小沢事件 特捜検察姑息な組織防衛シナリオ
2012年2月28日(火)10時0分配信 日刊ゲンダイ
<「おとがめナシ」は絶対に許すな!>
小沢捜査のデタラメで火ダルマ炎上中の東京地検が、ウソの捜査報告書をデッチ上げた田代政弘検事(45)を事情聴取していたことが分かった。任意で複数回聴取したほか、当時の上司からも経緯を聞いたという。
田代検事については、市民団体が虚偽有印公文書作成の容疑で刑事告発している。ヤクザまがいの取り調べを繰り返したチンピラ検事の逮捕は当たり前だが、それだけで済む話じゃない。裁判所は「違法不当な取り調べは組織的に行われた」と検察組織を断罪している。検事3人が逮捕された大阪地検特捜部と同様、田代検事の上司だった特捜部長や副部長、その上の幹部の関与まで、徹底的にウミを出し切るのがマトモな組織の姿だ。
ところが、周知の通り、検察はマトモじゃない。この期に及んで組織防衛を画策し、田代検事を「おとがめナシ」にしようとしているからムチャクチャだ。ベテラン司法ジャーナリストが言う。
「田代検事聴取の報道では、何の容疑で事情を聴いたのか、全く報じられていません。しかも、田代検事の『過去の取り調べと記憶が混同した』という主張ばかりが伝えられている。“故意ではなかった”“よって組織は無関係”としたい検察の意図を感じます。大阪地検の一件での苦い経験もある。フロッピーを改ざんした前田恒彦検事を逮捕したら、上司の関与を次々と暴露されてしまった。結果、特捜部長と副部長までイモづる式に捕まる事態になった。同じことが東京地検でも起きれば、検察は完全崩壊です。だから田代検事を逮捕どころか、起訴さえしない恐れもある。起訴猶予ではクロだと認めることになるため、不起訴です。そのバーターで、上司のことは一切口にするな、というわけです」
田代検事にも保身に走る理由がある。虚偽有印公文書作成罪で禁錮刑になれば、法曹資格を取り消される。東京・世田谷に構える一戸建ての住宅ローンを返せなくなるばかりか、“ただの人”になって食いぶちも失ってしまうのだ。
「検察が田代検事を不起訴にしたら検察審査会にかけられるでしょう。しかし、起訴相当の議決が2度出るのかどうか。小沢事件のような怪しい検察審だと、どうなるかわかりません。仮に裁判になっても、検察が田代検事を切り捨てたわけではないから、田代検事は何もしゃべらず、組織は守られます」(司法関係者)
笠間治雄検事総長は小沢捜査に反対した良識派とされるが、「大阪地検の事件では検事の逮捕に反対した」(事情通)といわれる人物でもある。事なかれ主義で組織防衛に走るとしたら、検察は完全に腐りきっている。
(日刊ゲンダイ2012年2月25日掲載)
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◆KSD事件・日歯連事件の笠間治雄氏が検事総長に/ 「けもの道」の闇が更に深くなった2010-12-28 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
〈来栖の独白 2010/12/28〉
笠間治雄氏が大林氏の後の検事総長となった。東京地検特捜時代に、KSD「事件を作った」人だ。日歯連事件にも関わった。
KSD事件の真相(概要)をみてみよう。平野貞夫著『小沢一郎 完全無罪』(講談社刊)によれば、次のようである。
p91〜
“2001年3月1日、元参議院議員の村上正邦が、KSDに絡む受託収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕された。
KSDとは、理事長の古関忠男が1964年に創立した、中小企業の経営者やその家族、役員を対象とした福祉事業を行う財団法人である。
KSDの会員になると、月額2000円の会費で、業務上であるかどうかに関係なく、怪我をした場合は6000万円の総保障額の範囲内で、何回でも保障を受けることができた。また、死亡時には2000万円、入院治療は1日4000円が保障されていた。(略)一時は、共済会費などで、年間約280億円もの巨額の資金を集める事業団体にまで成長していた。
ところが、2000年を境に、理事長の古関の乱脈経営や政界工作などが表面化し、東京地検特捜部が捜査に乗り出すことになる。
古関を業務上横領、贈賄、背任容疑で逮捕するだけでなく、自民党の参議院議員であった村上正邦や小山孝雄を受託収賄容疑で逮捕し、政界スキャンダルに発展したという事件である。
KSD事件では、事件の捜査の過程で、自民党参議院選挙比例代表名簿の登載順位を上げるために組織的に自民党の幽霊党員を集めた事実や、自民党費の肩代わり、数十億円にも上る自民党の政治資金団体への迂回献金も発覚した。
村上正邦の起訴事実は、1996年1月頃に古関から「ものつくり大学」構想について、KSDに有利な代表質問を参議院本会議でしてほしいとの請託を受け、その見返りとして、1996年10月に現金5000万円を受け取ったというもの。
また、政策担当秘書と共謀して、1996年から1998年の事務所家賃2280万円の肩代わりを受けたというものである。
公判で村上は請託を受けた事実はもとより、現金5000万円の受領を一貫して否認。事務所の家賃については関与していないと主張した。
検察側の受託収賄罪の立証のポイントになったのは、古関の供述調書であった。
ところが、請託があった場所も時間もいい加減であった。後の控訴審で、当の古関が、「検事に村上の逮捕のために協力してくれと頼まれ、弁護士からも協力したほうがいいといわれたので、嘘の供述をした」 と、請託などなかったことを訴えた。
古関はこれを自民党の幹部を応援する「豊明会中小企業政治連盟」の事務総長でった中村勝彦に話していたが、この話は古関の急死で証拠とされずに終わってしまう。
結局、村上は早期保釈をしてもらう代わりに、起訴事実を否認しながらも、関係者の供述調書(検面調書)を証拠として採用することに同意する。そして、そのために有罪判決を受けることになるのだ。
2003年5月に東京地裁は懲役2年2ヵ月、追徴金約7280万円の実刑判決を言い渡し、2審の東京高裁も村上の控訴を棄却。最高裁も2008年3月に上告を棄却し、村上の実刑が確定している。
このKSD事件に絡む村上正邦の逮捕と後の有罪判決は、証拠は供述調書によるものだけ。明らかな冤罪事件としか思えないのである。(〜p93)”
次に日歯連事件である。三井環著『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』から、みてみたい。(本文29〜59ページより抜粋)
“この事件は、大物政治家の関わる事件の検察による捜査が途中で不可解に打ち切られ、当事者は起訴されず、当事者でない人間が起訴された冤罪事件として、特異なものである。
日歯連とは、全国の歯医者から会費を取って、運営している公益法人である。日歯連は、医者と歯医者との診療費の格差が広がる一方だと危機感を抱き、診療報酬改定を自民党議員に強く要望し、多額の裏献金を続けていた。
平成一三年一月から同一五年の間に、自民党の国会議員に約二二億円の金をばらまいたとされる。その結果、平成一四年には「かかりつけ初診料」が前年二一〇億円だったのが、一〇七〇億円に増加した。
日歯連の裏献金システムは、いわゆる「迂回献金システム」ともいわれる。日歯連は特定の自民党国会議員に金を渡すに当たり、最終的に金を渡したい国会議員を指定。まず、自民党の政治資金団体である「国民政治協会」に献金する。「国民政治協会」は献金を受け取って、領収書を発行し、協会への献金として会計処理する。最終的には指定された国会議員に金を渡す。
事件の発端は、平成一三年七月二日夜、東京・赤坂にある高級料亭「口悦」で橋本龍太郎元首相、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参議院幹事長が、日歯連の臼田則夫会長らと夕食をともにし、臼田会長から橋本元首相に、額面一億円の小切手が手渡されたことから始まる。
橋本元首相はこれを受け取り、同派の政治団体「平政研究会」の滝川俊行事務局長が金庫に入れて、まもなく現金化した。
平成一四年三月が提出期限となっている同一三年分の政治資金収支報告書に、一億円の献金の事実を記載しないで裏金として処理したという。まぎれもない政治資金規正法違反事件なのである。
東京地検特捜部が、政治資金規正法違反の情報を入手したのは、平成一五年になってからである。同年八月に滝川事務局長を逮捕、起訴。同人の証言を唯一の根拠として、平成一五年三月一三日、村岡兼造元官房長官を在宅起訴した。現場にいた橋本龍太郎元首相、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参議院幹事長の三人は、起訴せずにである。
なぜ、このようにゆがんだ捜査となったのか。
結局、村岡は一審で無罪となった。その判決理由は、「滝川事務局長の証言は橋本氏ら派閥の幹部や自民党全体に累が及ばないよう」虚偽証言をした可能性があるというものだった。
しかし東京高裁は逆転有罪とし、「禁固一〇月執行猶予三年」の判決を下した。その判決理由の中で「他の派閥幹部も起訴する処理も考えられた」と述べ、検察捜査に異例の注文をつけた。
また、東京第二検察審査会は、平成一七年一月一九日、橋本、青木、野中の三人を起訴しなかった検察の判断につき、「不起訴不当」の議決をした。しかし特捜部は三人とも「不起訴処分」の判断を下している。
この事件の検察捜査は、きわめて不透明な形で幕引きがはかられたことで、多くのジャーナリストの見解が一致している。
「本来裁かれるべき巨大な不正の痕跡にはふたをし、引退した老政治家にすべての罪を押しつけるかのような捜査からは、政治と検察との間に沈殿する腐臭すら漂ってくる」
と評するのは、ジャーナリストの青木理氏だ。
まず、同違反の事実についてみる。
一億円の金を、いったい何に使ったのか。それが捜査の最大の争点である。当時は参議院選挙の直前であった。平政研究会には約一〇〇人の議員がいた。それらの議員の選挙活動資金ではなかったのか? そうであるなら、公職選挙法違反事件へと発展する。
また、当時は診療報酬改定にむけ、日歯連は奔走していた。その依頼の趣旨の金ではなかったのか? そうであるなら、贈収賄事件へと発展する。
領収書を発行しないで裏金処理したのは、犯罪性があるからではなかったのか? 当然これらの点が、重大な捜査の対象となる。
ところが、なんらその使途についての捜査をした形跡が認められない。
橋本元首相は取り調べ時、「一億円の小切手をもらった記憶がない」と供述したが、それ以上突っ込んだ取り調べはなされていない。「記憶がない」というのは、木で鼻をくくるようなことではないか。結局はお茶をにごした捜査だったのだ。その巨大な闇にすべてのふたをしてしまった。通常ではあり得ない、信じがたい捜査なのだ。
小沢幹事長をめぐる土地疑惑事件では、四億円の原資を追及するため、石川議員らを逮捕勾留した。小沢幹事長を狙った捜査と対比すれば、いかに異常な捜査であるかがわかる。
日歯連事件は本来、献金を自ら受け取り、秘書が政治資金収支報告書に不記載としたことの監督責任があった橋本龍太郎が主犯格であり、野中、青木も同席したことで関与の責任を問われ、逮捕、起訴を免れ得ない、闇献金事件なのである。
巨大な闇にすべてふたをした理由は、いったい何だったのだろうか? その回答はやはり、政権と検察との「けもの道」にある。
実は、私のでっちあげ逮捕直前の平成一四年三月末、京都駅前にある新都ホテルにおいて、私は野中広務と会ったことがある。京都の野中の事務所の青木秘書から、裏金問題で野中が会いたいと言っているという連絡があった。そこで私が新都ホテルに行くと、青木秘書ともう一人の秘書が出迎えてくれて、エレベーターに乗り、だいぶ上の階だったと記憶しているが、ホテルの部屋に行った。そこに野中が待っていてくれた。
その部屋はホテルを事務所に改築したもので、一対一で一時間くらい裏金作りの実態と、「けもの道」の話をした。
野中は「裏金問題は改革しないとダメだ」と言われた。当時は鈴木宗男議員の疑惑報道がなされていた。野中は、「北方領土問題解決のためには鈴木宗男は必要な人です。彼がいないと解決できない」と話されたのをよく覚えている。
このように、野中は法務検察の組織的な裏金作りの実態と、政権と検察がゆ着した「けもの道」を知っていた人物の一人である。
当時の政権は、平成一三年一〇月末の「けもの道」のやりとりのときと同じ、小泉政権である。検事総長は、「けもの道」当時の法務事務次官であった松尾邦弘検事総長であった。当然、橋本元首相、青木参議院幹事長らも、「けもの道」のやりとりを知っていたものと思われる。
東京地検特捜部は、野中と村岡元官房長官の二人を起訴したい方針であった。だが、松尾邦弘検事総長は一人でいいと指示し、結局、野中は起訴猶予処分となった。
野中が「裏金を公表しようかね」とさえ言えば、自らの起訴は免れたであろう。いや、そこまで言わなくとも、匂わせさえすれば十分だ。また、橋本元総理、青木元参議院議員幹事長らに対しても、起訴することはできなかったと思われる。
どうしてか。
起訴すればその報復として、法務検察の裏金問題が公表されるかも知れないからだ。そのため、その巨大な闇にすべてふたをしたのではないか。私はそれ以外の理由はないと考えている。
日歯連事件は、約八ヵ月にわたって捜査が遂行され、大々的に報道された事件である。国会議員一人だけは何としても起訴しないことには、検察のメンツ丸つぶれである。だが、中心人物は「けもの道」により守られ、起訴できない。そこで、目を付けられたのが村岡であった。議員を辞めており、「けもの道」のなんたるかすらも知らない村岡は、いわば「けもの道」の犠牲者である。
迂回献金捜査の打ち切り
特捜部は政治資金規正法違反の捜査の過程で、日歯連から約五億円が、診療報酬改定をめぐって自民党議員約二〇人に渡っているとの確証を掴んだ。贈収賄事件などの大疑獄事件へと発展する様相を呈した。
そのまま捜査が進展したなら、小泉政権そのものに大きな打撃を与えただろう。自民党政権が崩壊する危険性もあった。
ところが、捜査の最終局面において、松尾検事総長が捜査の打ち切りを指示したと言われる。それに反発した特捜検事の一人が辞職したという。検事総長が特捜部の捜査の打ち切りを指示する。通常ではあり得ない。
松尾検事総長は若手検事の頃から、贈収賄事件などの独自捜査を遂行した。以前は現金による贈収賄事件のみの立件しかなかった。飲食接待の贈収賄事件は立件することもなかった。大蔵省のいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」を、初めて立件逮捕起訴した人でもある。清廉潔白な人で、大疑獄事件に発展するような政界の大贈収賄事件の捜査を、途中で打ち切るような人ではない。
というのも、以前、松尾検事総長の松山地検検事正時代に、私は氏と手紙のやりとりをしたことがあるからである。平成一二年四月一七日に送られた手紙には、彼の独自捜査の経験や検察官の心構え、使命感について書いてあった。少し長いが、引用させていただく。
独自捜査の過程で困難に直面し、安易な道を往けばよかったと、一度ならず思ったものでしたが、そうしたことに懲りずに同じ道を往き、一度は辞表を書くまでに至った こともありますが、このときは検事正、先輩に助けられ、職に止まることになりました。
大切なことは、事件にきちんと向き合う姿勢を堅持することにあるように思います。送致事件であれ、独自捜査事件であれ、事件の捜査の終局処理を国民から託されている検察官としての誇りを心の底にしっかりと持つことが大切だと思います。
力強くしたためられた文字を見る限り、彼の本心の言葉であると私は確信している。
そんな松尾検事総長が、独自の考えで打ち切りを指示したものでない。断じてそれはあり得ない。松尾検事総長は涙ながらの苦渋の決断をしたのだと、私は考えている。検察首脳が「けもの道」という最悪の選択をしてしまったために・・・。
他方、特捜部では一人の若手検事が辞表を提出し、退職した。彼は「将来の特捜部を背負っていく存在」とまで言われた優秀な人材だったという。退職の本当の理由は定かではないが、「日歯連事件の捜査方針が納得できない」と周囲に漏らしていたという話だ。彼はなぜ捜査が打ち切られたのか、まったく知らないはずだ。
松尾検事総長が下した判断の「本当の意味」を知っている法務検察幹部は、ごく一部である。特捜部の連中は多分知らないだろう。この事件はそれぞれの立場で苦悩し、人生を歪めた事件だった。
それではいったい、何があったのか? 打ち切りの闇には何があるのか。
それは、検察が抱える自らの大罪、つまり政権へのすり寄りという「けもの道」以外にないのではないか。それ以外の理由では、政治資金規正法違反事件において、一億円の闇献金の捜査をしなかったことを説明することはできない。迂回献金疑惑の捜査を打ち切ったことも、説明することができない。
法務検察は日歯連事件の真相解明よりも、解明をした場合の小泉政権による反撃が恐ろしかったのであろう。個人が犯罪を犯したとき、ひた隠しにする。いつ発覚するかもしれない恐怖を持ち続ける。それは、法務検察組織もまったく同じではなかったろうか。”
私は大林氏の辞任が、村木事件の不祥事によるものではないと考えてきた。政権との絡みもあるだろう。いや、さらに複雑な権力闘争があるに違いない、と考えてきた。笠間氏就任は、そのことを暗示している。闇が、さらに深くなった。
◆大林検事総長「僕の心の内までは誰も分からないでしょう。いつか説明する機会があると思う」 2010-12-17
◆来年民主党大会前日(2011/01/12)小沢氏起訴との情報(=官邸の党大会対策) 平成ファシズム2010-12-17 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆小沢排除は三権協調して行われた/森英介元法相「小沢事務所の大久保秘書逮捕=あれは私が指示した事件だ」
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◆『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』〈1〉2010-12-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』〈2〉2010-12-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆暴走検察の果て 「罪なき罪」をつくる検察の大罪
◆暴走する「検察」
◆検察を支配する「悪魔」(田原総一朗+田中森一)
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ひと:笠間治雄さん 第26代検事総長に就任
検事任官から36年余。法務省での勤務経験は一度もなく、現場一筋で歩んできた。
東京地検特捜部の在籍は計12年。部長在任中は、KSD事件の村上正邦元労相を含めて計4人の国会議員や元議員を汚職や詐欺で起訴し、永田町から恐れられた。
だが、素顔は決してこわもてではない。高齢の政治家を汚職で逮捕した事件では、勾留期限を待たず、8月10日に起訴して捜査を終結させた。「お盆前に家に帰してあげたかった」。反省の態度を示した被告への配慮だった。「末端の部下一人一人の意見をよく聞き、上司にも物が言える」と、苦楽をともにした後輩たちの信頼も厚い。
総長以外の検事の定年は63歳。来月2日の誕生日で検察庁を「卒業」するはずだった。「悠々自適に暮らします」。師走に入ると、送別会であいさつし、知人には「特捜部改革ができなかったのが心残り」と淡々と語っていた。
「君が適任だ」。郵便不正事件と証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件を受け、辞任を決意した前任総長から後継指名された。その姿は、ロッキード事件の主任検事を務めた吉永祐介元総長と重なる。5億円の闇献金を受領した金丸信・元自民党副総裁を罰金で済ませて検察が非難を浴びた際、信頼回復の「切り札」として登用された。
「現場に何ができるか、しっかり考えたい」。図らずも火中のクリを拾う形になった「たたき上げ」の総長に、検察の命運がかかる。【三木幸治】
【略歴】かさま・はるお 愛知県出身。中央大卒。趣味は写真。印象に残っている本は、旧日本軍が敗れた原因を分析した「失敗の本質」。62歳。
毎日新聞 2010年12月28日 0時27分