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隠された「本当の病状」新聞記者だけが知っていた 天皇陛下合同医療チームの「オフレコ会見」を公開する

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スクープ!隠された「本当の病状」新聞記者だけが知っていた 天皇陛下合同医療チームの「オフレコ会見」を公開する
2012年03月27日(火)週刊現代
------〈手術中に胸水が実は溜まっていたんです。もっと早く胸水は回復すると思っていましたが、長引いている。あまり早い回復ではなかった。ご本人が痛いなと思うこともあるようです。あくまで想定内とご本人には言っていますが・・・・・・〉
  心臓手術から1ヵ月。天皇は奇跡的な回復を見せ、3・11追悼式典の場に立った。だがそれは、体調不良を押しての?強行出席?だったのか。皇室医務主管の「隠された」言葉がそんな不安を裏付ける。
 「これはオフレコで」
 〈(手術後の天皇は)胸水が溜まっていました。もっと早く回復するものと思っていましたが、長引いている。これは陛下には申し上げていないことです〉
 〈胸水が溜まっていると息苦しくなりますし、それが減っていく際には痛みが出ることもあります。普通の動きをしている時には大丈夫ですが、瞬間的には陛下も『痛いな』とお感じになることもあるようです〉
  これは、国民がこれまではっきりと知らされることのなかった、「天皇の本当の病状」の一端である。
  心臓・冠動脈のバイパス手術から、わずか1ヵ月足らず。天皇は皇后を伴い、3月11日に東京・三宅坂の国立劇場で行われた東日本大震災の1周年追悼式典に出席した。
 「大震災の記憶を忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います」
  ほぼよどみなく発せられた天皇の言葉からは、後遺症や体調不良の様子は、ほとんど感じられなかった。
 心臓外科医で、東京ハートセンター・センター長の南淵明宏医師はこう語る。
 「追悼式典での陛下のお姿を拝見する限り、順調に回復なさっていると思います。お言葉は力強かったですし、背筋もピンと伸ばされていて、傷口などを痛がる様子もお見受けしませんでした。おそらく、5月頃には通常のご公務に復帰できるのではないでしょうか」
  意外なほど元気な姿の根底には、「なんとしてでも3月11日の追悼式典には出席したい」という、天皇自身の強固な意志があったことは間違いない。
  2月18日に東大病院で手術を受け、3月4日に退院した天皇は、御所において階段の上り下りや、NHKのラジオ体操に合わせた軽い運動などのリハビリを続け、11日の式典に備えていたという。
 「陛下は昨年の大震災の後、2ヵ月足らずの間に7回も被災者のお見舞いをされたほど、ご自身の使命への思いが強いのです。手術に関しても、追悼式典までに体調回復が間に合うよう、ご自身で日程を調整されたのですよ」(皇室ジャーナリストの渡辺みどり氏)
  ギリギリまで出席が危惧されていたにもかかわらず、会場に矍鑠(かくしゃく)として現れた天皇の姿に、参列者の中には思わず涙を流す人々もいた。
  しかし、そこに至るまでの道は決して平坦ではなかった。それを示すのが、冒頭の「思ったより長引いている」との発言である。これは、天皇の治療を担う合同医療チームの事実上のトップ、金澤一郎・皇室医務主管のオフレコ発言だ。
  金澤氏は東大医学部を卒業後、英国ケンブリッジ大学留学などを経て、東大病院院長などを歴任。昨年まで皇室医務主管の傍ら、日本学術会議会長などを兼任していた、医学界の最高権威の一人だ。天皇の手術後には、順天堂大学の天野篤医師ら現場の執刀医を率いて会見に臨んでいた姿が記憶に新しい。
  その金澤氏が、天皇が退院をした直後の3月4日午後4時から、宮内庁舎隣りの蓮池参集所で会見を開いた。そして新聞・テレビ・通信社などの皇室担当記者約50人を前に、
 「表には出せない天皇の真の病状」
  について言及していた。そしてその内容は、術後の経過が、いまひとつ思わしくない状況であることを窺わせるものだったのだ。
  退院に際し金澤氏は「皇室医務主管」名で、天皇の体調についての公式発表を行っている。そこでは、
 「『術後経過は順調である』と単純には言えず」
  としながらも、
 「『術後の様々な出来事があったが想定内であって、それもすべて改善の方向にある』と考えるのが適切」
「(胸水の)貯留量は少しずつ減少していること、日常のご生活上には胸水の影響はあまりないこと(中略)胸水のためにご入院を継続して頂く必要性はないと判断されました」
 などと説明していた。
  そのまま読むと、天皇はまずまず、順調に回復したかのようにも受け取れる。だが、そうではなかった。
  金澤氏はあくまで「これはオフレコ」としており、新聞・テレビなど大メディアはそれに従い、明かされた情報を公にしなかった。だが、「天皇の病状」は、一部の報道関係者のみが専有するのではなく、国民すべてが、広く知るべき情報だと本誌は考える。
  表面上「予後良好」を演出しながら、実はオフレコ場面での金澤氏は、天皇の容態について、こんな懸念を語っていた。
 〈食欲が戻るのも、予想より遅いようだ。その原因としては、前立腺がんの治療のため行っているホルモン剤の注射による可能性がある。そういう、広い意味でお疲れが溜まっているということかもしれない〉
 〈(胸水が溜まることについて)陛下ご本人には、あくまで想定内と言っています。だから報道してほしくはないが、胸水が引いていく段階で、ご本人が『痛いな』と思うこともあるようです。ただ、日常のふつうの動きをしているなら、自覚症状はあまりない〉
 〈陛下は『できる間にいろんなことをする』とおっしゃっているが、以前と同じように公務や祭祀をされていいものか。今回の(手術による)休養で心臓に関する不安は減ったが、かといって他の不安材料までが減ったというわけではない〉
 「前立腺がん」と、今回の手術の理由となった「狭心症」。天皇にはこの二つの大きな持病がある。
  78歳と高齢なこともあり、手術後には、食欲不振や発熱、肝機能障害なども確認された。医療チームが治療・手術と、天皇の体力維持とのバランスを崩さないよう、細心の注意を払ってきたことは想像に難くない。
 「議論した結果、やめた」
  ただその一方、金澤氏が「ご本人にもお伝えしていない」と語った「胸水」の処置については、疑問が残る部分もある。
  胸水というのは、肺などがある胸腔内に水が溜まってしまう状態のこと。前出・南淵氏によれば、
 「冠動脈バイパス手術後、10人のうち3~4人くらいの方は、穿刺(胸に注射針を刺す)という方法で水を抜く必要がある」
  と言い、
「胸水が500cc以上溜まると、水で肺が圧迫されて呼吸困難やせき、微熱やだるさなどの症状が現れます。おそらく天皇陛下の場合は、700cc以上の水が溜まっていたのではないでしょうか」
  と推測する。
  つまり心臓手術の後、胸水が溜まること自体は、珍しくない。だからこそ、水が溜まった場合は、それを抜くことで患者の負担を減らすのが普通なのだ。
  ところが合同医療チームは、手術の際、天皇の胸水が溜まった状態であることを把握していながら、なぜかそれを積極的に取り除こうとしなかった形跡がある。以下も、オフレコ発言だ。
 〈手術中に、胸水が溜まっているのは分かっていた〉
 〈ただ、穿刺は感染症を起こす可能性があるのであまりやりたくはなかった。『やるべきではないか』という意見も(医療チームの中には)ありましたが、出血の可能性もあったため、議論の結果、やらないことになりました〉
  結局、天皇は3月7日に再び手術室に入り、その時点でようやく穿刺によって水を抜く治療を受けた。
  この処置について、ある私立大学付属病院の心臓血管外科医の一人は、「なぜすぐ胸水を抜かなかったのか」と首を捻る。
 「穿刺は心臓のすぐそばに針を刺すので、危険がまったくないとは言えませんが、ある程度経験を積んだ外科医なら、とくに難しいものではありません。
  胸水が溜まっていたのなら、陛下はさぞお辛かったでしょう。2月18日に手術を受けてから2週間も入院していたのに、その間に穿刺をしなかったのは、やや不可解です」
  冒頭に紹介した金澤氏自身の発言にもあるように、胸水が溜まると、呼吸がしづらくなったり、動くと痛みを感じることもある。
  天皇の心身の負担を軽くする上でも、穿刺はすぐに行うべきだったように思われる。医療チームはなぜ「様子見」したのか。
  都内の総合病院に勤務する別の心臓血管系の医師は、「うがった見方ですが」と前置きしつつ、こう話す。
 「お相手が陛下ということで、医師団は腫れ物に触るような意識になり、穿刺のリスクすら取るのを恐れたのではないか。万が一、穿刺で何か不測の事態が起きた場合、東大病院や医療チームの重大責任問題になるので、あえて手をつけずに経過観察に止めていたようにも見えます。もしもそんな医療チームサイドの論理で陛下が辛い思いをされたのだとしたら、やりきれないことです」
  前出の通り、穿刺による胸水の処置は、手術から2週間以上たった3月7日になってようやく行われたが、実際には前日の6日に、胸水の増加は確認されていた。その経緯にも疑問が残るという。
「6日の検査で分かっていたということは、その時点ですでに、陛下には呼吸困難などの症状が出ていたはずです。それを緩和するためにも、本来はその日のうちに水を抜いて差し上げるのが当然なのです。
  これはあくまで推測ですが、合同医療チームはその時点でも、穿刺をするかどうか迷っていたのかもしれません。しかし、3月11日の追悼式典にどうしても出席したいという陛下のご意向を受け、初めて穿刺の決断をしたのではないか。われわれ医師の常識からすると、そんなふうにしか考えられないのですが・・・」(前出・私大付属病院医師)
■食欲不振、動悸、息切れ
  ことは天皇の身体にかかわるだけに、合同医療チームはあくまで、慎重には慎重を期したのかもしれない。だが、結果的にその判断が、天皇の苦痛を無用に引き伸ばした可能性もあったのではないか。
  予後が不良の状態を押して、自身の意思の力を振り絞って式典の場に立った無理がたたったのか。天皇は翌12日に再び宮内庁病院で検査を受け、まだ「相当量」(宮内庁)の胸水が溜まっていることが確認された。これが解消されない場合、今後は鍼治療などを行う必要も出てくるという。
 「手術前から続く息切れや動悸、食欲不振は、いまだ解消されていないようです。胸水の症状が緩和していけば、それも改善されていくと思われますが、以前の体力に戻るのは、少なくとも夏まではかかるのではないかと言われています。
  陛下は体力の回復を急がれるあまり、リハビリがややオーバーワークになってしまわれることもあるそうです。『少しずつ負荷を増やしていくことが大切だ』というふうにおっしゃり、体力が回復してきて、食欲が徐々に戻ってくれば、またお好きなテニスができるようになる日が来ると考えておられるようです。
  ただ、あまり熱心にリハビリに取り組まれているので、お近くにいる美智子皇后がだいぶ心配されているそうです」(宮内庁関係者)
  前立腺がんのホルモン剤治療の副作用もあり、天皇は以前より、風邪をひきやすくなっているという。少なくとも3月中は、毎朝の日課としていた屋外の散歩も長時間は難しい状態のようだ。
 「このため、ご公務と祭祀に関しても、現在は大幅な軽減を計画しています。とくにご公務に関しては、これまで想定していた期間を超えて、皇太子殿下に代行していただくことを協議しているところです」(同)
  ただし、前出・皇室ジャーナリストの渡辺みどり氏は、「陛下のご体調はもちろん考慮すべきですが、あくまで陛下のご意思次第」として、こう語る。
 「わざわざ追悼式典に合わせて手術の日程を調整されたように、陛下はつねに、国民のためを考えて行動される方です。陛下のように戦時中には沼津・日光への学童疎開などを経験し、戦後の復興を成し遂げてきた世代は、仕事があるからこそ元気が出る、ということもあります。
 ですので、まずは陛下のご意思を尊重しつつ、病状を見ながら今後の公務の調整を行っていくのが最良の措置だと思います」
  胸水に苦しみながらも、日々リハビリに励んで体力回復を目指す天皇は、6月のイギリス訪問、再度の被災地慰問にも意欲を持っていると伝えられる。
  この体調で、常人では考えられないほどの公務に取り組もうとする天皇の姿勢には、ただただ頭を垂れる他ない。
 「週刊現代」2012年3月31日号より
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両陛下と東日本大震災 「国民とともに歩む」皇室 2011-05-10 | 地震/原発 


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