「石川調書不採用」で共謀が立証されない小沢公判で「推認有罪」はあるのか?
現代ビジネス 2012年02月24日(金)伊藤博敏「ニュースの深層」
東京地裁の大善文男裁判長は、政治資金規正法違反(虚偽記入)を問われた小沢一郎民主党元代表の第14回公判で、小沢被告の「虚偽記入への関与」を認めた石川知裕元秘書(現代議士)の供述調書を証拠採用しなかった。
小沢氏は、1月10日と11日に行われた被告人質問で関与を否定、その前に行われた「意見陳述」では、「検察は議会制民主主義を踏みにじり、国民主権を冒涜した」と、ののしった。その強硬な小沢氏を追い詰める唯一の証拠が、「石川調書」だったのだから「不採用」は、有罪判決を受けた石川被告らとの共謀立証を失わせるもので、「無罪判決」の確立が高まった。
既に、政局は「小沢無罪」を織り込んで動いている。だが、果たしてそれでいいのか。「秘書公判」で、同じく調書を証拠採用しなかった登石郁朗裁判長が、「推認有罪」を下した前例がある。これまで、検察の主張通りに有罪判決を出し続けてきたことで知られる大善裁判長が、今回に限って無罪判決を書くことができるのか。
実は、誰にも判断できない。
『読売新聞』は、「共謀立証の柱失う」という解説記事のなかで、検察捜査を批判、「無罪判決」に流れは向かったと書きながら、それでも「確定的とは言えない」と、両論併記を忘れない。それは、いつものマスコミの"保身"ではなく、司法記者も法律の専門家も、状来の経験則では、判決の行方を見極められない時代に入ったことを意味する。誰もが「刑事司法の変化」に揺らいでいる。
実は、「小沢公判」の唯一の"見所"はそこである。「刑事司法」の変化を、専門家も国民も体感できる。
長く「刑事司法」は、プロが裁く世界だった。判事と検事と弁護士の法曹三者は、自分たちだけの言葉が通じる世界で結託、起訴されれば有罪を前提に量刑で綱引き、司法マスコミを広報に使って、一罰百戒効果を狙った。その独善と硬直化に風穴を開けようと司法制度改革は始まったが、「小沢公判」ほど「司法を国民に」というスローガンにふさわしい裁判はない。
予定調和が崩れて、みんなが"みっともなさ"をさらしている。
今回、「石川調書」が不採用となったのは、石川元秘書が再聴取された際、密かにICレコーダーで田代政弘検事とのやりとりを録取、田代検事の「捜査報告書」の虚偽記載が証明されたからだ。
供述証書を有罪立証の決め手とする長年の「調書至上主義」のなかで、検事が供述を強要することは知られていたが、「作文」の実態が公判の場で暴かれることはなかった。
大善裁判長は、「報告書の存在は、検事が公判で説明する石川被告の供述の経緯について深刻な疑いを生じさせた」と述べている。検察捜査には、そのような「強力な威迫や利益誘導があった」といい、だからそれに基づく調書を採用しなかった。
検察捜査の全否定にはびっくりだが、「密かに録取された記録」が認められたのも驚きだった。密室で検事は、捜査権と公訴権を持って被告に立ち向かい、比類なき権力をふるう。「秘密録取」は、その対抗措置として許されるということだろう。
そればかりか田代検事は、公文書を虚偽に作成したとして市民団体に刑事告訴されている。検察官はもはや刑事司法の場で「絶対の存在」ではない。裁判官に叱られ、被告にチクられ、市民に告訴される身である。
検事だけではない。裁判官もまた、その判決をめぐって批判される。
登石裁判長がその典型だろう。
「秘書公判」で登石裁判長は、特捜部の強引で恣意的な捜査を批判、供述調書の大半を認めなかった。
その訴訟指揮は「反検察」で、「我々にケンカを売っているようだった」と、受け取る検事もいたが、結局、判決は有罪。それも、供述調書を採用しなかったのだから判決文は「推認」だらけで、「ミスター推認」と呼ばれたほどだ。
そればかりか平野貞夫元参議院議員は、「疑わしきは有罪」とする登石裁判長の適格性に問題があるとして、「裁判官訴追委員会」に訴追請求状を提出した。
判決前の大善裁判長は、まだ批判にさらされているわけではない。だが、ネット雑誌や夕刊紙上には、その経歴と過去の判例が書かれ、「検察側の筋書きに"お墨付き"を与え、無罪判決は書かないエリート裁判官」(『日刊ゲンダイ』)といった批判を受けている。つまり衆人環視にさらされている。
検事も判事もアンタッチャブルではない。「市民目線」で監視され、批判される。また、「完全可視化」が果たされていない状況なので、被告は「秘密録取」も含めて反撃を許されている。
「陸山会事件」は、検察の「反小沢感情」と功名心と誤った"見立て"から始まり、民主党政権を揺さぶり、政界をいたずらに混乱させたという意味で、「益のない事件」である。
ただ、唯一、価値があるとすれば、「刑事司法」の問題点を公にし、裁判員裁判の時代にふさわしい環境を築いたことだろう。ある意味で、検察捜査とはなにか、刑事司法とはなにか、裁判所とはなにかを考えさせる「教科書的役割」を担った。
「小沢公判」を通じて検察審査会の存在を知り、強制起訴という手順を知り、検察と裁判所の役割について考えた人は少なくない。
今は、ネットを通じて、指摘されている問題点を確認できるし、過去の公判の様子をライブ感覚で味わうこともできる。
裁判官が検察に頼らなくなった結果、自分の頭で問題点を探り、判決を前に思い悩む存在となった。法律のプロであっても、万能ではない。そういう意味では、国民が与えられた情報ををもとに、小沢氏の有罪無罪を、自分の頭で考えてもいい。 *強調(太字・着色)、リンクは来栖
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小沢一郎被告元秘書取り調べ問題 検察当局、報告書を作成した検事を事情聴取
民主党元代表・小沢一郎被告(69)の元秘書の取り調べをめぐって、実際にはないやり取りを含む捜査報告書が作成されていた問題で、検察当局が、報告書を作成した検事の事情聴取を行っていたことがわかった。
この問題は、2010年5月、小沢被告の元秘書・石川知裕被告(38)を取り調べた田代政弘検事(45)が、実際にはないやり取りを含む捜査報告書を作成していたもので、田代検事は、小沢被告の裁判で「記憶が混同した」と説明していた。
この捜査報告書は、検察審査会に提供され、小沢被告を「起訴相当」と判断する際の材料になった可能性がある。
検察当局は、田代検事に対する事情聴取を始めていて、虚偽有印公文書作成の疑いなどで立件すべきか、捜査を進めている。
また法務省では、人事上の処分について検討しているものとみられる。
小川法相は「なぜそういうことが起きたのか、見過ごしていいケースとは思っていない。重大な関心を持っている」と述べた。
(FNNニュース02/24 12:52)
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◆小沢氏 初公判 10月6日/大善文男裁判長=極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた2011-08-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
来年4月判決 小沢「無罪」最大の難関は超カタブツ裁判長 日刊ゲンダイ2011年9月10日
人生初の判断を下せるのか
検察審査会に強制起訴された民主党の小沢一郎元代表に対する判決が、来年4月下旬に言い渡されることになった。
司法関係者の間でも「無罪は確実」といわれ、政界をメチャクチャにした不毛な争いにはサッサとケリをつけて欲しいが、心配のタネがある。小沢裁判を担当する東京地裁の大善文男裁判長2 件(51)の存在だ。
大善裁判長は1986年任官。東京地裁を皮切りに名古屋地裁、高松地裁、広島高裁の判事を経て、昨年4月に東京地裁刑事11部の総括判事となったベテランだが、司法界では「堅物判事」として有名だ。刑事事件が専門のある弁護士は「無罪判決を一度も出したことがないのでは」と言うほど、極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた。
被告人が「無罪」を主張しようが、お構いなし。淡々と実刑判決を言い渡す。全面無罪を主張する小沢にとっては、ちょっと厄介な裁判長なのだ。
大善裁判長のクールさが如実に表れたのは、昨年6月の裁判員裁判。都内で起きた2件の強盗事件を巡り、強盗致傷罪に問われた被告の事件への関与が争われたケースである。
「被告は、実行犯で知人の男に『強盗を指示した』として逮捕されたが、捜査段階から一貫して容疑を否認。唯一の証拠は『指示された』という実行犯の供述だけでしたが、その実行犯が公判の過程で『実は自分ひとりでやった』と供述を翻したのです。実行犯の捜査段階での供述と公判での証言のどちらが信用できるのか。判断の難しいケースですが、大善裁判長はアッサリと『捜査段階の供述の方が具体的かつ詳細に状況を述べている』と検察側の主張を支持。被告を『否認を続け、反省の態度が全く見られない』と断罪し、懲役9年の実刑判決を言い渡したのです」(司法記者)
小沢の元秘書3人の裁判では、検察調書の大半が「任意性」を否定され、証拠として採用されなかったが、大善裁判長の手にかかると、どう転ぶか分からない。
来月スタートの裁判で、カタブツ判事は小沢に“人生初”の無罪判決を言い渡すのか。常識的な司法判断を期待したい。
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◆小沢一郎氏4月判決 大善文男裁判長=トップクラスのエリート裁判官/体制寄り/予定調和的な判決ばかり 2012-01-13
小沢裁判 判決は4月 大善エリート裁判長の気になる評判
日刊ゲンダイ2012年1月13日 掲載
判決は日本の裁判所の公正と正義の判断基準となるだろう
小沢一郎・元民主党代表(69)をめぐる世紀の「魔女狩り裁判」は、ヤマ場の被告人質問を終えた。4月に予定されている判決公判で、裁判長はどんな判断を下すのか。
裁判を指揮しているのは大善文男裁判長(51)。早大法学部出身で、裁判官歴26年のベテラン。司法研修所教官、高松高裁事務局長を経て、10年4月から東京地裁刑事11部の部総括判事を務める。
「外見は典型的な『バーコード頭』だが、83年に司法試験に合格した38期の司法官僚の中では、トップクラスのエリート裁判官です。柔和な表情で被告人に話しかけるのが特徴で、将来の最高裁判事は確実とみられています」(司法記者)
13回に及ぶこれまでの裁判では、検察審査会(検察審)が小沢を強制起訴した“決め手”となった捜査報告書が検事の捏造だったことがバレ、事件自体がデッチ上げだった疑いが濃厚になった。「市民感覚」で考えれば「無罪確実」だが、大善裁判長はそんな当たり前の判決を書けるのか。約3300回の裁判を傍聴してきたジャーナリストの今井亮一氏はこう言う。
「大善裁判官はニコニコしていて、まるで安アパートにでも住んでいそうないいオジサンという雰囲気ですが、判決は厳しいものになるでしょう。東京地裁で裁判長を務めるのはエリート中のエリート。よほどのことがない限り、警察や検察の筋書きを追認するのが普通です。つまり、被告人側の主張は執拗に疑い、検察側の主張は信用できる部分を探し出す。そうやって理屈をこねて検察側の筋書きに“お墨付き”を与えるのが一般的です」 実際、裁判官質問では、億単位のカネの管理を秘書に任せていた、とする小沢の姿勢を“疑う”ような発言が繰り返された。
しかし、「疑わしきは被告人の利益」という刑事裁判の大原則が裏切られる結果になれば、日本の司法は死んだも同然だ。まして、小沢事件は、東京地検が「有罪にできない」と不起訴にしたものだ。4月の判決は裁判所が本来の役割である「公正」「正義」を取り戻せるかの判断基準となる。
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◆小沢一郎氏「お見舞いに歩くのが政治家の仕事なのか?お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか?」 2012-01-05
〈来栖の独白2012/01/04 Wed.〉
--前段 略--
当然のように、このような政治家が国民に理解されることは稀である。剛腕などと云われ、嫌われる。「災害があればいち早く現地に駆けつける」という動きの良さもないので、不可解である。ポピュリズムとは対極にある。
この種の政治家は、国民からの人気がないばかりではない。既得権益といった旧弊にとらわれないので、官僚からも嫌われる。おまけに要領が悪いゆえ、エンタメ(メディア)に貢献するところなく、嫌われる。
国民(検審)・官僚・メディアから嫌われれば、行き着く先は決まっていよう。かくて小沢一郎氏は、地元から帰京すれば、10日、11日の裁判(東京地裁 公判)が待っている。被告人質問である。
東日本大震災という未曽有の苦難のなかで、この国はかくも、有為な政治家の手足を縛った。
ところで、ここからは余談になるので後日に稿を改めたいと思うが、昨年より深く憂慮している一事がある。4月にも判決といわれている、小沢一郎さんの裁判である。
陸山会事件登石郁郎裁判長の判決で思い知らされたが、裁判長には裁判長で、縛りがかけられているということだ。登石裁判長の下した判決は、郷原信郎氏のような専門家は無論のこと、私のような素人がみても、おかしな判決だった。なぜ、このような恥ずべき判決文を書かなければならなかったのか。まかり通ったのか。
新藤宗幸氏はその著『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕(岩波新書)の中で、次のようにいう。
“司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。
裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。 ”
ここでも“官僚”である。上の文脈によれば、小沢氏裁判で「無罪」と書いて大善文男裁判長個人に利するところがあるか。無い(だろう)。地方の簡裁か家庭裁判所へ飛ばされるのがオチであろう。
前田元検事は「主任検事から『この件は特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢をあげられなければ特捜の負けだ』といわれた」と証言している。裁判所にとって、被告人に利するか、はたまた長く利益を分かち合ってきた検察との仲を保つかを天秤にかけるなら、答えは歴然としていよう。
そのことは、検察と一体となり走狗となって「小沢 クロ」と書いてきたメディアとっても同様である。ここで「小沢 無罪」が出たなら、メディアは、どう書けばいいのか。
ことほど左様に、司法には司法の事情があり、裁判所と検察には判検(一体)の、検察とメディアには検察とメディアの、それぞれ譲れぬ事情がある。
深く憂慮に堪えない。小沢氏無罪は、難しい。
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◆小沢一郎氏 裁判/大善文男裁判長は将来が約束されたエリート判事 登石郁郎裁判長以上に体制寄り2011-10-06 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢初公判 検察を痛烈批判「国家権力の乱用」「裁判打ち切れ」 傍聴希望者2146人が長い列
日刊ゲンダイ2011年10月6日
小沢一郎・民主党元代表(69)と司法権力との最後の闘いが始まった。政治資金規正法違反罪に問われた小沢の初公判が6日、東京地裁(大善文男裁判長)で行われ、小沢は罪状認否で起訴内容を全面否認し、無罪を主張。その後、約10分間にわたって意見陳述を行い、検察の捜査のあり方を「国家権力の乱用」と痛烈に批判した。
小沢は午前9時半前、東京地裁に歩いて入った。SP数人に先導され、9人の弁護士に囲まれながら、ゆっくりとした足取りで法廷に向かった。
初公判は10時に始まった。検察官役の指定弁護士が起訴内容を読み上げた後、小沢は罪状認否で「指定弁護士が述べたような事実はありません」と述べ、起訴内容を全面否認した。
ハイライトは罪状認否に続く意見陳述。小沢は「検察官の違法な捜査で得られた供述を唯一の証拠としており、直ちに打ち切るべきだ」と主張。「証拠もないのに特定の政治家を狙ったことは、国家権力の乱用で、法治国家では許されない」と検察の捜査を強く批判、全面対決の姿勢を見せつけた。
続いて弁護側も意見陳述を行い、「虚偽記載はなく、元秘書との相談や、指示もなかった」と無罪を主張した。
公判では、石川知裕衆院議員(38)=1審有罪、控訴=ら元秘書3人との共謀が最大の争点となる。虚偽記載が成立するかどうかや、起訴が適法かどうかも争われる。
指定弁護士側は冒頭陳述で、小沢と元秘書との関係について、「重大な問題はすべて小沢被告の指示に従い、独断で事を運ぶことはなかった」と指摘した。
弁護側は午後に冒頭陳述を行い、元秘書との共謀について、石川らの供述には任意性がないとした上で、「収支報告書の記載はすべて秘書に任せており、把握していなかった」と訴えるとみられる。
東京地裁前には、朝早くから49の傍聴席を求めて2146人が抽選に並んだ。
<裁くのは体制ベッタリのエリート判事>
公判を指揮する大善文男裁判長(51)とは、いかなる人物なのか。
元秘書3人に妄想判決を下した登石郁朗裁判長(57)のように検察寄りで権力ベッタリなのか。
判事の人間性によっては「民主主義国家では考えられない」判決が出る異常事態を見せつけられた直後だけに気がかりだが、大善裁判長は将来が約束されたエリート判事。登石裁判長以上に体制寄りなのだ。
「裁判官といっても、しょせんは官僚。常に判事同士で出世を争っています。大善裁判長の経歴をみれば出世コースを歩んでいるのは明らか。同期73人の判事の中でも『高裁事務局長』『司法研修所教官』を経験し、東京高裁刑事部の総括(裁判長)を狙える条件をクリアした数少ない判事です」(司法関係者)
<小沢意見陳述 要旨「私を抹殺することが目的」>
小沢一郎民主党元代表が初公判で述べた意見の要旨は次の通り。
検察の不当、違法な捜査で取られた調書を根拠に誤った判断がなされた。この裁判は打ち切るべきだ。百歩譲って裁判を続けるとしても、罪に問われるようなことは全くない。国民から何の負託も受けていない捜査機関が国家権力を乱用した。汚点として後世に残る。議会制民主主義を阻害する恐れがある。
収支報告書の間違いは修正することで処理され、済まされてきているのに、私の団体のみ1年有余にわたり、実質的な犯罪の証拠はないのに強制捜査を受けた。もちろん収賄などの実質的な犯罪は全くない。なぜ私のケースだけ突然、強制捜査されねばならないのか。これでは公正で厳正な権力の執行とは言えない。実質的な犯罪がないと判明した時点で捜査を終結すべきだったのに、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸している。小沢一郎を標的にしたもので、私を抹殺することが目的と推認できる。明白な国家権力の乱用で、到底許されない暴力行為であり、表舞台からの抹殺で残酷なものだ。
選挙は国民が主権を行使する唯一の機会で、とりわけ2年前の総選挙は戦後初の本格的な政権交代が予想された。そのような時の恣意(しい)的な権力の行使は許されない。国家権力の介入を恐れる政治はもはや民主主義ではなく、戦前の過ちを繰り返すほかない。裁判長、裁判官の見識ある判断をお願いする。
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〈来栖の独白 2011/10/06〉
人には「生まれ合わせ」「運」というものがあるのかもしれない、と溜め息をついてしまう。小沢さんは、不運だ。この裁判は、恐らく敗けるだろう。とても勝ち目はない、この裁判長では。
いま一つ。本件は、検察審査会が決定した強制起訴の第1号だ。検審の決定は、「市民(国民)による決定」を標榜している(事実はそうではないが)。ならば、エリート裁判官がおのが出世を棒に振ってまで小沢氏に肩入れする(「無罪」を与える)とは、考えられない。検審の強制起訴を受けて被告人を有罪とし、検審制度を意義足らしめる。そのポイントにより、大善文男判事は目出度くステージを一段上がるのである。こんなチャンスを棒に振る官僚はいない。
小沢さんは、よくよく不運だ。恐ろしい国だ、この国は。
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関連:「広島女児殺害事件」司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ2010-08-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
〈来栖の独白 2010/08/07〉
憲法76条3項は「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と裁判官の職権行使の独立を認めている。が、ここ(当該事件裁判)で私が見たものは、司法制度改革へ舵を切った最高裁に逆らうものは出世の道から外される、という「官僚司法」のありようであった。司法制度改革とは、核心司法、拙速裁判である。最高裁は「当事者が立証しようとしていない点まで立証を促す義務はない」とし、本件の精密な審理を望んで地裁へ差し戻した楢崎康英高裁裁判長を家裁へ転任させている。(↓)
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・光市母子殺害事件(差戻し)・広島女児殺害事件控訴審裁判長だった楢崎康英氏が山口家裁所長・・・
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大善文男裁判長、小沢氏に“人生初”の無罪判決を言い渡すのか/検察、田代政弘検事を事情聴取
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