清水 美和氏 東京新聞論説主幹 中国幅広く報道
東京新聞 2012年4月11日
【おくやみ】
清水 美和氏(しみず・よしかず=東京新聞論説主幹)10日、すい臓がんのため死去、58歳。愛知県出身。通夜は15日午後6時から、葬儀・告別式は16日午前11時から東京都大田区東海1の3の1、臨海斎場で。喪主は長男和也(かずや)氏。
1977年に中日新聞社に入社し、香港、北京両特派員、中国総局長などを経て、東京新聞(中日新聞東京本社)論説主幹。本紙でアジア情勢を分析、展望した「アジア観望」を連載した。著書「中国農民の反乱」により2003年にアジア・太平洋賞特別賞、中国に関する一連の報道で07年に日本記者クラブ賞を受賞するなど、中国問題の幅広い文筆活動で知られた。脱原発などの社論形成にも力を尽くした。
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〈来栖の独白〉
思いもかけないこと。訃報に接し、茫然としてしまった。中日新聞の夕刊に良いコラムを書いておられ、楽しみに読んでいたのに・・・。
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◆北方領土、ロシア側の呼び方「南千島」に / ロシア軍、北方領土にミサイルまで配備するか 2011-03-02 | 政治〈領土/防衛/安全保障
北方領土が「南千島」に
2011/03/01Tue.中日新聞夕刊「清水美和のアジア観望」
中国メディアに北方領土を「南千島群島(日本名・北方四島)」と呼ぶ報道が目立ってきた。外務省ホームページや人民日報など党機関紙は「北方四島(ロシア名・南千島群島)」と表記している。
「南千島」はロシア側の呼び方「南クリール諸島」の中国語訳。メディアでは北方領土問題でロシア寄りになる傾向がはっきりしてきた。
■「日本の正義の闘い」
「北方領土返還を求める日本人民の正義の闘いを支持する!」。1970年代に中国を訪れると、中国のホストは必ず、こう繰り返した。
中国と旧ソ連は社会主義の路線対立から60年代末には国境で武力紛争を起こすまで関係が悪化した。「第三次世界大戦を起こすのはソ連」と決め付けた中国はソ連の北方領土占領を「拡張主義」の表れとして日本を応援した。
80年代に中ソ関係が正常化に向かうと、中国は北方領土について「日本とソ連(ロシア)の間で歴史的に残された問題で両国が解決すべきだ」(外務省)と語るようになった。しかし、中国で出版されている地図は今でも北方四島に日本と同じ色を付け日本領として扱っている。
■核心的利益を支持
こうした態度が微妙に変化したのは昨年9月末、ロシアのメドベージェフ大統領が訪中し胡錦濤国家主席とともに発表した共同声明で「主権と統一、領土不可分など核心的利益に関わる問題での相互支持」を申し合わせてから。
同時に発表した第二次世界大戦終結65周年の中ロ共同声明では「歴史の改ざんを許さない」と述べ歴史認識の一致を宣言した。これらが第二次大戦の結果として北方領土の占領を正当化するロシアへの中国の同調を意味するかどうかははっきりしない。
しかし、共同声明が尖閣衝突事件で日中が対立する中で発表され、直後にメドベージェフ大統領が北方領土訪問計画を明らかにしたため、中ロが尖閣諸島と北方領土の領有を相互に支持することで合意したとの観測が浮上した。
その後、ロシアは北方領土への中国企業進出を呼びかけた。人民日報系の国際情報紙「環球時報」(2月16日付)には「大胆に南千島群島の開発に参加すべきだ」と応える国際関係研究機関トップの寄稿が掲載された。
しかし、その2日後には同じ新聞に「中国企業が北方四島の開発に参加すべきかどうかは難しい。こうしたビジネスは日本を不必要に緊張させる」と否定的な外交研究者の意見も掲載されている。
実際には日ロ対立で、どちらにつくかをめぐる論争は中国で決着していないようだ。それがメディアに「北方四島」「南千島群島」の表記が混在する現状に表れている。
■機敏な外交が必要
70年代のように、中国に日本への全面的な支持表明を期待できる状況ではない。しかし故周恩来首相が「北方領土をいまだ返還しない」ソ連を糾弾した歴史(党10回大会報告)を中国も否定しにくいはずだ。北方領土の表記がすべて「南千島」に変わるのを阻止する機敏な外交が問われている。
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◆「右派」は大事をなす 2011-09-17 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉
「右派」は大事をなす
2011/09/13Tue.中日新聞夕刊「清水美和のアジア観望」
「タカ派が日本の新首相に」(環球時報)「軍人家庭出身の強硬派」(中国新聞ネット)「小泉より捕手の新首相」(台海新聞ネット)
新政権誕生を伝える中国のメディアで野田佳彦新首相の評判はさんざんだ。日中関係はうまくいきそうにない。そう考える人が大半だろう。
しかし、心配は無用。中国には毛沢東主席以来、「右派は大事をなす」と交渉相手として評価する伝統がある。
■本音でものを言う
「私は右派と取引するのが好きなのだよ。右派は本音でものを言う。左派のように(中略)言うこととすることが違うということがない」(李志綏「毛沢東の私生活」)
戦火を交わした米国のニクソン大統領を中国に迎えるにあたり、毛主席は反共で知られる大統領を絶賛した。
?小平氏も米国との交渉で、リベラルな民主党より保守的な共和党への親近感を持ち続けた。学生、市民の民主化運動を武力で鎮圧した天安門事件(1989年)の直後、米国の制裁を受けながらも、国交正常化に事実上の大使として北京に駐在したブッシュ大統領の特使を受け入れ、関係改善を望んだ。
■共和党に期待示唆
2000年の米大統領選挙を前に、朱鎔基首相は民主党候補のゴア副大統領を「頭が固い」と評し、父親に続く共和党のブッシュ政権誕生への期待を隠さなかった。
日本との関係でも中国が今、もっとも頼りにしているのは改憲論者の中曽根康弘元首相だ。中国が「好きな」政治家は口先で友好を唱えるリベラル派よりも、戦略的判断ができる現実主義者である。
靖国神社参拝で5年も首脳相互訪問を中断したにもかかわらず、中国は小泉純一郎元首相に一目置いている。長期政権を維持しただけでなく靖国参拝に固執した背景に深謀遠慮があるとみたからだ。
「小泉さんの戦略は何ですか。中国にいかに敵対的であっても、それがはっきりしさえすれば対応しやすい」。小泉政権当時、中国の外交官や研究者に繰り返し問われ、答えに困った経験がある。
メディアの酷評にかかわらず、野田首相は中国の好きなタイプの政治家になりうる。激しい批判に臆し言うべきことをためらったり、おもねる態度を取ってはならない。
中国が大国化に伴い、力にものを言わせる態度を強めていることに周辺国の警戒は高まっている。それがアジアの将来だけでなく中国のためにならないと直言すべきだ。
■めりはりある戦略
ただ、中国のたくましい発展は世界経済の希望であり、日本も経済や環境で協力を惜しまない態度をはっきりさせる。めりはりのきいた対中戦略の全体像を示すことで、中国は日本を見直すだろう。
社会問題が深刻な中国は今、国民を「反日デモ」に駆り立てる歴史問題が再燃することを望んでいない。野田首相が靖国参拝をするつもりがないことをはっきりさせたのは賢明だった。9月下旬の国連総会から始まる外交の季節は米国とともに中国首脳とも会談を重ね、信頼関係を築くチャンスだ。(東京論説主幹)
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◆外交/儀礼的な会話の踏襲では、外国の首脳に日本がまともに相手にされることはないだろう 2011-08-30 | 政治〈領土/防衛/安全保障
外交は人間関係から
2011/08/30Tue.中日新聞夕刊【清水美和のアジア観望】
「中国と日本を比較すれば中国は伝統的に普遍的な視野を持っているが、日本は部族的な視野しかない」(キッシンジャー大統領補佐官)
「彼らはものの見方が偏狭で、まったく奇妙だ。島国国民だ」(周恩来首相)
今年は米国が日本の頭越しに、ニクソン大統領の訪中を決めたキッシンジャー秘密訪中から40周年になる。周首相との間では冒頭のような本音のやりとりが行われた。
■安保で日本を束縛
周首相は日米安保体制が台湾統一を妨げるという疑いを捨てない。キッシンジャー補佐官は「米国との関係は実は日本への束縛」「日本が大規模な再軍備を図れば伝統的な米中の友好関係がものをいう」とまで言い切り、中国が警戒心を緩めるよう努めた。
両者はきわどい会話をしても外部に漏れる恐れはなく、相手が現実的な判断をするはずだという信頼関係を築いていたのがわかる。何かと角突き合わせる米中両国だが、トップレベルの人間関係を築き決定的対立を避けるという外交の知恵は今も生きている。
米国のバイデン副大統領は今月、日本(3日間)、モンゴル(1日)訪問に先立ち、6日間も中国に滞在した。
■次期指導者が接待
四川省視察も含む行程には、来秋の共産党18回大会で総書記に就任する習近平国家副主席が同行し接待した。
プライベートの夕食会など両者が顔を合わせる会談、視察は6回以上に上った。バイデン訪中の目的が個別問題の交渉より次期最高指導者の習氏の人物を見極め関係を築くことだったのをうかがわせる。
副大統領は習副主席について「強硬だが実務的だ」と述べ、現実的判断ができる政治家として高く評価した。
外国要人と人間関係を築き、外交に生かした政治家は日本にいるか。政治家ではないが、小泉、安倍政権時代に外務次官だった谷内正太郎氏が、中国の胡錦濤国家主席の側近である戴秉国外務次官(当時)と信頼関係を築き、靖国神社参拝問題で5年も途絶えた日中の首脳相互訪問を再開したことが記憶に残る。
谷内氏は来日した戴氏を新潟県の温泉に招き、深夜まで本音の会話を交わした。戴氏は故郷の貴州省に谷内氏を招待した。こうした努力が2006年10月の安倍信三首相の訪中実現につながった。
後を継いだ福田康夫首相との間で、胡主席は個人的信頼関係を築き、東シナ海ガス田の共同開発など懸案の進展を図ったが福田政権は短命に終わる。いずれも1年で交代した麻生、鳩山政権を引き継いだ菅直人首相は外国首脳と儀礼的な会話をしたことしかなく、今回のバイデン副大統領との会談もそれを踏襲した。
■信頼関係を築く力
これでは信頼関係をきずくには程遠く、外国の首脳に日本のトップが、まともに相手にされることはないだろう。冒頭のやりとりに見られるように、外交の世界は表向きの美しい言葉とは裏腹に猜疑心と悪意に満ちている。それを乗り越えるのは相手の本心を見通す洞察と、本音を引き出す外交の力、つまり人間関係を築く力だ。(東京論説主幹) *強調(太字・着色)は来栖
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訃報:清水美和さん=中日新聞東京本社論説主幹
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