橋下徹が狙う「首相の座」
『文藝春秋』 2012年4月号
「密談」を繰り返す橋下徹大阪市長。時局は「橋下首相」へと動き出した。
絢爛豪華な桃山時代、豊臣秀吉が巨大な城を築いて政務を執った大阪。「太閤さん以来のことや」と市民は四百年ぶりに国政の中心となることへの期待に沸き立っている。その中心人物、大阪市長・橋下徹が二月十七日、今年の政局を揺るがす密談の場所に選んだのは、大阪市内の日本料理屋「江戸堀やまぐち」だった。
掘りごたつをしつらえた一室で橋下と向かい合ったのは公明党参院議員会長・白浜一良。当選四期二十三年、いまや関西の公明党を代表する人物である。会談の目的は、来る総選挙での選挙協力の確認にあった。
橋下率いる「大阪維新の会」は府知事選と市長選の「大阪ダブル選」でみせた驚異的な勢いをそのままに、次期総選挙で「三百―四百人の候補を擁立、二百議席獲得を目指す」とぶち上げている。前回総選挙で小選挙区当選ゼロの屈辱にまみれた公明党は大阪の四小選挙区、兵庫の二小選挙区で必勝を期す。名誉会長・池田大作の長男、博正を関西の総責任者とし、「次」をうかがう関西総合長・正木正明が支える体制を敷いた関西の創価学会にとって、維新との協力は死活問題でさえあるのだ。
「維新は国民の期待を一身に集めている。私は関西の総責任者ですから」「今後ともよろしく」。公明党の市議団を引き連れた白浜と橋下の会談は首尾よく終わり、次期総選挙では公明党の六選挙区に、維新が候補を擁立しない方針を確認した。裏返せば残る大阪の十五、兵庫の十選挙区で、維新候補を公明・学会が支援する体制が整ったことを意味する。ある公明党幹部は「もともと関西で自民党は弱い。公明・維新で民主党の常勝候補を下すのも夢ではない」と息巻く。
この会談ではもう一つの第三極、みんなの党も話題に上った。維新と連動して躍進を狙うみんなの党は、橋下が唱える「大阪都構想」を推進する地方自治法改正案を今国会に提出している。「あれはみんなと協力するのかね」と聞いた白浜に、橋下は「国会の議論に任せます」。みんなと必要以上には深入りしない意味だ、と公明側は受け止めた。橋下・白浜会談は新旧の第三極を代表する「維新・公明連合」の狼煙(のろし)でもあった。
各種世論調査で「期待する」が六割に達する「橋下新党」への東日本での反応はいまひとつ、鈍い。だが一月中旬、民主党がひそかに実施した調査では「大阪の小選挙区は八割を維新が獲得」と出た。ただの一人も候補を公認、推薦していない段階では驚異的だ。この結果をみた大阪選出、官房長官・藤村修が「維新はいまがピーク。ロクな候補も集まっておらず、今後は下り坂だ」と平静を装った矢先に、兵庫選出の民主党現職議員が維新の政治塾に応募していたことが発覚した。選挙基盤の弱い関西の現職、返り咲きを狙う落選組には、日に日に期待を高める維新と衰弱する二大政党の対比が、皮膚感覚で分かるのだ。
「既成政党とは一線を画す」はずの橋下維新が、いち早く公明と連携に動いた意義は大きい。かつて百万人が票を投じてお笑い芸人知事まで誕生させた大阪は公明・創価学会、共産党、闇の勢力とも結び付く特殊な勢力がある種の「既得権」を持つ土地柄だ。維新幹部は「三百六十度が敵では戦えない。味方が必要だ」と打ち明ける。市政でも国政でも公明党と手を携えることには、右から左までが敵だらけの中、安全地帯を設ける意味がある。総選挙がいまだ確定しないこの時期に公明党と手を握るのは、それだけ国政進出に本気だということでもある。
事実、橋下は小学館が毎週、発行している「池上彰と学ぶ週刊日本の総理」に熱心に目を通す。橋下の国政進出の真意は「首相の座」にある――。こんな見立てが大阪では広がる。その橋下に既存の政治家たちは、見苦しいほどに群がる。
政界再編を夢見る前原・安倍
橋下と白浜が大阪で密談した三日後、二月二十日、場所は国政の本丸、東京に移った。国会議事堂に近い紀尾井町のホテルニューオータニに橋下と民主党政調会長、前原誠司の姿があった。橋下が宿泊先のホテルに引き上げてきたのは日付が変わった翌二十一日、午前一時を過ぎていた。二人の会談は昨年十二月、今年一月に続いて三度目だった。
前原は京都選出、思想信条的にも「保守」で橋下との共通項は多い。市政改革に協力する橋下のブレーンの一人は、前原が推薦したにもかかわらず、前原は「私が誰と会ったのか、いちいち申し上げるつもりはない」と言及を避ける。殊更に橋下との接触を否定する前原の胸にあるのは「政界再編だろう」と維新幹部はみる。
先の民主党代表選で前原はまさかの三位に沈んだ。消費税政局で内閣総辞職があったとしても、現状で前原が代表選を制す可能性は限りなく低い。橋下維新との連携を前面に打ち出せば代表選に向けたパワーになるだけでなく、総選挙後の政局でも「橋下維新と組んだ前原首相」も夢ではない。前原の心中にはこんな戦略がある。
もう一人、保守を前面に掲げて維新との連携を狙う政治家がいる。自民党の元首相・安倍晋三だ。
「(維新の教育政策は)安倍政権時代に進めた教育再生と同じ方向だ。閉塞状況に風穴をあける」
二月二十六日夜、大阪市に出向いた安倍は維新幹事長、大阪府知事・松井一郎とともに教育問題のシンポジウムに出席して熱弁をふるった。政権担当時、教育基本法改正に取り組もうとした安倍は、昨年末から維新を評価する発言を繰り返している。
自民党内には次期総裁として安倍の再登板を推す向きもあるが、病気を理由に政権を投げ出した安倍への支持は広がらない。前原と同じように安倍が維新に接近するのも、自民党総裁選に向けた求心力とともに、総選挙後に「橋下維新と組んだ安倍首相」の可能性を膨らませておくことにあるのだ。
安倍と前原は連れ立って米国を訪問するなど、従来から党派の垣根を超えて親交が深い。保守の掛け声の下、橋下―前原―安倍のラインが組めば「維新・新民主・新自民」という政界再編の新たな軸を形成できる読みもある。「保守」ならば噂されるもう一つの新党、東京都知事・石原慎太郎との架け橋にもなる。そして安倍と前原の双方に共通するのはベテラン抜き、とりわけ民主党元代表・小沢一郎を排除する思惑だ。
百戦錬磨の小沢が、この思惑に気づかぬはずはない。
「維新の支持率、六五%はすごいな。政策の中身なんか関係ないんだ。責任と決断の政治、あの言葉だけで国民は十分なんだ」
二月二十三日夜、東京・永田町の蕎麦屋「黒澤」。ここは「ながまん」と呼ばれ、小沢が自民党時代に贔屓にした料理屋「永田町満ん賀ん」の跡地にあり、政治家や官僚が頻繁に使う場所だ。いつもは居酒屋を会合場所とする小沢は、前日のホテルニューオータニの中国料理店「Taikan En」に続き、奮発して若手議員を招待。橋下礼賛を繰り返した。市長に当選直後の橋下が上京して真っ先に訪ねたのは小沢の部屋だった。選挙を不安がるグループの若手議員に「維新と公明党は大阪では連携するが、そのほかは分からないぞ」と東日本での連携相手は小沢グループだ、との感触をささやいた。
ところが、若手議員からは「一刻も早く離党したい」との陳情が相次ぐ。慌てた小沢は「早まるな。結束していれば主導権を握れる」「維新は国会に議席を持っていない。こちらがまとまれば寄ってくる」となだめるのに追われた。
■「三月はいろいろと動く」
小沢の求心力は急速に衰えている。日頃の会合は会費制、カネもなかなか配られないとの不満が、若手から公然と出ている。「小沢はストックはあっても、フローのカネが尽きているのではないか」との憶測が永田町で出回る所以だ。小沢は野党が提出する内閣不信任決議案に同調する構えも示し、倒閣運動を示唆して「三月はいろいろと動く」と宣言。小沢の知恵袋、元参院議員・平野貞夫らは「まず小沢新党と自民、公明両党で新政権を樹立し、国家を再建してから総選挙、第二段階の再編へ進む」との青写真を描く。「選挙になればグループは全滅だ」と危機感を募らせる小沢自身の目的も倒閣の一点に絞られている。
しかも、小沢の真の狙いは新党をブラフ(脅し)に使った党内の主導権奪還にある。春に見込まれる「政治とカネ」の公判で無罪を勝ち取れば、民主党幹事長・輿石東は「小沢さんの党員資格停止を直ちに解除する」と小沢側近に囁く。三月から四月にかけて党内で騒ぎを起こし、カネを握る幹事長に復帰することが、小沢の第一の狙いなのだ。
これは長年の小沢ウオッチャーには既視感のある手法だ。二十年前の一九九二年から九三年、自民党竹下派内の権力闘争に敗れた小沢は各種メディアへの露出を高め、当時の首相・宮沢喜一に「政治改革を実行するなら協力する」と伝え、政敵の幹事長・梶山静六の交代を迫った。逆境に立つ今回も「消費増税に反対」ばかりが強調されるが、小沢は必ず「まず政権交代の初心を忘れず、もう一度努力することを望んでいる」と前提をつけている。首相・野田佳彦が「消費増税の前に身を切る努力をします。お願いします」と言うのを、小沢は待ち望んでいる。
だが芸術的な政権奪取を成し遂げた九三年と似通うのは表面的な行動だけで、小沢を取り巻く環境はすべてが異なる。当時、小沢には公明党書記長・市川雄一という野党の盟友がいたが、いま小沢と組もうという野党はどこにもない。不信任案に賛成し、一糸乱れず自民党を離党して新生党をつくった結束も、いまは望むべくもない。
小沢グループの間には「不信任案を可決して衆院解散になったら目もあてられない」との恐怖心がまん延する。「解散を回避するためなら、消費増税法案に賛成してもいい」と語る若手も多数、存在している。不信任案、新党と二つのカードを使って政権を揺さぶろうにも、足元は崩れている。愛知県知事・大村秀章をパイプ役にして懸命に橋下維新との関係を吹聴するのは、小沢自身がその弱点を痛いほど気づいているからにほかならない。
橋下維新に元首相から与党幹部までが群がる中、一月に「ネバー、ネバー、ネバー、ネバーギブアップ」と消費増税への意欲を示した野田は、政界の脇役と化しつつある。
■首相のクビも差し出す
「私は消費増税をずっと言ってきたのに、いまさら小沢さんは何のつもりなんだ」。野田が酒を片手に不満をぶちまけたのは橋下と前原が密会した二月二十日夜、東京・西麻布のうなぎ料理店「いちのや」で首相補佐官を集めた席だ。「どの政権も避けられない」と大見得を切った消費増税は、関連法案の閣議決定にこぎつけるだけでも荒波が待つ。身内に囲まれた安心感か、野田はいらだつ本音を正直にぶちまけた。
一方で野田は「仲間に無事、戻ってきてもらうのも大事な仕事だから」とも漏らした。内閣支持率は二割台の危険水域、党の支持率は自民党をも下回る。元首相、小泉純一郎の郵政解散にならった「消費税解散」を断行しても第三極の躍進を許すだけで、民主党は壊滅する。強気一辺倒だった野田周辺にも「このままでは解散できない」との弱気が漂う。
野田が頼る政局指南役は財務省だ。反霞が関を標榜する脱藩官僚たちをブレーンに集める橋下はとても組める相手ではない。選挙前に消費増税法案成立へ道筋をつけたい財務事務次官・勝栄二郎は「自民党をいかにして法案賛成に引き込むか」の一点に注力し、部下を自民党対策へ走らせる。安倍が提唱する「消費増税法案を自民党が協力して成立させ、衆院解散を」との構想に、一縷(いちる)の望みをかけているからだ。
照準を合わせるのは自民党総裁・谷垣禎一とその周辺だ。事実、数少ない谷垣側近である幹事長代行・田野瀬良太郎は野田、官房長官の藤村と気脈を通じる民主党幹事長代行・樽床伸二に「解散を約束するなら、法案は何でも通す。選挙後は勝った方が首相、負けた方が副総理でどうだ」と打診し、感触を探っている。自民党側には「この方式なら民主党は分裂し、選挙後の民自連立で第三極の進出を阻止できる」との計算がある。こうした情報を総合して、勝たち財務省は「自民党には脈がある」と踏んで工作を進める。その場合、民主党が割れ、野田の命脈が尽きることも承知のうえだ。消費税のためなら首相のクビも差し出す官僚群に政権の重大事を任せることは、野田官邸の断末魔をも示している。
情報発信を嫌がり、記者団の質問を無言でやり過ごす野田に対し、政界の主役となった橋下は連日、番記者の質問によどみなく答える。二月二十四日は憲法問題を取り上げて「憲法九条については期間を区切って大議論し、国民投票で方向性を示すことを日本人全体で決めなければならない時に来ている」とぶち上げた。外交・安全保障から税制、憲法改正まで、大阪市役所で交わされるやりとりは首相官邸のようになってきた。
思い起こせば二十年前、日本新党が彗星のように現れ、一年間で代表の細川護熙は首相に上り詰めた。既成政党への政治不信が当時よりはるかに強い現在、「橋下首相」は夢物語ではない。 (文中敬称略) *強調(太字・着色)は来栖
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橋下徹が狙う「首相の座」
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