障害者支援法 延命を模索? 民主政権、「廃止」決定したのに
中日新聞《 特 報 》2012/3/13Tue.
「小泉改革」の一つとして自民党政権下につくられた障害者自立支援法。その制度は「保護から自立」のかけ声とは裏腹に、障害者をより生活困難に陥らせたが、政権交代で誕生した鳩山政権は法の廃止を決めた。ところが2年たった今、政府は法の延命策を模索している。もし廃止されなければ、マニフェスト(政権公約)破りどころか、重大な国の約束いわば「国約」違反となりかねない。(出田阿生、小倉貞俊)
「自立支援法の『自立』とは、国の世話にならないこと。つまり、構造改革の一環として障害者は『自己責任』でやれ、という発想で法律がつくられた」。こう話すのは、NPO法人日本障害者センターの事務局次長、家平悟さん(40)だ。
中3のとき、プールの飛び込みで首の骨を折り、後遺症で体が動かなくなった。わずかに動く腕で電動車いすを操り、手に結わえ付けた棒でパソコンのキーボードをたたいて仕事をこなす。
妻ふきさん(38)、息子2人と東京都板橋区内にある妻の実家で暮らす。日常生活は介護サービスなしには送れない。毎日、朝と晩にヘルパーが来て、トイレや着替え、入浴などの介助をする。
同法は小泉純一郎政権の2006年4月に始まり、利用者の支払い能力に応じた「支援費制度」から、原則一割負担が強いられた。家平さんは大阪府岸和田市の福祉作業所で印刷の仕事をし、月収は6万円だった。
重度の人ほど利用額はかさむ。身障者手帳一級で、負担は上限額の月額37,200円。ほかに昼食代が7千円、外出時の移動支援費が4千円などが新たにかかり、給料はほとんど消えた。「長男が生まれ、もっと稼がなくてはと張り切っていたときで、働く意味って何だ?と思った」
■社会参加奪う
作業所仲間だった元大工の50代男性は、脳卒中で倒れ、半身まひが残った。やっと社会復帰を目指し始めたが、月給が1万2千円で、利用料は月15,000円。差し引き3千円分を、月10万円ほどの妻のパート収入から支払わなければならない。「理不尽すぎる」と通所をやめてしまった。
知的障害者の長男を育てていた視覚障害がある40代の母親も作業所をやめた。家平さんは「人生のどん底にいた自分が障害と向き合い、『生きたい』と希望を持てたのは、学校や作業所に通い、多くの人と出会ったから」。そんな社会参加の機会を、法が奪った。
市町村民税非課税の低所得者は10年度から無償となったが、「配偶者の収入」も本人所得とみなす枠組みが残った。障害者団体で働く妻の収入があり、月18,600円を負担し続けている。
国は「相応の負担を」と言うが、障害者にとってサービスとは日常生活を送ること、「生きる」ことだ。障害の程度を等級で分け、受けられるサービスも制限された。
小さい作業所ほど経営難に陥り、非常勤職員などが増えた。「厚生労働省は85%の障害者が無償になったと胸を張るが、利用サービスの種類や量を制限し、質も落ちた」と家平さんは訴える。
「誰でも障害者になる可能性はあるし、高齢者も一種の障害者。今回の改正案は何も変わっていない。自立支援法を廃止して、根本の考え方を変えなければ。障害とは社会全体で克服していくものです」
■訴訟団と和解
“自立阻害法”ともいえる法律に、障害者たちは声を上げた。「福祉・医療サービスの量を制限して利用分の負担を求めることは、人間の尊厳を傷つけて違法だ」と2008〜09年、全国14地裁で障害者自立支援法違憲訴訟を起こした。
こうした中、民主党は自立支援法の廃止と新法制定を政権公約に掲げ、同年8月の総選挙で政権交代を果たす。早々の9月に長妻昭厚生労働相が廃止を明言。政府の申し入れに応じ、違憲訴訟団は話し合いによる解決に向けて協議を重ねた。
歴史的な「和解」となったのが10年1月7日。厚労省が違憲訴訟団の原告との間で、「遅くとも13年8月までに自立支援法を廃止し、障害者の十分な意見を聞いて新法を制定する」との基本合意を締結した。
地裁での訴訟が全面終結したのを受け、4月21日には鳩山由紀夫首相が原告団を官邸に招き、全面的に謝罪。6月に法の廃止を閣議決定した。その後、有識者ら委員55人でつくる内閣府障がい者制度改革推進会議・総合福祉部会が討議し、11年8月、基本合意を土台にした新法の骨格提言をまとめた。
■基本合意や提言 反映せず
ところが、通常国会初日の先月24日、事態は暗転する。内閣官房から提出された法案名が「障害者自立支援法一部改正法案」と判明。さらに、2月8日の部会に出された厚労省案には「廃止」の文言がなく、改正案そのものでしかないことが公になった。
部会の委員で、違憲訴訟弁護団事務局長を務める藤岡毅弁護士(49)は「部会に提言を依頼しておきながら、内容を反映していない。最初から自立支援法の延命を考えていたのでは」と憤る。
120ページにわたる部会の骨格提言に対し、改正法の厚労省案は概要とはいえわずか紙4枚。「サービスの利用者負担の原則無料化」「現行の障害者の程度区分を見直し、本人の希望を尊重して利用サービスを決める」など60項目の提言のほとんどが見送られ、委員から疑問の声が上がった。
藤岡氏は「基本合意を信じて裁判から手を引いた違憲訴訟団を踏みにじる行為だ。裏切りだ」と語気を強める。
永尾光年企画課課長補佐は「これまでに法律を廃止したのは、らい予防法などごくわずか。政策に一定の継続性がある場合、『廃止』とはいっても法技術的には『改正』のことなんです」と話す。つまり、事務方にとっては最初から「改正ありき」だったわけだ。
藤岡氏の怒りはぶれ続けてきた民主党政権にも向かう。群馬・八ッ場ダムの建設中止、沖縄・普天間飛行場の県外移設、子ども手当…。目玉の政権公約は官僚の言いなりのまま、次々と反故にしてきた。「自立支援法の廃止は重みが違う。国が調印、閣議決定までして約束した、いわば『国約』だ。最後の砦まで裏切るのか」とあらためて廃止を求め、こう続けた。
「『国は国民との約束を破ってもいい』との、悪しき前例になりかねない。政権交代をした民主党の歴史的な存在意義は、消えてなくなるだろう」
<デスクメモ> 「法律とは生きていることを励ますものではないのですか」。障害がある子の元原告補佐人の女性の訴えが胸に迫る。名折れた政治主導をあざけるように厚労官僚が廃止をひっくり返す。1割負担をやめて財務省に頭を下げるのも嫌なのだろうか? 希望の芽を摘むご都合主義の政官一体は願い下げだ。(呂)
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◆怒り! 障害者自立支援法が無辜の父子を殺した2006-12-06 |政治(経済/社会保障/TPP)
中日新聞2006年12月6日朝刊 父と養護学校の娘2人心中
滋賀県甲良町池寺の西明寺近くの駐車場で4日夜、止めてあった乗用車から3人の遺体が見つかった。父親(43)と、いずれも養護学校に通う長女(14)と二女(10)。死因は練炭による一酸化炭素中毒で、無理心中とみられる。母親は3年前に他界し、父親は在宅支援サービスを利用しながら、1人でまな娘を懸命に育てていた。その生活を一転させたのは、4月に施行された障害者自立支援法。過重な負担が父の背中にのしかかった。 「生活が苦しい」「娘の将来が不安」。車内に残された遺書には、絶望の言葉が並んでいた。自宅からは、消費者金融の督促状が見つかった。 娘2人は、2003年4月から養護学校に通学していた。同11月、母親が病死。それまでは自宅から通っていたが、平日は養護学校の寄宿舎で過ごすことになった。 在宅支援は娘たちが自宅に戻る金曜日の夕方、父が会社から戻るまでの約2時間利用。ヘルパーが食事の世話をした。娘の夏休みなどの際は近隣の児童福祉施設に短期入所させていた。 4月に施行された障害者自立支援法が、じわりと父親を追い込む。
ヘルパー利用は、本人負担がこれまでの月1000円程度から約6000円に増加。今年8月に受けた短期入所費も、1000円程度だったのが2万円に膨れあがった。「出費が痛い」。役場の職員にこぼしていた。
父親は5年前から勤めている製造業の工場で、平日の朝9時から午後5時まで働いていた。給料は月に二十数万円ほど。まじめで無口。同僚に家族のことを話すことはなかったという。 新築の家。周囲には一見、金銭的に不自由のない生活に見えた。しかし、心中する前、会社に数十万円を借りようとして断られ、長崎に住む兄にも金の相談をしていた。
娘の今後も悩みの種だった。寄宿舎が2年後に廃止されることになり、2人を自宅から通わせるか、障害が重い二女を寄宿舎のある学校に転校させるか、学校に相談していた。 父親は毎月1回、仕事帰りに役場の福祉課を訪れた。娘2人の在宅支援サービスの日程を決めるためだった。11月30日も訪れたが、その時、12月1日のサービスをキャンセルした。 週末明けの月曜日。3人の遺体は、車の中で折り重なって見つかった。
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◆障害者自立支援法2009-09-24 | 政治(経済/社会保障/TPP)
障害者自立支援法訴訟:国が争う姿勢を転換へ 広島地裁
障害者自立支援法で定める福祉サービス費の原則1割負担(応益負担)は「生存権を侵害するもので違憲」として、全国の障害者が国などに負担撤廃を求めた集団訴訟で、全面的に争ってきた国が従来の姿勢を転換する方向で準備を進めていることが関係者への取材で分かった。長妻昭厚生労働相が19日、同法の廃止を明言したことを受けたもので、早ければ24日に広島地裁で開かれる口頭弁論で、主張撤回を表明する。
自立支援法の違憲訴訟では、東京、大阪、福岡など全国29人の障害者が08年10月、各地の地裁に一斉提訴した。今年4月の2次提訴でさらに28人が加わり、現在、計57人が13地裁で係争中だ。
24日に広島地裁で開かれる弁論は、一連の訴訟で、長妻厚労相の発言後に初めて開かれる弁論となる。関係者によると、国は応益負担の是非について原告側と今後は争わないとの考えを示し、各地裁で係争中の訴訟でも同様の対応をとるとみられる。ただ、違憲性に踏み込むかどうかは不透明だ。【夫彰子】毎日新聞2009年9月24日2時30分(最終更新9月24日2時30分)
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障害者自立支援法:廃止へ 厚労相、新制度に着手
長妻昭厚生労働相は19日、同省内で記者団に対し、福祉サービスを利用する際に原則1割の自己負担を求めている障害者自立支援法の廃止を明言した。その上で「どういう制度にするかも今後詰めていく」と述べ、現行制度に代わる新たな障害者福祉制度の設計に着手する考えを示した。【佐藤丈一】
同法は06年10月に完全施行された。それまでの支援費制度が所得に応じてサービス利用料を負担する「応能負担」だったのに対し、同法では利用したサービスに応じて定率で負担する「応益負担」への転換が図られた。
国の財政負担軽減などが狙いだったが、もともと経済的に苦しい障害者の負担増につながる制度変更には当初から根強い反発があった。08年10月には東京、大阪など1都2府5県の障害者が「原則1割負担は障害者の生きる権利の侵害」などとして国や自治体を相手取り、全国8地裁に負担廃止などを求めて提訴した。
こうした事態を受け、麻生太郎内閣と自民、公明両党は以前の「応能負担」に戻す改正案を3月に国会提出したが、衆院解散に伴い廃案となった。
民主党は、衆院選のマニフェストで同法の廃止を明記。費用を応能負担とする「障がい者総合福祉法」(仮称)の制定などを提唱。社民、国民新両党との連立政権政策合意にも「利用者の応能負担を基本とする総合的な制度」創設を盛り込んでいる。
また、長妻氏は19日、同省内で副大臣・政務官を交えた「政務三役」の初会合を開き、生活保護の母子加算の復活を年内に行う方針を改めて確認。復活時期に応じた工程表を複数案提示するよう関連部局に指示した。
【ことば】障害者自立支援法
自民党が圧勝した05年9月の衆院選直後の同10月に成立した。「小泉改革」の一環で、身体、知的、精神の3障害に対する支援を一元化するとともに、施設や事業の再編を図り、就労支援を強化して障害者の自立を促すのが目的。収入に関係なく利用料の原則1割を負担しなければならないことや、施設への報酬(公費)が減らされたことから、全国の共同作業所などで作る「きょうされん」などが抜本的な見直しを求めている。毎日新聞2009年9月19日21時13分
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【障害者支援法】 延命を模索? 民主政権、「廃止」決定したのに
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