収束などしていない 福島発つぶやき 1年続けた原発作業員
中日新聞《 特 報 》2012/3/16 Fri.
いまだ放射線量が高い過酷な環境のもと、事故処理作業が続く東京電力福島第一原発。先行きが見通せない中、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」で現場などの情報を事故直後から発信してきた地元出身の男性作業員が、発生から1年を機に本誌の取材に応じた。自宅へ帰ることすらまだかなわない自称「国策の被害者」の胸中は−。 (小倉貞俊)
■心配しなくていいが 安心してはいけない
「今は、くすぶっているたき火に水をかけ続けているような状態。心配はしなくていいが、安心してはいけない。もちろん収束などしていない。解決まで道のりはまだ遠いことを、多くの人に知ってほしい」
険しい表情でそう語るAさんは、第一原発が立地する福島県大熊町で育った30代。「協力企業」と呼ばれる東京電力の下請け会社社員で、ずっと地元の原発で働いてきた。
福島原発事故後、全国に放射能への恐怖が広がった。ちまたでは情報交換の新しい手段としてツイッターの利用者が急速に増加。匿名で情報を発信する作業員も現れた。そのうちの一人がAさんだ。
「ネット上には『核爆発だ』といったデマや、不安をあおる書き込みがあふれていた。リスクを冒してでも、真実を伝えなければと思った」
身元が特定されないよう、ツイッターでは「TSさん」と名乗り、デマを打ち消す一方、原発内部の復旧作業の様子などを投稿。当初はわずかだったフォロワー(読者)は、1万9千人にまで増えた。昨年暮れまでの投稿は、スマートフォン(多機能携帯電話)向けとパソコン向けの電子書籍「福島原発現役作業員のツイッター」(マイクロコンテンツ社)にまとめられている。
■作業することで国家の危機を回避できるなら
震災当日、Aさんは第一原発でいつものように作業をしていた。強烈な揺れとその後の津波から逃げ、勤め先に自宅待機を命じられて帰宅。翌日以降しばらくは、他の住民とともに被災者の一人として避難所に身を寄せた。やがて、勤め先から第一原発に戻るよう連絡が届いた。爆発で大破した原子炉建屋をテレビで見ていたので、大変な事態が進行していることはわかっていた。
「いわば“召集令状”だったが、誰かが作業をすることで国家の危機を回避できるのなら自分がやろう、と腹を決めていた」
当時の心境をそう振り返る。
「最後の日常。周りがすべてセピア色に見える」
ツイッターにこう書き込んだ翌日、目に飛び込んできたのは変わり果てた職場の光景だった。敷地内の膨大ながれき、横転した車、巨大な魚の死骸、完全防備の同僚たち…。屋外にわずか10分間いただけで被ばく線量は一ミリシーベルトに達した。
「二重、三重に講じられた対策のどれかで過酷事故は防げると思い込んでいた。東電同様、私も自然をなめていた」
Aさんはそう話し、唇をかんだ。
■自分の健康や将来を あきらめながら働く
昨年5月の大型連休あたりまで、現場は復旧作業が迷走し、大混乱だった。作業は平時とは異なるものばかりで、しかもマニュアルなどは皆無。東電から下請け業者への指揮系統も交錯した。
「ホースを一本引っ張るだけでも、複数の指示が飛び交い、誰の言うことを聞いたらいいのかわからないので仕事が進まない。現場にあると言われた部品が、行ってみたらそこになかったなんてことは日常茶飯事。すぐに被ばく限度を超えて線量計が鳴りだしたが、聞こえないふりをするしかなかった。そうでなければ作業にならない」
多額の損害賠償を見越して支出を抑えるためか、東電はメーカーに部品だけを発注し、取り付けは専門外だが単価が安く済む下請けに行わせていた。その結果、施工ミスが頻発した。
「短期間で効果的に人員と予算を投入していれば、作業はもっと早く進んだはず」
予算不足が工事に与えている悪影響はほかにもあるのではないか、とAさんはいぶかる。
例えば、原子炉格納容器から漏れ出す汚染水を冷却水として再注入するため浄化する仮設の循環装置。水を送るホースが凍結などにより破損し、何十件もの水漏れが発生した。
「仮設ではなく、予算を投じて金属製の頑丈な配管にしておけばそんなことはなかった」「原子炉建屋を覆うカバーを設置できたのはまだ1号機だけ。ほかは放射性物質の飛散を防ぎきれていない」
廃炉に向けた政府の工程表では、完了までに30〜40年と試算する。
しかし、格納容器の底に溶け落ちた核燃料の取り出しなどは新技術の開発が必要で、想定通りに行くかは未知数だ。
まだまだ働き続けることになる職場の労働環境にも、不安は付きまとう。何より心配なのは被ばく量だ。Aさんの場合、現在の基準では「5年で100ミリシーベルト」が上限だが、すでに70ミリシーベルト超。それでも指示があれば、今後も線量の高いエリアに向かう覚悟でいる。
「10数年後には、ベッドの上でもがき苦しんでいるかもしれない。事情は人それぞれだけれど、作業員仲間のほとんどは故郷への思いと、使命感に燃えて現場に戻ってきた。そして、自分の健康や将来をあきらめながら働いている」
■声を上げることが大事 関心を失わないで
だからこそAさんは、「収束」を唱えて事態を小さく見せようとする政府や東電の姿勢に憤る。
「収束したというなら、なぜ私たちはこんなに被ばくしているのか。原子炉建屋に来てみろと野田(佳彦)首相に言いたい」
筋金入りの原発推進派だったAさんは昨年9月、ツイッターで「脱原発」を宣言した。
「安定した職場として満足していたが、被災者になったことで考えが変わった。第一原発にいる作業員の6割は地元出身。みな気持ちは同じはず」
そんな思いとは裏腹に、経済産業省原子力安全・保安院が大飯原発、伊方原発の安全評価(ストレステスト)の一次評価を「妥当」とするなど、再稼働に向けた環境整備は着々と進む。
「福島の処理が終わる前にどこかで事故が起きたら、日本は終わる。福島県民の姿は明日のわが身かもしれないのに、立地市町村は危機感がなさすぎる」
Aさんはいら立ちを隠さない。
「今まで、都心などで行われる脱原発デモには『安全圏にいるだけの人に言われたくない』と反発を感じたこともあった。でも、声を上げてもらうことこそ大事だと思い直した。関心を失わないでほしい。少なくとも今後40年間、国民全体で向き合っていかねばならない問題なのだから」
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◆「重荷を分かち合う。怒りと責任追及に加え、2年目はそのことを読者の皆さんと考えたい」特報部 田原 牧2012-03-16 | 地震/原発
メディア観望 上り坂をゆく覚悟
特別報道部 田原 牧 (中日新聞2012年3月6日 夕刊)
東日本大震災と東京電力福島原発事故から、間もなく1年がたつ。後者については1年という区切りを感じない。むしろ、事故が2年目に入ると言った方がピンとくる。
事故発生以来、担当する「こちら特報部」では、今日まで紙面の多くを原発問題に割いてきた。こだわる理由は記者によって異なると思う。個人的には、原発に日本社会の縮図を見たからである。
原発は放射性廃棄物という未来へのツケと、被ばく労働者という犠牲が不可欠なシステムだ。それを無責任な原子力ムラが増殖させてきた。下地にある差別とムラ構造。それは日本社会のあちこちに顔をのぞかせている。原発はそうした精神風土のあだ花だ。
東電や政府をはじめ、原子力ムラの虚飾をはぎとろうと奔走してきた。ただ、そうした作業の間も、どこか割り切れない感情を抱えてきた。
■都市生活者の責任
11日には福島で大きな脱原発集会があり、首都圏からも多数が参加しそうだ。そのことで、福島の友人にこう云われた。「地元には逃げ出したくても、介護や収入に縛られて逃げられない住民たちがいる。都会の人は1日ここに来て、原発は危険だと騒いですぐに帰る。それを不愉快に思う人は少なくない」
特報部の紙面への批判に聴こえた。そうかもしれない。事故以前にも、原発を批判する記事を書いてきた。だが、私も都会で原発に頼り、安穏と暮らしてきた一人だ。
■避け難い国民負担
事故で進学を断念した若者の将来。緊急避難で津波に襲われた家族を探せなかった悔恨。荒れる農地。事故の被害はいまも拡大している。
にもかかわらず、東電も政府も賠償には逃げ腰だ。同社に十分な支払い能力はない。だが、巨額の費用ねん出も理由のひとつに、もっとも稼ぎやすい再稼働へと突き進んでいる。
東電を徹底的に絞っても、賠償や廃炉のための国民負担は避け難い。その負担軽減に固執すれば、再稼働は必然の流れだ。さらに間もなく、東電の処分や新たなエネルギー計画が固まる。脱原発は上り坂にさしかかっている。
■ただでない脱原発
もう一度、苛酷事故が起きれば・・・と考えれば、進行中の再稼働の企てに対する答えは明白だ。ただ、それは地方に原発依存を強いてきた構造を正すことでもある。それには賠償問題と同様、都市住民の協力が不可欠だ。原発に頼ってきたツケを払うことに等しい。脱原発はただではない。
重荷を分かち合う。怒りと責任追及に加え、2年目はそのことを読者の皆さんと考えたい。「福島の痛みを共有する」といった大それたことは言えない。けれども、この事故は「誰かの犠牲」を無言で認めるような社会を変える機会でもある。
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