑回避の決定的事情とまではいえない」と破棄。特に酌むべき事情がほかにあるかどうかを審理した差し戻し控訴審は、殺意の有無や犯行態様などで元少年側の主張が大きく変わった点を検討しても「極刑回避の事情はない」とした。
 厳罰を求めてきた遺族の本村洋さん(35)は、今回も判決を傍聴する予定。差し戻し控訴審判決によると、元少年は99年4月14日、本村さん宅で、妻、弥生さん(当時23)の首を手で絞めて殺害し乱暴。長女の夕夏ちゃん(同11カ月)も首をひもで絞めて殺害し、弥生さんの財布を盗んだ。〔共同〕
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「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法
2、光市事件最高裁判決の踏み出したもの

 僕も全く同じ考えを持っています。光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べていますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでしょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
 ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。このように、死刑の適用の是非を、こういう政策的な問題にしてしまうこと自体、最高裁そのものが質的に堕落してしまったというか、機能不全現象を起こしているんですね。ですから第三小法廷の裁判官たちは、被告人を死刑か無期か翻弄することについて、おそらく、何らの精神的な痛痒さえ感じることなく、もっぱら、政治的な必要性、思惑と言っていいのでしょうが、そのようなことから無期を死刑にひっくり返したんだと思います。悪口ばっかりになってしまうんですけど。
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光市事件 差し戻し審 口頭弁論/広島女児殺害事件 司法官僚が行使する「人事権」の絶大な影響力2012-01-24 | 光市母子殺害事件
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光市事件懲戒呼びかけ 橋下知事が逆転勝訴/これでもう、あの種の刑事弁護の引き受け手はいなくなるだろう2011-07-15 | 光市母子殺害事件 
<弁護士懲戒呼びかけ>橋下大阪知事が逆転勝訴 最高裁判決
毎日新聞 7月15日(金)16時25分配信
 橋下徹大阪府知事が知事就任前に出演したテレビ番組で、山口県光市母子殺害事件の被告弁護団に対する懲戒請求を視聴者に呼びかけた発言によって「請求が殺到して業務に支障が出た」として、弁護団のメンバーら4人が橋下氏に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は15日、360万円の支払いを命じた2審判決(09年7月)を破棄し、弁護団側の請求を棄却した。
 最高裁が今年6月に弁論を開いたため、2審判決の見直しが予想されていたが、橋下氏側の逆転勝訴が確定した。
 橋下氏は07年5月、出演した民放番組で、被告少年(事件当時)の殺害動機を「失った母への恋しさからくる母胎回帰」と位置づけた弁護団を批判。「(弁護団を)許せないと思うなら、一斉に弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」などと発言した結果、08年1月までに4人に約2500件の懲戒請求が寄せられた。
 1審の広島地裁判決(08年10月)は「(橋下氏の)発言の一部は名誉毀損(きそん)に当たり、懲戒請求の呼びかけも不法行為になる」と判断して800万円の賠償を命じたが、広島高裁は弁護団批判の部分について「意見や論評の域を出ていない」と名誉毀損の成立を否定し、懲戒請求の呼びかけに限定して賠償を命じていた。【伊藤一郎】最終更新:7月15日(金)17時10分
 ※http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110715165447.pdf
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 〈来栖の独白 2011/07/15〉
 最高裁は橋下氏の発言を「配慮を欠いた軽率な行為」としながらも、懲戒請求の呼びかけによって「被告弁護団側の弁護士業務に多大な支障が生じたとまではいえず、その精神的苦痛が受忍限度を超えるとまでは言い難い」と結論付けた。
 メディアに煽動されネットも一体となって大規模に展開された「私刑」を、精神的苦痛が受忍限度を超えるとまでは言い難い、というのである。これではもはや、あの種の刑事弁護の引き受け手はいなくなるだろう。悪しきポピュリズムが、メディアのみならず法廷をも席巻している。
 どこを見渡しても、プロがいない。法廷にも、政治にも。
 メディア、市民感覚から、痛みが感じられない。テレビ(新聞も)は私刑法廷と化し、他者の痛みを慮るやさしさ、センシティブな気配を窺いようもない。
 生粋の弁護士安田好弘氏は、その著書『死刑弁護人』のなかで、云う。
 “私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。”と。

秋葉原通り魔事件と安田好弘著『死刑弁護人』2008-06-09 | 秋葉原無差別殺傷事件
 安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫
 p3〜
 まえがき
 いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
 それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かもしれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
 どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
 大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
 と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
 それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
 それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし、私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
 麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、私には、それが残念でならない。麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
 事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった、環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情がまったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
 ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
 私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
 麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた。裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
 多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
 この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れしつづけていきたいと思っている。(〜p5)

バッシング渦中の安田好弘弁護士に再び聞く 
被害者の感情に全面的に依拠するという安易なワイドショーの規範 
橋下徹氏による懲戒扇動事件の第一審判決(全文)
..........................................................
光市母子殺害事件差し戻し審  
 「週刊ポスト」2007,8,17・24
 弁護団の依頼により元少年被告人の精神鑑定を行った野田正彰氏(関西学院大学教授・精神科医)の話
 広島拘置所の面会室。透明なアクリル板をはさんで、山口県光市母子殺害事件の被告人Aと私が初めて対面したのは、今年1月29日のことです。
 Aの口調はボソボソと頼りなく、内向的な印象を受けました。感情も表にほとんど現わさない。拘置中に『広辞苑』をすべて読んだというだけあって、難解な言葉も使うのですが、概念をよく理解していない。およそ26歳とはほど遠く、中学生、否、小学生のような印象を最初に抱きました。
 しかし、淡々と話していても、ひとたび父親のことが話題にのぼると、Aは心底怯えた表情を見せる。Aは「捕まったとき、これで父親に殺されなくてすむと思った」とすら語った。それは、父親の暴力がどれほどAの心を傷つけていたのかを物語っていた。
 その日を機に、2月8日、5月16日と、計3回合計360分超に及ぶ面談が始まったのです----。
 ここにきて、Aの主任弁護人である弁護人安田好弘弁護士ら21人の弁護団に対して、脅迫や嫌がらせが続発しています。日弁連や朝日新聞社あてに送られた脅迫文には、弁護人安田氏を「抹殺する」と脅し、銃弾のような金属片まで同封されていたと報じられています。
 安田氏の依頼でAの精神鑑定をした私に対しても、<(野田は)犯人を擁護し、遺族を深く傷つける証言を行った。また、シンポジウムでは遺族本村洋に対し、「社会に謝れ」などの脅迫・侮辱的な暴言を吐いた>などと、まだ公判で証言もしていないのにデマが意図的に流されていた。さらに、勤務先である関西学院大学には、電話やメールで「辞めさせろ」「大学の恥」などの抗議がありました。ネットには、私が死刑廃止論者であるとして、Aの死刑を阻止するために弁護団に協力しているとの書き込みもありました。
 私は精神科医として病気の診断をするのであり、刑の判断は司法が行うものです。
 しかしマスコミ、とりわけテレビは偏向報道で大衆裁判の風潮を煽った。「凶悪犯を弁護するとは何事だ」とばかりに、弁護団を犯人と同一視し、憎悪の感情を扇情的に煽り続けた。
*「父に殺されると思った」
 そもそも、安田弁護士が依頼してきたのには理由があります。
 Aの述べることがよく理解できず、またあまりの幼さに驚いた。その上、家庭裁判所の調査官(3名)による詳細な「少年記録」には「AのIQは正常範囲だが、精神年齢は4,5歳」と書かれていた。
また、生後1年前後で頭部を強く打つなどして、脳に器質的な脆弱性が存在する疑いについて言及していました。
 さらに広島拘置所では、Aに統合失調症の治療に使う向精神薬を長期多量に服用させていました。当惑した弁護団が精神鑑定を求め、裁判所が認めたのです。
 精神鑑定では、Aへの直接面談以外にも、Aの父親、実母方の祖母、実母の妹、Aの友人にも話を聞いています。Aの生育歴、人格形成の経緯を多角的に調べました。結果、私は「Aは事件当時、精神病ではなかった。しかし、精神的発達は極めて遅れており、母親の自殺時点で留まっているところがある」という結論を下しました。
 なぜ、Aには精神的発達の遅れがあったのか。理由を知るためには、Aの幼少期まで遡らねばならない。
 Aは1981年、山口光市で、地元の新日鉄に勤務する父と、母の間に長男として生まれました。2歳年下の弟とともに育てられましたが、家庭は常に「暴力」と「緊張」そして「恐れ」に支配されていました。
 父親は、結婚直後から、母親に恒常的に暴力を振るっていたようです。これは実家の母や妹が外傷を見ています。
 父親から暴力を受け続ける母親の姿は、Aにはどう映っていたのでしょうか。
 Aはやがて、母をかばおうとするようになります。これを契機に、父親の暴力の矛先は押さないAにも向うようになった。「愛する母を助けてあげられない」という無力感にも苛まれる。幼児期、父親に足蹴にされ、冷蔵庫の角で頭を打ち、2日間もの間朦朧としていたこともあったそうです。
 小学校1〜2年生ごろに海水浴に行った際には、一親は、泳げないAが乗ったゴムボートを海の上で転覆させ、故意に溺れさせた。また、小学3〜4年生ごろには、父親に浴槽の上から頭を押さえつけられ、風呂の水に顔を浸けられたといいます。この時、彼は「殺されると思った」と感じている。
 父親の暴力は、些細なことから突然始まるために、Aは、どう対応すればいいのか分からなかった。
 Aが母親を守ろうとすると、父から容赦ない暴行を受け、逆に母親がAを守ろうとすると、父は母に対して暴力を加えた。
「どうしようもなかった、何もできなかった、亀になるしかなかった。僕は守れなかった」
 面接中あまり感情を表現しないAですが、母のことになると無力感に顔を歪めていました。
 このようにAは、常に父親の雰囲気をうかがってびくびくするような環境で育ちました。本来、愛を与えてくれるはずの親から虐待され続けたA。そして、彼の人間関係の取り方、他人との距離の置き方は混乱してゆくのです。
*「母の首つり遺体」の記憶
 父親の暴力に怯える母とAは、ともに被害者同士として、共生関係を持つようになります。
 母親は親族からも遠く離れ、近くに相談相手もおらず孤立した生活を送っていた。その中で、長男のAとの結びつきを深めていった。母親はAに期待し、付っきりで勉強を見た。Aも、母親が自分の面倒を見てくれることが本当にうれしかったと語っています。
 そしてAが小学校の高学年になると、2人の繋がりは親子の境界をあいまいにする。母子相姦的な会話も交わされるようになりました。
 母親から「将来は(母とAとで)結婚して一緒に暮らそう。お前に似た子供ができるといいね」と、言葉をかけられたことがあったといいます。
「母の期待に応えられるかどうか、本当に似た子が生まれるのか不安だった」と、Aは当時の心境を振り返っています。
 Aは私との面談で、母親のことをしばしば妻や恋人であるかのように、下の名前で呼んでいました。それほど母親への愛着は深く、母親が父親の寝室に呼ばれて夜を過ごすと、「狂いそうになるほど辛かった」とも話しています。
 母親は虐待により不安定になり、精神安定剤や睡眠薬にも頼るようになり、自殺未遂を繰り返しました。そして、Aが中学生(12歳)の時に38歳で自殺します。その際、自宅ガレージで首を吊った母親の遺体を、Aは目撃している。
 Aにその時の状況を聞くと、求めてもいないのに詳しい図面を描き始める。それほどその時のショック、精神的な外傷体験は鮮明に記憶されている。Aは「(母親の)腰のあたりがべったり濡れていた。その臭い(自殺時の失禁)も覚えている」と語りました。
 彼はまず、「父親が愛する母を殺したのだ」という念を強くします。これには二重の意味がある。
「父親の虐待で母が死を選んだ」という思い。さらに、父親が第一発見者を祖母から自分へ変えたことから、「父親が直接殺したのではないか」という疑いです。
 母を殺した父を殺そうと包丁を持って、眠っている父のもとに行ったこともあったが、かわいそうで実行できなかったともいっています。弟と2人で殺すことを考えたが、まだ負けると断念したともいっています。
 同時に、Aは「母親を守れなかった」との罪悪感も募らせていった。後追いして自殺しない自分を責めてもいます。
 こうした生育歴と過酷な体験により、Aの精神的発達が極めて遅れた状態になったと考えられる。理不尽な暴力を振るう父親を恐怖し避ける。一方、母親とは性愛的色彩を帯びた相互依存に至った。父親の暴力がいつ始まるか、怯えながらの生活は他人との適切な距離感を育むことを阻害した。Aは、他人との交流を避け、ゲームの世界に内閉していった。
 そして、母親の死の場面は、強烈な精神的外傷としてAの心に刻まれた。この精神的外傷は、以後、何度となく彼の心の内を脅かすこととなりました。
*死刑になれば「弥生さんの夫に」
 検察はAの犯行を、計画を立て、女性だけの家に入り込んで強姦しようとした、としています。ところが、犯行当日、Aはなんとなく友人の家に遊びに行って過ごし、友人が用事があるというので、たまたま家に帰った。そして、何となく時間を潰すために近くのアパートで無作為にピンポンを押していった。そこに、緻密な計画性は認められない。
 たまたまドアを開けた本村弥生さんが、工事用の服を着ていたAを見て、「ご苦労さま」と受け入れた。その時、Aは弥生さんの先に、かつてすべてを受け入れてくれた亡き母を見ていたと考えられるのです。
 弥生さんの抵抗に驚いたAは、殺害に至る。プロレス技のスリーパーホールドで絞めた行為をAは、「ただ、静かにしてもらいたかっただけ」と語っている。殺害後、ペニスを挿入したことについては、母親との思い出がフラッシュバックしたと考えられます。理由は首を絞められた弥生さんが失禁したこと。その異臭で母親の自殺の光景が蘇った。そこで母親と一体になろうとした思いに戻っていったのかもしれません。
 ただし、A本人は、このセックスを「死者を蘇らせる儀式。精液を注げば生き返ると思った」とも主張していますが、これはどうか。当時、本当にそう考えていたかは疑問も残り、後付けの可能性もあります。
 夕夏ちゃんを殺害して、遺体を押し入れの天袋に入れた行為はどうか。本人は、「押入にはドラえもんがいて、何とかしてくれると思った」と話していますが、彼は夕夏ちゃん殺害について私に「思い出せない、分からない」と答えている。ですから、犯行時にドラえもんの存在が思い浮かんだかどうかはわかりませんし、これも後付けの可能性がある。
 ただし、彼が、自分の中に閉じこもり、ファンタジーの世界に生きていたということは事実でしょう。
 また、彼は、自分の母親や弥生さんが死んでしまったこと、死は無であることを認識しているかどうか。「死んでいるが、生きている」と二重の思いを語ります。
「もし僕が死刑になって、先に弥生さん、夕夏ちゃんと一緒になってはいけないのではないか。再会すれば、自分が弥生さんの夫になる可能性があるが、これは本村さんに申し訳ない」と語るA。世間は反省の気持ちもない傲慢な主張と受け取るかもしれませんが、実際の本人は十分に反省する能力もないほど幼稚だからこそ、弁護団でさえ戸惑うようなことを平気でいうのです。
 繰り返しますが、彼は事件当時、統合失調症や、妄想性障害のような精神病ではありません。しかし、精神的発達は母親の自殺の時点で停留しており、18歳以上の人間に対するのと同様に反省を求めても虚しい。本人も混乱するばかりです。さらにいえば、父親の暴力への恐怖、母親への感情を分析していけば、Aの発展を促すことは十分に可能だと考えられる。
 例外なく、殺人は最悪の行為です。しかし、事件は事実に向かって調べられなければならない。精神鑑定は、精神医学に基づいて、多元的に診断されるものです。
 もちろん、妻と1歳にも満たない子どもという最愛の2人が殺されている被害者遺族が、Aへの怒りと憎悪を強めていくことは痛いほど理解できます。
 しかし、その感情をさらに煽るようなマスコミ報道は許されない。
 Aが死刑になるかどうかは、裁判所、司法が決めることです。解明された事実を正しく伝えることが、マスコミの役割ではないか。どのメディアも、犯人憎しの報道で同じ方向を向いて、事実を追う媒体はまったくありません。これは「ジャーナリズムの放棄」を意味するのではないか。
 さらにいえば、Aが苦しんできた家庭内暴力のような不幸な現実に光をあてることも、マスコミの使命ではないか。
 公判の最後、「事件を通して、いったい何を考えなければならないのでしょうか」との問いが投げかけられた。私は「社会は、(Aを)殺せというだけでなく、彼がこれほどの家庭内暴力に対し誰にも助けを求めることができなかったことへの反省はないのでしょうか」と答えた。二度とこのような不幸な事件を繰り返させないためにも、皆が冷静に考えることを望むばかりです。
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光市事件 Sankei WEB 【コラム断 野田正彰】再び宮崎氏に2007-08-20 | 光市母子殺害事件 
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光市事件2月20日判決言渡し/司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ2012-01-31 | 光市母子殺害事件 
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アーカイブ 毎日新聞
光市の母子殺害容疑で、18歳会社員を逮捕(99年4月19日 掲載)
  山口県光市室積沖田の新日鉄沖田アパート、会社員、本村洋さん(23)方で妻弥生さん(23)と長女夕夏ちゃん(11カ月)が他殺体で見つかった事件で、県警の捜査本部は18日、同市内の男性会社員(18)を殺人の疑いで逮捕した。
  調べでは、会社員は14日午後、本村さん方で、弥生さんと夕夏ちゃんの首を絞めて殺した疑い。
  捜査本部は聞き込み捜査などで、事件当日の午後、会社員が本村さん方付近を歩き回っていたとの情報を複数つかみ、18日朝から任意で事情を聴いていた。会社員は容疑を認め「僕は人間として、とても恥ずべきことをした。今は涙が止まらず胸が苦しい」と話しているという。捜査本部は動機などを追及している。
  会社員は3月、高校を卒業し、4月に就職したばかり。事件前日の13日から3日間、会社を休んでいたという。両親らと5人暮らし。
  これまでの調べでは、弥生さんは粘着テープで口を覆われ、両手首をテープで縛られていた。夕夏ちゃんの首には布製のひもが残されていた。金品が盗まれた形跡はない。
  会社員は「粘着テープは自分が持ってきた」と供述しているという。
  容疑者逮捕を聞いた被害者の家族は「捕まったと聞いてほっとしている」と話したという。家族は会社員とは面識はないという。
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